加蓮Be!   作:煮卵9

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暗闇の底の底で

 

 

 

 

 

「じゃあ、島村さんはどうにかなったってことね。良かったわ。」

 

「まだ絶対じゃないけどな。とにかくSpring Festivalへの出場は固まったっぽいぞ。実際にそこでどれ程のパフォーマンスを出せるかは分からないし、仕事がどれだけ来るかもあの武内って奴の技量次第じゃないのか?」

 

「その技量次第では、大河は完全に敵に塩を送ったわけだけど?」

 

「そうか?他所のアイドルが窮地から救われたってだけでボロ負けするアイドルなら、そもそも足りてないだけだろ。俺が育ててやりたいのはトップアイドルだ。トップを目指す奴が、島村卯月一人に負けてたんじゃあダメダメだ。むしろ強くなってくれるって言うなら、良いライバルにはなるかもしれないしな。」

 

「へぇ。意外ときちんと考えてるのね。」

 

「なあ、めちゃくちゃどうでもいいんだけどさ、お前、最近静香と別々にいない?」

 

一息つこうと、目の前に置かれたコーヒーカップを手にした志保はビクンッ、と、身体を跳ねさせた。

零しはしなかったものの、何やら図星か何かをついてしまったらしい。

 

今は休日の昼下がり。まあ休日と言っても俺が休日なだけで志保は学校だったわけだが。

何故だか俺は、志保に連れられて映画を見に来ていた。

 

「な、何の事よ。」

 

「いや、今日だって静香来てないし、最近だってあんまり一緒にいるの見ないし。何?また喧嘩か?取り持ってやろうか?」

 

「余計なお世話よ!仲良しこよしで学校じゃあクラスメイトに勘違いされるくらいなんだから!」

 

「それはそれで問題だろ…。」

 

勿論本気で静香と志保の仲が悪いとは思っていない。

こいつらが一緒に登校したりシアターでつるんでいるのもよく見かけるのだが、やはり一緒にいる時間は減ったように思う。

静香もアイドルという仕事が増え、忙しくなったのだろうが、それにしたって、と言う感じだ。

 

「そもそも今日は静香が仕事でしょ!だからたまたま暇だった大河を呼んだだけよ!」

 

「今日は静香の仕事は4時で終わりだぞ。ちなみにお前は今日はレッスンも仕事もない。」

 

「チッ…!下手に優秀で面倒くさいわね…。」

 

「舌打ちとかすんなー。お前はオフとは言えアイドルだぞー。」

 

俺は背もたれに寄っ掛かりながら空を見上げる。

今日も、晴れだ。

何一つ困ったことなんてなくて、俺のプロデュースしているアイドル達もどんどんと育っていって、俺の信頼度や赤羽根さんからの信用度も上がっていて。

 

「ったく、贅沢だな。」

 

「何がよ。私みたいな美人と休日を過ごせること?」

 

「馬鹿言え。お前と一緒に過ごしたい奴なんざ超サイヤ人くらいだ。強い奴と戦えるとワクワクするような

 

顎をブチ抜かれた。我上司ぞ?

でも最早殴られ過ぎてリカバリーが早くなりすぎた。プロデューサーをクビになったらスタントマンにでもなるか。虎ぐらいなら勝てるかもしれない。

 

「ちげーよ。何か、だいぶ落ち着いちまったなーって思ったんだよ。昔の俺は認めないと思うが、いや、今の俺も認めないけど、俺は加蓮に縛られてた…んじゃねえな。俺が加蓮から離れられなかった。折れちまうのが何より怖かった。眼の前で光ってた指針が急になくなっちまうのが怖かったんだろうな。いや、認めないけど。」

 

「…それが、加蓮さんが安定してアイドルとして輝き出したから、やることが無いっていうこと?」

 

「やることなんていくらでもあるんだけどな。主に未来と紬のせいで。でも、緊迫感が無くなったのは確かだよ。俺が気を抜けば折れて消えてしまいそうな奴も居なくなって、安心したって言うか、逆に安心できないって言うか。」

 

「どうして?心配事が一つ減ったのだから何を不安がるようなことがあるって言うの?」

 

