1981年11月2日 イングランド西部 スティンチコーム村 リンフレッドの館 (Linfred's residence of Stinchcombe)
リビングに座り込んだ瞬間、先ほどまで抱えていたハリーの温かさと対照的なリリーの冷たい亡骸の感触がまざまざと思い起こされ、スネイプは今にも叫びだしそうな自分を必死に抑えた。覚悟はできているつもりだった。あの占い師の予言が“名前を言ってはいけないあの人”の耳に入ってしまった以上、そしてそのうえで息子を生かすため、リリーがあらゆる手を尽くすだろうことが伝わってきた時に。それでも彼は、例え彼女がほかの男のものになったのだとしても、リリー・エヴァンズに生きていてほしかった。
「コーヒーも紅茶もあるぞ。どちらがいい?」
「気遣いはありがたいが、今は何も受け付けられそうにない」
セブルスはチャールズに応えながらなすべきことを考えた。かつての彼にとってリリー亡き後の世界など彼にとっては生きるだけ無駄なものであっただろう。しかしセブルスは、リリーが護った子供を見捨てることを自分自身に許さなかった。彼女の遺志を継ぐことは彼の中で最優先事項であった。元々は殆どリリーの気を惹きたいがために紆余曲折の末継承した名門プリンス家の継承者の地位とそれに付随する権威をそのために役立てることに否はない。
その時セブルスの思考に割り込むように、
「スクラニ―はベッドを用意しました。ハリー坊ちゃまを寝かしつけましたでございます。」
「ご苦労様だったスクラニ―。アメリアがそろそろ起きるはずだから、彼女のもとにいてやれ」
サンドイッチを受け取り、チャールズは少しの間、虚空に目をさ迷わせた。
「さて、“闇の帝王”がハリーを殺せなかったのだとしても、ハリーをそのままにして逃げたとは考えにくい。連れ去るなり、増援を呼ぶなりできたはずだ。しかしそうはならなかった」
リリー・エヴァンズはハリー・ポッターをかばって“闇の帝王”に殺された。そして彼女の何らかの魔法が“帝王”の死の呪文からハリーを護った。では“闇の帝王”が予言の子殺しに失敗したとして、彼はどうなったのか。
「ここで考えても仕方のないことではあるが、ひとまずハリーはここにいれば安全だ。妻ももうじき起きてくるだろう。そしたらもう一度ゴドリックの谷に行こう。ジェームズ達を相応しい所に眠らせなければ」
1991年 8月10日
ロンドン ヒースロー空港 (Heathrow Airport)
ダーズリー一家とアンダルシアでのバカンスを終え、その足でハリーはヒースロー空港から別行動を取ることになっていた。彼の現在の保護者であるチャールズはロンドンに住んでおり、魔法界とマグル界を行き来する多忙な人物である。ホグワーツでの教科書、学用品、何より杖を手に入れるため、今日はハリーに付き添うことになっていた。
チャールズは会う人物に目的地までの付添と護衛を頼んでいた。ペチュニア達が“血の守り”に協力してくれているとはいえ、その効果範囲を過信するわけにもいかない。そしてその付添人はことハリーを守るということに関してはもっとも信頼できる人物の一人であった。最も、その人物とハリーとの相性は決して一筋縄ではいかないものであったが。
「やあ、なんでよりによってセブルスなのさ」
ロンドン地下鉄ピカデリー線との連絡口でハリーは開口一番無遠慮にそういった。
「まったく英雄殿は人をこき使って悪びれもせぬ。吾輩とてほかに適任者が存すればこのようなことはせぬ。しかしこのような場で相応しい装いや立ち振る舞いができるものはそうはいない。まったく吾輩の周りには碌な」
「わかったよわかったから。セブルスはしっかりしてるしなんでもこなしちゃうからみんな頼るんだ。そのベストもネクタイもイカしてる。悪の組織の幹部みたい」
「悪の組織云々は余計ですぞ英雄殿」
「次“英雄殿”ていったらセブルスのこと
「……まったく口の減らなさは父親譲りだなハリー。行くぞ、待ち合わせに遅れる」
「ペチュニア伯母さんにはあっていかないの?」
「時間がないのだ。それにMrs.ダーズリーも好んで吾輩に会いたいとは思っておらぬであろうよ」
セブルス・スネイプはつまらなそうにため息をつき、ハリーにチケットを渡すと速足で改札へと向かっていった。
