多々田透汰の生存戦略   作:だっかん

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05私のヨビゴエ

軍というものは、所属しているだけでお給金をいただけるのだが。まあ国のためにいつでも鉄砲玉となり戦えるための準備を日々しているのだから同然と言えば当然なのだろう。俺はその金を"多々田家の次男"として不自然では無い程度に多々田家に送り、残りは必要最低限以外のものに使ってこなかった。使う先が無かった、と言っても過言ではない。

なにせ娯楽らしい娯楽を嗜む余裕も無かったのだ。せいぜい出ていく金といえば…必要最低限の衣服とか、私物で使う生活必需品とかそのくらいだ。

 

そのくらいだった。

 

最近の多々田透汰は一等すこぶる調子が良い。鬱々となり燻っていたのが冗談だったのではと思えるくらい爛々と目を輝かせ、日々の軍生活を送っている。

そして最近はちょっぴり出費が多い。これが彼を一変させたのだが…。

 

「おい多々田、明日は非番だろう。一緒に遊郭でも行かんか」

「すまない瀬戸。明日は少し用事があってな…」

「最近妙に生き生きしているじゃないか。前は誘われた時にしか金を使う先が無かったお前が。…ん? もしや女でもできたか?」

「はは、まさか。それよりも更に素晴らしいことさ。いわゆる俺の"生きがい"というやつを見つけたのさ」

「ほう。女遊びよりもいいことなんてオレにも教えて欲しいもんだがな」

「まあまあ、お前は女の方が楽しいだろうよ。まあ新しい学びのようなものだ」

「学びィ? わざわざそんなことで休日を潰すのか? 優秀な奴はどこか変なところが欠落してるって噂は本当だったらしい」

「なんとでも言え言え! とにかく、明日はすまないが自分の用事を優先させてもらうからな」

「好きにしやがれ」

 

自分から声をかけてきたくせにぞんざいな扱いを受け、少し傷ついた。フリをする。瀬戸はこういう奴なので今更だ。

 

 

 

 

次の日。ここ北海道は旭川。俺の心を表すかのように澄み渡った青空が広がっている。涼しい空気が鼻を抜けて脳天から咲き乱れるような気分だ。俺はいつもの堅苦しい軍服を脱ぎ、逸る気持ちで街へと繰り出した。

 

金の許す限り目的の物を買い集めたらもう街に用はない。休憩も取らずにそのまま兵舎に舞い戻る。門兵を担当していた顔見知りは日も高い内に戻ってきた俺を不審な表情で見ていたが、爽やかな笑顔で通り過ぎると困惑したように見送ってくれた。

自室に戻り買ってきたブツを他の目の届かないところに隠す。これ自体は見つかってもなんら問題のないものだが、なにに使っているかをバレるのが困るのだ。勘のいい者ならここまで辿り着いてしまうかもしれない、ということを危惧している。これもまたスリリングにスパイスを加える要素であり、まるで忍者ごっこをしているようで楽しいは楽しいのだから、俺は死に急ぎ野郎と呼ばれる奴なのかもしれない。

 

「さて、描くか」

 

 

 

 

 

ここで多々田透汰の中身がまだ私であった頃の職業を思い出していただきたい。絵描き、イラストレーター。結果としてその職種を名乗っていたものの、元々は利き手と脳の欲望を筆にぶつける只の同人作家である。それもBLを好み嗜んでいた貴腐人である。ちなみに私の絵のタッチはリアルタッチと呼ばれることもある、絵から生き物臭さが匂い立つような、そんな画風で活動させていただいていた。

因みに基本的に地雷はない。なんでも美味しく食べられる雑食系のお腐り人であった。

つまりは、だ。約10年ぶりに多々田透汰ではなく"私"としての生きがいに再熱してしまったということだ。

いそいそと買い込んだのは紙、炭、そして紐。描いて綴じる。その作業に必要な最低限のものだ。

まあ、そういうことである。

 

長年のブランクを感じさせる自分の画力の低下に絶望した。仕方ない、もともと多々田透汰は文字を書く以外で筆なんてとってなかったし、そんな絵なんて描いてる状況じゃ無かったし、そもそも漫画を一発書きとか無理乙。そうは思えど心が納得いかない。忙しい?そんなの理由にならない。描くものと描かれるものがそこにある。それだけでいい。そしてそこに絵師の魂と萌えを込める。その集大成が薄い本だ。それだけなんだ。ならばやるしかなかろう。"多々田透汰"ではない、私の生きる意味をここに見出した。鬱なんてなってる場合じゃねえ。

幸い軍には男色が横行しネタには困らないし、被写体も心のフィルムに好きなだけ刻み込むことができる。ムカつく事を言われても叩かれても『うるせえお前は次のネタで右にしてやる』と思えばなんだか優しい気持ちになれた。

 

世界が輝いてみえる。早く辞めたいなーなど腑抜けたことを思っていた気持ちにも喝を入れることができた。

正直下級兵は勿論だが美味しくじっくり上官殿たちもネタにしてしまっているので、もしこれが私こと多々田透汰の描いているものとバレたら…ふ、どうなることやら想像もしたくない。まさに命がけ。でも活動辞められないんだけど!

