流星堂の居候 - Unintended hareM - 作:津梨つな
まず最初に感じたのは鉄の錆びたような独特の金臭さ。そして遅れるように甘ったるいような生温い空気。
その渦の中でシーツに包まっていた包帯だらけの少女が虚ろな顔を上げた。
「大樹、さん…?」
花音。かつて俺が振り回し、結果気持ちを弄び傷つけてしまった子。俺にそんな気は無かったと言えば言い訳にしか聞こえないが、人間関係、何がどう作用するか分かったものじゃないというのは何とも貴重な教訓だ。
淀んだ空気に若干正気を持っていかれつつも、目に焼き付けるように部屋の惨状を見回す。相変わらず壁中を占める無数の俺は辟易するような笑みを浮かべ、床に散らばった包帯やティッシュと共に俺を責め立てるような錯覚さえ覚えた。
「久し、ぶりだ。」
「えへへへぇ、ほんものの大樹さんだぁ…。」
出来れば帰って来たくは無かったと、あの日貫かれた孔の痕が熱を持つ。直視するに堪えない程、以前より増えたであろう生傷だらけの少女はにんまりと笑い、尻を引き摺る様にして俺の足元に縋りつく。
細い。確か食事も碌に摂っていないと聞いたが、もう立ち上がることも難しいんじゃなかろうか。
「………っ。…相変わらず空気篭もってんなぁ花音。」
「…大樹さん、大樹さぁん。」
「花音?」
「大樹さんの匂い、大樹さんの温度、大樹さんの感触、大樹さん大樹さん大樹さん大樹さん大樹さんあああああああ」
「か、花音落ち着けっての。」
俺の脛に頬ずりしだしたかと思うと、掴む箇所徐々に上へ上へと移動させ、這い上がる様にして胸元へ。咎人が地獄の窯から這い出る様を彷彿とさせたが、どちらかと言えばその体重を支えるだけの耐久性を持つ服に驚きだ。
終いには名前を繰り返し呟くようになってしまった花音の細い体を抱き締め、背中を摩る様に優しくたたく。
「そうだ、ここ換気もしてないみたいだしさ、一回窓でも開けないか?な?」
「……………。」
「…よ、よし、沈黙は肯定と受け取るぜ!オープ……ちょ、ちょっと、一回離れられるか?花音。」
「…………。」
今度は黙りこくって石のように動かない花音。体重もほぼ全てを預けて凭れている状態のため、窓まで歩こうにもたった数歩が辛過ぎる。そもそも体の機能が著しく低下している身だ…人を引き摺って移動するなど至難の業だろう。
一先ず花音をリリースする為、窓よりは近い場所にあるベッドを目指す。
「ちょっと乱暴に行くからな……ぉぉおりゃぁ!」
「…!?」
左手は動かないが左腕に力は入る。半ば放り投げるようにして、抱え上げた花音をベッドに横たえることに成功した。
この作業だけで死にかけ。視界はチカチカしているし呼吸も辛い。
「………はぁ。よし、これでいよいよ窓を」
「ふぇぇぇええ…!!」
「はぇ!?」
振動に驚いたのか何処かを打ち付けたのか、ワンテンポ置く様にして泣き声を上げだす花音。全身を見られる体勢になり服を着ていない事に気付いてしまった結果直視は出来ないが、放っておくわけにもいくまい。
「か、花音??どうした?どこかぶつけたか?びっくりしたか??」
「ふぇぇぇ…ひ、大樹さんが居なくなっちゃったよぉ…!また、また偽物だったよぉ…!!!」
彼女の瞳は何を見ているのか。天井を見詰めたまま手を宙に伸ばし大声でしゃくり上げる姿に、少しばかりの疑問と改めて込み上げてくる自責の念に胸が痛んだ。
「また偽物」…彼女はこれまでの間、好きになってしまった俺の幻影を見つけては捉えられず、触れては気付き…を繰り返してきたのだろうか。どれだけ繰り返したのか知る者は居まいが、どれだけの愛情を抱いていたのか、どれ程の苦しみに心身を痛めて来たのか。
「…ちょっと、待ってろよ…花音。」
「ふぇええええ!!!」
疲れ切った体を起こし、机や壁を支えにして窓へ辿り着く。道中こびり付いた様な赤黒い染みにも触れ、引き籠った状況の壮絶さの片鱗を見た気がした。
「……ぷぁっ!」
開け放てばまだ青い空。頬を撫でる細やかな風に癒しを得た。
