「翼!」
事務所近くの河川敷。
その坂部分に、翼は腰掛けて蹲っていた。
雨がまだ降る曇天の中、少女は腕を抱えて、座り込んでいた。
俺の叫び声に、翼は顔を上げる。
「来ないで!」
「嫌だ!」
俺は、立って逃げようとする翼の腕を掴む。
「離して!大河となんか話すことは無い!」
「俺にはある!俺の話を聞いてもらえなきゃ、俺は諦めらんねぇ!信じてくれなくてもいい、だから…!俺の話を、聞いてくれ…!」
俺の叫びに、しかし彼女の抵抗は無くなっていた。
翼が、目を見開いて、驚いている。
視界が、歪む。
これは、多分、雨じゃない。
(ああ…俺、泣いてんのか…。)
正直言って、この先は話したくない。
この先は、不幸な少女が不幸になるだけの話だ。
でも、話さなきゃいけない、そうでなければ、俺も、翼も、きっと前には進めない。
「北条加蓮ってアイドル、知ってるか。」
「…体調を崩して、今は活動停止中の346プロのアイドルでしょ。…知ってる。」
「それは間違いだ。体調は崩れてない。原因は怪我だ。…右足をやって、手術をしなきゃ二度と立ち上がることは出来ない。でも持病で、手術に耐えられるかも分からない。手術をしたところで、リハビリをしたところで、もうアイドルとして舞台に経つことすら出来ないかもしれない。活動停止中…って銘打ってはいるけど、実質引退みたいなもんだ。…北条加蓮。」
「俺の、姉貴の話だよ。」
俺の目尻から、頬を伝って、雫が落ちた。
「アイツは、俺の姉貴が怪我をするのは、初めてじゃないんだ。」
「丁度、3年前くらいかな。アイツがアイドル目指すって練習初めて、1年そこらの時期だった。」
「レッスン中に足が絡まってステージから落ちかけた仲間を助けるために、自分が落ちたんだ。アイツ、病弱で、小学校の間はまともに運動もしたことなくて、そんな鈍臭い奴が助けに行ったって、何にもならないだろ、ってみんな思ってた。」
「実際、それはそうで、アイツはステージから落ちて、後頭部で着地した。直ぐに救急車が呼ばれて、手術になった。」
「手術は成功した。でも、医者は暫くは安静にって言ってた。」
「打ったのが頭だからな。何があるか分からなかった。でも、アイツは…。いや、俺は馬鹿だから、そんな事考えてもみなかった。」
「手術が成功したんだからきっと大丈夫なんだろうって、アイツが練習を再開したのを止めることはなかった。」
「そんでまた、アイツは倒れた。」
「そんときに、俺は横にいた。なんなら練習を手伝ってくれって、アイツに言われてたからな。倒れたアイツを揺すったり声をかけてみたりして、倒れたっていっても体調不良かなんかだろうって思って、緊急事態だと思ってなかったんだろうな。アイツが救急車で運ばれたのは、俺がアイツの名前を呼び続けてるのを不審に思ったお袋が119してから5分後だった。」
「医者は言ってたよ。後数分遅れたら間違いなく死んでたって。」
「怖かったよ。俺が呑気に考えてる間にも、アイツら死に向かって進んでいたなんて。救えるのは俺だけだった。後一歩で死ぬところだった。後遺症も残らずに復調したのは奇跡だった。」
「…無茶、しないでくれ。止まれって言ったら止まってくれ。一時の成功のために命を賭けないでくれ。それは、輝き続けるべきお前らがやる事じゃない。」
「怖いんだよ。俺は。お前らが夢のてっぺんで栄光を掴めないことより、夢の途中で果ててしまうことが一番怖い。…死なないでくれ。死んだら、終わりだ。お前らの死は、他の奴らより身近にあるんだ。足が動かなくなった、手が動かなくなった。体が思い通りに動かない。今までみたいに笑えない。傷が残った。激しい運動ができない。他の奴らなら辛くて苦しくて、でも精一杯生きていこうって頑張れるものでも、お前らはそれだけで夢を奪われるんだ。」
「お前らのステージは、俺が用意する。お前らが万全なら、お前らにはいつだって最高の舞台を用意してやる。お前らには『次』がある。…裏切って悪かった。信じてやれなくて悪かった。お前らのこと、信じるよ。お前らが自分のこと大切にするって信じる。絶対成功するって信じる。だから、俺の事も信じてくれないか。過保護でビビりだけど、俺はお前らをトップアイドルにする。世界で輝けるアイドルにする。それまでずっと、俺は居るから。」
「私、別に大河に嘘つかれたことが辛かったわけじゃないの。」
「まあ、それも嫌だったけど、それ以上に私は、未来と静香に迷惑をかけたことが、耐えられなかった。」
「私ってさ、すっごーく優秀でしょ?だから、私はいつでも1等賞だった。」
「かけっこでも、勉強でも、ゲームだって、なんだって一番になって、一番最初にたどりついて…でもだからいつも、一人だった。」
「私がゴールに辿り着いてから、私のところに誰が来ることなんてなかった。」
「ハハ、当たり前だよね。だって、私の後を付いていくことは辛いことで、付いてきてもそこに私はもういないんだから。」
「だから私、嬉しかったんだ。未来と、静香。二人が、必死に私に追いつこうと頑張ってる。二人が伸ばした手は、もうすぐそこまで来ていて、気を抜けるような暇なんてなかった。才能にかまけて、弛んでいる暇なんてなかった。」
「でも、追いつかれたくはなかった。だから必死になって練習した。いつもはそんなことしないのに、二人に置いてかれたくないって。二人の横に立ちたいって。」
