流星堂の居候 - Unintended hareM - 作:津梨つな
あれから暫く時は経ち―――。
年度が変わった、春。
柔らかな陽気と芽吹きの香りに、上着もそろそろ不要になりそうな予感を感じる。
最愛の妹が隣に居てくれているとはいえ、日々繰り返す辛いリハビリに何度も心が折れそうになった。
それでも、今こうして、何とか流星堂のカウンターに再び立つことができているのは支えてくれた方々のお陰だろう。
「いらっしゃいま………ぁ」
「…常盤さん。すみません、お忙しいところに…」
「松原さん。……お店はこの通り、お客さんも居ないので大丈夫なんですが…」
「少し、話せますでしょうか…?」
ただ只管申し訳なさそうに言葉を探る松原
こっちとしては丁度暇な時間帯だったので全く問題は無かった。…まぁそもそも、この類の店が混むことはないんだけど。
一応カウンターにある内線で万実さんに連絡、…少し早めの休憩を頂く事にして客間の方へ芽美さんを案内する。
直接的に悪いのは芽美さんではないというのに…いや、未成年の子に関してはやはり親が背負うことになってしまうのかね。…と、着いた客間で座布団を出しお互い腰を落ち着ける。
お茶の一つも出せたらいいんだが、生憎とうちのお茶出し担当は授業の真っ最中だし、俺の体じゃお茶は淹れられないしなぁ…話だけで我慢してもらおう。
「…私が言うのも変かもしれませんが、まずは退院おめでとうございます。」
「あ、はい、ありがとうございます…。」
「リハビリも大変だったと…伺っております。」
「…いえ、まあ、何とか動けるようにはなったんで。それよりも、入院中の治療費とか入院費用とか諸々、馬鹿にならない金額なんじゃ?」
長期の入院だけでも恐ろしい出費になるだろう。周りの人に訊いたとして色々意見はあると思うが、俺個人としてはそこまでやってもらう必要があったのかどうか、よくわからない。
責任だとか贖罪だとか当然の事なのかもしれないけど、それらを発端として発生させた上で爆発させてしまったのは紛れもなく俺なんだ。引け目を感じるとしたら、寧ろ俺の方なんだ。
「いえ、常盤さんにはお詫びのしようが無いほどのご迷惑をお掛けしてますから…。警察沙汰にならないよう取り計らって頂けたのも常盤さんのご厚意だと伺いました。だから…」
「芽美さん。…僕、凄く感謝してるんですよ。……花音さ、いや、花音をああさせてしまったのは僕なのに、色々気を遣ってくれて。」
「感謝だなんてそんな…」
「警察云々というのもそうです。別に恩を売ろうとしてそうしたわけじゃない。…僕にも責任があり、何よりも僕は生きていた。…そして、僕は花音を、大切な人間の一人として考えている。
どんなに悪いことをしてしまったとしても、その人の事が大切なら訴えることなんてできませんよ。…寧ろ、そういった事柄から守るべきだとさえ感じました。」
「常盤さん………」
「芽美さん、前に会った時とだいぶ雰囲気変わりましたよね。」
「ふぇっ?」
「僕の体の事なんかもういいですから。芽美さんが治療費周りを面倒見てくれたおかげですっかり治ったんで。…だから次は、花音をどうやってケアしていくか考えましょうよ。
…まだ、状況は変わらないんでしょう?」
あの後。俺が病院に運び込まれ全身の手術を受けていた頃、部屋に取り残された花音は一人泣きながら自分の体を切っていたという。それがどのような感情からの行動かは分からないが、明らかに異常なのはわかるだろう。
それ以来花音の様子を伝え続けてくれたのは芽美さんで、俺は未だに直接会えていない。…直接会ったところで何ができるわけでもないが、今も尚荒れ続けている花音を想像するだけで胸が締められるように苦しくなる。後悔と庇護心と自分の不甲斐なさと…。
俺が苦しい時に有咲が隣で支えてくれたように、花音にもそれが必要なんだ。心のリハビリの最中、隣で寄り添ってくれる人が。
「まだ、ですね…。夜も突然泣き叫びだしたり、少し目を離しているうちに自傷行為をしたり…です。
お医者様には、入院も勧められているんですが…。本人が、あの部屋から離れられないと。」
「………ふむ。…二つ、伝言をお願いしても?」
「あ、はい…なんでしょう。」
「一つは、もし可能なら電話かメッセージで連絡を取りたい、と。そしてもう一つは…」
もし許されるなら、俺が寄り添えたら。
「もうすぐ、必ず会いに行くからと。」
