時々、あたしは夢の中で、これは夢だと気づくことができる。
って言うと羨ましがる人もいるのかもしれないが、あたしにとってこれは誇れる特技でもなければ、喜ばしいことでもなんでもない。
なんでかと言うと、まずあたしは夢を夢と気づくことができるだけで、別にその夢を自分の意思で操作できるわけではないのだ。だから、あたしはそれがどんな夢だろうと、何もできずにただ見ていることしかできない。
そしてもう一つ。こっちの方がよっぽど厄介なことで……あたしが夢を夢と自覚している時に見る夢は、必ず、間違いなく、嫌な夢なのだ。
つまり、あたしは嫌な夢を見ている時、それが夢であると気づきながら、その内容を変えることはできずにただ目の当たりにすることしかできない、ということである。
だからまぁ、ろくなもんじゃない。と、自分では思っている。
で、その日の夢はこうだった。
場所はどっかの草原。時間は昼くらいで、太陽の光がやけに熱い。
その草原で、バザラガが地面に倒れ伏している。
そいつは仰向けで、やたらにでかいその胸にドでかい穴が空いていて、そこから血がだくだくと流れては、草むらに真っ赤な水たまりを作っている。
バザラガは動かない。身体はデカいくせにずいぶん小さくなった吐息だけが、妙に生々しく耳を震わせる。
誰がどう見ても、もう手遅れだった。
ちなみに、誰にやられたのか、とかそういうことはわからない。夢だからね。
で、そんな死に際のバザラガ。その傍に、あたしがいる。
ああ、いや、正確には夢の中のあたしか。
あたし自身は例のろくでもない特技のせいで、ただそれを見ているだけ。もちろん、内容は変えられない。
酷い夢だってのに、あたしはそれを何もできずに見守ることしかできない。
夢だって自覚だけはあるのにね。ほんと、ろくでもない特技だわ。
「バザラガ」
と、夢の中のあたしが言った。
ずいぶん弱々しい声で、夢を見ているあたしはなんだか情けなくなったが、まぁ仕方ないか、とも思った。
だって、死ぬんだもん。バザラガが。
腐れ縁で、全然自分のことを大事にしようとしない面倒な奴で、しょっちゅうやきもきさせられて……
それでも、いなくなるのは嫌な奴なんだから。
そりゃ、弱くもなるわよね。
――ひゅう
という音が聞こえた。
風の音かと思ったが、そうじゃない。
死にかけのバザラガが、微かな呼吸を口から漏らしている音が、まるで風の音のようにひゅうひゅうと鳴っているのだ。
あたしも何度となく聞いたことがある、致命傷を負って死にかけている人間が発する音。
夢の中でまで聞きたい音じゃないのだが、無論あたしにはどうすることもできない。
で、それを聞いたからか、それともずっとそうしたかったのか。
夢の中のあたしがひざまずいて、バザラガの手を取った。
血塗れの大きな手にはまだ温度があり、だけどそれもすぐに消え行くのだろう。
ぼんやり、あたしはそんなことを思っていると、
「ゼタ」
ごぽり、と真っ黒な鎧兜の隙間から首元に盛大に血を溢しながら、バザラガがあたしの名前を呼ぶ。
こんな時くらいその面妖なもん外しなさいよ、と思ったが、やっぱりあたしにはどうしようもない。
「俺は」
バザラガが何かを言いかける。
で、夢の中のあたしはと言うと、
「……」
どうやら、泣いているらしい。
バザラガの手を握りしめたまま、見ていてかわいそうになるくらい、悲しそうに泣いている。
「お前に」
バザラガが言った。
いつもの低い声で、死に際に、何かを言おうとしている。
ぐ、とあたしはバザラガの手を握りしめて、その言葉の続きを待っていて、
そこで、目が覚めた。
◆
「……最悪」
頭が痛い。
額を抑えながら、上体を上げる。
酷い夢の世界から帰還したあたしを迎えたのは、安宿のこれまた酷くボロい部屋の中。
顔が割れていないこの島で宿を取れたのは幸運だったが、それでもせめてもう少しいい部屋で眠りたかった、と思う。
こんな寝心地の悪いガチガチのベッドで寝たからあんな夢を見たのかもしれないが、まぁ、指名手配の身で贅沢は言えないか。
「起き抜けに」
と、
「随分なご挨拶だな」
むっつりとした低い声が、横から聞こえた。
ボロボロのベッドから横を見れば、見慣れた黒い鎧兜が、床に座ってこちらを見ている。
「あ……」
思わず、あたしは小さく声を上げてしまった。
「……バザラガ」
いる。バザラガが。
死んでない。生きてる。
喋ってる。ちゃんと、ここにいる。
(……って)
何をほっとしているのか、あたしは。
とっくに夢は覚めてるってのに、いつまで夢心地の気分でいるつもりだっての。
「流行ってんのよ、最近はこういう挨拶が」
適当なことを言って、あたしは今の感情を誤魔化そうとする。
生きているあいつの顔を見た瞬間安心してしまった自分が、なんだかどうにも情けなかった。
見た夢を引きずるほど、弱い人間じゃなかったつもりなんだけど。
「最悪という朝の挨拶がか?」
「そーよ。あんたも今度から使ってみれば?」
「それこそ最悪だな。俺は普通の挨拶で結構だ」
「はいはい、そうよね」
愚にもつかないやりとりをしながら、ふと目尻から頬に手を触れてみれば、
「……」
そこは、何故か濡れていた。
(やめてよ、もう)
バザラガに気取られないよう、それをすぐに拭い、
「ねえ、今何時?」
あたしは薄い毛布をどけて、やたらにきしむベッドに足を投げて腰掛ける。