「ネガティブシンキング、なのは分かってるんだけどな。どうやら心労事があり過ぎて、何もないと勘ぐっちまうようになっちまったもんでな。」

 

これは悪いことなのかも知れないが、でも、どうしても思ってしまう。

普遍的な日常は、いつか崩れ去ってしまう。

 

加蓮が病気で立ち上がれないと知った時。

優が死に、千早姉とも会えなくなった時。

このみ姐さんが、初めて弱みを漏らした時。

加蓮が、大きな怪我を負った時。

志保と、公園で殴り合った時。

静香と、屋上で叫びあった時。

凛に、加蓮を任せた時。

 

―――そして、加蓮が、あのライブ会場に立った時。

 

どれだって、俺が労した苦労は多大で、心労も多大で、いつ失敗して誰かを傷つけてしまうかと言う恐怖に怯えながら俺は戦っていた。大切な人だから、大好きな奴らだからこそ、どうにもならないことがないように、必死に走って、戦って、何とか打ち勝ってきた。

いつ敗北が来てもおかしくない。綱渡りの現状で走ってきた。

 

「そう、だな…。ちょっと、怖いんだ。今気を緩めて、何かが起きた時に、俺がもう一度成功できるかどうか、分からないから。俺の担当アイドルが躓いた時に、救ってやれるのは俺しかいないんだからな。」

 

「…そうね。私から言えることは一つだけ、だと思うわ。」

 

「言えること?」

 

「そう。アイドル達を代表して、プロデューサーに言いたいことよ。―――あんまり、私達を舐めないで。失敗して、全部丸投げして。それで大河に全部押し付けるなんて思わないで。いい?プロデューサーに支えてもらっていることは事実ではあるけど、でも自分一人で立てない訳じゃない。私達は人間よ。再び立つことだって、できるわ。」

 

そう言い切る志保の目は、強い信念に満ちていて、その後ろに輝く夕日と相まって、とても綺麗な姿に見えた。

 

「…お前、良い嫁さんになりそうだよな。」

 

「…な、何を―――

 

「ほら、行くぞ。映画、始まっちまうぞ。」

 

俺は席を立ち、背中には靴の跡が付いて、顔は思いっきり地面に叩き付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冗談のつもりだった。

単なる世間話だと、思い込みの激しすぎた与太話だと、ネガティブになりすぎた俺の夢物語だと、そう思っていた。

でも、俺は忘れていてはいけなかった。

世界はあまりにも理不尽で、人生はこんなにもクソッタレだということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は、瑞希の写真撮影に同行していた日だった。

有名雑誌の新人アイドルを紹介するという企画の様で、ここで名を売れれば人気は急上昇し、次の仕事にも繋がるとい凄く重要な仕事だ。

しかし、瑞希は表情を表に出すのが得意ではない。

そのせいで、あまり撮影の方は上手くいっていないようだ。

 

「うん…、よし、撮影時間も膨大にあるわけじゃないから、君は最後に撮ろう!次の子、スタンバイして!」

 

瑞希の撮影中、カメラマンが大声で叫ぶ。

瑞希は衣装に上着を羽織り、スタジオ内の休憩用の椅子に座る。

俯いて元気のなさそうな瑞希の隣に、俺は深く腰掛けた。

 

「プロデューサー。私、どうしたらいいのでしょうか。表情を、自分では出しているつもりなのですが。」

 

「…ま、そりゃそうだ。カメラマンからしたら、新人アイドルなんて大抵元気いっぱいだ。瑞希みたいなタイプは珍しいだろうからな。でも、だから何だよ。カメラマンのいうことが絶対か?アイドルはカメラマンの言うこと聞いてりゃ人気になれるのか?そうじゃない。カメラマンにも好みってモンがある。お前がその好みに合わないってだけだ。」

 

「でしたら、むしろ…。」

 

「だから何だっていうんだよ。カメラマンが気にくわなくてもいい。お前の目指すアイドル像って奴に賭けてみろ。お前は新人の中でも一番強い奴だ。もしもそれがダメって言いだしたなら、俺がブッ飛ばす。だから、お前はお前らしくいけ。信念を曲げた奴は曲げた分だけ弱くなる。今この一瞬じゃなくて、これからの全てを考えろ。何とかならねえもんは、俺が何とかしてやるから。」

