翌日、事務所内の雰囲気はあまり良いものとは言えなかった。
北条大河は、765プロの面々にとって、軽い存在ではない。
あるいは友達として、あるいは相談相手として、彼がいる事務所内は、当たり前のものとなっていた。
それが無くなる。当たり前が無くなる。一定期間のものと分かっていても、気落ちした感情を立て直すのはそう簡単ではない。
それは、伊吹翼にとっては尚更である。
「何やってんのよ、翼。こんなとこで座ってないで、レッスン始めるわよ。」
「静香ちゃん…?レッスンって、でも私達…。」
翼はその翌日にも事務所に訪れていたが、やはり大河の居ない事務所というものには寂しさを感じられずにはいられず、倉庫の近くの段差に腰かけていた。
それを、レッスン着に着替えた静香が迎えに来た。
「何言ってんのよ。別に仕事がなくたってレッスンくらいするわよ。未来はもうレッスン室に行ってストレッチしてるわよ。」
「…なんか、意外かも。静香ちゃんの方が落ち着いてるの。大河と、ずっと仲良しだったんでしょ?それがあんなことになったら、もっと動揺してるかと思ってた。」
「そんな事しないわよ。大河の何でも一人でなんとかする癖なんて、見飽きるほど見てきたから。どうせ、私達が何かしようとしたって、大河は一人で何とかして、大河は一人で全部背負い込む。それを一々気にしていたら、こっちの身が持たないわ。」
「でも…それじゃあ大河はずっと一人なの?一人で、何でも背負わされて、辛くないの…?」
「だからでしょ。どうせ大河は、気がついたら勝手に重荷を背負ってるんだから。私たちにできるのは、その重荷をおろしてあげる事じゃなくて、その重荷にならないために努力することと、一緒に背負えるくらい強くなること。そのために、一々落ち込んでたら追いつけないのよ。ほら。」
静香は、こちらに手を伸ばす。
翼はそれを掴んで、立ち上がった。
「静香ちゃん、なんかお姉ちゃんみたい。」
「年上ですから。一つしか変わらないけど、困ったことがあったら、ちゃんと言うのよ。次からは、絶対。」
静香はその手を引き、レッスン室の方へと歩んで行った。
「ライブ、ですか?」
レッスンを始めてから数十分後。
扉を開けた赤羽根は、一枚のチラシをこちらに見せてきた。
「ああ。定期的765プロのアイドルを集めてライブをやっているのは知っていると思うけど、今回はそれの拡大版だと思ってもらえればいい。できる限りのアイドルは都合を合わせるし、大規模なライブにするつもりだ。そこで…君達ストロベリーポップムーンをデビューさせようと思っている。とうだ?やってみないか?」
「やります。やらせて、ください。」
「返事は上等だね。ストロベリーポップムーンにとって、大きな門出の舞台にするつもりだ。ここでどれだけのパフォーマンスを見せられるか。それが君達の明暗を分けるから、それだけのパフォーマンスを期待してるよ。」
「心配ありません。もう、私達はほぼ完璧な所まで来てますから。あとは仕上げるだけで、二週間も必要ありませんから。」
「…そこで、なんだけど、一つ話したいことがある。今回のライブ、二曲やってみないか?」
「…二曲っていうと、今やっているのと別にもう一つってことですか。新しく。」
「そうなるね。曲と振り付けは既に出来上がってる。歌詞も…明日か明後日にはできるらしい。聞いてみるかい?」
「「「勿論です!」」」
赤羽根は持っていたPCに円盤を移し、再生ボタンを押す。
PCから流れるのは、明るく、そしてどこか切ない曲。
振り付けも簡単とは言わないが、全力でやれば何とかなる、いや、なんとでもして見せると、翼は語った。
「やります。やって、見せます。」
「よし!そうしたらトレーナーを呼んでくるから、振り付けを覚えるところから始めよう!」
「「「はい!」」」
大河は今は居ないから、残された私達には進む義務がある。
一瞬だって下を向いてる暇なんて、ない。
そうして、ストロベリーポップムーンの練習は再開した。