「ああ、六時を少し過ぎた頃だ」
と、壁掛けの時計を見てバザラガが言う。
「チェックアウトまでは、まだ時間があるな」
「そうね。なら、時間になったらすぐに出ましょ」
「ああ」
もう少しここで時間を潰して、そうしたらすぐに別の島に発とう。
いつどこから賞金稼ぎが襲ってくるかもわからない。顔が割れていない様子の島とはいえ、同じ所に長居は無用である。
追われる身というのは辛いものだ、と思っていると、
「で、どうした?」
バザラガが口を開いた。
「なにがよ」
「目覚めの様子がおかしかったのでな。悪夢でも見たのではないか、と」
「…………」
――あんたが死ぬ夢を見たのよ。
なんて、言えるかそんな事。
ていうか大体、悪夢を見たってのがわかってんなら、
「わざわざ聞かないでよ、んなこと」
おかげで、こっちはまだ頭痛がするんだから。
「そうか。それはすまなかった」
と、バザラガが謝ったかと思うと、
「泣くほどの悪夢だったようだからな。しかもうわ言で俺の名前を呼ぶくらいだから、まさか俺が死ぬ夢でも見ていたのか、と少し心配していたのだが」
そう続けやがった。
「……」
バレていたらしい。泣いていたことも、夢の中でこいつの名前を呼んでいたことも。そしてどういう夢を見ていたのかも。
「当たりか」
あたしの反応を見て、どうやらこいつは自分の推測に確信を持ったらしい。
「うっさい」
カマをかけやがったこいつが腹立たしく、あたしは露骨に顔をしかめてやる。
おかげで、ちょっと思い出しちゃったじゃないの。さっきの夢。
夢でも現実でもロクなことしないわこいつ、と恨めしげに思っていると、
「……すまん」
バザラガが、申し訳無さそうな声を出した。
どうやら、あたしはしかめっ面をしたつもりだったのだが、別の表情を出していたらしい。
多分、それは泣きそうな表情だったのだろう。
あたしがそれに気づいた時にはもう遅く、
「悪かった。少し気になっただけだったのだが、取り立てて聞くべき事ではなかったな」
バザラガに、素直な調子で謝られてしまう。
「急にしおらしくならないでよ」
調子狂うでしょ、とあたしは憎まれ口を叩いて、
「夢の話よ、それだけ」
そう言って、この話題を無理矢理に打ち切った。
「……ああ」
バザラガがそう相槌を打って、部屋が静かになる。
カーテンは締め切っているので、朝日の光は遮られ、ここにはほとんど届いていない。
「……」
静かな薄暗い部屋で、あたしは考える。
いや、静かになってしまったので考えざるを得なくなったと言ったほうが正しいか。
もちろん、考えざるを得なくなったのは、さっきの夢のこと。
確かに、あれは夢だった。あたしが勝手に作り出した幻想の世界だ。
けど、でも。
あたしたちは、お互いにいつ死んでもおかしくない身の上だ。
戦いの中に生きる者の宿命で、いつかどこかでああなる日が来る。その可能性は常にある。
そしてその時、多分だけど、バザラガの方があたしより、いや、誰よりも先に死ぬんじゃないかと思う。
だって、こいつ無鉄砲だし、向こう見ずだし、未だに自分を全然大事にしようとしないし。
だから、
「ねえ、バザラガ」
あたしは、言ってみようと思った。
どうせ、こいつがどう答えるかなんてわかってるけど、それでも。
こういう時くらいにしか、言えないから。
「なんだ?」
バザラガがこちらを向く。
黒い鎧兜に覆われたその顔は、あたしにはわからない。
「あのさ、ちょっと変なこと言うけど、いい?」
「……構わん。なんだ?」
あのね、とあたしは言って、
「あたしよりも、先に死なないでよね」
「……」
しん、と部屋がまた、さっきよりもずっと静かになる。
しばらく、時間があった。
そして、
「悪いが」
バザラガが、あたしの思った通りのことを言った。
「それは、できん約束だ」
返答はわかっていたので、
「だよね」
あたしは苦笑して、そう答える事ができた。
わかってたから、それは、別にいい。別にいいんだ。
「あと、さ」
「……?」
それより、もう一つ。あたしは気になったことがあった。
あの夢の続き。あいつは、あたしに何かを言おうとしていた。
ゼタ、俺は、お前に……その続き。
「もし、あんたが……」
――死ぬ前に、あたしに言い残すことがあったら、なんて言う?
「いや、ごめん。やっぱなんでもないわ」
あたしはひらひらと手を振って、そう言った。
多分聞けば答えてくれただろうけど、
「……そうか」
なんだか、もっと悲しくなりそうだったから、やめた。
「ふぅ」
あたしは一つため息をついて、
「ところで、朝ごはんどうする?なに食べたい?」
全然関係のない、どうでもいい話を始めることにした。
「ん……ここを出た後か?」
「そ。早いけど、やってるお店くらいあるでしょ」
「そうだな。俺は別になんでもいいが」
「うわでた、なんでもいい」
「なんだ、文句でもあるのか」
「自分で決められない男はモテないわよ」
「大きなお世話だ」
「はー、仕方ないわねぇ。じゃあ、来た時に見つけた……」
なんでもない雑談が続いて、ボロい部屋に響いて消えていく。
多分、そのくらいでいい。こんな適当な話をしているくらいで、丁度いい。
あるかもしれないけど、どうにもならないことの話なんて、もうしなくていい。
あたしも、きっと、バザラガも。
そう思ったから。