俺が彼女を家に留めてから既に二日が経過した。彼女が初めて状況に気付いた時にはそれはもう凄い殺気とともに警戒心を露わにして言葉を交わすことすらも容易ではなかったが、食事などで何度か顔を合わせているうちにある程度打ち解け合うことができた。
「レミリア?」
「ええ、そうよ。レミリア・スカーレット」
夕飯のホワイトシチューを頬張り、飲み込みついでに彼女はそう言った。そんな呑気な言葉の反面、俺は一人ポカンと言葉を失っていた。
何故なら俺は、いや俺を含むこの世界の一部の人間にとってその名は聞き覚えがあるものだったからだ。
それこそが…東方projectだ。
神主ことZUN氏が作り上げた弾幕シューティングゲーム。幻想郷という妖怪などが棲まう世界を舞台に主人公である博麗 霊夢や霧雨 魔理沙が異変を起こす妖怪たちを退治するという流れのゲームだ。その中でのレミリア・スカーレットというキャラクターは異変を起こす張本人である時もあれば、一緒になって異変を解決する主人公キャラとしても登場したことがある。そんな彼女が今、俺の目の前に現実として存在しているというのだ。
「えっと…何だな、怒らないから正直な事を言おうぜ?」
「はぁ?」
全力の疑問形を投げかける彼女の目には怒りというよりも、明らかに呆れや侮蔑が含まれていた。
「レミリアっていうのは東方projectっていうゲームに登場する吸血鬼で、幻想郷の紅魔館っていう館にいるキャラクターだ。吸血鬼異変で紫にコテンパンにされて、紅霧異変でも霊夢と魔理沙にコテンパンにされた奴のことだぞ?」
「……なんでそんなこと知ってるのよ…」
顔を真っ赤にしてプルプルと震える彼女。その表情があまりに自然で素そのものであるのは誰が見ても明らかだった。それを見た俺の彼女への疑惑度が格段に下がったのも事実だ。確かに髪は蒼かったし、出会った時にも薄桃色のドレスとZUN帽はしっかりと身につけていた。当初はコスプレか何かだとばかり思っていたが、どうやらこれこそが彼女の標準装備らしい。
「え、本当に本人?偽者じゃない?」
「だったらなんだっていうのよぉ!!」
恥ずかしさのせいか机に突っ伏す彼女。もし彼女が本当にレミリアなら、俺は持ってる運を全部使い果たしたかもしれない。だってそうだろう。本来出会うことが不可能な存在と出会えただけでなく、同時に幻想郷が実際に存在していることを証明したことにもなるのだから。
まあ、俺がそれを何度声高に叫ぼうと、世間は理解してくれないだろうし、言っても無駄だろうから何も言わないでおくけど…。
「ごめん、疑った俺が悪かった。じゃあレミリアは幻想郷から来たっていう解釈でいいんだよな?」
「えぇ、そうよ」
「なら一応聞いておくぞ。お前はここから幻想郷に帰る手段はあるのか?」
「…………ない…」
「…………………はい?」
またも間抜けな声がふと零れる。帰る手段がないという彼女の告白に動揺を隠せない。そして同時にあの時に保護して本当に良かったと心から思った。もしあのまま放置していたら彼女は今頃本当に死んでいたかもしれない…。彼女との出会いはその名の通りの奇跡的な出会いだったのかもしれない。
「あの日はたまたま月が綺麗だったから、そのままふらっと霧の湖に散歩しに行ったのよ。そしたら、散歩してるうちにどんどん霧が濃くなって…、気づいたら…貴方に手当てを受けてたのよ」
「そういうことだったのか…」
どうしたものか。彼女を帰そうとも、俺の知識じゃ向こうに干渉する方法なんて思いつかんぞ…。レミリアの衣食住ぐらいならギリギリ保証はしてやれるが、俺の知る限り、幻想郷に帰るには向こうへの結界に干渉できる奴が必要だ。そうなると一番に思いつくのが、幻想郷の賢者の一人である八雲 紫だが、どうも彼女は気まぐれなところがあり、レミリアを上手い具合に帰すことはほぼほぼ不可能と思っていい。
