この愛しき空の世界   作:じぶよる

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グラルリ
君がいる証


「グラン、この銃って……」

よいしょ、と女の子にはやや重たいだろう大きさのライフルを両手に抱えて、ルリアが僕に聞いてくる。

僕はブルトガングという剣を、紫色の紋章が掲げられた区画の内、剣をしまうスペースに収納しながら、ルリアが差し出したそれを眺める。

「えっと、これはベネディーアだね。火の力を宿した銃だから、あっちだよ」

そう言って、僕は赤色の紋章が掲げられている別の区画を指差す。

「はい。わかりました!」

それなりの広さがあるこの武器庫を、重たいライフルを抱えてルリアがえっちらおっちらと歩いていく。

「大丈夫?その銃、先っぽに銃剣がついてるから気をつけてね」

「わ、わかりました!だ、大丈夫です!」

ちょっとどもりながら、ルリアはふらつきながらもさっきと変わらない元気な声で返事をした。

おぼつかない足取りで、ルリアは僕が示した赤色の紋章が掲げられた区画の前に行き、銃をまとめるスペースにベネディーアをまたよいしょと置く。

「ふぅっ」

一仕事終えましたっ。

と言わんばかりにルリアが元気なため息をつく。

それを聞きながら、それにしてもと僕は思う。

「やっぱり、普段から整理しておくべきだったなぁ……」

散らかり放題な武器庫を改めて見渡しながら、僕はやや後悔しながら頭を掻いた。

武器が宿している属性も、武器の種類も、この武器庫はその全てを無視して適当にあちこちに並べている。

水の力を宿した剣であるミュルグレスが、風の紋章を掲げたスペースの銃をしまうべき場所に立てかけられていたり。

光の力を宿した槍であるエデンが、土の紋章を掲げたスペースで弓と一緒に横になっていたり。

「そうですよ。整理整頓は、普段からちゃんとやっておかないと」

と、ルリアが咎めるような視線を僕に向ける。

「武器さんだって、騎空士のお仕事に使う大切な道具なんですから。ちゃんと整理して、お手入れもしてあげないと」

「さすがに使う武器の手入れはちゃんとしてたけどね……。あ、その短剣はこっちだよ」

「あ、はーい」

リユニオンという風の力を宿した短剣をルリアが手に持っていたので、それをどこに置けばいいのかを指さして教える。

教えながら、

(武器庫の整理をしたいなんて、軽い気持ちで言うんじゃなかったかなぁ?)

と、混沌たる有様となってしまった武器庫の中で、僕は若干の後悔を感じていた。

 

ルリアの言う通り、騎空士にとって武器はとても大事な商売道具だ。

武器なくして、騎空士の仕事は成り立たないと言ってもいいだろう。

冒険の中で魔物がうろつく危険な場所に赴くのは日常の事だし、依頼として魔物を退治するのなんてしょっちゅうだ。

そしてそんな魔物と相対した時に使う事になるのは当然、戦う手段である武器だ。

そうなれば、武器の管理と整理だって騎空士の仕事の一つになる。

どの武器がどこにあるのかをしっかり把握しておかないと、いざというときの対応が遅れてしまう。

なにせ、僕らが使う武器は一つではないのだ。

この空に数多ある武器を、戦う相手や状況に応じて、臨機応変に使い分けなければならない。

だからこそ、武器を保管するこの武器庫は、どこに何の武器があるかがわかるようにちゃんと整理しておく必要がある。

……必要があった。

「それはわかっていたはずなんだけどなぁ」

気がつけば、この武器庫は系統ごとに分けるという工程を踏まずに手に入れた武器を片っ端から放り込む空間に成り果ててしまっていた。

長い冒険の中でいくつもの武器を入手し、それらを整理もせず適当に並べていたら、いつの間にやらこんな有様になってしまったわけだ。

「だからそろそろ整理しなきゃ、って。グランが言い出したんじゃないですか」

「まあ、そうだけどさ」

グランサイファーと僕たちは、今日は一日お休みという事になっている。

で、今日は各々何をしようかという話になって、その話題の中で僕は確かにそんな事を言った。

その発言の結果として、今僕はルリアと一緒にここにいるわけだけど。

「うーん……」

この散らかり放題の武器庫を見ていると、正直、早くも面倒になってきた感は否めない。

そもそも、普段使う武器なんてもうある程度決まっているわけで。

それらは一応、どこに何があるかわかるようにはなっているわけで。

使わない武器は多分このままずっと使わないだろうし、もし使いそうになってもその都度探せばいいし。

だからなんか、もう整理とかしないでいいんじゃないかなぁ?

