メイド・オブ・レンゴク   作:鈴近

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柱合会議前後


原作時間軸2 秘密

 一日一日を重ねているだけで時間は過ぎていく。杏寿郎は二十に、夕映は十七になった。その間に柱が何人か入れ替わり、杏寿郎の継子だった甘露寺も見事柱となった。蝶屋敷の娘は一人減り、蟲柱は鬼を死に至らしめる毒を完成させた。相も変わらず隊士が増えては死に、産屋敷邸の墓は増え続けている。さらに言うと耀哉の病はひどくなるばかりで、とうとう彼は光を失った。

 炭治郎は半年かけて型と呼吸をものにした。案の定、途中から鱗滝は彼を放置していたらしい。心のどこかで炭治郎が諦めることを期待していたのだろう。最終選別のあとに送られてきた手紙には、「突然鱗滝さんはなにも教えてくれなくなったのでとてもびっくりしました。教わったことをどれだけ繰り返しても岩は斬れなくて、俺はとても焦っていたと思います。ですが、山の他の子供たちが実戦形式で助けてくれたんです! 夕映さんは、錆兎と真菰のことを知っていますか?」と楽しげに文字が躍っていた。返事に突破への祝い、今後の任務への激励をしたため、「二人は友達だ」と書いて〆た。

 禰豆子が目を覚ました、という知らせには、“とうとう”という思いが身体を駆け巡った。山の頂上の小石が転がり始めたような、なにかが変わる瞬間というものに夕映は対面していた。相も変わらず杏寿郎にこのことは報告していない。鬼殺隊の頭領から口止めされているのだから、言えなくて当然だ。自分が案外秘密を守れていることで、「私ってうそつきだったのねぇ」と夕映は嘆息する。禰豆子のことが衆目にさらされたあとの柱合会議で、彼らの処遇は決まるだろう。それまでに耀哉の見極めが間に合うよう祈るだけだ。

 ついでに、義勇に宛てた怒りの手紙には返事が一切来ていない。彼がまともにやりとりするのは報告書だけなので、夕映は匙を投げた。一方的に季節の便りを送り続けるのはいつものことだ。「便りがないのは元気な証拠」と考えていなければ、あの筆不精と口下手はいいように捉えられはしない。

 自分はまだ、のうのうと女中を続けている。なにかが動き出した感覚があっても、停滞した家の中の空気はそう簡単に変わらないようだった。

 

 

 柱合会議の知らせを受け取った杏寿郎は、ぎゅううっとその太い眉を寄せた。「どうされました」と彼の前に湯呑を置く。すると彼は、よく聞いてくれた! と言わんばかりにばっと顔を上げた。あまりの勢いに夕映はたじろぐ。

 

「なんと鬼を連れている新人隊士がいたとか! 柱とお館様の前で裁判をするようだが、そんなものを開く必要性を感じられない、鬼もろとも斬首して終わりだろう! 夕映もそう思わないか?」

 

 ああ、見つかったのか。そう思いつつ、考えはおくびにも出さない。一度嘘をつくと決めたのならば通さなくては。せめてお館様が杏寿郎に事情を説明するまでは。

 荒っぽい動作ながらも丁寧かつきれいに手紙を畳んだ杏寿郎を前に、夕映はゆるりと首をかしげる。

 

「そうですねぇ、そもそもなんで鬼を連れようと思ったのかしら。家族? 恋人? 鬼殺を志すなら鬼の危険性はわかっているでしょうに。人を食った前例はあるのですか?」

「今のところ向かっていった隊士から逃げ回るばかりで反撃をしなかった、口枷をしていて血や脂の気配はなかったと聞いたが……ううむ。しかし鬼は鬼だからな。そうだ夕映」

「はい?」

 

 杏寿郎は口角を上げたまま、じいっと夕映の目を覗きこんだ。彼の虹彩に自分の顔が映っている。年頃になってからこんなに近くで瞳を見るのは初めてだな。そんな的外れなことを考えながら、彼の言葉を待った。

 

「くだんの隊士は水の呼吸の使い手だというが、君の兄弟弟子か?」

 

 少し黙り込む。そして、夕映は困り果てた顔を作った。杏寿郎は、自分が義勇や炭治郎と手紙のやり取りをしていることを知っている。下手な誤魔化しは効くまい。

 

「……ううん、あの子はそんなことしないと思うんですけどねぇ……鬼による一家惨殺の憂き目に遭っていますし……」

 

