この愛しき空の世界   作:じぶよる

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『あなたの思いやりに感謝している』

これは、まだ『組織』が崩壊する前の事。

かの月よりの使者が、月へと帰っていく前の話だ。

と言っても、別に大した話ではない。

運命に大きく関わるような話でも、世界を揺るがす大事件の話でもなく、なんということはないただの日常の話だ。

と、俺の方は思っているのだが、まあ、ゼタの方がどう思っているかは知らん。

いや、あるいはあいつにとっては、これは大事件だったのかもしれんが。

……まあ、俺にはわからん。

 

 

その日、俺はポートブリーズ群島の主島である、エインガナ島の市場にいた。

路上にはいくつもの屋台が立ち並び、数え切れぬ程の人でごった返している。

日が高い。

気候は安定しており、この島特有の穏やかな風が吹き抜けている。

「……」

やはり、敵の気配はない。

人混みの中を歩きつつ、周囲を注意深く観察しながら、俺は思う。

昨日。

俺はゼタと共にこの島に降り立った。

任務の為である。

内容は、エインガナ島でその所在を確認されたという敵の偵察、及び島に潜伏した上での緊急事態への対応。

……だったのだが、それについては詳しく語る必要はない。

『組織』の情報部隊がもたらしたその情報はガセであったことが、この後すぐにわかったからだ。

どうやらそのガセネタは敵の陽動による虚報ではなく、単純に情報部の勘違いだったらしい。

敵への恐怖ゆえ、奴らは妄想による根拠のない報告をしてしまった、と後でイルザから聞いた。

その情報を報告した者達は大目玉では済まない処罰を食らったそうだが、まあそれは余談だ。

ともかく、まだこの任務が無為なものであることを知らない俺は、敵の気配に目を光らせながら、市場を歩いていた。

奴らが事を起こすならば、人が大勢集まるこの市場は怪しい場所の一つである。

そう思い、ゼタと見回る場所を分担しつつ、敵を探っていたのだが。

「……」

暖かな風が吹いている。

星晶獣ティアマトの加護により、このポートブリーズ群島には、穏やかな風が絶えることはない。

目に入るのは、活発に声を上げて商売に精を出す屋台の店主と、買い物を楽しむ無垢なる市民ばかり。

「……ふぅ」

ここに敵などいないであろうことは、この時点で薄々感づいていた。

この平和極まる街に、人間同士を争わせんとする奴らの痕跡も、そのおぞましい気配も、微塵も感じない。

もし敵の介入があれば、そこの住人は不穏な気配をまとい、互いに無意味な争いを繰り広げようとする。

だが、そんなものはどこにもない。

ここにはただ、平和な日常があるだけだった。

(……収穫はなさそうだな)

ひとまず宿に戻ってゼタと合流し、『組織』に連絡をとる必要がありそうだ、と思った矢先。

「ん……?」

立ち並んだ屋台の一つに、目が止まった。

骨組みで作られた簡素なテントの下には、色とりどりの花と、朗らかにそれらの手入れをしているエルーンの男。

「……」 

俺は立ち止まって、その屋台を見つめる。

普段の俺ならば、そんなものを目に止めることなどなかっただろう。

まがりなりにも今は任務の最中であり、そして任務の最中でなくとも、普段の俺はそれに目を向けることなどない。

だが、ふと、宿を同じくしている者の顔が頭に浮かび、

「店主、少しいいだろうか」

気がつけば、俺は楽しそうに花の手入れをしているエルーンの男に声をかけていた。

 

 