淀んだ室内に新鮮な空気と久々であろう陽の光が射し込む。空気の入れ替え一つでも俺掛かっていた心に再び力が入るというもの。
振り返ってみれば、上体を起こし不思議そうにこっちを見ている彼女の姿が。
「……………あかるい。」
「…あぁ、久しぶりだろう。もう春なんだぜ。」
「………あれぇ、大樹さん?」
「…そうだよ。…会いに、来たよ。」
薄暗い部屋、射した光は彼女の瞳を照らし、さっきまではブレていた視線が今日初めてぶつかりあった気がした。
「……あ、ぇ……?ほん…ものの…大樹さん…?」
「あぁ、正真正銘。復活した常盤大樹だよ。」
「……ぅ…ぅえ……ふぇぇえええ……!…ほんとぉ?……ほんと…!?」
「本当も本当。………ごめんな、中々会いに来れなくて。」
何度目かの涙。勿論初めて見るものではなかったが、顔を涙でぐちゃぐちゃにしつつもゆっくりと歩き近寄ってくる様は少なくとも先程までとは違い正気のようなものを感じさせた。
やがて俺と窓の元へたどり着いた花音は涙まみれの顔で弱々しく笑う。
「………もう、一生会えないと思ってたぁ。」
「…まぁ、ありゃ痛かったからなぁ。」
「……謝っても、謝りきれません……。」
「………いいんだ。俺も謝って済むレベルじゃないこと、しちゃってるし。」
「ふぇぇ……そ、そんなこと……ないですよぉ…。」
「……花音、今もまだ俺のこと好き?」
「…………嫌いだったら、こんなに辛くないもん。」
確認がしたいがために口から出た言葉だったが、我ながら中々に無神経な言葉だったと思う。でも、必要だったのだ。
俺なりの、けじめを付けるための最終確認。
「……俺は今の花音、あんまり好きじゃないわ。」
「…ですよね。」
「でもま、そうさせたのは俺のせいなんだ。」
「……違いますよ。…私が、おかしくなっちゃったのは、私が…」
「笑ってる花音が好きなんだよ、俺。」
「……ぇ?」
これまでいっぱい泣かせて、いっぱい苦しませてしまった分、叶うならば彼女の笑顔を見続ける為に人生を捧げたい。
責任だの罪悪感から言っているわけじゃない。あの暗闇で見た光景。目が覚めてからも頭を離れない存在。数多の女の子の行為を断り、時に爆死さえしたのは誰のためだったのか。
「…本当にごめん、花音。俺は何もわかっちゃ居なかった。」
「………大樹さんが、謝ることじゃ」
「俺はこれから先、君の笑顔を一番近くで見ていたいと思う。一人の男として、一人の女の子である花音の想いに応えたい。
一度壊れてしまったお互いを、支えあっていつまでも一緒に…」
すっかり閉じきらなくなってしまった左手で花音の頬に触れる。びくりと肩を震わせた彼女だったが、再び上げた顔は朱に染まっていて。泳ぐ目、震える口、それでも一度ここまで人に裏切られた少女は簡単に現実を認識できない。
「嘘。」
「…へ?」
「きっとこれも嘘なんだ、また目が覚めたら一人なんだ。大樹さんは私を見てくれない、大樹さんは私が嫌い、大樹さんは私から離れて…」
「花音…!」
不意に。傍に落ちていた彫刻刀を拾い上げ、憎々しく自分の左腕の包帯を見下ろしたかと思うと彼女は――
「そうだ。…きっと痛ければ夢じゃない。痛みがあれば、流れる血を見れば、きっとまた目が覚める…!……ぁぁぁああああッ!!」
「花音ッ!!!!」
ズグン、と左手の甲に鈍い熱さ。この感触、久しぶりだ。
あわあわと驚いた表情で手を離す花音は突き立てられた彫刻刀と俺の顔を交互に見比べている。幸いなことにただ痛みを感じるだけの俺は、彼女を呼び戻すべく笑ってみせる。
「花音!!…大丈夫、大丈夫だ。…これは現実。…一度は君を傷つけた俺だけど、迎えに来たんだ。」
「ぁ……ぁ……ひ、大樹さん…!!」
「…ほら、お互いボロボロだろう?…お似合いだと、思わないか?」
「嘘……嘘、また…いやでもこれはきっと、また幻の」
「ええい目ぇ覚ませ!!」
左手を振るい痛みの根源を抜き飛ばす。彫刻刀が壁に跳ね返り転がる音を聞きながら、俺は目の前の唇を塞いだ。
半ば強引だったかもしれないが、これが始まり。彼女を闇の中から陽の下へ連れ出すための、第一歩。
「…………ふ、ふぇ…」