 数秒、見つめ合う。沈黙のあと、杏寿郎はぱっと姿勢を正し、にこりと笑った。

 

「……そうか! なら、君を信じよう」

 

 いつも通りの笑顔だ。自分もいつも通り、笑っているはずだ。

 そのまま、半年に一度の柱合会議に向けて、杏寿郎は意気揚々と出発していった。

 

 

 お館様がおなりになってすぐに、彼女の嘘は明らかになった。

 問題の隊士、竈門炭治郎は冨岡と同じく元水柱・鱗滝左近次の弟子であったし、少年は彼の元で二年修行を行ったという。夕映は相も変わらず毎年狭霧山を訪れているし、彼女は藤襲山の試練を乗り越えている。鬼の気配を知っている。これらの情報を組み合わせれば、彼女が「竈門禰豆子」を見逃していたのは明白だ。爪に刺さった小さな棘のように、その事実は杏寿郎を苛んだ。

 

「杏寿郎、夕映を責めてはいけないよ」

 

 他の柱が解散したあと、柔らかい声で耀哉は言った。

 

「あの子は私のお願いを聞いてくれただけなんだ。子供たちの中で私から頼まれて断ることができる子は少ない。すべては私の我儘のせい。だから、君もあの子も、なにも悪くないんだよ」

 

 お館様、俺は怒ってなどいませんよ。怒ってはいません。お館様の意向は未だ全面的に賛成できませんが、あの鬼はよりによって不死川の血から顔を背けた。人を襲わないよう、理性を働かせていることは認めざるを得ません。夕映を責めるつもりもない。仮に俺が夕映の立場にあったとしたら、俺は誰にも口を割らなかったでしょう。

 ただ、悲しい。我が家の女中は、俺がもっとも信頼する人間の一人です。それに嘘をつかれていたというのは──裏切られたと感じてしまうのは──とても悲しいことです。

 ふ、と耀哉は眉を下げて微笑んだ。

 

「そうだね。大切な人に嘘をつかれるのは、悲しいことだ」

 

 落ち着いた声音は母を思い出させる。杏寿郎は、そっと瞑目した。

 

 

 

「おかえりなさいませ」

「ああ、今戻った」

 

 草履を脱ぎ、羽織を夕映に渡す。「お疲れでしょう、湯の準備ができてしますよ」と笑う彼女は、憎らしいくらいいつも通りだ。杏寿郎はもう知っているのに。彼女が嘘をついたことを。

 そのことを考えると、カッと腹の底が熱くなって、止められなかった。杏寿郎の居室に向かおうとした彼女の手首をつかみ、勢いよく彼女の身体を壁に押しつける。そして空いていた左手を、もちろん加減をしながら──その顔の横に叩きつけた。みしりと壁が軋む。

 ぱちぱちと目を瞬かせる彼女は不思議そうな顔こそすれ、怯えの色をかけらもにじませない。杏寿郎が自分に害を加えることはないと信じている。その信頼が、今は目障りだ。握った手首に指を食いこませる。

 

「竈門隊士は君の弟弟子だな。君は二年もの間、俺に嘘をついていた」

「あらぁ、もうバレてしまいましたか。それで、坊ちゃんはどうなさったと? 怒りました? 甘んじて受けるしかないですねぇ」

 

 壁際に追い詰められ、杏寿郎にぎりぎりと手首を握りしめられていても、いつも通りだ。彼女はこんなに強かだっただろうか。今も、杏寿郎の感情を探ろうと瞳の奥を覗き込んでいる。甘露寺や胡蝶よりも上にある赤い目が自分を見つめている。その虹彩に映る己は真顔だ。怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えない。感情を読み取ることはできない。

 淡々と、押し殺すように、杏寿郎は口を開く。

 

「怒ることはできない。お館様にも、君を責めるのは間違いだと釘を刺されている」

「まあ、お館様ったら。私のようなものにまでお心を砕いてくださるなんて……じゃあ、坊ちゃんはどうしたと言うんです? ちょっと指先がしびれてきました。離して……くれなさそうですねぇ」

 

 きゅう、と彼女の眉が寄る。

 ああ、困らせている。こんなことがしたいわけではないのに。それなのに、荒れ狂う感情は理性の制御を離れている。

 痛みを感じているのは本当だろう。こんなところでまで腹芸ができるようになっていたら、なんと強かに育ったものかと天を仰ぐほかない。ため息を吐き、杏寿郎は渋々握る力を弱めた。自分より一回り細い手首には、くっきりと指の痕が残っていた。それをなぞりながら、もう一度杏寿郎は嘆息する。鉛でも飲んだような心地だ。