「だめですよ。使わない武器さんだって、ちゃんと整理整頓してあげないと、かわいそうです」

「いやぁ、でもさぁ」

と、ごねようとする僕に、

「ほら、私も手伝いますから」

ルリアが眩しく微笑む。

そしてそんなきれいな笑顔を向けられてしまった僕は、

「……わかったよ」

これ以上子供のようにごねる事はできなかった。

まあ、武器の整理はしなければならないことだし、何よりこれは僕が自分から言いだした事だ。

団長として、というより一人の人間として、言ったことにはきちんと責任を持つ必要があるだろう。

僕たちは武器を一つ一つ検分して、然るべき場所に収納していく作業を再開する事にした。

 

 

「グラン。これは?」

ルリアが金色の杖を手に持って僕に見せる。

「ああ。それはガンバンテインだよ。光の力を宿した杖だね」

その杖が宿す力をルリアに教えながら、僕は赤色の紋章が掲げられた区画の前で、イクサバという火の刀を収納する。

「はいっ」

そう言って、ルリアは金色の紋章が掲げられた区画にガンバンテインを持ってとことこと歩いていく。

ルリアは武器の事をほとんど知らないため、こうしてどこに置けばいいか教えてあげる必要がある。

(……あれ?ルリアは武器のことをほとんど知らない?)

僕は自分の思考に自分で疑問を覚える。

ルリアが武器の事を知らないなんて、そんなわけないはずなんだけど。

「……ルリアってさ」

僕はルリアに声をかける。

「はーい?」

「確か、僕らが手に入れた武器の記録もつけてたよね?」

「……ぎくっ」

「それにしては、さっきから武器のこと全然知らないみたいだけど」

「ぎくぎくっ」

痛いところをつかれましたっ。

と言わんばかりに、わかりやすくオノマトペを口に出して動揺するルリア。

(ああ)

その反応で、僕は全てを察した。

(忘れちゃったんだな……)

