流星堂の居候 - Unintended hareM - 作:津梨つな
焼きたての小麦の香ばしい香りがする。…とある日曜日に訪れた「山吹ベーカリー」。目的は勿論、沙綾への例の件だ。
入り口付近が硝子張りになっている為、外から中の様子をうかがうことができる。いきなり鉢合わせってのも気まずいし、まずは店番が誰かを覗いて……
「大樹…さん?」
「うぐっ…」
後ろから掛けられる声に、恐る恐る振り返ると……デカい竹箒を持った心配顔の沙綾が居た。
そうか、店番じゃなくて外に居るパターンもあんのか…。
「うぐ?」
「ああいや、ええと…。今って店、忙しい?」
「ううん。一応ピークは越えて静かになったとこだけど…」
「話、出来るかな。」
「……うん。部屋、上がって?」
沙綾に手を引かれ店内へ。沙綾のお母さんが驚いた顔で手を振ってきたため、軽く会釈で返し奥――沙綾の部屋へと向かう。
促されるままにベッドに並んで座る。……相変わらずいい匂いの空間だ。
「急に来るんだもん…驚いちゃった。」
「ごめんなぁ。流石にアポ無しは非常識かとも考えたけど、頭より体が動いちゃって…。」
「ふふっ、大樹さんらしいね。……体の方は、もう平気なの?」
「完全に前みたいに動くわけじゃないけどな。…腱とか神経の損傷が大きいらしい。」
握り切れず開き切れない左手をグッ、パッ、と動かして見せる。それを見つめる大きな瞳は今にも歪みそうな程揺れていて、ギリッ…と歯噛みする音が聞こえた。
「まぁ、なんだ…利き手じゃなくてよかったよ。他にもあるけど、差し当たって問題が多いのはこれくらいかな。」
「…辛かったね。」
「いいんだ。自業自得さ。」
「そんなことない!…大樹さんは、確かに思わせぶりな行動とか態度とか、人を傷つけてしまうような結果を引き起こしてしまったのかもしれないけど、これじゃあ余りに酷すぎる…。
こんな、一生残る傷を負う程じゃ…」
「ありがとうな、沙綾。……なんだよ、沙綾が泣く事じゃないだろ?」
本人も自分で気づけていないであろう涙が、頬を、エプロンを濡らしている。生憎とハンカチの様な気の利いたものは持っていなかったので、空いている右手で拭ってやる。
この涙の温かみは、紛れもなく沙綾自身の温かみなんだろうな。その心優しさが、沙綾の魅力的な部分であり、恐らくこれから振り切らなきゃいけない敵なのだ。
「私、大樹さんの左手になりたい。」
「沙綾、それは…」
「前にも言ったでしょ、大樹さんっていう人を全部分かった上で好きになれる、物好きが私だって。」
二度目の告白。一度目と確実に違っているのは、俺の気持ちがしっかりと固まっていることだ。
「……沙綾。やっぱり君は優しすぎるんだな。…でも、俺なんかの為にそこまでするんじゃない。君は君として、君の人生を自由に生きてほしい。…俺の手になるなんて、そんな勿体ない事、させられないよ。」
「違うの!自由に、好きにやりたいから付き合ってほしいの!」
「沙綾。……ごめんな。」
「ひぅ……。…そっ、か。…やっぱりだめかぁ……。」
目に見えて勢いが無くなっていく沙綾。前回とは違い、ハッキリと断りの言葉を伝えたしな。ショックもそりゃあるだろ。
本当に申し訳ないよ、沙綾。でも、俺はこれ以上他人に迷惑を掛けちゃいけないんだ。俺がすべて、責任を取って終わらせないと。
「沙綾のその優しさは、これから出会う誰かに向けてあげてくれ。俺は、人に頼っちゃいけないんだ。」
「……どうしてそこまで自分を追い込むの。」
「それほどのことを俺はやっちまったからさ。」
「…花音さんに?」
「うん。」
「………私はそうは思わないけど、これは大樹さんの問題なんだもんね。」
「悪いな。」
「ううん。…でも、頼っちゃだめだなんて言わないで。例え恋人にはなれなくても、私は大樹さんの味方だから。貴方の為なら、何だってするから。」
「……ああ。沙綾にだけは、たまに頼ることにするよ。」
勿体ない。本当に勿体ないくらい、彼女は良い子だった。だからせめてもの願いとして、これからの人生は幸せな物であってほしい。俺みたいな屑とは関わらなくて済むような…。
「じゃあ、俺はそろそろ。」
「うん。……また、遊びに来てね?」
「ひと段落着いたら、な。」
後ろ手に別れを伝え、部屋を後にする。
…女の子の泣き声を背に降りる階段は、まるでこれからの運命のようにとても急な下り坂に感じられた。
**
「さて。今日はまだ時間もあるし、あとアポ取れそうな人は…。」
残りのケジメを付けなきゃいけない相手は、彩、花音、おたえ氏。…彩は仕事で忙しいだろうし、花音は都合上最後がいい。…となると、