 壁につけていた手を、沿わせて下ろして、白いうなじに触れる。ぴくりと彼女のなで肩が跳ねる。いい気味だ、と思った。そのまま、杏寿郎は夕映の頭を自分の胸に押しつける。背中に両腕を回し、絶対逃げられないように絡みつかせる。不思議と彼女は無抵抗だ。それをいいことに、彼は彼女の肩に顔をうずめた。

 

「君に内緒事をされていたという事実に、胸が張り裂けそうだ」

 

 くぐもった音が肉を伝い、骨を伝い、内側に入ってくる。夕映は一瞬瞠目し、そして目を伏せた。

 苦渋に満ちた声だった。明確な悲しみが、寂しさが、寂莫がそこにはあった。

 骨が軋むくらい、痛いほど抱きしめられている。こんなに近づいているのに、ふたりの境界は消えないし、空虚は埋まらない。ひとりとひとりのまま、たださみしいばかりだ。

 夕映は眉間に皺を寄せ、ゆっくりと唇を動かす。彼を突き放す言葉を撃つ。

 

「坊ちゃんに言えないことのひとつやふたつ、私にだってありますよ。それは坊ちゃんも同じじゃあないですか」

 

 ──死なないでくれ、置いて逝かないでくれと縋って、あなたがそうしてくれたらどんなに楽か。でも一人で死んでいってしまうでしょう? 連れていってなんて、くれやしないでしょう。

 

「きみのせいだろう」

 

 ──共に生きてくれと言ったところで、決してうなずいてくれないくせに。俺の隣に立ってくれないくせに。

 苦しげに、杏寿郎はうめいた。喉がかすれる。

 

「今だって、どうして暴れない? その気になれば君は俺を投げ飛ばせる。嫌なら抵抗すればいいんだ」

「しているでしょう。私がこうべを垂れることはあっても、あなたを抱き返すことはないのだから。それは、別の方のお役目です」

 

 たとえば今は亡い瑠火や、未来の奥方がそうだ。間違っても一女中の己ではない。この道を選んだ以上、夕映が杏寿郎の隣に立つことはあり得ないのだ。剣を握っていれば、また別だったのかもしれないが、そんなもしもは語るだけ無駄だろう。仮定の話は虚しくなるだけだから嫌いだ。瑠火は死んだし、槇寿郎の心は折れたし、夕映は鬼殺の剣士ではない。もう、どうにもならない。

 されるがままでいると、やがて杏寿郎の拘束はほどけ、肩にうずめられていた頭も離れていった。くしゃくしゃに歪められた黄金の太陽が、自分を見つめていた。

 

「──ああ、非道い女だ……」

 

 目を逸らせなかった。言葉は何一つ形にならなかった。ただ、魅入られたように、ゆらゆら揺れる水面の月を見ていた。

 杏寿郎はきゅっと唇を噛み、踵を返す。距離が開き、背中が見えなくなり、足音が遠ざかっていく。夕映は壁にもたれかかり、ずるずるとへたり込んだ。彼が触れていた部分が燃えるように熱い。それなのに、思考は靄がかかったようにぼんやりとしていた。

 あんなに弱々しい坊ちゃんは初めてだなあ。太陽が翳ることもあるのだなあ。私が日輪を曇らせたのか。ああ、罪深いことだ。わたしのかみさまを、わたしがなかせてしまった。

 

「……ままならないことばかりだわ」

 

 ずきずき痛む胸に手を当てる。この心臓が止まってしまえば、鼓動のたびに軋む痛みもなくなるだろうか。

 はあー……と夕映は深いため息を吐いた。そして、ややふらつきながら、それでも足の裏に力を入れて立ち上がる。見下ろした手のひらはかすかに震えていた。

 

「洗濯もの、取り込まなくちゃ」

 

 杏寿郎は、どんな顔で夕飯の席に着くつもりなのだろう。夕映と違って嘘も碌につけないくせに。

 おぼつかない足で、女は非日常の境界を越え、日常に戻っていく。

 

(こういうところをひどいって言うのかしら)

 

 差し込む日差しが、長い影法師を作っていた。

 

 

 