記録は付けていても、その情報は頭の中に入っていないのだろう。

まあ、考えてみれば、そもそもルリアは武器を使うような女の子じゃない。

いくら記録していても、使わなければその情報だってどんどん忘れていってしまうだろう。

「ごめん、なんでもないや」

そう言って、僕はこの話を打ち切った。

「ほっ……」

安心したようにルリアが胸をなでおろして、今度は近場にあったエーケイ・フォーエイという銃を腕に抱える。

「あ、グラン。これは?」

「あ、それは土の銃だね」

「はーい」

と、ルリアはまたえっちらおっちらと茶色の紋章が掲げられたスペースまで歩いていく。

「ルリア。銃を持つ時はトリガーに触れないようにね。あと、刃が剥き出しになってる武器は、自分の手を切らないよう、特に気をつけて」

「はい、わかってます」

「あと、重くて持てそうにない武器は無理しないでいいからね。そういうのは僕がやるから」

「わかりました!」

そんな風に改めて注意事項を説明すると、ルリアが元気よく返事をする。

そうして、僕らはしばらく武器の整理整頓に没頭した。

武器が立てる、がちゃがちゃとやかましい音がしばらく武器庫に響いて、

「……あ」

「ん?」

サティフィケイトという光の力を宿した斧をしかるべき場所に置いていると、ルリアが何かに気付いたような声を上げた。

「……あ、あの」

見れば、何やらルリアが手を止め、顔を赤らめている。

「……?どうしたの?」

僕は首を傾げて尋ねる。

「あ、あの。えっと」

ルリアは妙にどもりながら、

「ビ、ビィさんがいないのって、珍しいですよね……」

そんな事を言った。

「ああ。確かにそうかもね」

僕はパラゾニウムという闇の短剣をしまいながら、

「カタリナと島に降りてるんだよね」

「は、はい」

いつも僕とルリアの間をやかましく飛び回っているビィだけど、今その姿はない。

僕はさっき言った通り武器庫の整理をしたいと言って、ルリアもそれを手伝うと言ってくれた。

で、普段だったらビィも僕たちの手伝いをしていただろうけど。

「こ、この島の、果樹園に、カタリナと一緒に行ってくるとかなんとか」

そんな理由で、今日のビィは僕らと別行動だ。

「果樹園っていうか、リンゴ農園でしょ?」

今停泊しているこの島には、かなり大規模なリンゴ農園があるらしい。

そして、そこでは収穫の体験までやらせてくれるそうだ。

それを聞いて、あいつは一も二もなく、

「オイラ行きてぇ!」

と言い出して、それにカタリナが一緒に行ってくれる事になった。

迷惑かけてなければいいけど、と僕は苦笑する。

「まったく。あいつも、どんだけリンゴが好きなのやら。……あ、その楽器はこっちだよ」

「あ、はい……」

ルリアがウン・ハイルという楽器を持っていたので、置くべき場所を教えてあげる。

ウン・ハイルは闇の力を宿している。

僕は同じく闇の力を宿したパラゾニウムをしまうため闇の武器を置くスペースにいたので、必然的にルリアが僕のすぐ近くに来ることになる。

「あ……」

すると、すぐ近くのルリアが口ごもって、

「あうう……」

ますます顔を赤くした。

「……?どうしたのさ、ルリア」

何やら様子がおかしいので、またそう尋ねてみると、

「あ、あ、あの!」

「……?うん」

「ビ、ビィさんって、昔からりんごが好きなんですか!?」

妙に力の入った口調でそんな事を訊いてきた。

まるで言うべきことをごまかすかのように別の話を振ってきたようで、僕は少々違和感を感じながらも、その質問に答えた。

「昔からだよ。もう、僕がちょっと引いちゃうくらいね」

「ひ、引いちゃうくらい?」

「うん。昔ね、『オイラ、これからずっとリンゴだけ食べて生きる』とか言いだしたことがあってさ」

何言ってんだよビィ、って冗談だと思った僕は笑ったけど、あいつは本気の目をしていた。

「絶対飽きるし体に悪いからやめなよ、って言ったけど、あいつ本当にしばらくリンゴしか食べなくなってね」

ちなみに、そのビィの挑戦は十日ほどで断念することになった。

「も、もう無理だ……オイラしばらくリンゴは見たくねぇ……」

とはあの時のビィのセリフだけど、そもそもそんな無謀な挑戦がよく十日も続いたものだ。

イッパツさんじゃあるまいし。ずっと同じものだけ食べ続けるなんて、いくら好きな食べ物でも無茶だって。

「そ、そうなんですか、あはは……」

そんな話をすると、ルリアが愛想笑いともつかぬなんとも微妙な笑みを浮かべている。

そして、やっぱりその頬は赤い。

「ルリア、どうしたのさ?具合でも悪い?」

さっきから、ルリアの様子がおかしい。

熱でもあるのかな?

