待ち合わせの場所へ行くと、日陰で佇む番外ちゃんの姿が見えた。彼女は耳聡く気付いてこちらを向く。
「遅い」
「ごめんなさい!」
彼女は眉を八の字にして言う。その怒り顔は超が付くほど可愛らしく、心のもやなんて吹き飛んでしまった。
これから宿屋に向かうらしい。宿屋──その旅行感ある言葉だけで少しわくわくしてしまう。
リアルにもVR旅行というものがあったが、あれはどうしてもチープさが拭えない。個人的には食事が出来るか出来ないかの差が大きいと思う。
「おー……」
宿屋は吹き抜けの二階建てで、一階はほぼ全て食堂となっていた。中々年季の入っている内装だ。
受付を済ませて鍵を受け取り、宿泊部屋へと入る。やはりというか少し埃っぽいうえに、床がぎしぎしと不安な音を立てている。
そして致命的な点が一つある。防音性が皆無であるということだ。食堂からの声が筒抜けで、プライバシーも何もない。
想像とは大分異なったが文句は言えない。お金を出しているのは彼女の方だし、本人は特別不満があるようにも見えなかった。現代のサービス業と比べてはいけないのだ。
残念ではあったが、このくらいは我慢すべきだろう。そもそも彼女と一緒に宿に泊まれるだけで、お釣りがくるほど幸せである。
「さて、今後の話だけれど」
番外ちゃんは椅子に腰掛けた。椅子は一脚しか用意されていなかったので、自分は代わりにベッドに腰掛ける。
「しばらくはここに住んで良いと思う。何故か陽光聖典の派遣も途絶えているようだし」
「聖典って、法国の特殊部隊みたいなものだっけ?」
「そう。彼らは対ビーストマンの戦力として派遣されていたはず。これ秘密にしておいてね」
ビーストマンとは、ライオンや虎のような肉食獣の頭部を持ち、人間を食料とする亜人種のことを指す。竜王国は昔からビーストマンの侵攻に悩まされており、現在進行形で対応に追われているらしい。
「陽光聖典がいなくなって大丈夫かな?」
「今頃焦っているでしょうね。陽光聖典は弱いけど、それでも竜王国には欠かせない戦力だったはず。近いうちに代わりの戦力が送られてくるのは間違いないかな」
「ほうほう」
法国の軍が介入しているのは意外だった。だが結局のところ、戦線にさえ立たなければ法国に見つかることはないだろう。法国には過去のプレイヤーの遺産があり、いくつかヤバい代物が存在しているようなので、絶対に敵対はしたくない。
「とりあえずの安全は確保したとして、あとは……お金?」
「ええ。貯金はあるけど宿暮らしじゃ賄えないわ。今から稼ぐなら冒険者になるのが手っ取り早いと思う」
「冒険者!?」
冒険者って、漫画に出てくるようなあの冒険者のことなのだろうか。確かにファンタジーのような世界だが、そんなベタベタな職業が本当に存在していることに驚きを隠せない。
話を聞くと、モンスターの間引きや商人の護衛等を専門とした、傭兵のような職業だという。一般的にイメージするような遺跡やダンジョンの探索は殆ど行われないらしいが、詳しいことは冒険者組合に行ってみなければ分からない。番外ちゃんが住んでいた法国には冒険者自体が存在しないため、確かなことは言えないようだ。
そして冒険者を選ぶメリットは二つある。一つは冒険者登録において本人の出自を問われないということ。もう一つは、依頼を達成すれば即座に報酬を得られるということ。故に手っ取り早いのだ。
「なるほどね……。悪くはないけどなぁ」
自分がこの世界で最も活かせるものといえば、やはり戦闘力だろう。学の無い自分にとって冒険者は天職だと言える。しかし、折角異世界に来たのにまたモンスター狩りか、という思いがある。
ユグドラシルを始めてから数年のこと。PVPの楽しさに気付いてから、勝つために様々な職業を試していた。当時は既に百レベルだったので、職業を変えるためには一度レベルを下げ、再度レベルを上げなければならなかった。それを幾度も繰り返し、ようやく納得のいく職業構成に仕立て上げることができたのである。
つまり、もうモンスターを狩るのはこりごりなのだ。
他に手立てはないものか。そう思いアイテムボックスを覗いていると、
「あ、ユグドラシル金貨……」
アイテムボックスにはサービス終了まで使い切れなかったユグドラシル金貨が残っていた。その総数は一千万枚とちょっと。ゲームではインフレが進み、一千万枚などはした金もいい所だが、この世界でならかなりの価値になるのではないだろうか。
ユグドラシル金貨を一枚だけ手に取ってみる。掌に乗せた感じでは、どう少なく見積もっても十グラムはある。
「まじか。マジか!?」
「?」
この金貨がもしも純金ならば、ユグドラシル金貨だけで一生食っていけるんじゃないだろうか。まさかこの世界では金がザクザク採れるなんてことはないだろう。
「ば、番外ちゃん。これ見て」
「へぇ。凄く精巧な金貨ね。こんなお宝持ってたんだ」
「これ、一千万枚あるんだよね。マジで……」
アイテムボックスを逆さに開き、ベッドの上に金貨をばら撒く。まるでジャックポットのような光景だ。
「嘘、これ全部……」
「多分、純金。俺が元居た世界の通貨なんだけど、これ、売ったらいくらになるかな」
今更平静を装ってみたが、内心は期待で胸が破裂しそうな思いである。
彼女は驚愕の表情を見せたが、次第に顔を曇らせた。
「一枚でもかなりの価値があると思う。でも、うーん……。これはむしろ、扱いに困りそうな気も」
「というと?」
「まず、この金貨の出所を疑われるでしょうね。見た事の無い通貨だけど、盗品の可能性は考えるはず」
「あー。確かに」
「そもそも個人が大金を抱えてる時点で、トラブルの元だしね。そのまま取引するのは危険かも」
そう都合良くはいかないか。しかし、このままでは宝の持ち腐れである。どうにかしてこの切り札を捌き、夢の富豪生活を送ってみたい。
「現状は信用が無いのが問題ね。信頼できる権力者との繋がりがあれば、安全に取引できるのかな。専門じゃないし分からないけど」
信頼できて権力のある人間。
まさか、
ついさっき、こちらのアクシデントで、偶然出会っただけの男。彼の家は都市を治めるだけの強大な権力を持ち、なにゆえか亜人を好意的に捉えている。
しかし、もう会う気はないだなんて言ってしまった。あんなことを言っておいて結局手を借りるのか?
しばらく逡巡する。金欲とプライド、どちらを取るか。
悩みはしたが、結論はほぼ決まっているようなものだった。
誰かが言った。金は命より重いのだと。やはり人は金には勝てないのである。
(行くかー……)