「…また、傷つけちまったかな。」
「………ううん。…ずっと夢見てたことだったんです。」
「……笑えたじゃん、また。」
彼女に似合うのはやはり笑顔だ。
春の陽光に照らされた小さなはにかみは、唇の感触と共に強烈な思い出となって俺の中に仕舞われたのだ。
「ふぇぇ……素敵な結婚式だったよぉ…。」
「お前、泣きすぎな。」
「だ、だってぇ…有咲ちゃん、綺麗になったよねぇ。」
「そりゃな。俺の自慢の妹だぞ?」
「………
「相変わらずの嫉妬力だなぁ…。」
素敵なドレス、囲まれる沢山の友人、優しそうな夫。…あいつもあれ以来凄く変わった。
俺の結婚を機に、「全てを受け入れられるように」、「兄が居ずとも何でもできるように」と、学校にもちゃんと通うようになったし俺のことで花音とも和解してくれた。
気付けば大学卒業と同時にこうして結婚…これからは志していた音楽の道をあの時以来の仲間たちと邁進していくという。俺と万実さんに向けての手紙を読むシーンでは、周りが引くくらい号泣してしまった。
体が一部不自由になってしまった俺のサポートをしてくれた可愛い妹も、これからは他人の物に…何故か少しばかり複雑な気分だ。あまり意識するとまた花音の機嫌が悪くなること請け合いなので、心の内に秘めておくが。
「……顔にでてるよ?」
「くっ……お前は俺を知りすぎなんだよ…!」
エスパーか。
「違うもん。」
「うぉあ、デジャヴュだ。」
「おーい、ヒロにぃ!」
ドレスをはためかせ、愛しの可愛い妹が駆け寄ってくる。彼女の後方に視線を移せば少し心配そうな婿さん。
結婚の挨拶に来たとき、若干揉めた相手だ。今は説明済みとは言え、その表情もまぁ納得だ。
「おいおいエロいな、そういうドレスも。」
「ヒロにぃ最低。…ねね、ヒロにぃ?」
「はっは。…あん?」
「…私がいなくても、大丈夫?」
「え。」
「式も終わっちゃったし、もう本当に一緒にいられなくなっちゃうからさ。」
有咲はあの家をを出ていくことにしたらしい。万実さんの跡を継いだ俺と妻の花音は市ヶ谷家で暮らしているが、有咲は都心を少し離れた郊外に借りた部屋で新婚生活を送るとか。
ヒロにぃは来ちゃダメね、と念を押されてしまったが…頼まれても行かねえ。
「何言ってんだ。花音もいるし大丈夫だろ。…そんな情けない兄貴と思ってんのか?」
「はははっ、そーじゃないけどね。かのねぇだけじゃちょっと不安だなーって。」
「ふぇっ!?」
「まぁ……確かにな。」
「ふぇぇっ!?大樹まで!?」
「だって、なぁ…。」
「ね。……かのねぇ、まだ方向音痴治らないんでしょ?」
「う…。」
「前もヒロにぃの病院の待合室で迷子になって…」
「わー!わー!!……大樹、喋ったの…?」
「わりぃ。可愛い妹に迫られるとどうしてもなぁ…」
「むー!!!有咲ちゃんも、誘惑しないで!」
「誘惑て…かのねぇ…。」
こんなやりとりも今日で最後なのかもしれない。
散々揶揄うだけ揶揄った有咲はまた友達の輪の中に戻っていった。その後ろ姿を見てしみじみ思うことは。
「花音。」
「なぁに……。」
「拗ねんな、いつもの冗談だ。」
「ふーんだ。」
「そんなことよりさ…」
「人間関係って不思議なもんでな。一回こっ酷く壊れたとしてもそれで終わりとは限らねえ。」
「…ん。」
「落ちるところまで落ちることも、傷つけ合うことも時には大事らしい。その先にはこんな未来もあるんだってな。」
「………大樹。」
「ん。」
「……本当は、有咲ちゃんのこと妹だなんて思ってなかったでしょ?」
「………昔のことは、覚えちゃいねぇなぁ。」
「…ふーん。」
「あー勿論、今は花音が一番だぞ?」
「今は…って……ふぇぇ。」
何かと出会うことは、総じて何かが変わるきっかけであり。
何かを深めるということは、総じて何かの犠牲の上に成り立つ行為なのだ。
ともあれ、今日この日だけは、妹と俺の出会いに祝福を。
俺の歩んできた道が大外れでは無かったと信じて。
「…結婚おめでとう、有咲。」
随分とお待たせいたしました。
ノーマルエンド、花音ルートになります。