と、ルリアの額に手を当てようとすると、

「はわっ!?」

ものすごいリアクションと共に、ルリアが後方に後ずさった。

「あ、ご、ごめん」

僕は驚きながら、男が女の子に不用意に触れるものじゃなかったな、と思って謝る。

「あ、いえ、ご、ごめんなさい……」

すると、ルリアも謝った後、肩を落としてしまった。

「……?」

さっきから、本当にどうしたのだろうか。手も止まっちゃってるし。

「どうしたの?」

僕はルリアに向き直り、改めてそう訊く。

その顔はやっぱり赤い、というか、さっきより赤くなっている気がする。

「体調が悪いなら、無理しなくていいよ。部屋で休んでても……」

「そ、そういうことじゃないんです!私は元気です!元気ですけど……」

声が途中からしぼんでしまい、ルリアが恥ずかしそうにうつむく。

しばらく沈黙があって、やがて意を決したように、

「あ、あああ、あの」

ルリアが顔を上げて僕の方を見た。

その声が盛大にどもっていたものだから、

「う、うん」

釣られて僕の方もどもってしまう。

「ビ、ビィさんが私達の間にいないのって、あんまり、ないですよね……?」

そして、さっきと同じようなことをルリアが言った。

僕は首を傾げて、

「ん?うん、確かに珍しいと思うけど」

「え、えっと……なら……その……」

ルリアが再びうつむいて、

「あの、今、私達って、二人っきりなんだな、って……」

そんな事を言った。

「……あ」

武器庫が静かになった。

というか、少し時間が止まった気さえした。

小さな窓から差し込むのは、明るい太陽の光。

外から微かに聞こえるのは、穏やかな小鳥のさえずり。

鼻を刺すのは、武器庫のすえた匂いと、そしてルリアの甘い……

「そ、そうだったかな?あはは……」

邪な考えを振り払いながら、今度は釣られたのではなく自然にどもりながら、僕は不自然に笑う。

「そ、そうだったりですかねぇ?あ、あはは……」

よくわからない文法を使って、ルリアも不自然に笑う。

「え、ええと……」

「あ、あの……」

何を言ったらいいのかわからず、僕らはお互いに見つめ合い黙ってしまった。

確かに、そうだ。

ルリアと二人になるなんて、この所ほとんど、というか全くなかったんじゃないだろうか。

僕とルリアが一緒にいる時は、ほぼ間違いなくビィも一緒にいる。

それが当たり前だったし、考えてみれば僕もさっきまでビィがいるような感覚でルリアと話をしていた気がする。

だったけど、そうではなかったわけで。それを僕はルリアに言われて今気づいたわけで。

「な、なんか。あれだね」

「な、なんです?」

「い、意識、しちゃうね……」

「は、はい……」

お互いにうつむいて、お互いに顔を赤くして、お互いに黙りこくってしまう。

いたたまれなくなった僕は、

「か、片付けの続きをしようか……」

そう言う他がなく、

「そ、そうですね……」

うつむいてそう言ったルリアの指が、ふ、とある短剣の柄に触れた。

ルリアはそれを手に持ち、

「グ、グラン。これは……?」

僕にそれを見せ、どういう武器なのかを訊いてくる。

「あ、ええと。そ、それはね……」

薔薇の装飾をあしらった、風の力を宿す短剣。

ロゼッタから受け取ったその短剣の名前を、僕は何も考えず、というか何も考えられずに口にした。

「エ、エターナル・ラヴって言うんだ。風の力を宿している短剣で……」

そこまで言ってふと見ると、ルリアがさらに顔を真っ赤にして震えていた。

「ら、らぶ。えたーなる……」

耳まで真っ赤にして、その短剣の名前をぶつぶつと呟くルリア。

「す、すす、すごい名前ですね、こ、この武器さん……」

エターナル・ラヴ。

永遠の愛、とでも言うのだろうか。

この空気の中で、なんて名前の武器を手に取るんだよ、ルリア……

 

――ああでも、この短剣を渡す時のロゼッタ、ちょっと悲しそうな顔をしてたなぁ。

この短剣に何か思い入れがあるのかな?相変わらず、ロゼッタは詳しく話してくれないけど。

女は秘密が多い方が魅力的とか何とか言って。それは僕にはまだわからない考え方だなぁ。

 

なんて、別の事を考えながらどうにか自分を落ち着かせようとしていると、

「こ、こここれ、お、置いてきますねっ!」

震えながらルリアが駆け出そうとする。

「あ、ルリア、ちょっと待って……!」

危ない、と反射的に思った僕は、ルリアを制止する。

 

――武器とは、すなわち何かを傷つける力だ。

何か、とは相対した敵だけではない。時に、その力はその持ち主を傷つけることもある。

取扱いに不慣れだったり、過剰に動揺している時なんかは特にそうだ。

初陣の兵士があまりの緊張で剣を自分の足に落としてしまい、敵と刃を交える前に怪我をしてしまった、なんて話もある。

剥き出しの刃は、持ち主の未熟と動揺を簡単に反映する。

 