最初は翼の復調に合わせて、だがそれも途中からはお構い無しになり、翼は病み上がりとは見えないキレのある踊りを見せていた。
それに遅れまいとする未来と静香。間違いなく、彼女達は翼はのそれに迫っている。
「…翼。言いたいことがあるならハッキリ言って。それは『気遣い』じゃなくて、『遠慮』よ。」
「…うん。静香ちゃん、足が全然動いてない。ステップに躍動感がないよ。疲れてるなら休憩すれば?」
「上等ッ…!負けるか!」
「未来、最後の動き雑すぎ。最後だから見られてないと思った?気抜かないで。」
「ごめんッ!修正する…!」
「で、私は突っ走りすぎ。二人に合わせて調和を取る。そんなこともできないんじゃまだまだ。」
「ふざけないで、そのまま突っ走って。私と未来が合わせる。未来!できるでしょ!?」
「できる!なんとか、する!」
最初はそのギスギスした空気感に割って入ろうとしていた赤羽根だが、キョトンと、何をしているのかと疑問をぶつけられた。
喧嘩を止めようという腹積もりで入っていったのだが、彼女達にとってこんなものは喧嘩ではない。絶対に友情がちぎれないと分かっているからこその、強気の言い合い。それは、彼女達の技術をどんどんと向上させていった。
トレーナーが来てのレッスンも飄々とこなし、まるで疲れを感じさせず、最終的には休憩中にも踊りを続けるという徹底っぷり。
勿論そんなことをされて怪我でもされては溜まったものじゃないこちらとしてはそれを止めるが、次は休憩しながらも配置や意識の確認や共有を始め、レッスン室に入ってから一瞬たりとも気を抜いている様子は見られなかった。
これは、大河が居なくてもやってやるという意思表示なのか、あるいは元々こうだったのか、彼女達のレッスンをろくに見れていなかった赤羽根としてはどちらと断定は出来ないが、きっと後者だ。
そうでなければ、彼女達が入ってからの僅かな時間で、これほどのパフォーマンスをすることなどできない。
ダンスは言うことなし。歌唱力も三人とも十分持っている。衣装制作やセットの設営も何一つ滞りなく進んでいる。
問題があるとすれば。
「いい加減にしてください!いえ、赤羽根さんにそれを言うのはお門違いだと私も思いますけど、流石に限界です!最初、明後日って言いましたよね!?もう四日ですよ!まだ出来ていないんですか!?」
―――歌詞の方であった。
歌詞を作っている人からの連絡は一切来ておらず、こちらからの催促には生返事。
結果週末になっても何の音沙汰もないのでは、静香の怒りも分かると言えよう。
「静香の気持ちも分かるけど…こればっかりは俺がどうこう言って早くなるもんでもないし…。催促はしてるよ?でも流石にほんしょ…事情があって難航してるみたいだ。」
「難航って言われても、こちらとしても歌詞なしで歌唱練習なんて出来るわけないですし、歌詞次第ではダンスの細かい部分も変わるかもしれないじゃないですか!…分かりました、赤羽根さんから言えないなら私が直接言います!連絡先か名刺、渡してください。」
「いや、それもちょっと…。」
「でしたら!再度催促を送って、いつまでに歌詞ができるか言質を取ってください!いいですか!?」
「はい…。」
いつの間にやらこんなにも強くなり、事務所に面接に来た時とはまるで違って、赤羽根は驚かせてばかりだ。
…いや、それは未来も翼もで、未来の楽観したできるという宣言は、確信のあるものに変わっているし、翼の傲慢で自分勝手な言動も、今では自信が故の仲間に発破をかける行動に様変わりしている。
生意気で、まだ子供だが、北条大河という存在は、謹慎を喰らっていても節々に感じる。
(負けて、られないな…。)
先輩であり、同業であり、ライバルである赤羽根は、電話に手をかけた。
まずは意趣返しの為に、作詞家のケツを叩くところから始めよう。
「で、結局何してんのよ、アンタ。」
