「翼!おい!翼!」
呼びかけるも、返事は無い。
荒いが呼吸をしていることから息はある。
とにかく、このまま野ざらしにしていては翼の体に障る。そう判断した俺は、翼の体を抱え、翼の家の中へと入る。
鍵はかかっておらず、呼びかけても誰かが返事をする様子はない。
俺は洗面所らしき場所のタンスからタオルを複数枚取り、翼に羽織らせる。
そして2階へ上がり、『つばさ』と書かれたプレートの下げられた部屋に入り、ベットに寝かせ、布団を被せる。
「医者にみせた方がいいか…翼の体を温めるのが先か…いや、いっそのこと救急車を呼んだ方が…。」
「大河…?」
「翼!大丈夫か!待て、起き上がるな!そのまま寝てろ!」
意識を取り戻した翼は、俺の忠告を聞くことなく、布団を除け、立ち上がる。
彼女は、フラフラで、真っ直ぐ歩くことすら出来ないような足取りで、進み出そうとする。
「駄目だよ…。未来と、静香が、待ってる…収録に遅れたら、他の人とか、迷惑、かけちゃう。だから…行かなきゃ…!」
その目は、何度も見たことがあった。
その、怒りさえ感じられるような執念の篭もる目が、まるで静かに燃える灯火のような目が、俺を焦がす。
止められない。
この目をしてるやつは、きっと誰であろうと止められない。
だから。
「いいから、今はゆっくり休め。収録、延期になったんだ。この雨で機材がいくつかイカれたらしくてな。機材の調整が終わってから、また撮り直すってことになった。だから、今は寝てろ。」
「本…当?よかった。足、引っ張らずに…済んだ…。」
―――嘘を、ついた。
きっと彼女が正常なら、瞬時に見抜かれそうな嘘だった。
きっと俺と翼がプロデューサーとアイドルだけの関係ならすぐにバレる嘘だった。
それだけ、彼女が正常じゃない状態で
それだけ、彼女が俺を信頼しているということだろう。
俺はそれを、利用した。
最悪最低の形で、利用した。
翼が寝息を立て始めたのを確認し、俺は三箇所に電話をかけた。
一本は翼の家族。要件は翼が倒れたこと。
一本は今日の現場のディレクター。要件は出演辞退。
そして最後の一本は、283プロダクションに。要件は、代役。
「もしもし、はづきさん?お願いがあるんだ。」
「急にどうかしました?唐突ですね〜。」
「283の新人アイドル、今日の新人特集の穴埋めに使いたい。貸してくれるか。」
「…それは流石に、私では判断しきれませんので、プロデューサーに代わりますね。」
「頼む…。」
何十秒間の保留音の後、その男は電話に出た。
「はいもしもし、初めまして、北条大河君。僕は283プロでプロデューサーをしてる者だ。それで、ウチのアイドルを貸すって言うのは?」
「ウチのアイドルが病欠で、今日収録の新人特集に出られなくなりました。代役をお願いしたいです。」
「へぇ〜。それで、内容は?」
「…一曲披露と、後は自己紹介、簡単な質問タイム。時間は合計で10分強。それ以降は番組とMC次第です。」
「なんで僕たちに頼むのさー。765プロダクションにはウチよりもっと多くのアイドルがいるでしょー?それに、君は346プロダクションにもコネがあるはずだ。そっちに頼ればー?」
その軽薄な言い草に、少しイラついた。
今は一刻を争う。少しのズレで、こいつらのトップへの道は固く閉ざされてしまう。
YESかNOか。聞きたいのはそれだけだ。
「…アンタも分かってて言ってるだろ。どっちのプロダクションにも、新人と呼べるようなユニットは無い。346には一つだけあるが、それは新人特集に出演してる。アンタのどこしかないんだ、頼むよ…!」
「はははー。そんな怖い声で言われちゃうとなー。こっちも、それに応えて、こう返事をしてあげよー。」
一泊置いて、通話から聞こえた声は
「調子に乗るなよ、クソガキ。」
ドス黒い、悪意の詰まった声だった。
「ちょっと君さ、調子、乗りすぎじゃない?自分がどれだけアホなこと言ってるか分かってんの?電話一本で何でも思い通りか?周りに優しくされ過ぎて頭がおかしくなったか?こっちには時間がない。いいから黙ってアイドルを貸せ。お前が言ってるのはこういうことだ。こっちに提示できるメリットは?俺がお前の為に何かしてやる必要性は?たかが高校生だから優しくしてください?社会のしゃの字もないから助けてください?ちょっとさ、社会舐めすぎじゃない?」