今のルリアに武器は持たせられない。と思った僕は彼女を制止しようとしたんだけど、

「いたっ」

どうやら遅かったらしい。

小さな悲鳴が上がって、がしゃんとエターナル・ラヴが床に落ちる。

ルリアの体の震えは当然、手に持ったエターナル・ラヴに伝わっていて、そしてその切っ先にはルリアの指先があった。

僕は慌てて駆け寄りルリアの手を取る。

ルリアが指を切った瞬間、自分の指も若干疼くような感覚があったが、それは今意識することでも考えることでもない。

「だ、大丈夫!?」

ルリアの白い指。そこに赤い線が一筋入り、見ている間に血がどんどん滲んでいく。

「あ、ご、ごめんなさい。大丈夫です、このくらい」

「大丈夫じゃないって」

「へ、平気です。こんなの、大したケガじゃないですし」

僕は指先に走った傷口をよく確認する。

見る限り皮を薄く切ったくらいの切り傷で、確かに大きな怪我ではなさそうだ。

だが、そういう問題じゃない。

「大した怪我じゃなくても、ちゃんと消毒して手当てしないと」

「……消毒?」

「そう。消毒しないで放っておくと、そこから菌が入ってひどい怪我になったりする事もあるから」

「消毒……」

「待ってて。今救急箱を持ってくるから」

「……消毒……しょうどく……」

武器庫に救急箱は置いていない。

僕はすぐさま置いてある部屋に駆け出そうとすると、

「あ、待って……」

何故かその袖が掴まれた。

「な、なに?」

「あ、あの」

「どうしたのさ」

「しょ、しょうどくなら……」

「うん。だから、今救急箱を持ってくるから」

「ぐ、ぐらんにしてほしいなぁ……」

「……え?」

「な、なんて……」

えへへ、とルリアは笑おうとしたのだろうが、その笑顔は引きつり顔は耳まで真っ赤になっている。

おかげで、すぐに救急箱を取って来なければならないはずの僕は、そのままその場に佇んでしまう。

「え?な、なに?いまなんて言ったの?」

聞かなかったことにしてそのまま行けば良いものを、僕は問い返してしまった。

そして問い返されたルリアは、

「だ、だから、消毒なら、グランにして欲しいなぁ、って……」

そんな蚊が鳴くような声でいった。

いや、蚊だってここまで消え入りそうな声を出すだろうか。

そのくらいの小声だったけど、僕の耳にははっきりと届いた。

「え?その、それって、その、ど、どういう意味?」

僕に消毒薬をかけて欲しいってこと?

でも、多分そういう意味ではないんだろうな、と思っていれば、

「しょ、消毒って、な、なめてあげても、いいんですよね……?」

案の定、ルリアがそんな事を言う。

「ま、まあ。そうも言われてるけどさ……」

民間療法だけど。あんまり推奨される消毒のやり方ではないんだけど。

「な、なら」

す、とルリアが指先をおずおずと僕に差し出してくる。

そして、そのまま真っ赤になってうつむいてしまった。

「え、ええと。つまり」

僕になめて欲しいってこと?

と、恥ずかしくてそこまで言うことはできず、おずおずと自分を指差すくらいしかできなかったけど、

「そ、そうです」

どうやら言わずとも言いたいことは伝わったようだった。

「で、でも、そ、そんな事……」

いきなりこんな事をお願いされて、僕はどう応えたらいいのかわからずに口ごもってしまう。

おろおろと情けなくさまよう僕の視線が、ふと、ルリアの傷口に向いた。

「……あ」

真っ赤に滲んだ、白い指先。

(……血だ)

そんなやり取りをしている間にも、ルリアの白い指先はどんどん赤く染まっていた。

破れた皮膚から、生命の証たる血液がにじみ出る。

今生きている。それを証明する液体。

(……ルリア)

