多々田透汰の生存戦略 作:だっかん
意外としぶとく生き残っているな、とは客観的に見てみた自分の感想である。まあ他に人間的思考回路を持つ生物と出会っていないから自ずと自分との会話が多くなるのは仕方がないが。
この森に捨てられてから早数日が経った。日数を数えるために樹皮に残していた"正"の字は、その場に留まらない自分には意味の無いものと気付いてから残すのをやめた。どんなに日数を重ねても一の字から進まないのである。当たり前だがそのことに気付くまで三日かかった。元成人済みなのだが、頭の回転の速さは現在の肉体に引きずられるのだろうか…。いや、空腹が故に起きたことだと思いたい。きっとそう。
自分は運がいいのかもしれない。竹筒の中の水が無くなる前に川を見つける事ができた。そして食料も確保できている。もちろん野草の知識など無いが、どこかでみたことあるような無いような…とうっすら記憶に引っかかる形をしている草を覚悟を決め食べてみたところ、どうやら腹を下さないことから食用可能の草と判明。それを5回ほど繰り返し、今ではその5つの草を日毎にローテーションで食べている。美味い不味いは気にしない約束だ。ああ、母の最後の情けから残されていた練った小麦粉はもちろん既に腹の中、いや糞としてどこかに落としてきた。残った母の形見(死んだわけではないが)はもはや小刀しかない。なんとなく寂しいので小刀にはカアサンと名付けたのはなかなか子供らしくて9歳に擬態できているのではないだろうか。
話が逸れた。
運がいいと感じることはまだある。そう、例えば今。
「まさか本当に川を辿ると集落があるなんて…」
両手で双眼鏡の様に丸を作り覗き込めば、わざわざ狭まった視界の中に人の営みを確認できた。藁をふんだんに使った木造の家々が立ち並び、深く色の変わった四角形の地は畑だろうか。人と思しき影がなにやら作業をしていた。『おいでよ!○○県』と書かれた観光ポスターの写真として使われていそうな田舎の長閑な風景に映えそうな光景である。
久方ぶりに恐怖以外で高鳴る心臓を薄汚れた服の上から抑えつけ、じっくりと深呼吸をする。ここで馬鹿正直に駆け寄る様なことはしない。なぜならここが多々田透汰の故郷である可能性は0ではないからだ。自分がどの方向からやってきてどの方向に進んだのかはまったくもって皆目見当がつかない状態であるため、もしかするともしかするかもしれない。まあ、いくら子供の足とはいえど数日歩いた距離にある此処が、大人の足で一晩で着く場所にあるとは思えないが万が一がある。
そろりそろりと遠去かり、見慣れた川縁の大きめな石の上で息を吐いた。
さて、どうしよう。
もちろん本音としては青狸に泣きつく某少年の様に涙を濁流の様に流しながら助けを乞いたいところだが、不安要素がありすぎる。
とはいえ、草と水でしのいできたこの腹の虫の渇望の声も来るところまで来てしまっている。悲鳴を超えて慟哭の様に訴えてくるため無視するにもあと何日できるだろうか。正直、限界だ。
冷たい川の水で空腹を紛らしながら回らない頭を必死に回転させる。
「ふう…」
手に付着する水滴をピッピッと払い、残った水分を服で拭く。冷静に見下ろせばなかなかにひどい格好で酷く憂鬱になる。潔癖なほど清潔な現代の人間では耐え難い格好だ。ふと湧いてきた好奇心で鼻を脇に寄せて嗅いでみれば、宇宙が背後に広がった気がした。有り体に言えばとてつもなく臭い。昔社会科見学で訪れた牧場の香りが最高級のフレグランスに思えるほどに臭かった。人間の纏っていい臭気を超えていると思った。