「そりゃあ可愛い可愛いプリンセスのために、人が食べれば7回死ぬと呼ばれる激辛ラーメンにお供させていただいているわけですが?」
後日。
大河は代役の謝礼として、黛冬優子を連れて近所に最近オープンしたラーメン屋に来ていた。
そこの看板メニューは、激辛ラーメン。
1辛から7辛まで選べるこの店には、未だ7辛をクリアした人間はいないということで、界隈の中では少し話題になっている店である。
「つーか男連れて来る店がこんな漢魂満載なトコでよかったのかよ。見ろよ周り。一人も女性客居ねぇぞ。…あ、嘘。端の方にラーメンマスターが。」
「いるんじゃない。ていうか、ふゆはアンタのこと男として意識してるとでも?」
「は?こんな男らしい男そうそういないが?」
「あと20cmは身長伸ばして出直して来なさい。」
「いいだろう。喧嘩がお望みなら表出ろよ。相手になってやるわ。」
「まだ気にしてんの?もう無理じゃない?前会った時から変わってる?」
「伸びてるわボケ!舐めんな!」
「何cmくらい?」
「…6mm。」
「…ふゆ、割と使ってるシークレットブーツのお店があるんだけど、紹介する?」
「余計なお世話だわ!気を遣われた方が傷つくんだから止めろよな!」
久しぶりに会う機会ではあったが、冬優子の毒舌は変わらないようで。
しょうもない掛け合いの押収もまるで3年前と何も変わらないような、そんな会話の内容だった。
「で?ふゆ達の収録した映像。先に見たんでしょ?どうだった?」
「…バレてんのかよ。」
目を逸らして話を逸らしても、きっと彼女は受け付けない。
仕方なく、俺は口を開くことにした。
「見たよ。凄かった。間違いなく、あの中でお前らが一番だった。先言っといてくれよ。ああなるならもっと下手くそなユニットに助けを求めるべきだった。」
「またそんな言い方して…。大河って真正面から人の事褒められないの?」
「つーか、デビューしたては無理があるだろお前ら。普通にトップレベルのダンスしてましたけど?」
「ああ、あさひ?あの子は天才よ。クソガキだけどね。」
「…お前もだよ。三年前はあんなガッチガチのダンスだったってのに、一丁前に上達しやがって。」
「それはむしろあんたのおかげでしょ。ふゆがアイドルで居られるのは、大河のおかげじゃない。プロデューサーになったって聞いた時は心臓が飛び出でるかと思ったけど、元々素質はあったのかもね。」
「プロデュースの才能がか?」
「人の背中を押してあげる才能。」
その言葉に、俺は返しを失った。
…そんなものがあったら、こんな失敗していない。翼の背中を押してやれなかった俺に、その言葉は責任が重すぎた。
押し黙った俺に、冬優子は大きい溜息を一つ。
「あーあー嫌ね。目の前に別の女がいるってのに、また他の女のことで悩んでる。浮気者は刺されるわよ。」
「そりゃあ、悩むよ。結局俺は信頼っていう言葉を押し付けて、なんでアイツが無理をしたかなんて、一つも分かっちゃいないんだ。理解してやれてないんだ。次、同じことがあったら、またきっと、俺は同じことを繰り返す。また、アイツらのこと苦しめる。」
「やっぱあんた、プロデューサーの才能ないわ。人が人の事、100パーセント理解できるとでも思ってるの?私もきっと大河のこと理解できてないし、それはあんたもそう。だから分かるために頑張って、分かるためにもがくのよ。」
「分かってやれなきゃ、どうしようも無いだろ。分かってやれずにそいつのためそいつのためって、そんなのただの押しつけだ。障害は取り除いてやらないと。前に走ろうとしてるアイツらに、できることはそれだけなんだから。」
「重いわね。あんたの愛情。あんたって、理解しないと人も助けられないの?でも、理解してなくても、救える人もいる。その証拠に、あんたの目の前にその実例はいる。…それとも、ふゆのこと100パーセント分かった気でいた?ふゆを救った時、あんたは決めつけて救わなかった?ふゆが、あんたのお姉さんを怪我させて、引退を考えたって。」
黛冬優子。