 事前に蝶屋敷宛てに手紙を出し、情報は頭に入れていたが、いざ炭治郎のぼろぼろ具合を見ると夕映の顔はぎゅうっと歪んだ。炭治郎は痛みのせいか引きつった笑みを浮かべている。

 

「はあ……なんて痛ましい……入隊して数か月で下弦の伍と相対するなんて、運がいいのか悪いのか」

「あはは……」

 

 見える範囲であちこちに切り刻まれた傷があり、顎は変色していて、さらには全身筋肉痛と肉離れが起きているという。なにをやったらそうなるのかと夕映は呆れた。呼吸を正しく使っていれば訓練した身体は正しく機能し、どれだけ動いても息切れひとつしないはずなのだ。今回炭治郎が散々なことになってしまったのは正しく呼吸が使えていなかったか、もしくは限界ぎりぎりまで戦い続けたかのどちらかだろう。腕を揉みほぐしながら尋ねると、彼は眉を下げる。

 

「なんでなのかはよくわからないんですけど、うちに伝わる神楽を再現したら急に技の精度が上がって。呼吸を切り替えたら、反動でこれです」

「は? 神楽? それでどうして」

「うーん……前提として、神楽を継承していた父は、晩年一日のほとんどを布団で過ごすくらい病弱だったんですが」

「はいはい」

「肺が凍るような雪の中で神楽を舞い続けても息切れひとつしなかったんですね」

「あー……それで、お父様が呼吸を習得していたと」

「はい。“正しい動き、正しい呼吸が大事”だと父も言っていました。でも、うちは先祖代々ただの炭焼きなので、どうしてそんな技術が継承されているかが不思議で」

 

 ううんと炭治郎は首をひねる。その間にも夕映は彼の手や腕を揉み続ける。

 

「ちなみにその神楽の名前はなんと?」

「ヒノカミ神楽です。だから、火の呼吸があるのかなあ……?」

「あ、炭治郎くん、それあまり人の前で言わない方がいいです」

 

 きょとんと炭治郎は目を瞬き、さっきとは逆向きに首をかしげた。耳飾りが揺れる。

 

「基本の呼吸は炎、水、風、雷、岩の五つで、その他の呼吸はすべて派生です。呼吸の誕生自体は戦国前後と言われていますが……特に炎と水は始まりの頃から一度も柱が途切れたことがないほど歴史があるので、間違っても『火の呼吸』と呼んではいけないんですよ。その辺りとても厳しいです。めちゃくちゃ怒られます」

「めちゃくちゃ怒られるんですか」

 

 炭治郎はぎょっと目を剥いた。神妙に夕映がうなずく。

 

「はい、ものすごい剣幕で怒られます。ぼこぼこにされます。炎の呼吸の歴史は一族の歴史同然ですからね、少しでもなにかと混ぜられるのは我慢ならないのでしょう」

「一族?」

「ああ、歴代炎柱はそのほとんどが煉獄家から輩出されているんですよぅ。当代炎柱の煉獄杏寿郎さんもそうです」

「へえ~! 俺、柱がなんなのかも知らなかったです……」

「まあ~! 師範ったら、剣技を仕込むのに忙しくて碌にものを教えていませんでしたねぇ!? あの人たち、どうしてこう、言葉足らずというか寡黙というか! 義勇もそんなだから嫌われるんですよぅ! しかもまったく弁明をしないものだから! もう!! その様子だと、錆兎の指導も言葉や理屈とは真逆だったでしょう」

 

 錆兎の名誉のために笑って誤魔化すしかなかった。しかし彼女には通用していないらしい。再び「もう」と口をとがらせて、肩を竦めている。炭治郎は眉を下げながら夕映を見上げた。

 

「その、教えるのは真菰がやってくれたので」

「あの子は観察眼がありますし、思考を言語化するのが得意ですからね。浮世離れしているところに反して、理論立てて話すのも上手い。わかりやすかったでしょう」

「すごく」

「ほらァ。強さと指導力は必ずしも一致しないんですよ。当代の柱でまともに継子を育てられているのはしのぶだけですからね。優れた元柱の育手というものがどれだけ貴重か察せられるものです」

「夕映さんも、教えるのお上手ですよ」

「まあ嬉しい」

 

 炭治郎が照れをにじませながら言うと、夕映はコロコロ笑った。

 

「そういえば、冨岡さんとも親しいんですか?」

「あら、錆兎から聞いてません? あの二人、一緒に修行した仲なんですよ。私が山で同じ時間を過ごしたのは二か月くらいですけど、錆兎とはしょっちゅう手紙のやり取りをしていましたねぇ。懐かしいわ」