臭いに殴られた頭は栄養不足と相まって不明瞭になっていく。ええい、なにも思いつかんぞ。どうすればあの集落が多々田透汰と関係ない場所だと証明できるのか。もしそうだとしても早めに結論を出さなければ、違う集落を求める前に行き倒れてしまう。一人一人顔を確認するか?何人いるかもわからないが、それしか思いつかないほど限界が近かった。
ともあれ、今日の活動限界が来たようだ。まだ日も高くあるが、もうこれ以上動けません。寝ることにしよう。
よっこらしょ、と歳に見合わない掛け声とともに怠い身体を起こす。なるべく野生の動物に襲われないように身を隠して眠るのはこの残念サバイバル生活で既に心得ていのだ。
ずりずりと意識だけに引き摺られるように樹木に手をつきながら移動していると、不意に右脇腹に軽い衝撃が走った。
トスッ。字に起こすならそんな感じ。
「…ぁぇ?」
同時に山に木霊する引き攣れた鳥の悲鳴、少し遅れて耳に届く聞き覚えのない音。
なんだろう。ちょうど衝撃のあったところは先程右手についた水を拭った辺りだが、何故か必要以上に湿り気を帯びている気がする。
「? …、?」
汚れて黒っぽくなった服が妙な色をしている。というか、変な穴が空いている。ポッカリと、小さな9歳の親指なら通りそうなほどの小さな穴だ。
聞いたことも無いような甲高い悲鳴が耳を突いた。その悲鳴を上げているのは自分の喉だということに気づいた時に、漸く身を裂く激痛を覚えた。
え? これってもしかして撃たれた? それで痛い感じ? うわぁ。
自分とは別の誰かがまるで第三者視点で眺めているような、そんな不思議な体験をしながら意識を失った。
暑い、熱い、あつい。
身体を掻き毟りたくなるほどの熱に、手を行き場なく彷徨わせる。その熱は自分の腹から広がっていることに気付き、そこに手を這わせようとするが何かに阻まれた。
なぜ、なぜ。あつい。
『ダメだ。がまんしろ』
なぜ、どうして、つらい。
『ダメだ。今はまだ、だめ』
グッと口に冷たい何かが押し込まれ、その冷気を求めるように必死に喉を動かした。それでもまだ熱は引かず、もどかしさに唸り声を上げる。
目尻から水が流れていく。身体中から水分が失われて逝く。
自分が空っぽになってしまうようだ。自分の存在を証明するのは、忌々しい熱だけだ。
死ぬのだろうか。消えるのだろうか。嫌だ。こんな終わりは迎えたくない。
『終わらせないから、今は安心して眠れ』
ここに留めるようにギュッと右手を拘束される。
それに縋り付くように握り返し、私は、私はーーー……、、、
「はっ」
びくり、と雷に撃たれたような衝撃と共に身体を起こす。
「ンヒィィィ…」
と、共に全身を駆け抜ける激痛に身体を倒す。
額に気持ち悪い脂汗を滲ませながら痛みを誤魔化すように深呼吸を数回し、ぎゅっと瞑った瞼をゆっくり開く。急に行動を起こせばまた誤魔化した波が襲ってくるのは理解できたためだ。多々田透汰は知らんが自分は馬鹿ではない。痛みはなるべく避けたいのが人間のサガだ。
膨らんだ鼻から新鮮な空気を出し入れしながら眼球だけ左右させて辺りを見渡す。どうやらここは家屋の中のようだ。久々に人工物の中に居るためか少々変な気分になる。
「起きたか」
「!」
眼球の可動範囲外から声をかけられ心臓が跳ねる。しかし極めて冷静に、そしてゆっくりと首を声のかけられた上方向に伸ばし視線を向けると、そこには不思議な雰囲気を持つ少年が立っていた。
「き、ン"…ごほっごほ、ンづァッ!」
「…むりに話さなくていい。キズがいたむ」
「ゔ…ン」
久々に喉を使ったせいか噎せた。その振動が腹の傷にダイレクトに響いて痛む。痛みのピタゴラスイッチが起きた。
少年は御猪口のような小さい器に入った水をわざわざ口に静かに流し込んでくれた。噎せないように気をつけながら嚥下し、一息つく。その姿を確認してか、少年は濡れて冷たい布で滲んだ汗を拭ってくれた。
「はあ…あり、がとう」