「やっぱり…私は迷惑よね…」
解決策を導けずに頭を抱えていると、力無い呟きを彼女は口にした。俯いた彼女の瞳はひどく淀んでいて、その姿は俺に対する申し訳なさを、やむを得なかったとはいえ唐突に俺の家に上がりこんでしまったことへの責任を感じてしまっているようであった。
「そんなことはないさ」
俺は咄嗟にそんな言葉が零した。悲しげの表情を浮かべていた彼女はふと顔を上げ、こちらを凝視した。まさか間髪入れずにそんな回答がやってくるとは夢にも見なかったのだろう。なにしろ俺も自分でびっくりするぐらいの反応だったからな。
「まあ、お前が満足するまでここにいればいいさ。俺が死ぬまでだったらいくらでも家にいたらいい」
「でも…それじゃ私は貴方に何もしてあげられない……」
「気にするなよ。正直、お前に直に会えただけで奇跡なんだからよ」
「でも…でも……」
「あぁもう、分かった。そこまで言うなら俺の話し相手にでもなってくれ」
彼女はポカンとしたまま動かない。どう反応すればいいか分かってないのだろう。素直に喜んでくれればそれで良いのに。
「結構気になってるんだよ。幻想郷のこととか、お前の生い立ちとか。だからお前のその話を聞かせてくれたらそれで良い」
幻想郷とはどのような世界なのか、レミリア達はどうやってその存在を知り、そこへ行こうと思ったのか。そして、そもそもレミリアはどこで生まれたのか。それらを知りたいというのは事実だ。
「…本当に……そんなことでいいの?」
「しつこいぞ。家賃払ってる俺が良いって言ってるんだから良いんだよ」
レミリアは控えめな笑みを浮かべる。だが、その表情は遠慮というよりも安堵からきたのであろう穏やかな笑みだった。俺は彼女に歩み寄ると、そっと肩を叩き、背中を押す。
「風呂でも入ってさっぱりしてこい。一度吹っ切ってしまったほうが楽になるぞ」
「………えぇ、そうさせてもらうわ!」
明るくそう口にした彼女は廊下の奥の闇へ姿を消す。間も無く洗面所の照明が僅かに映った。それを見届けた俺はひとまず小さく溜息を零す。
「さて、これからどうしようか…」
取り敢えず彼女の居候が決定した今、現段階で最も必要なのは彼女の服だ。服がなければ出かけようにも何処へも行けない。家の中ぐらいならブカブカながらも俺の服を着ていればひとまず大丈夫だが、当然ながらそれで外出は無理だ。
しかし、だからといって彼女が元々着ていたドレスで外出しようにもあれはあまりに特徴的過ぎる。髪の毛が蒼いのも少なからず注目を受ける要因になる。翼は隠しているのか見えなかったものの、今の彼女の容姿では穏便に外で過ごすのは間違いなく難しい。当たり前の話ではあるが、今のレミリアには日本国籍がない。法律家ではないから詳しいことは知る由もないが、今のままでは日常生活に送ることにおいてさえも確実に制限がかかる。下手にそれがバレれば拘束される可能性すらある。となるとせめて外を無難に過ごせるくらいの服は買っておきたいのだが、なにぶん俺は服のセンスが皆無だからなぁ…。
ティロン♪
「うん?」
ただの着信音、だが俺はそれに救いを求めるようにすぐさまスマホのスリープを解き、チャットアプリをタップ、通知を確認する。
「姉ちゃん?」
俺には姉がいる。つい最近実家を出て、遠く離れた首都郊外の方へと引っ越してしまってなかなか会えなかった上、俺自身も家から出た身であるために連絡もあまりとっていなかったのだが、今回珍しく彼女の方から連絡がやってきたのだ。
「どれどれ…」
『実家に帰ってきてるよ!理樹も暇なら遊びに来て欲しいなぁ〜。えっ?来てくれる?ありがとー!』
