「愛しいあなた。こうなれば、私はあなたの国の民を一日に千人は縊り殺しましょう」
「愛しい妻よ。お前がそんなことをするのなら、俺は一日に千五百の産屋を作ってみせよう」
◆
「よく知ってるじゃない」
よく晴れた春の昼下がり。
移動中の騎空艇の甲板に、穏やかな風が流れている。
「なんなのだ、いきなり」
満足そうに微笑んでいるゼタに、ふぅ、と隣のバザラガがため息をつく。
移動時間の退屈しのぎに、ついさっきまでは適当な雑談をしていたはずなのだが。
それがふと途切れたかと思えば、彼女は急に妙に大げさな声色で妙なことを言い出した。
「東の島の神話か」
暖かい日差しの中で、バザラガがむっつりと言う。
「そ。ミリンちゃんの故郷の。なんか急に思い出してさ」
「思い出すのはいいが、それを脈絡なく口に出されても困る」
「だって、乗っかるなんて思ってなかったし?」
「……ふん」
鼻を鳴らすバザラガに、
「ていうか、あんたよく知ってたわね」
二つに結んだ金髪を柔らかい風になびかせながら、ゼタが言う。
「こっちの空域じゃ、そんなに知られてない話のはずなんだけど」
「そうでもない。俺も、昔読んだことがある」
とバザラガが少し考える素振りをして、
「今のは、確か、国作りをした夫婦の神が最後に離別する際のやり取りだったか」
「そうそう。恥かかせたあんたのこと呪ってやるわー、もうあんたとはお終いだわー、ってとこ」
あっけらかんとした調子で、ゼタが物騒な事を言っている。
いきなり東方神話のごっこ遊びを仕掛けてきた理由も謎なら、そんな物別れの場面を選んだのも謎である。
「やるならば、もう少しまともな場面があっただろう。縁起でもない」
呆れたようにバザラガがそう言うと、
「あら」
何故か、ゼタが嬉しそうな顔をする。
「なになに?今なんて言ったの?」
「なんだ」
「縁起でもない、って聞こえた気がしたんだけど?」
妙な笑顔を作って、ゼタがまとわりついてくる。
「からかうな」
むっつりとそう言うバザラガ。
「あはは、ごめんごめん」
けらけらと笑うゼタ。
何をそんなに楽しそうにしているのか、とバザラガは少し気になったが、
「あたしさ、あそこが一番印象に残ってたのよ。子供の頃読んだ時にさ」
ゼタが別の話題を出したので、その思考はすぐに流れた。
「ほら、あの夫婦の神様って、最初はいい感じだったじゃない?一緒に島とか作って、神様とか産んでてさ」
「ああ。だが、妻の方の神が火の神を産んだことで」
バザラガが、続きを口にする。
「そそ。その火傷が元で死んじゃうのよね」
「そして、妻を諦めきれない夫は死後の世界……東方では黄泉の国と言い伝えられていたか。そこまで赴くのだが」
「奥さんはもう元の世界には戻れないって言うのよね。なんでだっけ?」
「黄泉の国の食べ物を食べてしまったから、だ。だから一緒には行けないと夫に告げる」
「そうそう、それそれ。それで、でもなんとかならないか、ここの神様に相談してみるって言うんだけど」
「その間、決して自分の姿を見ないで欲しい、と妻は夫に告げる。が……」
「旦那さんはその約束を破って、奥さんの姿を見てしまう。するとそこには」
「身体中に蛆がたかり腐敗した、変わり果てた妻の姿がそこにいた。夫はそれに戦慄し、大慌てで逃げ惑う」
「よくも私に恥をかかせたわね!って叫びながら、奥さんは旦那さんをものすごい形相で追いかけて……」
「なんとか黄泉の国の入り口にたどり着いた夫は、そのまま入り口を巨大な岩で塞ぐ」
「そして、追いついた奥さんがその岩越しに」
んん、とゼタが咳払いをして、
「愛しいあなた。こうなれば、私はあなたの国の民を一日に千人は縊り殺しましょう」
と、神妙そうな、妙に大げさな声音で言った。
「……」
「ほらほら、続き続き」
「そこは今さっき付き合ってやっただろう」
「いいからいいから」
はぁ、とバザラガはため息を付き、
「愛しい妻よ。お前がそんなことをするのなら、俺は一日に千五百の産屋を作ってみせよう」
と、いつもどおりの声音で言った。
「うん、よろしい」
満足そうなゼタ。
「……ここが印象に残ったのか?」
ややうんざりした感じで、バザラガ。
「うん、そう。だって」
目を細めるゼタ。
「なんか、切なくってさ」
春風が流れて、彼女の金髪を少し揺らした。
「あんなに一緒にがんばってて、あんなにちゃんと愛し合ってたのに、こうなっちゃうんだな、って」
しんみりとした口調で、言う。
「……そうだな」
バザラガは少し考え、
「このエピソードは、生と死の寓話であると言える。が、男の身勝手さ、あるいは女の恐ろしさを表現しているとも言える」
「うん」
「男女の仲というのは生半なものではなく、まして平気で約束を破ってしまえばこうなる……という教訓を、我々に伝えているのかもしれんな」
バザラガがそう結んだ。
「怖いわよねぇ、恋愛沙汰って」
ほう、とゼタが息をつく。
「だろうな。俺にはあまりピンと来ないが」
「でしょうね」
くす、とゼタが笑って、
「ねえ、バザラガ」
バザラガの方に向き直る。
「ん?」
「あのさ、えっと」
ゼタは少し言いよどみ、やがて、
「あんただったら、どうする?」
風が吹いた。
春の風。暖かな空の下。
ゼタの金髪が、また少し揺れた。
「俺だったら?」
「うん」
ゼタはそれ以上何も言わず、バザラガを見つめている。
「そうだな。俺ならば」
黒い兜の下で、バザラガは言った。
「死後の世界で、死んだはずのかけがえのない存在が目の前に現れれば、なりふり構わず抱きしめてしまうかもしれんな」
「身体に蛆が湧いてても?」
「ああ。俺に抱きしめる権利があれば、の話だが」
「それなら、それからも一緒にいたいって思う?」
少し間があって、
「……さあな。そこまではわからん」
陽光が、バザラガの黒い兜を静かに照らした。
「そっか。わかった」
ゼタが少し微笑んで、
「ちなみにね、あたしだったら」
遠い目をする。
「約束破られても、ああそういう奴なんだな、って、程度にもよるけどさ。まぁ、あんまり酷いともう会いたくないとかは思うだろうけど。でも、別に呪ったりなんかはしないで、酷いな、って、それだけですましちゃうだろうけど」
「ああ」
「でも」
ゼタが、
「悲しい、って思う。すごく。だから、その分がんばろうってなるかな。八つ当たりなんかしないで」
最後にそう結んだ。
陽光が、ゼタの金髪を明るく輝かせた。
「そうか」
バザラガが言う。
「わかった。覚えておく」
「いいよ、別に。覚えなくても」
穏やかにゼタが笑い、
「ゼタ、ところで」
バザラガが、言う。
「ん?」
「何故、東方の神話など急に持ち出したのだ?」
「……」
――あの神話のごっこ遊びを仕掛ければ、もしかしたら、「愛しい妻」って言ってくれるかもしれない。
「言ったでしょ、急に思い出したの。それだけよ」
「そうか」
バザラガはそれ以上詮索しなかった。
風が吹く。
移動中の騎空艇。
どこにでも人を誘う、空の船。
その上で、彼らはただ静かに、そこにいた。