 

俺は瑞希の頭をポンポンと叩く。

瑞希は持っていたタオルで、顔を覆う。

 

(どの辺に表情が出てないのか、俺はカメラマンに聞きたいところだけどな。こんなにも表情豊かな奴、あんましいないだろ。)

 

「飲み物、買ってくるな。」

 

瑞希が頷いたのかどうかは分からないが、俺はそのスタジオを出て、自動販売機に向かう。

その前でそう言えば何を買えばいいのかとも思い直したが、そんなものは知らないので取り敢えず適当に選んでスタジオに戻る。

 

するとスタジオの前に来たところで、あちら側から扉が思い切り開かれた。

それを避けて、俺の身体は仰け反って、持っていたペットボトルを落としそうになる。

出てきたのは、瑞希だった。

 

「おっとっと…。危ねえよ瑞希。落としかけたじゃねーか。なんだ?そんなに喉が渇いてたのか?」

 

「それどころじゃありません!」

 

瑞希が、柄にも無く大声を張り上げる。

 

「んだよ、何かあったのか?少しカメラマンにごちゃごちゃ言われたからって、そんな気に病む必要―――

 

「お姉さんが、事故に遭いました…!」

 

 

 

「…は?」

 

なんて、言った?

 

「今スタッフさんから電話を取り次いでもらって、志保さんからで、お姉さんが、仕事中に事故を起こして病院に搬送されたと…!」

 

 

 

理解が、追い付かない。

誰が?加蓮が?何を?事故を?何で?どうして?誰のせいで?

意味ガ、ワカラナイ。ニンシキガ、オイツカナイ。

 

 

 

「プロデューサーッ!」

 

「ッ!?」

 

「早く行ってください!何してるんですか!」

 

「でも…お前が。まだ、撮影が終わって…。」

 

「いいから!行ってください!私自身のことは、私自身で何とかしてみせますから!」

 

「ッ…!行ってくる!すぐ戻ってくるから!それまで…!」

 

俺はバイクの鍵だけを持って、スタジオから走り出す。

 

 

 

 

 

「志保ッ!瑞希から聞いた!病院はどこだ!」

 

『大河。まずは落ち着いて。』

 

「いいから教えろッ!すぐに行く、俺が行くから!」

 

『落ち着いてって言ってるでしょ。一度深呼吸をして。気持ちを落ち着けて。そうしないと私、何も話さないから。』

 

「ふざけてる場合じゃねえだろ!」

 

『ふざけてなんかないわよ!…大丈夫だから、落ち着いて。加蓮さんはまだ手術中だけど、命の心配はないってお医者様は言ってたし、まだ大怪我って決まったわけじゃないから。それよりも大河が焦って途中で事故を起こす方が怖いわ。…無傷で起き上がったら、弟が自分のせいで事故に遭ったって聞いたら、加蓮さんが可哀想だわ。これ以上、悲しむ人を増やさないで。』

 

「ッ…。分かった。落ち着いた。悪い…、志保。で、どこにある。」

 

「283プロダクションの一番近くにある市民病院よ。場所、分かるわよね?」

 

「すぐに向かう。事故は起こさない。無傷でいく。だから…それまで加蓮を頼む。」

 

「…承ったわ。」

 

バイクにキーを指し、エンジンをかける。

スタンドを蹴り上げ、飛び乗って、アクセルを思いっきり踏む。

 

(大丈夫だ、落ち着け。ただ怪我をしたってだけだ。どうせどっか擦りむいたってくらいだ。そこにいた奴らがちょっと焦って大事にした程度の話だ。)

 

 

 

楽観視することにした。楽観視できる未来を願った。

良い方に考えれば、現実もそうなるかもしれない、未来もそう有るかもしれない。

病院に行ったら、足にちょっと包帯を巻いた加蓮がいて、焦って急いできた俺を揶揄いながら、一緒に家に帰る。

 

そんな、普通の未来を、祈って、いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神様は、残酷だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病院について、手術室へと向かう。

場所なんて分からなかったけど、止まりたくなかった。

走って、走って、それで、辿り着いた一つの部屋の前に、見知ったいくつかの顔があった。

 