ダイアゴン横町の入り口である漏れ鍋で、ハリーは尋ねた。
「こんにちはマスタートム、チャールズ・ポッターは来てる?」
「おおハリーさん。Mr.スネイプも、ようこそいらっしゃいませ。Mr.ポッターは2回の3号室にいらっしゃいます。そうじゃ、さきほどアイスティーとフィッシュアンドチップスのご注文が入りましたな」
「それ、持って行ってあげるよ。」
「助かりますな。ではこのシードルもおまけしましょう」
「そんな、僕だってお小遣いくらい持ってるよ。ガリオンでも、ポンドでも」
「まったくですな。子供を甘やかしては碌な大人にならない」
「いえいえ、もとより魔法界の英雄殿をただで小間使いのように扱ったとあってはマダムやご意見番の皆様に何と言われることやら」
「英雄だなんて、僕自身がなにかしたわけでもないのにね」
「そうかもしれません。しかしあなたがこれほどまで持て囃されるのはかの“例のあの人”への恐怖の裏返しでもあります」
ハリーはやれやれと言わんばかりにかぶりを振った。それくらいは許されるはずだと彼は思った。後ろでは“ハリー・ポッター”が来たと聞いてに一目会おうとする客たちがスネイプの突き刺さるような視線にすごすごと退散を余儀なくされていた。ハリーは二人分のアイスティーのグラスを見てチャールズが誰かと商談をしているのだろうと思った。
ハリーが料理の入ったトレーを持って個室に入ると、いつも以上に髪の毛をかき乱した彼の三従弟叔父のチャールズと、余裕綽々という風情でテーブルの上を見つめる金髪の紳士がいた。つまるところ、彼らはチェスをしていて、チャールズは敗色濃厚なのであった。
「叔父さんこんにちは。チップス持ってきたよ」
その言葉にチャールズと紳士はこちらに向き直った。
「ああハリー、2週間ぶりか。アンダルシアに行ってきたんだろ?少し日焼けしているな。楽しかったか」
「それなりにね。写真とお土産は家に送ってあるよ。それはそうと、そちらの金髪の紳士はどなた?」
金髪の紳士はハリーの言葉に応えた。
「ウィルトシャー・マルフォイ家のルシウスだ。ハリー・ポッター、魔法界の英雄殿、お会いできて光栄だよ。セブルスはホグワーツの理事会以来か」
丁重に、しかし言葉とは裏腹に微塵も感激した様子を見せずにルシウスは手を差し出した。
「ハリー・ポッターです。Mr.マルフォイ、以後お見知りおきを。」
ハリーは料理をテーブルに置いて握手に応じた。値踏みされるような眼差しは慣れたものだったが、ルシウスのそれはこれまでとは一味違う威圧感を伴っていた。ハリーは彼がセブルスが学生時代なぜか気に入られて世話になった人物だと聞いた覚えがあった。
「セブルスから話は聞いている。普段はマグル界で過ごしているとね」
言外にこちらのことは知らないだろうといわんばかりに口角をわずかに上げた。
「ええ、ずっとこちらの学校に通っていました。魔法界のことはいろんな人から教えてもらいましたけど、
「ほう、よくご存じのようで」
「よい先生に教わっていますので」
ハリーはセブルスのほうを見た。彼は素知らぬ顔をして周囲を警戒していた。
「意外だなセブルス。随分と慕われているようだ」
「御冗談を、これが起こす面倒ごとの後始末をさせられているだけです。常々吾輩が貴重な時間を割いて教えたことを悪用することしか考えていないのではないかと」
心外である、と言わんばかりに薬学教授は眉をひそめた。
「ふむ、血は争えぬというわけだな」
ルシウスの言葉にハリーは少々ばつが悪いとでもいうように眉間にしわを寄せた。
「そんなことより、叔父さんはMr.マルフォイと何かお話があったんじゃないの?」
「大した話じゃあないよ。これからホグワーツに通う子供を持つ保護者同士の、ちょっとした世間話さ。さてハリー、お楽しみのダイアゴン横町に行こうじゃないか。Mr.マルフォイはいかがされますか?」
「私は既に粗方の用事は済んでいる。息子も先日学用品は揃えたのでね、本日は失礼させていただく」
チェス盤を無言の消失呪文でかき消して、ルシウスは席を立った。セブルスの横を抜けて扉を閉めようとした時、思い出したように彼はハリーに言い放った
「ハリー・ポッター、君が名誉あるスリザリン寮に選ばれることを期待させてもらうよ」
と。