「落ちついたか」
「うん」
「そう」
無理はせず、発音に困らない範囲で言葉を紡ぐ。
自分の身体では無いくらい、口を開くだけで疲れる。四肢に漬物石でも乗せられているかのように重さを感じながら、緩やかに手を挙げた。爪が伸び、間に土が挟まってるせいか黒ずんでいる汚い自分の手が見える。二、三度握って開いてを繰り返し、また降ろした。
はあ、生きている。
「すまない。鳥をうった流れ弾にあたったんだ」
「…?」
「はらのキズ。おれのせい」
少年はすまないと言う割には酷く無表情で、こちらの右脇腹を指差した。ああこれ、流れ弾だったの。まさか狙われて撃たれた訳ではなくて逆に安心した。
「痛いけど、まあ、運が悪かったなぁ…」
「あの時間、山にいる人は少ないんだ。まさかしゃせんに人がいるとは思わなかった」
「ああ、そう」
確認はしていないが治療されているであろう傷を上から軽く撫でる。不思議と怒りは湧かなかった。寧ろ本心はラッキーとか思っている自分がいる。どちらにせよあのままでは死んでいたし。保護されるきっかけができたので、まあかなり命がけではあったが…やはり運がいいのだろう。
そんな下心を隠して、気にすんなの意を込め少年に緩く微笑むと驚いたように大きな目を更にクリクリに見開いた。眼球落ちるぞ。
そのまま沈黙が流れ、時間も流れる。初対面の気まずさは多少あれど、どちらにせよ今は身体がしんどいため沈黙を続けるしかない。
しばらくすると、少年は突然スイッチが入ったように動き出した。
「ど、こに」
「かあさんを、よんでくる。目がさめたって」
「ああ…」
そうか、親はいるよな。なんとなく微妙な気持ちになりながらヒラリと手を振った。
残念ながら少年は一瞥しただけで振り返してはくれなかったが、まあいいだろう。そして再び訪れた静寂の中、体力に限界がきたのか再び眠ってしまった。
次に目を覚ましたのは嗅ぎ慣れたようなそうでないような香りが鼻をかすめてからだった。ゆるゆると瞼を開けばすっかり夜の帳が下り、人工的な暖色灯に包まれた室内が視界に入ってくる。自分が寝ていたことを瞬時に把握し、少年が母親を呼んでくると言ったのに待てなかった自分を少しだけ恥じた。
前回目を覚ました時よりもいくらか軽くなった身体を起こすために腕に力を入れると、不意に横から補助が入る。
「無理はしないで」
美しい顔をした女性だった。驚いて力が抜けるが、身体はそのまま支えられていた。
女性の背後にこちらを伺う先程の少年がいたため、この人が母親ということは理解した。なるほど、少し雰囲気が似てないことも…ないかも。
「ありがとう、ございます」
「いいの。ご飯は食べられる?」
「え、と…たぶん」
たぶんと言いながら空気を読まない腹の怪物がこれでもかと喚いたため、母親は少し呆気に取られた表情をした後上品に笑った。ええいこの野郎、誰の断りなく鳴いてやがるんだ。かなり恥ずかしくなった。
キビなどが混ざる粥を食べさせてもらいながらこの村について聞く。多々田の名を持つ家族はこの集落にはいないことから、此処は元いた所とはまた違う村ということが判明した。安心したせいか涙腺も緩んだ。御涙頂戴ではないが、その涙を利用して自分の境遇を語る。
「そう…捨てられてしまったのね…」
「もう、俺には、帰る場所はありません。
なんでもします。どうか俺をこの家に置いていただけませんか?」
「そうねぇ…百之助。貴方はいい?」
「おれは…なんでも…」
視線を合わせずにそう言った少年…百之助は無関係だと言わんばかりに箸を進めた。それを見て困ったようにため息をついた母親は、未だに流れる俺の頬の涙をそっと拭い、安心させるように笑ってくれた。
この日から私…いや俺、多々田透汰は、尾形家に居候することになったのだ。