「都合のいい話だってのは分かってるんだ!でも、俺にはここしか頼れる場所がないんだ!だから…頼む…!」
「チッ…!何もだ!今俺が割いてやってる時間で何にも理解できてない!テメェが出せるモン出せって言ってんだよ!俺と、お前らは、敵同士なんだ!何もできないガキなら、諦めて喚いてろ!お手て繋いで助け合いしましょ、相互扶助の世界ですよ、そんなクソみてえな和気藹々なおままごとやっててえなら、今すぐにその看板下して幼稚園からやり直せ、このクソッタレ!」
「待っ――」
「待ちなさい。」
思い切り受話器を叩きつけてやろうと腕を振り上げると、その腕はデスクの前に立つ少女の声によって止められた。
黛冬優子。283プロダクションのアイドルだ。
まるで何事もなかったかのように、プロデューサーは態度を翻した。
「どうしたの冬優子?何か用事?」
「その電話の相手に用があるわ。代わりなさい。」
「なーに?冬優子に関係ある電話じゃないから気にしないでよー。」
「関係あるわよ。だってふゆ、ユニットデビューの話をしたアイドル関係者なんて、一人しかいないもの。」
交錯する視線。
先に折れたのはプロデューサーであった。
「ふぅ…。救うの?冬優子がそうしたいなら止めないけど、相手はライバル会社だし、それにクソ…礼儀のない高校生だ。」
「その口調、ふゆの前以外で出してないでしょうね。…救うわよ。馬鹿でも、クソガキでも、アイツはふゆのこと救ったんだから。」
「あーあー。憎いねぇ。本物のヒーローさんは、いつだって救われる立場にいる。」
「そりゃそうでしょ。ヒーローに救われた人がみんなヒロインで居たいわけじゃない。ヒーローに救われた人間もまた、ヒーローになり得るのよ。」
彼女はプロデューサーの手から受話器をひったくり、あの突如の状況でも保留ボタンを押しこちらの会話をシャットアウトしたプロデューサーの気遣いに舌打ちし、ボタンを押して通話に出た。
「あー、もしもし。大河?」
「冬優…子?」
「何よその疑問形。アンタが必要だって呼び付けたんでしょ。…話は大体聞いてるわ。私が、ストレイライトが助けてあげる。」
「いいのか…?だって…。」
「あーもううるさいうるさい。助けを求めて受けたら動揺するってアンタどんだけ面倒くさいのよ。アンタのことだから、またどこぞの女を助けに走ってるんでしょ。さっさとそっちに行きなさいよ。ふゆは、受けた恩はきちんと返す、義理堅い女なの。今度付き合いなさい、それでチャラよ。」
「ありがとう…助かる…!」
詳細な仕事内容を聞いた後、しつこいくらいの感謝を受け、通話を切った。
「じゃ、私は愛依に話つけてくるから、アンタはあさひのバカ捕まえてきて。」
「本当に言ってるー?もう僕おじさんなんだけどなぁー。」
「うっさいわね、働きなさいよ。プロデューサーは、アイドルのやりたい事のためならなんでもやるんでしょ!」
「横暴だー!そんな勝算のない仕事にーウチのアイドルは送り出せませんー!」
「何言ってんのよ。」
本当に、何の話をしているのか分からないとでも言うように、彼女は答えた。
「私たちはストレイライトよ。私たちは―――誰にも負けない。」
あー。これはずるい。
こんなこと言われたら、どんなに嫌でも従ってしまうのが、プロデューサーなのだから。
「はい。代わりはそのユニットで。はい。そちらでお願いします。はい。ありがとうございます。…では、今の内容通りでお願いします。最後に、ご迷惑おかけして、本当に申し訳ございませんでした。」
「いやいや?別にこっちは新人ユニットが規定組数揃えばどうでもいいんだから。代わりを用意してくれたなら何にも言わないよ。…ま、俺はいいけど、むしろマズイのは君じゃないの?他プロダクションのユニットを10分ちょっとで用意したのは君のコネを羨ましいとも思ったけど、君は今、敵に塩を送っているわけだけど?」
「責任は、自分で取ります。…悪いのは全部俺ですから。」
「クビにならない事を祈っててあげるよ。君はその若さにしてはやり手だ。仲良くお仕事を回せる未来があればいいなと思うよ。じゃ、俺はこれから打ち合わせだから。」
「はい。ありがとうございました…!」
通話を切り、椅子に腰かける。
今の電話で、今日の収録に関する電話は最後。
