この愛しき空の世界   作:じぶよる

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誘い誘う

「愛しいあなた。こうなれば、私はあなたの国の民を一日に千人は縊り殺しましょう」

 

「愛しい妻よ。お前がそんなことをするのなら、俺は一日に千五百の産屋を作ってみせよう」

 

 

「よく知ってるじゃない」

よく晴れた春の昼下がり。

移動中の騎空艇の甲板に、穏やかな風が流れている。

「なんなのだ、いきなり」

満足そうに微笑んでいるゼタに、ふぅ、と隣のバザラガがため息をつく。

移動時間の退屈しのぎに、ついさっきまでは適当な雑談をしていたはずなのだが。

それがふと途切れたかと思えば、彼女は急に妙に大げさな声色で妙なことを言い出した。

「東の島の神話か」

暖かい日差しの中で、バザラガがむっつりと言う。

「そ。ミリンちゃんの故郷の。なんか急に思い出してさ」

「思い出すのはいいが、それを脈絡なく口に出されても困る」

「だって、乗っかるなんて思ってなかったし?」

「……ふん」

鼻を鳴らすバザラガに、

「ていうか、あんたよく知ってたわね」

二つに結んだ金髪を柔らかい風になびかせながら、ゼタが言う。

「こっちの空域じゃ、そんなに知られてない話のはずなんだけど」

「そうでもない。俺も、昔読んだことがある」

とバザラガが少し考える素振りをして、

「今のは、確か、国作りをした夫婦の神が最後に離別する際のやり取りだったか」

「そうそう。恥かかせたあんたのこと呪ってやるわー、もうあんたとはお終いだわー、ってとこ」

あっけらかんとした調子で、ゼタが物騒な事を言っている。

いきなり東方神話のごっこ遊びを仕掛けてきた理由も謎なら、そんな物別れの場面を選んだのも謎である。

「やるならば、もう少しまともな場面があっただろう。縁起でもない」

呆れたようにバザラガがそう言うと、

「あら」

何故か、ゼタが嬉しそうな顔をする。

「なになに?今なんて言ったの?」

「なんだ」

「縁起でもない、って聞こえた気がしたんだけど?」

妙な笑顔を作って、ゼタがまとわりついてくる。

「からかうな」

むっつりとそう言うバザラガ。

「あはは、ごめんごめん」

けらけらと笑うゼタ。

何をそんなに楽しそうにしているのか、とバザラガは少し気になったが、

「あたしさ、あそこが一番印象に残ってたのよ。子供の頃読んだ時にさ」

ゼタが別の話題を出したので、その思考はすぐに流れた。

「ほら、あの夫婦の神様って、最初はいい感じだったじゃない?一緒に島とか作って、神様とか産んでてさ」

「ああ。だが、妻の方の神が火の神を産んだことで」

バザラガが、続きを口にする。

「そそ。その火傷が元で死んじゃうのよね」

「そして、妻を諦めきれない夫は死後の世界……東方では黄泉の国と言い伝えられていたか。そこまで赴くのだが」

「奥さんはもう元の世界には戻れないって言うのよね。なんでだっけ?」

「黄泉の国の食べ物を食べてしまったから、だ。だから一緒には行けないと夫に告げる」

「そうそう、それそれ。それで、でもなんとかならないか、ここの神様に相談してみるって言うんだけど」

「その間、決して自分の姿を見ないで欲しい、と妻は夫に告げる。が……」

「旦那さんはその約束を破って、奥さんの姿を見てしまう。するとそこには」

「身体中に蛆がたかり腐敗した、変わり果てた妻の姿がそこにいた。夫はそれに戦慄し、大慌てで逃げ惑う」

「よくも私に恥をかかせたわね!って叫びながら、奥さんは旦那さんをものすごい形相で追いかけて……」

「なんとか黄泉の国の入り口にたどり着いた夫は、そのまま入り口を巨大な岩で塞ぐ」

「そして、追いついた奥さんがその岩越しに」

んん、とゼタが咳払いをして、

 

「愛しいあなた。こうなれば、私はあなたの国の民を一日に千人は縊り殺しましょう」

 

と、神妙そうな、妙に大げさな声音で言った。

「……」

「ほらほら、続き続き」

「そこは今さっき付き合ってやっただろう」

「いいからいいから」

はぁ、とバザラガはため息を付き、

 

「愛しい妻よ。お前がそんなことをするのなら、俺は一日に千五百の産屋を作ってみせよう」

 

と、いつもどおりの声音で言った。

「うん、よろしい」

満足そうなゼタ。

「……ここが印象に残ったのか?」

ややうんざりした感じで、バザラガ。

「うん、そう。だって」

目を細めるゼタ。

「なんか、切なくってさ」

春風が流れて、彼女の金髪を少し揺らした。

「あんなに一緒にがんばってて、あんなにちゃんと愛し合ってたのに、こうなっちゃうんだな、って」

しんみりとした口調で、言う。

「……そうだな」

バザラガは少し考え、

「このエピソードは、生と死の寓話であると言える。が、男の身勝手さ、あるいは女の恐ろしさを表現しているとも言える」

「うん」

「男女の仲というのは生半なものではなく、まして平気で約束を破ってしまえばこうなる……という教訓を、我々に伝えているのかもしれんな」

バザラガがそう結んだ。

「怖いわよねぇ、恋愛沙汰って」

ほう、とゼタが息をつく。

「だろうな。俺にはあまりピンと来ないが」

「でしょうね」

くす、とゼタが笑って、

「ねえ、バザラガ」

バザラガの方に向き直る。

「ん?」

「あのさ、えっと」

ゼタは少し言いよどみ、やがて、

「あんただったら、どうする?」

風が吹いた。

春の風。暖かな空の下。

ゼタの金髪が、また少し揺れた。

「俺だったら?」

「うん」

ゼタはそれ以上何も言わず、バザラガを見つめている。

「そうだな。俺ならば」

黒い兜の下で、バザラガは言った。

「死後の世界で、死んだはずのかけがえのない存在が目の前に現れれば、なりふり構わず抱きしめてしまうかもしれんな」

「身体に蛆が湧いてても?」

「ああ。俺に抱きしめる権利があれば、の話だが」

「それなら、それからも一緒にいたいって思う?」

少し間があって、

「……さあな。そこまではわからん」

陽光が、バザラガの黒い兜を静かに照らした。

「そっか。わかった」

ゼタが少し微笑んで、

「ちなみにね、あたしだったら」

遠い目をする。

「約束破られても、ああそういう奴なんだな、って、程度にもよるけどさ。まぁ、あんまり酷いともう会いたくないとかは思うだろうけど。でも、別に呪ったりなんかはしないで、酷いな、って、それだけですましちゃうだろうけど」

「ああ」

「でも」

ゼタが、

「悲しい、って思う。すごく。だから、その分がんばろうってなるかな。八つ当たりなんかしないで」

最後にそう結んだ。

陽光が、ゼタの金髪を明るく輝かせた。

「そうか」

バザラガが言う。

「わかった。覚えておく」

「いいよ、別に。覚えなくても」

穏やかにゼタが笑い、

「ゼタ、ところで」

バザラガが、言う。

「ん?」

「何故、東方の神話など急に持ち出したのだ?」

「……」

 

――あの神話のごっこ遊びを仕掛ければ、もしかしたら、「愛しい妻」って言ってくれるかもしれない。

 

「言ったでしょ、急に思い出したの。それだけよ」

「そうか」

バザラガはそれ以上詮索しなかった。

風が吹く。

移動中の騎空艇。

どこにでも人を誘う、空の船。

その上で、彼らはただ静かに、そこにいた。

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