「あ、お帰り」

エインガナ島の外れにある、『組織』の息がかかった宿。

その一室のドアを開けると、すでにゼタが戻ってきており、奥の方から声がした。

恐らく、ベッドに寝転がってでもいるのだろう。

入り口からはそのベッドは死角になっており、その姿は見えない。

「早いな」

ゼタが偵察を担当したのは裏路地の方である。

街に張り巡った裏路地は表通りの市場より範囲は広く、俺よりも時間がかかるはずなのだが。

「サボってたわけじゃないわよ。あちこち見てみたけど、全然何の気配もしなかったんだもの」

退屈そうな声が奥から聞こえる。

「やっぱガセなんじゃないの?敵がいるとかなんとかって」

「かもしれん。市場を見てみたが、俺も何も感じなかった」

言いながら、俺は手に抱えた荷物に気を使いつつ、後ろ手にドアの鍵を締める。

「あ、やっぱりあんたもそう思った?」

どうやらドアまで出迎えに来るつもりはないようで、代わりに、ぎし、とスプリングがきしむ音がする。

多分、寝転がった際にでも生じた音だろう。

「ああ。今日俺の目の前にあったのは、いつもの平和なポートブリーズの風景だけだった」

と、俺は歩きだす。

かさ、と手に抱えた荷物が擦れる音がした。

「イルザに連絡をとってみよう。件の情報は本当に正しいのか、と」

部屋内に入ってみれば、やはりゼタがベッドにだらしなく寝転がっているのが見えた。

こちらに顔は向けておらず、横向きになっている。

「そうねぇ。あの人がガセネタ掴まされるなんて珍し……」

ゼタがむくりと起き上がり、ベッドから足を投げ出してこちらに目を向ける。

そして、

「……へ?」

俺を見るなり素っ頓狂な声を上げて、そのまま固まった。

「どうした?」

声をかけるも、ゼタはそのまま硬直している。

その視線は、俺が手に抱えた荷物に注がれている。

「…………」

そして、そのまま何も言わずにぽかんとしている。

「なんだ、急に押し黙って」

そう言ってやると、

「……な、なに、ソレ?」

片言になって、ようやくそう言ってきた。

「ああ、これか?」

俺は手に持った荷物……バラの花束を、少しかかげる。

色はどれも真紅で、白い紙に茎が包まれ、重なり合っている。

「花屋があったのでな。なんとなく買ってみた」

「な、なんとなく?」

「ああ、なんとなくだ」

「な、なんとなく……?」

頭が回っていない様子で、俺の言葉をオウム返しにするゼタ。

どうやらまだ状況が認識できていないようなので、

「いるか?」

バラの花束をゼタの目の前に少し差し出すようにして、俺はそう言ってみた。

「へ?」

ベッドに腰掛けたまま、また素っ頓狂な声を上げるゼタ。

「い、いるって、それ、もしかして」

「いらないなら捨てるが」

そう言うと、

「ちょ、ちょ、やめてよ、何言ってんのよ、捨てないでよ」

慌てた様子で、ゼタが声を上げる。

「え、それって、なに、あ、あたしに?」

戸惑いながらおずおずと自分を指差すゼタの、その頬が少し染まって見えたのは、俺の気の所為ではあるまい。

「そのつもりだったが」

「な、なによ急に、どうしたのよ」

「言っただろう。なんとなくだ」

「な、なんとなくって……」

「嫌だったか?」

少し声を落としてそう言うと、

「い、いや、そんなことは言ってないけどさ……」

ぶつぶつ、とゼタが胸を抑えて下を向く。

「び、びっくりさせないでよ……急に花なんて買ってきて……」

「……そうか、それはすまん」

言って、俺は改めて、ともう一度バラの花束をゼタの目の前に差し出す。

「で、いるか?」

「え、あ」

まともな言語になっていない声を上げて、うつむいていたゼタが再び顔を上げる。

その目の前には、真紅のバラの花束。

「受け取ってもらえるならば、買ってきた甲斐があるが」

「あ、その」

まごまごとするゼタ。

しばらく待っていたが、そのままずっとまごまごとしていたので、

「……そうか、迷惑だったか」

俺はまた、少し声を落としてみせる。

「なら、やはり捨ててしまおうか」

そう言うと、

「だ、だからちょっと待てって言ってんでしょうが!」

きっ、とゼタが俺を睨み、とんでもない大声を上げた。

「ちょっと待て」と言われた記憶はないのだが、それを指摘する前に、

「あ、あんた、せっかく買ってきたものを捨てるとか捨てないとか、そういうこと言うもんじゃないわよ!」

顔を真っ赤にして、ゼタが怒鳴り声を上げる。

その姿が、不謹慎ながらどうにも可笑しく、

「くく、すまんな」

悪趣味だとは思いつつ、俺は笑いをこらえることができなかった。

「あ、あんたねぇ……」

わなわなと体を震わせるゼタ。

ふ、と俺は一つ笑い、真剣な話をすることにした。

「突然ですまん。なんとなく買ってきたとは言ったが、何もかもが冗談というわけではない」

「え、じょ、冗談じゃない……?」

身を固めたゼタに、俺は少し身をかがめて、

「日頃の感謝の気持ち、というやつだ。受け取ってもらえれば、俺は嬉しく思う」