 

 

笑顔で話しかけようとした。俺は、どうせ大したことなかったんだろ、って言って、それでそいつらと、大げさだよな、なんて話をして、それで、それで、それで。

 

 

 

奏が泣いていた、目を覆って泣いていた。

親父とお袋は俯いていた。生気を失った様な顔で、俯いていた。

美城専務は壁に拳をついていた。悔しそうに、拳をついていた。

志保は目を逸らした。辛そうな顔で、目を逸らしていた。

 

「お前ら、何、ふざけてんだよ。ドッキリか?プロデューサーを狙ったドッキリなんて、テレビで流したって…。」

 

分かっているだろ?お前は要領がいい奴で、理解力がある奴で、完璧なんだろ?

察しはついてるだろ?これから自分に叩き付けられる現実と、その現実がいかに非情なものなのかを。

 

 

 

白衣を着た医者が、俺の前に立って、淡々とした口調で告げる。

 

「命に別状はありません。しかし足の損傷が激しく、切断とまではいきませんでしたが、もう、動かすことはできないでしょう。…端的に言わせていただきます。」

 

ゴチャゴチャ言われたって分からない。俺が知りたいのはただ一つだけで、それ以外の何物でもない。でも、聞きたくない。聞いてしまえば、受け止める時が来るから。受け止めて、また絶望しなくてはならないから。

 

 

「北条加蓮さん…あなたのお姉さんは、再びアイドルとしてステージに立つことは、ほぼ100パーセント不可能です。」

 

 

 

―――神様って野郎は、どうしてこんなにも、クソッタレなのかに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

医者は部屋から出ていき、残された部屋の中には、静寂だけが残っていた。

 

「クソが…。」

 

呟いたって、何も変わらない。

 

「クソがッ…!」

 

ドンッ!

 

壁を殴りつけたって、何にも変わらない。

 

「クソがクソがクソがクソがクソがぁッ!」

 

ドンッドンッドンッドンッドンッ!

 

「どうしてッ…どうしてまた加蓮なんだ!一体何回奪えば気が済むんだ!一体どれだけ苦しめば救われるんだよあいつは!美城専務…!あんたは加蓮をトップアイドルにすんじゃねぇのかよ…!なんでこうなってんだよ…!なんで、どうしてッ!奪うくらいなら…最初から与えんなよッ…!高いところから叩き落とすのがそんなに楽しいか…!?やっと、あんなに苦労して手に入れたモンを簡単に奪ってそんなに愉快か…!?ふざけてんじゃねぇよ!人の夢を何だと思ってんだよ…!一つしか拠り所のないやつの気持ち…考えたことあるのかよ…!命よりも大切な夢追っかけてる奴の気持ち…それを奪われたやつの気持ち、考えたことあるのかよ…!」

 

俺が専務の襟首を掴みあげても、彼女は噛み締めた歯の力を抜くことはなかった。

 

「なんで、また、加蓮なんだ…!?いつだってあいつじゃねえか!どこまで残酷なんだよこの世界ってのは!何回だ…あと何回、加蓮から奪えば気が済むんだ!何を奪えば気が済むんだ!どこまで不幸にすれば気が済むんだッ!…どうすれば!加蓮は幸せになれるんだよッ…!」

 

「大河…もう止めて…!誰も悪くなかった。今回のことは、不幸な事故だったの!」

 

「誰のせいでもない…?不幸な事故だった…?そんな戯言が、通ってたまるかよ!だったら加蓮は…俺はッ…!一体どこにッ!握りしめたこの拳を叩きつければいいんだよッ…!」

 

壁に叩き付けた拳から、血が流れていく。

 

「もうやめて!大河!これ以上、自分を責めないで…!大河は悪くない、その拳は、あなたが握っていていいものじゃない。…どうしても振り下ろさないと気が済まないなら、私に振り下ろして!」

 

パンッ!

