「だるまさんが……ころんだっ!」
と、甲板から扉越しに大きな声が響いて、あたしは艇内の廊下で足を止めた。
今の声には聞き覚えがある。甲高くあどけない、小さな女の子の声。
(ヤイアちゃんじゃん)
グランサイファーに乗っていたのか。お父さんのところに一旦帰ってるのかなって思ってたけど。
「だるまさんがころんだっ!」
また同じ掛け声が聞こえた。どうやら、甲板でこの遊びをしているらしい。
(懐かしいなぁ)
あたしはしみじみと思った。だるまさんが転んだなんて、子供の頃に友達と遊んでそれっきりだ。
「だるまさんがころんだ!」
またまた、掛け声が聞こえた。今度は早口で、とてもとても元気な声だった。
微笑ましいなぁ、一緒に遊んでるのは歳の近いサラちゃんとかアレク君とかかな?とか思っていると、
「あっ!」
ヤイアちゃんが声を上げた。掛け声の後だから、おそらく誰かが動いてしまい鬼のヤイアちゃんに捕まったのだろう。
子供は元気でいいなぁ、と思いながら、あたしは昼寝の続きをしようと自室に向かい……
「バザラガちゃんうごいたー!」
思いも寄らない名前が急に聞こえて、あたしの足はまた止まった。
「へ?」
眠気が飛んで、変な声が出た。
バザラガ?今ヤイアちゃん、バザラガって言った?
あいつが?ヤイアちゃんと?一緒に遊んでる?だるまさんが転んだを?
「む、動いていたか?」
続いて、扉越しに低い声が聞こえた。
よく知っている。鎧兜越しの、くぐもったむっつりとした声。
「うん。おなかのところが、ちょっとぴくってしてたよ」
「成程……見逃さないか。流石だ」
「さすが?」
「すごい、という意味だ」
「えへへ、ヤイアすごい?」
「ああ、すごい」
なんて会話が扉越しに聞こえてきて、
「な、なにやってんの?あんた」
気がつけばあたしは甲板への扉を開け、そう言っていた。
◆
「だるまさんが……」
そして気がつけば、あたしは壁に頭を付けてそう言っていた。
「あっ、ゼタちゃん!ゼタちゃんもいっしょにあそぼー」
「途中参加か。ならば、次はお前の鬼という事になるな」
あたしがよく晴れた甲板に顔を出すなり、こんなことを言われたからだ。
……ヤイアちゃんはともかく、バザラガの言っていた事には納得がいかないのだが。「だるまさんが転んだは途中参加の人間が強制的に鬼になる」なんてルール聞いたことないわ。
どうせ次は自分の鬼だからってこれ幸いと押し付けただけなんだろうが、まあ、いい。それも、あたしがその前に抱いた疑問も、全部後だ。
余計な事を考えず、やるからには全力である。例えだるまさんが転んだでも。何よりここにはバザラガがいる。ヤイアちゃんならともかく、こいつに負けるわけにはいかない。
「転んだ!」
掛け声とともに振り向く。
「……」
「……」
ぴたり。と、ヤイアちゃんとバザラガが動きを止める。
「ふむ……」
二人共動くまいと体をその場に硬直させており、まずは様子を見ようとそのまま眺めてみると、
「んー……」
ヤイアちゃんがぷるぷるとしだした。
体が小刻みに揺れてはいるが、まだ動いたと呼べる範疇ではなさそうだ。
「んんー……」
動くまい動くまいとヤイアちゃんががんばっている。とても可愛らしい。このままずっと眺めていたいくらい癒される。
で、その隣。
「……」
癒しとは程遠い図体と鎧兜を被った大男が、歩いているポーズのまま腕を上げて止まっている。
こちらは全くぴくりとも動かない。本当に一切微動だにしない。見事なものとこれを褒めていいのかどうかはあたしにはわからない。
「んんんー……」
「……」
二人共動かぬよう頑張っている。
ヤイアちゃんは次第にぷるぷるが大きくなっていて、とても可愛らしい。が、まるで石像のように動かないバザラガの方は、なんというか不気味な前衛芸術のようだった。
可愛い子供と前衛芸術。どういう組み合わせだ、なんてことを考えていると、
「あ」
動いた。
「はいバザラガアウトー」
あたしは指を刺して言ってやる。
「む」
バザラガが上げていた腕を下ろし、硬直を解いて不服そうにこちらを見る。
「どこが動いていたというのだ」
確かに体は不気味なほど動いていなかったが、そこではない。
「腹筋」
あたしはズバリと言ってやった。
「ぴくぴく動いてたわよ。あんた半裸だから余計目立つし」
平然と固まっていたように見えたが、意外と力んでいたのだろうか。
お腹が動いたとかヤイアちゃんが言ってたから、さっき捕まったのもこれが原因だろう。
「ほらー、だからヤイアがさっきいったのにー」
なんてヤイアちゃんが口を開いた、正確には口が動いたので、
「はいヤイアちゃんもアウトー」
すかさずあたしはそう言ってやる。
「あっ」
しまった、という顔をヤイアちゃんがする。だまし討ちのようになってしまったが、悪いけどこれはそういう遊びなのである。たぶん。
「バザラガが先に捕まったから、次はあんたが鬼ねー」
「むぅ……」
唸り声を上げるバザラガ。
「まってまって、ヤイアがやるー」
前に出てくるヤイアちゃん。
