ぽかぽかと暖かい風が、総武高校に咲く桜を散らしながら吹き抜ける。教室にカツカツと小気味の良い音と共に黒板に俺の名前が書かれていく。
「それでは藤沢先生。挨拶をおねがいします」
Jクラスの担任である鶴間先生の挨拶が終わると俺に話が振られた。それに答え教壇の上に立つと何やらひそひそ話を女子生徒は始める。
「本日より君たち2年J組の副担任をすることになった藤沢善行(ふじさわよしゆき)です。担当科目は科学。その中でも専門は物理です。記憶力が良い方じゃないので皆の名前を覚えるのに時間がかかるかもしれないですが頑張ります。一年間よろしく」
俺が自己紹介を終えるとパチパチと拍手が降り注ぐ。流石県内屈指の進学校ということだけあって随分とお行儀がよろしい。
俺は藤沢善行。この総武高校に異動により今年から通うことになった教師だ。大学院を出てから教師になり5年ほど最初の学校で過ごした。この総武高校は俺にとって記念すべき2校目の学校となるわけだ。もう若手とは言えない歳なのだし今回は早く慣れるように頑張らなくては。
そう思いクラスを見渡したとき一人、一際目立つ生徒がいた。かわいいって表現より容姿端麗って言葉の方がしっくりくる。そんな彼女は拍手する事は無くただただ俺をじっと見据えていた。
名前は…雪ノ下か。
なんなのあの娘。あんな美人に品定めするような目で見られるとかゾクゾクするわ。ありがとうございます!
しかし他の娘もよく見ると分かるがこのクラスのレベルは高い。俺が高校生の時の女子はこんなんじゃなかった。
「じゃあ今日のこれからの流れについて説明します」
鶴間先生は俺の自己紹介が終わると慣れた様子でホームルームを進めていく。流石教師生活20年のベテランだ。話を聞いてるだけで参考になる。
「皆に伝えるべき話は以上です。今日は掃除をして終わりになります。では各自取りかかってね」
生徒は皆掃除に取りかかる。本当にこのクラスは真面目だ。
あれ?もしかしてこの学校での教師生活は楽が出来るんじゃないか?ラッキー!
その時の俺はそう考えて疑わなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
時は流れ放課後。俺が顧問になった卓球部に挨拶を済ませ、職員室で本日の業務記録を書いている所だ。
うちの卓球部は女子部員が居ないから男臭さがやばい。前の学校ではテニス部の顧問だったからその落差に驚くわ。熱血と爽やかというこの真逆さが笑える。
「ふぅ…」
今日一日何だか疲れた…。早く家に帰ってビール飲みてえ。
「藤原先生。お疲れ様です」
俺の隣の席から美しい女性の声が向けられる。振り向くとそこには艶やかで綺麗な長い黒髪、それに反するような純白な白衣を纏った美女が隣に座って微笑んでいた。
「ありがとうございます。平塚先生」
平塚静先生。俺がこの学校に来て一番最初にテンションが上がった要因。初見のときにめちゃくちゃ美人が居ると舞い上がったものだ。さらには職員室の席の配置がお隣て…これはまさに運命ですね。
「良かったらどうぞ」
微笑みながら差し出される微糖の缶コーヒー。
なにこのイケメン惚れるんですけど。こんなにかっこいい美人が微笑みながら缶コーヒーって普通は落ちますよね。
「ありがとうございます。ありがたくいただきます」
「いえいえ。ところで今日はどうでした?」
「ここの生徒は良い子が多いですね。問題なくやっていけそうですよ」
「それはよかった」
ニッと歯を見せて笑う平塚先生まじ美人。
「J組なら上溝って生徒が…」
「そうなんですか!」
平塚先生は業務記録を書きながら生徒達の事を教えてくれる。その話している姿を見ているとこの先生は本当に生徒一人一人をしっかりと見ていると感じさせる内容だった。
「よしっ!じゃあ私は一足先に失礼しますね」
「あっはい。お疲れ様です」
平塚先生は自分の仕事を片付けかつかつと小気味の良い音を立てて帰宅していった。
生徒思いで美人で気配りが出来る。平塚先生…なんて素晴らしい女性なんだ。
明日からも隣で一緒に仕事が出来るなんてすばらしいな。
っていかんいかん。集中しろ。
…俺もさっさと終わらせるぞ。
ーーーーーーーーーーーーー
四月の夜はまだまだ肌寒くその風は風呂上がりの俺の体温を少しずつ冷ましてくれる。
「ふぅ」
俺はまだまだ見馴れないベランダで煙草を吹かしていた。
学校にいる間は吸えなかったからな。めちゃくちゃしんどいって訳ではないがやはりニコチンを取れないのは喫煙者的にはつらいものがある。
煙草に加えてビールもぐいっと…
「ぷはっ!」
これだこれ!よーしこの一本吸ったら帰り際に買った焼き鳥で晩酌だ。
るんるん気分で煙草を吸っているとがらがらと隣の部屋の窓が空く音が聞こえた。
どうやらお隣もベランダで喫煙らしい。
そういや引っ越してから忙しくって隣に挨拶してなかったな。
元々住んでいたアパートは総武高校からかなり離れていた。そのため学校から車で15分ほどのアパートに、この異動を切っ掛けで3月末に引っ越してきた。
しかもアパートの2階の角部屋なため喫煙の際、1つ隣の人に気を使うだけで良いのだ。
そのお隣も喫煙者となれば気を使う必要も0。平塚先生とも出会えたし今年の俺は本当に幸先が良いぞ。
さて、お隣さんも居るって確認できたし挨拶にいくかな。
挨拶の品は俺が厳選したレトルトカレーセットだ。
これ旨いんだほんと。独り暮らしの中で俺が見つけた数多くの発見の1つだ。
さっさと終わらせて晩酌の続きでもするかな。
カレーを片手に引っ提げ、お隣のインターホンをならす。どうでも良いがインターホンを鳴らすのは子供頃からすこし緊張するから好きじゃないんだよね。
さてお隣はどんな人かな。俺と同類であるアラサー独身男?ギャンブル好きなアラフォー独身男?妻に逃げられたアラフィフ独身男?
まぁこんなアパートに居て煙草を吸ってるとなればそんなところだろう。
思考を巡らせていると扉ががチャリと開く。
「どちら様ですか」
短パンからすらっと伸びた足。半袖Tシャツから覗く白くきめ細かい美しい肌。入浴直後なのかすこし濡れた艶のある長い黒髪。驚き見開いた大きな黒い瞳。俺の予想した姿とは何一つとして当たっていない、そんな女性。
「藤沢先生!?」
ノーメイクで完全に油断しきった姿で、平塚先生がそこには立っていた。
1話は序章です。