これでなんの問題もなく、翼達は次の仕事に臨める。
業界的には評判は痛手かもしれないが、少なくとも民衆にはそれは分からない。次の仕事も探してやれば十分スタートダッシュを切れるはずだ。
通話ボタンを切ったスマートフォンで、再び電話帳を開く。
したくない電話だが、しないわけにもいかないだろう。
「もしもし、赤羽根さん、今大丈夫ですか。」
「もしもし?何かあったのか?今収録打ち合わせ中の時間だろ?」
「今日の仕事。キャンセルしました。」
「はぁ!?なん…何か、あったのかい。」
赤羽根はこんな時でも冷静だった。
反応を隠し、重要な要素の部分だけを聞いてきた。
「翼がダウンしました。体調的に大事ではなさそうですが、収録に出れるような状態じゃないです。」
「…分かった。俺の方から代役を探して―――」
「いや大丈夫です。代役は立てましたし、番組の方にも連絡入れてあります。正式な謝罪は後日向かうつもりなので。」
「…なんで。大河くん…どうしてッ…!」
「すんません。他に連絡するところがあるので、切ります。」
ブチッ。
返答を待たずに、俺は通話を切る。
続きは、聞きたくなかった。
切った途端に再び電話がかかってくる。
繋がっていた電話が切れたから、また別の電話がつながったのだろう。
「もしもし、静香か?」
「ちょっと大河!どこに行ってるのよ!さっきのLINEは何!?今日の仕事はキャンセルになったって…ちゃんと説明して!」
「今は翼の家にいる。」
「翼に…何かあったの?」
「倒れた。熱もあるし、体もふらついてる。症状は重くなさそうだが、暫くは安静にしてないと。」
「…そう。分かったわ。未来には私から説明する。私も行った方がいい?」
「いや、翼の家族には連絡が着いた。仕事を切り上げて帰ってきてくれるみたいだ。それまではここに残る。家族に引き継いだら、俺も事務所に戻るよ。」
「分かった。でも、絶対に謝らないでよ。」
「…なんでだよ。俺の、せいだろ。翼の体調に気づけなかった、俺の。」
「違うわよ。悪いのは翼。自分の体調管理をしなかった、私や大河に相談しなかった、翼が悪い。…なんて言われても、どうせ大河は納得しないわよね。じゃあ、翼が治ったら、大河と翼は、二人で私達に頭を下げて、ご飯でも奢ってよ。それで、私達はこれまでと一緒。一緒に、スタートラインから走り出しましょう。」
「…いつも、ありがとな。」
「ううん。これは私なりの恩返しだから。じゃあ、翼のこと頼んだわよ。」
切る前にそんなことを言われ、静香との通話は終わった。
頼まれた、とは言えなかった。
隣に伏せる翼を目にして、そんなことは口が裂けても言えなかった。
事情説明は終わった。
後は翼の家族を待って、引き継いで、それで終わり。
そう怖いことなんてない。翼はただの風邪かなんかで、数日安静にしていれば治るもので、また3人揃って、ストロベリーポップムーンはリスタートできる。
次の仕事は、確保出来ている。
でも、どうしても。
不安が、拭えない。
思えば、前兆はあった。
翼から来たLINEは、あまり落ち込んでいる様子を見せなかった。謝罪の言葉は貰ったが、そう落胆している様子は無かった。
きっと、伊吹翼にとっては、失敗のうちに入らない、まだスタートダッシュは切れるという想いなのだろう。天才の彼女には。
―――って、考えることを放棄した。
思えば、前兆はあった。
大河の態度は、あまりにも平然としていた。それが取り繕ったものなのかは私には分からなかったが、この仕事に賭けていたのは大河も同じだと思っていた。きっと、色々対策してくれているから問題に感じていないのだろう。
―――って、信頼って言う言葉で切り捨てた。
思えば、前兆はあった。
赤羽根の挙動は、あれから確実におかしかった。失敗した大河や自分たちに声をかけるわけでもなく、だが釈然としないことがあるかのようにこちらを見ている。きっと、心配しているが、大河の成長のために言葉にして激励することはしないようにしているのだろう。
―――って、分かった気になって自分を納得させた。
私だけだった。気付けるのは、治せるのは、繋ぎ止めるのは、きっと私にしかできないことだった。
でも、私には何も出来ていなかった。
最上静香は、何も分かっていなかった。
北条大河の、愚かさなんて。