「えー?ヤイアちゃん捕まったの後じゃない」
二人を前に言うあたし。
「だってバザラガちゃんおにじゃないもん。だからヤイアがおにやるのー」
「……ヤイア……」
「……良い子ねぇヤイアちゃん。ってちょっと待って、今あたし鬼やってたんだけど」
「あっ」
「あ、あたしの時は代わってくれなかったのに……ひ、ひどいわヤイアちゃん……ぐすっ」
「ち、ちがうの。ゼタちゃんもおにじゃないのっ」
「ほ、ほんと?」
「ほんと、ほんとっ!」
「よろしい。ヤイアちゃんは本当に良い子ねー」
「ほっ……」
「……鬼だな」
「なんか言った?」
「何も言っていない」
昼下がりのグランサイファー。
移動中の甲板で、瞬く間に、時間が過ぎ去っていった。
◆
「すぅ……すぅ……」
気がつけば日が暮れて、空は茜色。甲板に穏やかな風が舞っている。
遊び疲れたのか、ヤイアちゃんはあたしの膝でぐっすり眠ってしまった。
「普段は大人びているが」
と、バザラガ。あたしのすぐ横に座っている。
「こうして見ると、あどけない子供だな。遊びたい盛りでもあるのだろう」
「そうよねぇ……」
ヤイアちゃんのさらさらした栗色の髪をそっと撫でながら、あたしは思う。
この子は普段団員に料理を作ってあげたり、なんと団長と一緒に依頼に参加したりもしているらしい。
これで6歳だというのだから、信じられないと言う他ない。
「それで」
と、あたしはバザラガを見る。
「どういうことなの?」
やっとこの不自然な状況に突っ込めるタイミングが来た。
「何がだ?」
むっつりと、バザラガ。
「あんたがヤイアちゃんと……子供と遊んであげてるなんてさ」
「意外か」
「意外よ。あんた、子供なんか近づけそうにないじゃない」
ふ、とバザラガが笑う。
「失礼な奴だな。別に子供が嫌いなわけではないぞ」
が、そうだな、とバザラガが話し始めた。
今日の昼頃、バザラガが甲板で一人風に当たっていると、
「あ、バザラガちゃんだー」
ヤイアちゃんがとことこと近づいてきた。
「あれー?ゼタちゃんは?」
「ゼタ?あいつなら部屋で昼寝でもしているはずだが」
「いっしょじゃないの?」
「いつもあいつと行動を共にしているわけではない」
「そうなんだー。じゃあ、じゃあ」
と、
「ヤイアとあそぼっ!」
満面の笑みで、そう言われたらしい。
「本当の笑顔を久しぶりに見た気がしてな」
穏やかにバザラガが言う。
「子供の笑顔というのは純真だ。無邪気で、屈託がない」
「うん、そうね」
「純真さ、無邪気さ、屈託の無さ。俺にはもう無いものだ。とうの昔に失って、取り戻すこともできない。……そもそも子供の誘いを断るほど無粋な人間ではないつもりだが」
「うん」
「抗う術など無かった、と言えば大げさか」
そう言って、バザラガが話を結んだ。
「なるほどねぇ」
笑顔か。確かに笑顔の少なそうな人生送ってるからなぁ、こいつ。
だから、ヤイアちゃんみたいな真っ直ぐな笑顔は、より眩しく見えたのだろう。
(ふむ)
と、あたしは少し考える。
笑顔。本当の笑顔。久しぶりに見た。いつもは見ていない……
「ねえ、バザラガ」
「?」
あたしはバザラガの方を向いて、
――にっ
と、笑ってみせた。
「どう?」
訊いてみる。自分でも会心の笑顔だったはずだ。鏡がないので自分じゃ確認できないけど。
「今の笑顔、純真で、無邪気で、屈託が無かったんじゃない?」
しばらく間があって、
「くく」
と、バザラガが笑った。
「そんな台詞が出る時点で、不純で邪気があり屈託があるな」
そんなことを愉快そうに言う。
「何よ、もう」
あたしも笑うと、
「んん……」
膝の上のヤイアちゃんが少し身じろぎして、
「すぅ……」
また寝息を立てた。
「ベッドで寝かせてやった方がいいかもしれんな」
と、バザラガ。
「そうね、ちょっと冷えてきたし。お部屋まで運んであげましょっか」
あたしはヤイアちゃんの体をそっと抱きかかえて立ち上がる。
バザラガも立ち上がって、
「はい」
と、ヤイアちゃんをバザラガに差し出す。
「……?」
「あんたが運んであげてよ」
「何故そうなる」
「一人ぼっちのあんたと一緒に遊んでくれたんでしょ?笑顔も見せてくれてさ。なら、ちゃんと恩返ししないと」
「……」
バザラガが困った顔をする。兜で隠れているが、あたしにはわかる。
しばらく間があって、
「……落としてしまうかもしれん……」
ぼそっとそう言った。
「ダメ。あんたが運んであげるの。もちろん落っことすのも絶対にダメ」
「……」
大分躊躇して、ようやく、
「すぅ……」
と寝ているヤイアちゃんを、バザラガが受け取った。
「いい子」
「俺は子供ではない」
「ふふ。じゃ、行きましょ」
「ああ……」
不安げな足取りでバザラガが歩きだす。
その腕には、小さなヤイアちゃんの体。
「むにゃ……」
と、ヤイアちゃんが、
「ふふふ……」
少し、笑った。
「楽しい夢でも見てるのかしらね」
「さあな……」
と、バザラガが、
「……ふふ」
静かに、笑ったのだった。