「そうなんですか……」

「ちなみに義勇は筆不精なので、常にうんともすんとも言いません。報告書以外書いてないんじゃないかしらぁ」

「あはは。確かに、俺も返事が来たことないです」

 

 

「さて、そろそろお暇します」

「あっ、はい! お見舞いありがとうございました!」

「かわいい弟弟子のことはいつも心配ですからねぇ! うふふ」

 

 ぽふぽふと頭を撫でられて、炭治郎は赤面する。二年前に「姉のようだ」と言ったのを彼女は覚えているようだった。楽しそうに笑っている。

 

「次に来る頃は機能回復訓練が始まっているかしら? そのときはちょっとお手伝いさせてもらいますよぅ。カナヲは十分強いけれど、指導はまた別の話です」

「そ、そうなんですか……」

「機能回復訓練がなにかは、アオイやなほちゃんたちに聞いてください。あとはしっかり食べて、きっかりお薬を飲んで、よく眠るように。いい子にしていなさいねぇ? そうしたら、お土産も奮発してあげます」

 

 そっと、優しく頬を撫でて、夕映は目を細めた。なにも言えず、ただこくんと頷く。

 そして、梅の香りは遠ざかっていった。

 

 

「炭治郎! なに! あの人どういう知り合い!? 超かわいいお姉さんじゃん、すらっとしてて愛嬌があって優しくて、なんでお前ばっかり!?」

「あれ、善逸、起きてたのか」

「起きてましたよ!! お前らが目と鼻の先でイッチャイッチャ、イッチャイッチャしてるから空気読んで存在感消してたのォ~~~~!! 感謝しろ!! 俺の気遣いに感謝しろ!!」

「いちゃいちゃなんてしてないぞ。興奮したら身体に障るから、落ち着いてくれ。それに夕映さんは姉弟子だよ」

「姉弟子!? “姉”弟子ィ!? おっっっまえあんな美人と一緒に修行してたのか!? ずるいずるいずるい!! 優しく指導されてたんだろ!? 俺なんて爺ちゃんにはぼこすか頭叩かれてたし兄弟子には存在を疎まれてたよ!! なにこの差!? どうなってんの!? この世ってこんなに理不尽なの!? 俺の前世の罪が原因なの!?」

「善逸、静かに……」

 

 おろおろと手をさまよわせていると、薬草とシャボンの匂い。次いでキビキビと床を踏みしめる足音。その直後に雷が落ちる。

 

「我妻さん!! またですか!!」

「ヒャイイイッ! すみません! 静かにします!」

「すみません、すみません」

 

 二人に挟まれた伊之助は静かだ。眠っているわけではないようだし、まだ元気がないのだろう。アオイに頭を下げながら、どうやったら彼を励ませるのかと思いを馳せる。

 そして炭治郎は、早速アオイに機能回復訓練について尋ねたのだった。

 

 

 機能回復訓練開始から約一月。泣くほど痛い柔軟から始まり、鬼ごっこと、反射訓練の薬湯かけ。間に全集中の呼吸・常中の習得のための鍛錬を挟み、耳から心臓が飛び出るかと思うほど炭治郎は走り込んで、ひたすら呼吸の訓練をした。

 つまり、炭治郎がカナヲに勝つまで、おおよそ一月かかったのだ。これが継子と一般隊士の差か、と驚くほかなかった。それほどまでにカナヲは速く、身軽で、そして不思議な目を持っていたのである。アオイも常中習得前の炭治郎より速かったし、夕映が言っていた通りしのぶの指導力には舌を巻く。やはり強くなる近道は階級が上の人に教えを乞うことなのだろう。

 

「花の呼吸と蟲の呼吸は水から派生して、さらに小柄な女性が身軽さを活かせるように作られましたから。柔軟性、速度、手数が揃っています。カナヲやアオイの身のこなしが速いのはそれを特化して鍛えたのと……あと、カナヲは洞察力かしら。あの子はよく見ているから。花の呼吸は真菰にも合っていたでしょうねぇ」

 