僕は思い出す。

自分のことがわからない、と不安そうに言うルリアの顔を。

「……グラン?」

でも、この流れる血は、彼女が確かに生きていることの証で。

わからなくても、それでも確かに、流れ出るこの赤い液体は、ルリアがここにいる事を示していて。

いや、この液体が例えば青色だったり緑色だったりしても、あるいは何も流れていなくても。

それでも、ルリアはここにいる。今、確かにルリアは生きている。

自分がわからなくても、不安でも、それでもルリアはここにいるんだ。

「……ルリア、痛む?」

僕はそう訊いた。

不思議と、その言葉はさっきまでみたいにどもったりつっかえたりしなかった。

「あ、いいえ。痛みはないんです。不思議なことに」

「本当に?」

「はい。切った時にちょっとちくっとしただけで、今は全然痛くないんです」

本当に痛みを感じていないのか、気を遣って痛くないふりをしているのかは、僕にはわからない。

でも、それはどちらでも良いと思った。

少なくとも、僕の目には苦痛を感じていないように見えるし、僕の指先も痛みを感じていないけど、それはどちらでも良い。

それはルリアの心の話で、僕がわかることじゃない。

それよりも、僕はルリアの生を感じたいと思った。

彼女が生きている証を、直接感じたいと思った。

そしてルリアがその行為を許してくれるなら、拒む理由なんて無い。

「……いいの?なめても」

僕は赤く染まった白い指先に顔を近づけて、最後の確認をする。

「は、はい。なめて、消毒してください」

僕の目的はすでに傷の消毒ではなくなってしまったのだけど。

それは言わなくても良いことだと思った。

代わりに、

「かえって、毒がついちゃうかもね」

僕は皮肉と自嘲を込めて、苦笑しながらそんな事を言った。

「ふふ。そんなこと、ないです……」

目を細めて、ルリアが微笑む。

「……ありがとう。それじゃ……」

「は、はい。お願いします」

僕は静かに、ルリアの白い人差し指を、口に含んだ。

「んっ……」

ぴくん、とルリアがかすかに震える。

僕はそっと舌を傷口に這わせて、ルリアの生の証を舐め取る。

それは何の味もしないようで、すこし甘いようでもあった。

「痛い?」

指を咥えながら訊いた。

「ううん。痛くない」

その声からも顔からも苦痛を感じている様子はなく、僕の指先も何一つ苦痛を訴えていない。

普通、傷口に触れられればどうあれ痛むものなんだけど。

「本当です。自分でも不思議なくらい、全然痛くないんです」

「……そっか」

なら、もう少し欲張ってもいいかもしれない。

もっと、ルリアの生を感じてもいいかもしれない。

僕は少し口をすぼめて、傷口から血を吸い取る。

「あ」

ちょっとびっくりしたようにルリアが声を上げる。

でも、やっぱり苦痛を感じている様子はなかった。

そして、吸い取ったその血は、やっぱり何の味もしないようで、少し甘いようでもあった。

「グラン……」

ぽそっ、とルリアが僕の名前を呟くのを聞きながら、僕はその行為を続けた。

 

 

どれくらいそうしていただろう。

ほんの数十秒か、数分か、数十分か、あるいは数時間のようにも思えた。

まあ、多分数分もいかないくらいの時間だとは思うけど、僕にはどのくらいだったのかはよくわからない。

とにかく、いくらかの時間の後、自然と僕の口はルリアの指から離れた。

「……」

「……」

なんとなく、僕らは見つめ合って、

「どう?」

と、ルリアの傷口に注意を向ける。

「あ、はい。血も止まったみたいですね」

傷口を確認しながら、ルリアが言う。

「そっか。ちょっと見せてくれる?」

「はい」

そう言って、ルリアは人差し指を僕に向ける。

確かに血はもう滲んでおらず、うっすら赤い線が入っているだけで、もうすっかり綺麗になっていた。

と、僕はその指がてらてらと濡れて光っているのに気づいた。

言うまでもなく、僕の唾液によるものだ。

「ちょっと待って」

僕は懐からハンカチを取り出して、その唾液を拭く。

「あっ……」

ルリアがちょっと寂しそうな声を出したのは、僕の気のせいかもしれないし、気のせいじゃないかもしれない。

でも、どうあれこのまま濡れたままにしてはおけない。

唾液を拭き取って、僕はふと、ある事に気づいた。

「……治そっか?これ」

このくらいの怪我なら、簡単に治す術を僕は持っているじゃないか。

「へ?」

きょとん、とルリアが僕を見つめる。

「ちょっと待ってて」

僕が騎空士として、そしてその冒険の中で身につけた、いくつもの術。

その中には、怪我を治療する術もある。

「――――」

軽く魔力を編んで、簡単な癒やしの術を紡ぐ。

「……あ」

魔力がルリアの指先を包んだかと思うと、あっという間にその指からはうっすらとした赤い線すらもなくなった。

「……」

「……」

また、僕たちは見つめ合った。

「最初から、こうすればよかったね」

「そうですね」

「なにやってたんだろうね、僕たち」

「さあ?……あ」

何かに気づいたように、ルリアがはっとなる。

「どうしたの?」

「……考えてみたら」

「うん」

「私も、こういうことできるんでした……」

「あ……」

ルリアは不思議な力をいくつも持っている。

その中の一つに、怪我を治療する力がある。

人を癒やす、水の力。

「……」

「……」

少し間があって、やがて僕たちは二人して笑った。

「本当に、何やってたんでしょうね、私たち」

くすくす、とルリアが笑う。

「そうだね、あんな大騒ぎする必要なんてなかったのにね」

僕もくすくすと笑う。

しばらくそうして笑い合って、

「……続けよっか」

未だろくに整理されていない武器庫を見渡して、僕は言った。

「そうですね」

僕はミュルグレスという剣を手にとって、然るべき場所に移動させる。

ルリアが微笑みながら、床に落ちていた一つの短剣を手にとった。

薔薇の装飾があしらわれた、美しい短剣。

「……ごめんなさい。そして、ありがとう」

ルリアがその短剣に向かってそっとそんな事を言って、僕は聞こえないふりをしながら言った。

 

 

「ルリア。そのエターナル・ラヴは、あっちの風の紋章が掲げられたところに……」

「はーい。わかってまーす」

「また切らないようにね」

「ふふ、わかってますよーだ」

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