 

こうして私は鬱病を克服した。

 

 

 

____________

 

 

 

最近、北海道支部第7師団内で春画が流行っているらしい。

男の多い狭い世界だ、多少のことは許そう。春画の一枚や二枚、まったく興味が無い方が逆にどうなのかと思う気持ちもある。点呼の時間に慌てて隠す初年兵を見ると、お前らもか…と過去を思って懐かしくなる気にすらなる。

 

ただ、コレはなんだ?

自分の知っている春画とはまるで違うものであり、これを取り上げた時の異様な空気といったら…思い出すとわずかにゾッと鳥肌が立つほどだ…。

 

大日本帝国陸軍第7師団歩兵第27聯隊所属の月島 基軍曹は頭を悩ませていた。それは下級兵から押収したとある一冊の本のせいで、只でさえやる事の多い業務が増えるという確かな予感を覚えているからだ。

 

敵を倒すためには、まず知る必要がある。上司の情報将校から何度も聞いた言葉だ。月島は諸悪の根源を睨み下ろし、そして手に取った。

 

それは表紙には大きく英字で『BL!』とだけ書かれおり(どういう意味かは理解不能だ)、中を開けば見知った男達の絵が不揃いな格子状に引かれた枠の中に様々な角度から描かれている。背後にはよく描いたな、と思わず感心してしまうほど綿密に風景まで描写され、まるでその瞬間を切り取ったかのような素晴らしさだ。芸術のわからない月島でもこの技術には唸る。そしてこれは…これは、互いに話しているのだろうか? 円形や時には無数の線で表された枠の中に、読みやすく丁寧な文字で会話のように文字が書かれている。直感的にどの順番で読み進めていくのかが分かり、情報量が多いはずのこの1頁はわずか数秒で終わってしまう手軽さだ。しかし、何故だろう。その描かれた男たちの表情や、指先だけを描写した枠の中から文字数以上の情報が入ってくるようでならない。

次に真っ暗に塗りつぶされた表現が続き、自然と展開が夜を迎えたことを理解する。流れからして、濡場だ。春画と呼ばれる全てが詰まっていた。

写真のように表現された肉体は引くほど立体的なのに、アイツとアイツの濡場なんぞ金を貰っても見ていたくないのに、不思議だ。どうしてしまったんだ。切なさが胸を打つ。肉体だけではない精神の繋がりと、立場故のもどかしい気持ちが絵を通して伝わってくる。

 

「……、」

 

月島は最後の頁を読み終え、そしてそっと本を閉じ右手で目を覆った。

それは時間にして10分ほどの、決して長くはない間の出来事だったのだ。

 

「アイツら…、そうだったのか…っ!」

 

涙こそ流さなかったが、鼻の奥を突くナニカを感じてしまった月島であった。

感動の中それでも優秀な彼は頭の冷静な部分で分析し、敵は思ったよりも強大で厄介な相手だと、心の底から理解する。

 

 

その敵とは『漫画』というのだが、この時はまだ日本に入ってきたばかりで拡がっていない上に、当時の技法と全く違う別物と言っても過言ではない産物なので、未知なるものと感じるのは仕方のないことである。

多々田透汰は…いや、中にいる未来の世を生きた一人の同人作家は、間違いなくこの世でただ一人の神絵師と化していたのだ。

そして未来よりもちょっぴり性に寛大なここ明治の時は、後にBLと呼ばれる薔薇香る世界にどハマりしてしまう男子が多くいたのも、また一つの敗因である。

 

北海道のごく一部で出回ったその本は、残念と言うべきか印刷されることは決して無い。一つの物語につきただ一冊のオンリーワンのものだ。密密に貸し借りを繰り返す間にも感動し涙するもの、春画の正しい使い方をするもの、模写しようと試みるもの…人の分だけ使用例がある。そんなヘビーローテションの中、コーティングされていないただの和紙が永遠の刻を生きることができる筈もなく…。いつしかそれは悲しいかな、ゴミ同然のものとなることも多かった。

素晴らしいその作品は、自分の手元にいつ届くのか。

新作が出ただと? 何としてでも一度は目を通したい。

お前が持っているのか、お前か、それともお前か。

ソワソワギスギスイライラハラハラ。

 

想定を遥かに超える効果を発揮した薄い本について、第7師団はこの問題を重く受け止めた。

 

 

『例ノ本ヲ所持スルモノハ直チニ報告セヨ。

許可ナク之ヲ確認シタ場合 班連帯責任ニヨリ重イ罰則ヲ課スル。

又 作者ハ直チニ 名乗リ挙ゲルベシ』

 

そう書かれた看板が貼り出されるのは、直ぐのことであった。

効果があったのかというと、より兵士たちの団結力を上げるという意味では多大なる効果を発揮したと記しておこう。

 




当時の看板の書き方は難しかったので、現代的に書いてます。つまりテキトー

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