 土産の茶を淹れながら、彼女は微笑んだ。

 夕映は言っていた通り、週に一度ほどの頻度で蝶屋敷に顔を出し、なにくれと世話を焼いてくれた。全集中・常中の習得が求められると早めに教えてくれたのも彼女だ。善逸は彼女が来る日だけ露骨にやる気を出した。炭治郎にはその理由がよくわからなかったが、やる気になってくれるのは嬉しかったので、一緒に裏山を走って往復していたのだ。その最中に伊之助を見つけて連れ戻したこともあった。負け慣れていない彼は相変わらず拗ねていたが、偶然居合わせたしのぶに「まあ常中は基本ですから! できないなら仕方ないですね!」と煽られると、生来の負けず嫌いを発揮して修行に取り組むようになった。善逸も伊之助も努力を継続させるのが苦手なので、しのぶや夕映が彼らをうまく乗せてくれるのはとても助かった。炭治郎はそういう、人をおだてて調子に乗せるというのが得意ではない。教えるのも爆裂に下手だ。彼に自覚はなかったが。

 その頃には屋敷の女の子たちとも仲良くなり、瓢箪を吹く訓練、水の中での息止めを取り入れて、あとはどんどん右肩上がり。呼吸の常中をすればするほど体力は増していき、長時間全力で身体を動かせるようになっていく。手応えがあった。強くなっている実感を持てた。

 

(早く日輪刀を振りたい!)

 

 そう思っていたときは、担当の刀鍛冶に包丁を持って突撃されるとは思いもしなかった。さらに一時間追いかけ回された。当然鋼鐵塚は出刃包丁を握ったまま。怒られるとは想定していたが、まさかここまでとは。鋼鐵塚の気性の激しさを見誤っていた。

 もう絶対に刀は折らないようにしよう。逃げ回りながら、炭治郎は堅く誓った。

 身体の傷は癒えきり、次の目標もできた。となれば、あとは行動あるのみである。まずは炎柱・煉獄に話を聞きたい。しのぶにヒノカミ神楽のことを聞いたが、夕映に尋ねたときと同じように芳しい結果は得られなかった。しかし彼女はすぐ煉獄に繋ぎを取ってくれたので、とても気が回る。頭が下がる思いだ。

 それを、出立の直前に会いに来てくれた夕映に話すと、彼女はぱちぱちと目を瞬かせた。

 

「あら、しのぶに坊ちゃんを紹介されたんですか。柱あるところ恐ろしく強い鬼ありですよ? くれぐれも気を付けてくださいね」

「はい! ……坊ちゃん?」

「……言ってませんでしたっけ? 私の勤め先、煉獄家です。今年でざっと十三年ほどでしょうか」

「……。……? !?」

 

 驚きすぎて顎が外れた。わなわなと手が震える。不格好な盆踊りを炭治郎は無言で踊った。

 

「つまり夕映さんは炎柱の継子……?」

「うーん……まあ実質……? 公的ななにかは一切ありませんよ、ええ、一切。私の日輪刀は反射光で赤く光るので、炎の呼吸自体に適性はあるとは思いますが」

 

 首をこてんとかしげる彼女は今日も普通の着物姿だ。隊服ではない。

 彼女が隊服を着ていたことは一度もないし、帯刀していたのは山に来ていたときだけだ。さすがの炭治郎も気づいている。夕映は、鬼殺隊の隊士ではない。そして、夕映も、炭治郎が気付いたことに気づいている。

 彼女はくしゃりと笑った。今にも泣きそうに眉が歪められている。唇は不格好に引きつっていて、笑うのに失敗したのは明らかだった。

 

「出奔してでも、隊士になった方がよかったかしら」

 

 たまらず、炭治郎は彼女の手を握った。自分と同じように剣だことあかぎれに満ちた、ごつごつと固い手だった。

 

「──俺。おれ、頑張りますから。夕映さんの分まで戦ってきます。あなたの思いは連れていきます」

「……きみに陽の光が降り注ぎますように」

 

 炭治郎は、頬を染めてにっこりと笑った。夕映も、彼の手をぎゅっと握りしめて笑い返した。

 

 

 

「例の少年と任務に当たることになった! 自分の目で見極めてくる! 次の夕飯は焼き魚がいい! では、いつも通り父上と千寿郎のことは任せた。行ってくる!」

「はぁい、いってらっしゃいませ。帰ってきたときにお弁当の感想聞かせてくださいねぇ」

 

 杏寿郎の好物をたんまり詰めた重箱を渡し、いつも通り、夕映は彼を見送った。

 日常というものは容易く崩壊する。だからこそ人は、我々は、退屈な平穏を尊ぶのだ。

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