「練習って、あんなに大変なんだね。私、知らなかった。それで、柄にもないことをして…体調を崩した。私は、二人の努力を無駄にしたくなかった。あんなに辛いことをずっと続けてきた二人が、私のせいで立ち止まるなんて許せなかった。それだけは、私のプライドが許さなかった。その時私は気づいたの。私は、二人をライバルとしてみていた。初めてで、嬉しかったんだ。」
「今までみんな諦めて、誰も私に追いつこうなんて思っていなかったから。私が居なくても、思いっきり進んで欲しかった!だって、私と一緒に走ってくれたのは、二人しかいなかったから…!私が二人を立ち止まらせて、二人が走れなくなっちゃうのも、二人が他の方に走っていくのも嫌だった!それだったら…私を置いて走り去ってくれた方がまだマシだった!…それだったら、またいつか一緒に走れるかも、しれないから…!」
そこで、少女の独白は終わった。
まだ小雨の降り続く、陰った雲間の下で、少女は語った。
少女はもう、下を見ていた。
俯く少女をきっと、北条大河は救えない。
でも、後ろから、傘が差された。
誰もいなかった少女の周りには、もう孤独なんてなかった。
「バカね、翼。」
「静香ちゃん…?未来…?なんで、ここに。」
息を切らした二人の少女が、彼女の目線を上げさせた。
「バカ、ホントにバカなんだから…!私だってきっと、一人ならここまで来られなかったわ。翼がいて、未来がいて、他の765プロのみんながいて。だから絶対に追いついてやろうって思えて、頑張れたの。だから…翼がいなきゃダメ。」
「私は、アイドルのこととか、ライバルがどうとか、よく分かんないけど…それでも、翼と一緒に走りたいッ!色々言われても分かんないけど、私はとにかく、翼と一緒がいいの!」
『翼がいなきゃダメ。』
『一緒がいい。』
それは、ずっと独りぼっちだった少女には、重くて、暖かくて、そして何より嬉しい言葉だった。
最初は、翼だった。感情が決壊して、泣きながら2人を抱きしめた。
次は未来で、我慢していた静香も耐えきれなかった。
持ってきていた傘のことなどすっかり忘れて、それを投げ捨てて、結局3人は互いを抱き合って、延々と泣き続けた。
雲が晴れて、光が指して、彼女達を照らした。
「大河君。君には、ストロベリーポップムーンの担当プロデューサーから外れてもらう。」
事務所に戻った俺達を迎えたのは、社長の無慈悲な宣告だった。
…覚悟はしていたが、実際打ち付けられると、少し、辛かった。
「そんな…!社長!今回のことは、私が悪くて、大河は―――」
「翼君、君の意見なんて関係ないんだ。大河君は我社に送られた仕事を他社に送ってしまった。それが問題だと言っているんだ。収録日を伸ばしてもらうことが出来なかったなら、二人だけでも出せばよかった。そうだろう?なんだったら、翼君抜きの二人でユニットを組むことだってできたはずだ。まだ発表もしていないんだからな。」
「でもッ!」
「翼。いいんだ。俺は、お前らが3人で走り出せるだけで、それだけで構わない。クビにならなかっただけありがたいもんだよ。」
「でもッ…大河!」
「引退するわけでも、クビになるわけでもない。精々ちょっと顔を出せなくなるだけだ。つーか、そんなこといいからシャワー浴びて来い。風邪、ぶり返すぞ。」
ここで俺は退場だ。
元より描いていた二つ目のプランに漕ぎ着けたんだから、これ程のことはないだろう。
なのに、どうして。
俺は扉を閉め、階段を下って、ビルから出る。
「こんなに、悔しいんだろうな。…アイツらの輝く姿が、見れねえのは。」
北条大河、ストロベリーポップムーンのプロデューサーを解任、及び二週間の謹慎。
「クソォッ!」
社長の握り拳が、社長室の壁に叩きつけられる。
それでも壁に一切の傷はなく、社長の手から少しの血が流れた。
「やめてください社長!なんでこんなことを…!」
「私は、また大河君から奪ってしまった!彼の大切なものを、大切な居場所を、また奪ってしまった!彼に、協力すると決めたのに…!」
「…だったら、処分を下さなければ良かったのでは。確かに彼のしたことを見逃す訳にもいきませんが、社長が認めれば765プロのみんなだって…。」
「そういうわけにも、いかんさ…。今回の事が漏れれば、うちの事務所は『他事務所に仕事を渡すことを認めている』事務所になってしまう。よその事務所が妙なやり方で仕事を奪いに来るかもしれん。大河君に処分を下さなければ示しがつかない。…そういう意味では、クビにするのが一番なんだがな…。」
「それは社長でも認めません。俺も、多分アイドルたちも、全力で抗議すると思いますよ。」
「分かっているさ。彼のような人材を手放す訳にはいかないし、アイドルからあんなに好かれているプロデューサーもそうはいない。君を除いて、だがな。」
「それは…どうでしょうね。確かに俺はアイドル達との絆を深めて来れたと思ってますけど、あくまでそれはアイドルとプロデューサーとして。…俺には、最近の彼女達は、まるで友達のようだと思うんです。みんな砕けた話し方で、遠慮もなくて、事務所なんて関係なくて、いつも笑ってる。大きな友達の集団。彼は、そうなるように動いてるって、最近思うんですよ。彼の望む世界を作るために。…俺は協力しますよ。正直、大河君の最終的な目的はよく分からないけど、きっとそれは幸せな世界です。」
「私とて、そんなことはわかっているさ。でも、それだけで立ち回れる時は終わってしまった。正直、君が羨ましいよ。君のように、自由に歩んでいける存在が。」
「変わってなんか、あげませんよ。」
「私もさ。この重圧は、時に心地よい。アイドル達を支えられていると、実感できるからね。」