俺が救った、救えたらしい、女の子。
レッスン生の合同レッスンで、加蓮と一緒になり、加蓮が身代わりになって助けられた女の子。
そして、その一件を苦に、アイドルを辞めようとした、速水奏と同じ境遇の女の子。
加蓮を苦しめた元凶で、加蓮が助けてあげてと俺に頼んだ初めての女の子。
「違ったのか…?加蓮を怪我させて、それを気に病んで…。」
俺は彼女に叫んだ。
辞めるなと。諦めるなと。お前がそこで諦めたら、救った加蓮はなんのために怪我したのだと。
滅茶苦茶だった。手を差し伸べるには、歪すぎる姿だった。
だが、まるで呪いのような言葉で、彼女は再びレッスン生に戻った。周りからの視線は酷いものであったけれど、ライバルに助けられ、その恩義さえ忘れてステップアップしたろくでなしと冷たく罵られても、彼女は曲がらなかった。
その下手くそだったダンスを拍手が生まれるようなレベルまで仕上げて、彼女はユニットとしてデビューした。
「あんたがいきなり訪ねてきた時、それで急に語り出した時、ふゆは意味が分からなかった。大河の言ったことなんて、ふゆは全部分かってたから。わざわざ分かってる事を言われても、ふゆの考えがどうこうなるわけでもなかった。…私が本当に辛かったのは、大河のお姉さんが怪我をして、それを喜ばなきゃダメなんだって思ったこと。私を庇ってくれたんだから多分、私はそんなことしちゃダメなんだろうけど、でも、誰かの夢が潰えるのは、見てられなかった。私は大河のお姉さんに感謝をして、それで復帰できるように祈れても、他のアイドルにはそうしてあげられない。だって、アイドルって人気商売じゃない?私が輝けば輝くほど、見えないところで誰かが夢を諦めるのよ。その人の立場になって考えたら、続けていく自信がなくなった。その時よ。あんたが来たのは。」
店主からラーメンを渡され、割り箸を割って、 平然とそれを食べ始める冬優子。
まるで、過去の思い出話かのような。大した話をしているわけではなさそうな、そんな日常感であった。
「なんかごちゃごちゃ言ってるなとか、そんなの分かってるとか、好き勝手やるやつだなって、そんな所かしらね。あんたの第一印象は。」
辛いわね、なんてボヤきながら、麺を冷ましながら啜る冬優子。
ラーメンが届いても箸さえ手に取れない俺を横目に、彼女は話を進める。
「でも、私は、ふゆは。あんたのその好き勝手さを勝手に汲み取って。好き勝手やろうって思えたのよ。アイドルを諦めた誰かは、きっとふゆが頑張った地獄に耐えられなかっただけ。辛い現実に向き合えなかっただけ。ふゆは、そうならない。だからその人の身になって考えるだけ無駄って。そう思えるようになれたの。」
「…。」
「あんたが誰かを救うことに固執してるのはよく分かったわよ。でも、理解していなくても、支離滅裂なことを言っていても、励まそうとしていなくたって、人は勝手に助かることだってあるのよ。目の前で自分のことを救おうとしてる奴がいるのよ。それだけで、元気になれるじゃない。自分は必要な人間だって。誰かに想われる人間なんだって。それだけで、幸せなのよ。」
「そんな…もんか?」
「そんなもんよ。それでもあんたが我慢ならないなら、直接聞きなさい。何で悩んでるか、悩んでいたか。理解できないことを考察してどうすんのよ。あんたが信頼に足る人間なら、ちゃんと話してくれる。あんたみたいな誰にでも救いの手を差し伸べる人間なら、みんな信じてくれる。きっとね。」
「なんか…悪いな。貸しを返しにしたのに、結局またお前に救われてる。」
「これてまた貸しね。一生貸しを作り続けて、ふゆで縛ってやるわ。怖いわよ?私。」
「じゃ、毎回悩みを持ってきてやるよ。貸し作りやすいようにな。」
「あんたは悩むのが仕事みたいなもんだし、それでいいんじゃない?悩み続けるのが、あんた達の在り方なんだから。…麺、伸びるわよ。」
ようやく手を付けたラーメンは、スープを吸って伸びていて、でもしっかりと辛かった。