 

少女の左頬を、少年の拳が躊躇せずに撃ち抜いた。

吹っ飛ばされた少女は、なお拳を解かない少年に、腫れ始めている頬をも気にせず、殴られた痛みも気にせずに、少年を抱き留める。

 

「これで満足したなら、落ち着いて…。心を鎮めて、大河…。泣いていいのは、喚いていいのは、その場で本当に一番苦しい人だけよ。今はそれはあなた。でも、それはここまで。大河がそんなんで、どうやってお姉さんに会いに行くのよ。」

 

「ああクソ…!悪い…志保。俺、だっせえなぁ…。癇癪起こして、八つ当たりして、女殴って…。一番辛い奴の事なんか無視して、自分勝手に振舞ってやがる…。痛そうだ、志保…。俺が…やったんだな…。」

 

「痛くなんてないわよ。信念の篭ってない拳なんて、痛くも痒くもないわ。だから、あなたの信念を、ここで取り戻して。あなたは北条大河。アイドルのためならなんでもする、最高のプロデューサー。まだ、加蓮さんはアイドルよ。目から輝きを失わない限り、彼女は、アイドルよ。だから、大河も輝きを諦めないで。」

 

「…志保。」

 

「何よ。」

 

「一瞬でいい。…泣かせてくれ。」

 

「一瞬と言わず、気が済むまで。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 

 

 

 

少年の怒号が、部屋内に響き渡る。

 

それは、怒りに満ちた怒号と言うよりは―――悲哀に満ちた、絶望に聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に。本当に一瞬で、彼は自分を取り戻した。

 

「じゃあ、行ってくるよ。もう、起きてるんだろ、加蓮。」

 

「ええ、いってらっしゃい。」

 

明らかに無理をして、気丈に振る舞って。それでも、彼は、前を向く。

本当に一番辛いのが誰なのか、本当に一番悲しいのが誰なのかを一番近くで見てきたから、彼は、下を向かない。

 

「志保!?その頬…今看護師さんに言って氷持ってきてもらうから…!」

 

大河が部屋から出ていくのと入れ替わるように、部屋に静香が入ってきた。

状況は理解できていないようだったが、静香は周りを見渡して、取り敢えず私の頬が赤く腫れていることに気付いたらしい。

 

「いいの。静香、いいのよ。」

 

「でも…!」

 

「この痛みは、もう少し味わってないといけないものだから、いいの。それに、傷なんて全然痛くないもの。」

 

「そんなわけないよ!だって、こんなに痛そう…!」

 

「そうね…痛い。」

 

傷つけ、傷つけられることの痛み。

それを知らない訳ではなかったが、でも、実際に味わうまで、分かってなんていなかった。

 

「―――人に傷つけられるのって、こんなにも、心が痛い…。私、知らなかった…。」

 

拳を握ることは、何も間違いというわけではない。

大切なのは、その痛みを知って、理解して、立ち向かうこと。

少女は、今、初めてスタートラインに立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よ。」

 

「よ。」

 

病室に入ると、既に目覚めて横に置いてあったルービックキューブで遊ぶ加蓮の姿が見られた。なんでんなモン置いてあんだ。手術直後じゃないのか。

 

「その様子じゃ、奏は大丈夫みたいだね。良かった。」

 

「ま、詳しくは聞いてないけど、見たトコ外傷は無いみたいだったぞ。ま、心的外傷はどうかは分からんが。…それより俺は、お前がそうやって飄々としてることの方が深刻だと思うけどな。自分で気づいてるんだろ?いや、医者にも聞いたはずだな。お前の足が、もう動かないってことを。…泣き叫んでも、この部屋なら誰にも聞こえないぜ。」

 

「…何で?泣く必要、ある?」

 

本当に、彼女は、心の底から本当に平然とした顔でそう言い切った。

 

「…悲しみの限界を超えて、感覚が麻痺ったのか?お前は、夢を断たれたんだ。こんな絶望、溜めこんで、先延ばししたって意味はない。起きたばっかで悪いが、突きつけさせてもらうぜ。」

 

「うん、で?」

 

「は…?」

 

「だから、何?私はもうアイドルをできない、って。たったそんな医者の一言で、私が諦めるように見える?その言葉、私は子供の頃に耳が腐るほど聞いたんだけど?別に道を取り上げられた訳じゃない。ただスタートラインに戻されただけ。ダイスも私は握ってる。ゴールへの道も開けてる。それで、何を泣けって?」