いや、行く行かないの選択をまずさせてくれてないのお分かり?といっても、これが俺の姉だ。こんな姉ではあるが、超難関国立大学を卒業して今や大手銀行に勤めているという超エリートだ。経歴もすごいが、彼女は何より弟である俺も含めて接する人には優しい上に話していてとても面白い。その上、おまけに顔立ちも良い。誰が見ても理想の姉であろう。シスコンだと思われるかもしれないが、これが真実だ。頭が良い、顔立ちが良い、優しい、面白い。これらを兼ね備えた人が果たしてこの世界に何人いるか…。
そうか、姉ちゃんから古着を借りられれば、服不足も解消できるんじゃないか。後々もちろん服は買ってあげるが、とりあえずの現状を打開する策としてはこれしかない。幸い実家は都市部から少し離れた住宅地にある上、高齢化の影響か年配の方を多く見る。全くないわけではないだろうが、SNS等に晒される可能性も少ないであろうと愚考する。
『しゃーないなぁ、じゃあ明日行くよ』
建前を含みつつ、返答を送信するが、本心は「おぉ〜、お姉様ぁ」と拝みたい気持ちであった。それとほぼ同時にスマホをスリープさせ、一旦落ち着くために天井を仰いでそこで深呼吸した。
本来、俺は普通に大学生活を送り、きっと周りから漏れないように就職し、親から自立して生きていくのだとばかり思っていた。だが、運命はなぜかレミリアを俺の元に迷い込ませるというイレギュラーを生んだ。それが何を意味したかったのかはよく分からない。けれど、迷い込んだのを救ったのは俺だ。だからこそ彼女を無事に幻想郷へ帰すことは俺の使命だとも思っている。本音を言えば、ずっとここに留まっていて欲しい。いつまでも一緒にいて欲しいと思ったりもする。でも、幻想郷に彼女がいるということ自体があの世界にとって大きな意味を持つのだろうし、彼女でも他の誰であっても自分の住み慣れた場所に帰りたいと思うのが人の本能ではないかと思う。
「…さて、あいつの為に布団を敷いてやりますか〜」
俺は椅子から立ち上がり、一度大きな伸びをすると、ゆっくりとした足取りで寝室へ向かう。友達を家に泊めたことはあっても、居候させた経験は流石にない。きっとレミリアのことだ。生活力は壊滅的だろうし、彼女自身もワガママであるに違いない。現にさっきまで食していたホワイトシチューの入っていた皿は洗い場に置かれることなく、その場になんとも堂々とその存在感を示していた。
「はぁ…」
俺はこの先に待ち受けているであろう出来事を推測し、思わずため息が零れた。
どうせあれだろう?あいつのことだから…
『理樹、紅茶淹れてちょうだい』
『お茶菓子も用意できないのかしら?全く…』
「うおぉぉぉぉっ!!」
なんか全力でこき使われる未来が見えてきた。いやでも、レミリアにこき使われるなら…いやいやいやダメだ。少なくとも居候させてるのはこっちだ。せめて同じ立場くらいでないと…。
……まあいいや、取り敢えず早く寝る支度をしないと。
俺はさっさと布団を二枚敷き、お先に潜り込む。明日は日曜、休みとはいえ実家に帰るのなら早いうちがいい。なるべくレミリアを他人の目から遠ざけなくては…。
よし、眠ろう。
「…おやすみなさ……」
「リキ〜、どこにいるの?」
あー聞こえない聞こえない…。
「早く出てきてちょうだい〜」
俺は何にも聞こえん、聞こえんぞ。
「あっ、いたいた。ほら、起きなさい」
直後、俺を守っていた布団という名の盾が剥がされてしまう。入ってくる眩しい光に思わず目を細めると、レミリアは堂々と、そして笑みを含んだ表情で俺に向かって言う。
「喉乾いたから紅茶でも作って頂戴」
こうして、俺とレミリアの本当の生活は幕を開けた。