多々田透汰の生存戦略 作:だっかん
04ウツ鬱たる日々
尾形母が死んだので、里子に出されることになった。
百之助は祖母とそのまま暮らすことになったのだが、『流石に育ち盛り二人は面倒見きれんわ』とのことで上記の通りに。そりゃそうだ。むしろよく尾形母は文句一つ言わずに俺を受け入れてくれたものだ。
まあ、晩年は可笑しいまま帰ってこれず、多々田透汰という少年の存在を認めていたかはわからないけども。
彼女の死は突然だった。俺が山で狩った猪の皮を、わざわざ祖母と下山して町に売りに出ていた間に起こった出来事だ。どうやら殺鼠剤を鍋に入れ自殺を図ったそうだ。色々と疑問は残るが、その場にいた百之助がそういうのであればそうなのだろう。何の因果か、百之助誘拐事件から丁度二年が過ぎた日の出来事だった。なんだろう、この日は呪われているのかな。
12歳の多々田透汰少年が貰われて行った先は、尾形家よりかはいくらか裕福そうな、これまた不思議な縁ではあるが多々田家という処であった。いやはや、なんともなんとも。俺に言いつけられたことは一つ。次男の代わりに軍へ行くこと。いわゆる影武者というものに抜擢されたらしい。ほぉう。
どうやらこの家には俺の三つ上の長男、そして同い年の次男、更に二つ下に長女がいるそうだ。明治の現在、国には徴兵令というものが定めてあるらしく、一家の跡継ぎとか健康に問題のある男子以外はお務めに出なければならないそうだ。へぇ大変だ。長男はさて置き、幸か不幸か次男は今現在まで健康そのものである。多少気は弱いが、まあこのままいけば無事に満20歳を迎え、国の為に行って参ります!うおおお、ボカーーーンの対象になりかねない、とのことで。そんなのは嫌じゃ嫌じゃのムスコンな親父殿は育ててやるから次男の代わりになれよ、とのことで俺を貰ったそうだ。男が語った変に情緒たっぷりのクッソ長い話しは途中聞き流していたが大体の流れは合っている筈だ。替え玉とか認められるのかは分からないが、まあやれと言われたらやるしかない。俺には選択できるカードが無いのだから。
秘匿されている。
俺の存在はその時がくるまで影に隠れていた。無駄に体格のいい次男と同じ背格好に近づく為に飯だけはキチンと食べさせてもらえた。それだけがこの多々田家に入って良かったことだ。
それ以外は誰にも認知されない、まるで幽霊のように生きてきた、とだけ行っておこう。
ただ来たるべく時に備え、密かに山へ行き身体を鍛え。誰ともほとんど話すことなく。
俺は17歳を迎え、役目を務める時がきた。あれ、満20歳で徴兵じゃないのか?うん、志願すると17歳でいける、と。さっさと行けと、と。ほぉん、なるほどなぁ。理解はしたが納得したくない命令だ。もちろん拒否権はないわけだが。もっと早くに教えて欲しかった。
徴兵検査というものを知った俺は、多々田家に貰われてから始めて泣いた。簡単に言えば身体検査なのだが、まさかの公衆の面前で全裸にさせられるというものだった。それならまだいい。肛門まで調べるとはいかがなものか。イチモツを握られるのも耐え難い。というか触られたくない。これってセクハラパワハラですよね。断固として拒否する構えを見せた。いいんだ、どうせどんな欠陥が見つかろうと俺には帰る家なんてない。なら国の為だろうがなんだろうが衣食住を提供してくれるなら死ぬ気で死なない程度に働いてやる。だからお願いそれだけは。
そんな願いは虚しく。俺は肛門処女を指分喪った。もうお嫁にいけない。
余談だが抵抗したからって木刀で殴るのはやめようよ。見てこれ二の腕と顎の痣、暫くは消えそうもない。クソが、糞つき過ぎて指先から腐り落ちてしまえ。
無事…心は無事とはいえないがそれ以外の身体チェックもパスし、生兵として入営することとなった。持ち物もカアサン以外特に無いし、服だって着ているものとあと二着をなんとか着回している程度だ。褌は流石にもらったが。
唯一の小刀は認められるのだろうか…という心配をしている。それこそケツの穴に突っ込んで隠しても持っていくつもりだ。…が、色々考えた結果あまりにも現実的ではないと冷静になり自ら却下。自分とはいえ肛門にはいったものを握るというのは…うん、辛いな。出口から出たものは等しく廃棄されるべきだ。もしくは畑の肥やしにでもしてくれ。
軍服着たまま澄ました顔でやり過ごそう。部屋に入っちまえばこっちのもんだぜ。流石にそのままは見逃されないだろうとは思ったため褌を使い腰に巻き付けたが、思いのほか上手く隠れ無事に突破することができた。多々田透汰となってから緊張したことベスト5に入る瞬間だった。
俺が配属されたのは東京の、ではなく日本の最果て北海道の地である。なんということだ、流石にこれは前世からの記憶で覚えている。いわゆる屯田兵というやつではないか。小中高とわざわざ教科書に蛍光ピンクでラインを何度か引いた思い出がある、あの。自分の運は既に尽きていたことを思い知った。一体この先、生きていけるのだろうか…。
多々田透汰の身体は、意外とハイスペックだったことを思い知った。前世の私としての身体ではこうはいかなかっただろう。男女の差というものを抜いてもだ。周りの初年兵と比べても多々田透汰は飛び抜けて優秀だった。下手すれば余りの過酷さに命を落としていく仲間がいる。しかし多々田透汰は怪我はあれどすこぶる健康であった。よく働き、よく訓練し、よく眠り、よく食べ、良き輪を作る。それが入営から一年経った周りから見た俺の姿だった。大変よくできました、花丸満点の出来である。わーいわーいぱちぱちぱち……_______
「なんか急にしんどくなってきた」
ある夜のことである。突如として襲ってきた心的疲労に俺は悩まされていた。生きる為生き残る為と自分に嘘をつきながら心の悲鳴を無視してきた反動だろうか、これは現代的な病名をつけるとしたら『鬱病』とかいうやつだろう。
・夜眠れませんか
・食欲が減りましたか
・死にたいと思うことがありますか
エトセトラエトセトラ。今なら全てに力一杯太字でチェックだ。俺、なんのために生きているんだろう。
そんな状態になっても訓練はあるわけで。慣れたはずの銃の重さが今はしんどい。でも走る。これは反射運動だ。
いつもよりも多めに上官からビンタをいただいた。しんどい。
俺の身長に合わず寝台から足が出ている。これまで気にしたことないのに酷く落ち込む。なんで丸まって寝なければならないんだ。しんどい。
やばい。このままでは死んでしまう。…死ねばこのしんどいせかいから 解放される?