**
芽美さんが帰った後、再びカウンターの業務に戻る。何とか苦労して店に戻り時計を確認する……時間は正午を少し回ったところ、か。
…芽美さんは、とても良く似ている。娘の花音に。風貌というか雰囲気というか、勿論顔のつくりもそっくりなのだが、溜息や話し方一つとってもそうだ。…まるで少し草臥れた花音と話しているような錯覚さえ覚える。
だからキツいんだ。あんな顔をされるのは。…正直、錯乱している花音本人と対峙する方が
「ヒロにい?」
「……あれ、有咲。学校は?」
「ヒロにいが心配だったのと、午後の授業が楽しくなさそうだから帰ってきちゃった。」
「…後半が本音だな?」
「えへへ…バレた?」
「お見通しだ。」
兄を盾にするとは。けしからん妹であるな、まったく。…尤も、丸っきり嘘じゃないのはちゃんとわかってる。優しい子だ。
「ヒロにい、何かあったでしょ。」
「あぁ、さっきまでお客さんが居てな。」
「……関係者の人?」
「ん、まぁそんなところだ。」
「…凄く辛そうな顔、してるもん。……ぎゅーする?」
「うーん。幸せそうな提案だけど、今は一応勤務中だしなぁ。…夜にいっぱいしてもらってもいいかな?」
「ん。わかった。…じゃあ着替えてきてお手伝いするね。」
「さんきゅー。」
「ヒロにいは私が居ないと無茶な事ばっかりするから。」と仕事を手伝うようになった有咲。…まぁ、手伝うと言っても暇なこの店だ。基本的には二人並んで座り駄弁っているだけなんだが。
ただ悪い点として、平日も連日早退を繰り返しているのが気に掛かる。折角学校へ通うようになってくれた有咲と、連れ出してくれた香澄。二人の間が今どうなっているのか、バンドとやらが今どうなっているのか…寧ろ俺の心配事も増えていく一方で、俺なんかより学校の方を優先してほしいんだけどな。
かといって、早退する度にそこを忠告して険悪なムードも作りたくないし…ううむ。
「なに唸ってんの。」
「おかえり有咲。…可愛い妹が学校を疎かにしている件についてだよ。」
「む。勉強は1番出来てるもん。だから本当は授業も出なくていいんだもん。」
「学校ってのは何も勉学の為だけに通うわけじゃあない。友達と仲良くしたり、決まりを守ったりさぁ…」
「両方やってこなかった人の言う事なんか聞きませんよーだ。」
べーっと小さい舌を見せびらかしてくる。可愛い。
まぁ確かに?学生生活でその手の経験を積んだ覚えはないしなぁ。…友達ったって碌に名前も顔も覚えちゃいないし…あぁ、やけに懐いてた後輩が居たくらいだな。あいつ今何やってんだろ。
「とにかくだ。…今バンドの方はどうなってんだ?」
「あぁ…一応集まったりはしてるんだけどね。おたえが、他のバンドのサポートメンバーとかやってるせいで練習も思うようにできなくてさ。」
「そっかぁ…。お前らも2年生だもんな…。」
「うん…。……ねね、店閉めちゃわない?」
「いくら暇でも勝手にそんなことできないでしょうよ…。」
「ばーちゃんに訊いてくるっ!」
「あこら!」
何だこの子は。休むとか辞めるとか、マイナス方向の時だけ元気いっぱいでどうする。
久々に見たぞアイツの全力疾走。
……ぅお、戻りも早え。
「はーっ!はーっ!……。つかれた。」
「はいはいお疲れ。」
「撫でて。」
「はいよ。」
ナデナデナデナデナデナデナデナデナデ……
「ん!」
「満足したかね。」
「した。……えっと、ばーちゃんが店閉めちゃっていいって。」
「まじか。」
大丈夫か?売上とか諸々。…まあ店長がいいって言うんなら従うまでだけどさ。
「手伝うから閉めちゃお。」
「あいよ。」
有咲と一緒に簡単な掃除、カウンター周りの整理、売り上げ金の精算と、締めの業務をこなしていく。いつもは一人で黙々とやる作業だが、有咲が居るだけで不思議と楽しい。有咲も有咲で心なしかご機嫌だし、この時間に関しては文句もないな。
リハビリで取り戻せたもの、取り戻せなかったもの。……様々な代償があるとはいえ、この日常にまた戻って来れたのはとても幸せな事なんだろう。今はもう力の入らない左手で、有咲の透き通るような髪を梳きつつしみじみ思う。
「どしたのヒロにい。」
「有咲のこと、一生大切にするからな。」
「…本当にどうしたの?プロポーズ?」
「……いや、兄貴としての誓いだ。」
「変なの。」
何も失ってないからこそ、幸せは不感なんだ。
人は縛られるからこそ美しい。
つまりはそういう事なんです。