 

「…はぁ。本当に、お前は強い奴だよ。諦めるなんて毛頭思っては無かったが、そういう時は涙の一つでも流すのが女として風流なんじゃないのか?」

 

「うーん。ま、そうなのかもしれないけど。私今怒ってるから、泣いてる余裕なんてないの。」

 

「怒ってる…?何に?」

 

まさか俺の考えている通りに神様やら人生やらにキレているわけではあるまい。この女は泣きごとなんてこれっぽっちも言わない。たとえ自分が不幸だったからと言って、それを運だのしょうがないだの不確定なものでまとめられるのが大嫌いだ。

アイドル達やスタッフにキレている、というわけでもないはずだ。

 

「私は、あんたにキレてんだよ。大河。あんたは765プロのプロデューサーなんでしょ。今はアイドルに付き添って仕事中なんでしょ。…じゃあ何で、今、ここにいるわけ?」

 

「おまっ…んなもんお前が心配だったからに決まってんだろ!また、事故に遭ったって。お前がまたアイドルできなくなるかもしれないって、こっちがどれだけ心配したと思ってんだ!」

 

「じゃあ、もう終わったでしょ。私は平気。もう行ったら?」

 

「テメェ…!」

 

「…大河、私はね。独り立ちしたかった。独りで生きていけるって証明したかった。じゃなくちゃ、私はこの先ずっと大河に寄生し続ける羽目になるって思ったから。だからアイドルになったんだよ。…私は独りでも平気。でも、大河には独りで平気じゃない誰かが待ってるでしょ?だから、早く行ってあげて。」

 

頭に浮かぶは、ポーカーフェイスな、でも感情がハッキリとした一人の少女。

眼の前に居るのは、既に立ち上がった信念の強い姉。

 

…もう、弟は卒業だ。

 

「…悪い、行くわ。」

 

「はいはい。次来るときは、メロン丸々一個。甘い奴ね。」

 

「馬鹿いえ。お前なんか葡萄一粒で十分だ。」

 

俺はそれを捨て台詞にして、走って駐車場に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撮影現場に戻ると、既にその施設の灯りは消えていて、駐車場にも一台の車の姿も無かった。

その中で、出口の前で佇む少女が一人。

その表情は曇りに満ちて、聞かずとも何があったかは分かりそうなものだった。

 

「瑞希…!…悪い。」

 

「プロ、デューサー。ごめん、なさいッ…!あの後、他の皆さんの撮影が終わってから、私の撮影になって…。私、頑張ってカメラマンさんの期待に沿えるように、表情が出せるように頑張ったんですけど、どれだけやっても駄目でっ…。最後にはカメラマンさんに、呆れられて、舐めてるのかって言われてっ…。仕事を、外されてしまってっ…。」

 

「俺の、せいだな。俺が、行ったのが間違ってたんだ。」

 

「止めて…ください…!それだけは…駄目です…!私なんかのために、プロデューサーの選択を誤ったものに…しないでッ…!」

 

「…お前は、優しいんだな。三年前から、何にも変わらない。あの日から、猫を護ったあの日から、優しくて、強いな。」

 

「ごめんッ…なさい…!ごめん、なさい…!」

 

「謝るな。別にこの程度の仕事俺がいくらでも取ってきてやるよ。別に今回がラストチャンスなんて言うわけじゃない。初めから成功する奴なんていないんだ。瑞希は瑞希の魅力を信じて、突き進めばいいだけだよ。」

 

「でも…でもッ…!」

 

「次は、絶対俺が隣にいてやる。それで、お前のこと助けて、カメラマンがぐうの音も出ないくらい完璧な写真にできるように、俺が手伝ってやる。それが売れればお前は人気爆発で、仕事の量だって鰻登りだ。…だからさ。」

 

「ッ…。」

 

「泣くなよ、瑞希。」

 

夕焼けがオレンジ色に照らすアスファルトの上で、一つの雫が零れ落ち、一本の茎が折られた。

 

だが、勘違いするな。

タンポポは、踏まれたって起き上がり、そして強く、美しく咲く。

彼女は今、更に強く、美しい、一人のアイドルになったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

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