いかんいかん。これは深刻だ。なにか生きがいを見つけなければ。
「最近のお前変だぞ」
「俺もそう思う」
「どうした。なにか虐めにでもあってるのか?」
「いや…そうではないんだけどな。なんか精神的疲労が上限まできてしまったというか…そんなやつなんだ」
「おいおい確りしろよ。優秀なお前がイカレたら同じ班の俺らまで困るだろうが」
「…ああ、ごめん」
「頼むぜ多々田上等兵殿」
ジョートーヘードノ。そうだ、頑張ったら周りよりも一つ飛び抜けて偉くなってしまったんだなぁ、そのせいで自分の能力以上に頑張らなくてはならなくて、それがこの憂鬱のスイッチを押してしまったのかもなあ。あいつめ、まだ一等卒のクセして同等の扱いしやがって。そのまま変わらないままでいてくれよ。とはいえ、はあ、心がしんどい。
これはしばらく休んだ方がいいのではという結論に行きついたのはそれから暫く経ってからだった。いっそどっか身体の一部でも吹っ飛ばせば癒えるまでは休める。でも痛いのは嫌だなぁ、なんて事を考えながら射的訓練にて決められた的に穴を空ける作業を漠然とこなしていた。多々田透汰のハイスペック肉体は心と身体が多少乖離していても習慣で物事をこなしてしまうのが凄いところだ。
しかし上官からは『なんだその腑抜けた面は!』と有難い平手打ち(とても痛い)を頂いてしまった。疲れも合間って鼻の粘膜が薄くなっていたのか、両鼻腔から赤い液体がビロビロと流れ落ちた。まさか上官もいつものビンタで勢い良く鼻血ブーするとは思っていなかったのか、少し引いた顔で医務室に行くように申付ける。やったね、休む口実ができたよ。
立て付けの悪い横開きの扉を開き、常駐している軍医に治療してもらう。ちなみに軍服をなるべく汚さないように床を鼻血はぶち撒けさせて貰った。誰か片付けておいてくれ。
「鼻血の勢いもそうだが、酷く疲れた顔をしているなぁ上等兵殿」
「はあ、そうなんです。最近憂鬱が酷くて」
「憂鬱ねぇ…それは難しい問題であるな」
「頑張らねば、どうにかせねばとは毎分毎秒約考えているのですが、解決方法が見つからず」
「ふぅむ」
先生は横になる俺の寝台に腰かけて首をひねる。気安いな、どんどん気安くしてくれ。
俺はここぞとばかりに心の内を語った。他人に語れば軽くなるものもあるだろうと思い、少し恥ずかしいが性欲すらも枯れている気がするということまで話してみた。試みは少しだけ成功したのか胸に久しい清涼感を感じたが、やはり全てが晴れるというわけではなさそうである。
「正直詳しいことまでは分からないけれど、全てにひと段落が付いた段階で憂鬱が酷くなったと言うのならね。それは多分がむしゃらだった頃から憂鬱だったんだろうね。そして自分を見直す時間が増えたからそれに気付いてしまった。ともかく、がむしゃらになれるなにかを見つけてみるのはどうだい」
「ということは今の俺はがむしゃらでは無いと」
「いわゆる生きがいというものだね。君は今までは自分を生かす事に生きがいを感じていたのだろうよ」
「でも今は死にたくなりますよ」
「まあまあ騙されたと思って。死ぬ気で取り組まないと本気で死んでしまうかもしれないことを見つけてごらんなさい。きっと憂鬱を感じている暇もなくなるだろう」
「結局それは憂鬱のままでは」
「今よりはマシだ」
なるほど。ブラックというやつだな。
話しているうちに鼻血は止まっていた。