「………………もしもし、俺だけど」
『ご主人様!?』
「……ああ、うん、まあ…」
『お呼びですか!?あっ、あなたのおたえちゃんです!』
「相変わらずだな君は。」
『??ご主人様の家に行けばいいですか!!』
「いやいや、それは悪いよ。待ち合わせしようぜ。」
『やったぁ!!』
待ち合わせ場所として、いつか花音と飛び込んだカフェ、"羽沢珈琲店"を指定する。あそこは確か、おたえ氏の家から近い上にここからもそう遠くなかったはずだ。
特に要件を伝えていなかった為か、矢鱈とハイテンションのまま終了した通話に少し後悔。上げて落とすって、残酷かもしれんな…。
暑くも寒くもない絶妙な気温の中を、ただただ無心で歩く。女の子を泣かしてきた俺が、これからまた一人傷つけようとしているんだよな。そんな惨いことってあるか。
……後悔するには、あまりにも遅いが。
「…ん。」
ハッハッハッハッ…と息せき切って駆け寄ってくる待ち人…いや、この場合待たせ人か。綺麗な長髪を揺らして駆け寄ってくる姿は、まるで長毛種の犬のようだ。
「…入って待ってりゃよかったのに。」
「待ちきれなくて!…ずっと会いたくて!」
「そうかそうか、ありがとよ。」
「うんっ!…入ろっ?ご主人様!」
カランコロンという爽やかな音さえ懐かしく感じる。あれ以来全く寄り付かなかった店だが、入ってみると成程あの時のことが思い出されるな。
「はは、あの時とは逆だな…。」
「う?逆??」
「あぁなんでもない。こっちの話さ。」
入店に気付き近づいてくる女性店員に導かれ、あの時と同じ窓際の席へ。………あ、君も隣に来るタイプなんだね。
「おたえ氏、あっち側もソファなんだから、向かい合って座ろうよ。」
「なんで?」
「なんでって…隣にいたら話し辛いだろ?」
「ご主人様の声、この方がよく聞こえるんだもん。」
決して多くはない客と、…あとマスターもだが、"ご主人様"というパワーワードの登場に一瞬静まる。凪の様なその雰囲気を感じ、居心地の悪さはすっかり最高潮だ。
「……たえ。呼び方が違うだろ?ここでは
「あだ名?」
「ああ。俺も今、君の事は
「………ほんとだ!…えぇー、照れるよぅ…。」
「だから、たえも俺の事、普通に名前で呼んでくれな?」
「…ひ、ヒロ…さん。」
「ん、それでよし。」
よしよし、何とか上手い事誤魔化せた。これなら店の客からもマークされずに済むだろう。
「じゃあ本題な。…俺はたえに、謝らなきゃいけないんだ。」
「なあに?」
「……俺は君と、たえと、付き合ったり恋人になったりは出来ない。」
「???うん。」
「えっ?」
「えっ。」
あれ?
今、隣り合って座った二人の頭上にはそれぞれ異なる色のクエスチョンマークが浮かんでいる事だろう。
なんだろう、顔を見つめても何の感情も伝わってこない。……俺、とちった?
「ええと……」
「う??」
「たえってさ、俺の事好きなんじゃないの?」
「すきぃ!」
「ん。……で、その気持ちに応えられないってこと、なんだけど…。」
「うん。…ん?」
「ん?」
「え?」
「んん??」
あぁぁぁぁ……暫く振る形式に嵌っていたからすっかり失念していたが、こういうパターンもあるのかよぉ…。
つまりあれだ、おたえ氏は俺に好き好き言いながら、恋愛的な感情は一切なかったと言う訳で……。つまり、俺が早とちりしてダダ滑りしたって言う…。
「俺、泣いていいかな。」
「…虫歯?」
「何でだ…。」
どうしよう。こんなに気を張ってたのに、少しほっこりしちゃったよ。他人の涙を見なくていいってことが、こんなに幸せな事だったなんて。
「ヒロさん、いいこいいこ。」
「ん……。」
ホッとしたような落ち込んだような、そんな複雑な心境が顔や雰囲気に出ていたんだろう。唐突に頭を撫でられる。
君さっき虫歯を疑ってたんじゃないの、とか野暮なツッコミを思わず飲み込んでしまう程、その綺麗な手には癒しの力があったんだ。
「…まさかたえに癒される日が来るとはね。」
「ふっふーん。見直した?惚れた?」
「ははは、調子に乗るな。」
「元気になったならよかった。…もっとする?」
「……もうちょっとだけ、してくれてもいいぜ?」
「ふふっ、いいこいいこだよー。」
どうしようもなく屑な俺だけど、今だけは、少しだけ休憩してもいい…よな?
Normal ENDも折り返し地点を越えました。
全ルート終わるまでとなると、年内は無理かな、といった見通しであります。
もうしばらく、お付き合いくださいませ。