もう一度バラの花束を目の前に差し出して、そう言った。

「あ、そ、そう。感謝ね……感謝の気持ちね……」

何やら少々がっかりした様子でそう呟いて、

「あ、ありがと」

しずしずと、花束を受け取ってくれた。

「ああ」

満足した俺は、立ち上がってゼタに背を向ける。

「え、ちょ、どこ行くのよ」

「忘れたのか?イルザに連絡を取り、この島に敵がいると言う情報の真偽を確かめねばならん」

いささかかさばるバラの花束はもう渡したので、これで次の用事に向かうことができる。

『組織』の息がかかっているこの宿ならば、店員に扮している工作員に言えば通信機を貸してもらえるだろう。

と、歩き出そうとすると、

「ま、待ってってば」

ぐ、と片手で腕を掴まれる。

もう片方の腕には、今しがた渡したバラの花束を大事そうに抱えているのが見えた。

「そ、それはもうちょっと後でいいんじゃない?ほら、お昼どきだし、イルザさんもご飯食べてるかもしれないし、迷惑になるかもしれないし」

「ん……?」

何やらまくしたててくるゼタを振り向いて見ながら、少々困惑していると、

「あ、あんた。女の子にこんなもん渡しておいて、そのまま放ったらかしにするつもり?」

今度は咎めるような視線を向けてくる。

「……?」

「と、とにかく、もうちょっとここにいてよ。お願いだから」

「ただの連絡だ。そこまで時間はかからんし、すぐに戻ってくる」

「い、いいから!あんたはここにいるの!」

ほとんど金切り声に近い声を上げるゼタ。

「……むぅ」

すぐにでもイルザに連絡したい所なのだが、何やら必死の形相でこちらを止めようとするゼタを無視する事もできず、

「……よくわからんが。なら、連絡するのは後にするか?」

首を傾げながら、俺はそう言った。

「はあー……」

ゼタが深いため息をつく。

「……変な所で気が利かないんだから、ほんっと」

「ん?」

「いや、もうなんでもないわ。あんたはそういう奴だわ」

諦めたようにゼタが呟いた後、

「一時間……いや、三十分くらいでいいからさ。ここにいてよ」

しおらしい声で、そう言った。

「……わかった」

「うん、ありがと。……ねえ」

「?」

「隣り、座ってよ」

「ん、ああ、構わん」

言われた通りに、俺はゼタの隣に腰掛ける。

安物のベッドのスプリングが、ぎし、ときしんだ。

「ふぅ」

ゼタがまたため息を付いて、腕に抱えたバラの花束を眺める。

「綺麗だね、これ」

そして、ずいぶん落ち着いた様子でそう言った。

「そうか、良かった」

「どこで買ったの?お花屋さんって、屋台の?」

「ああ、市場に出ていた。店主が気さくな男でな。色々教えてくれた」

「へえ……びっくりしたんじゃない?その人」

「何故だ?」

「だって、兜被ったドラフの大男が、いきなり花をくれっていったら、普通びっくりするでしょうよ」

「……失礼な奴め。そんなことはなかったぞ」

「ふふ、そっか。良い人だったんだね」

楽しそうに、ゼタが微笑んだ。

そして、

「……花なんて、もう貰うことなんかないと思ってたのにな」

どこか悲しそうな顔になって、そう呟いた。

「ねえ、バザラガ」

そして、その悲しさを振り払うかのように、こちらを向いた。

「ん?」

「これ、何本あるの?このバラの花」

「ああ……八本だ。そう頼んだ」

「八本?なら、えっと、確か、一本が一目惚れで、二本がこの世界に二人だけで……」

「なんだ、知っていたのか」

「ん……ちょっとだけね」

花言葉というものがある。

誰が決めたのかは知らんが、数ある花には各々意味が込められており、例えばバラならば「愛情」となる。

が、バラの場合はその本数によってさらに別の意味を持つようになるらしい。

あの気さくなエルーンの花屋の店主に聞いたところだと、まず一本、二本の時は今ゼタが言った通りだ。

そして、三本の時は「愛している」

四本の時は「この愛は死ぬまで変わらない」

五本の時は「あなたに出会えて本当に嬉しい」

六本の時は「あなたに夢中」あるいは「お互いに尊重し、愛し合おう」

七本の時は「密かな愛」

そして八本の時は……

「……八本の時は?」

ゼタが覗くようにして、こちらを見る。

「あたし、それは知らないや。教えてよ」

その顔はとても素直な顔で、純粋な顔で、

「……教えん」

何やら恥ずかしくなり、俺は目を背けてそう言った。

「はぁ?ちょ、なによそれ」

あからさまに不満気な顔をするゼタ。

「……俺が何でも教えてやると思ったら大間違いだ」

「何よ、急に子供みたいなこと言い出して」

「……」

「ふん、もういいわよ。後で調べて恥かかせてやるんだから」

「……勝手にしろ」

半ば投げやりになって、俺はそう言った。

そのまま少し会話が途切れ、ふと、窓の方に目を向ければ、穏やかな日の光が差し込んでいるのが見えた。

天気が良い。

「……」

俺は思う。

このポートブリーズは、今日も平和だった。

さっきまで俺がいたあの市場には、無辜の民による、なんということはない日常があった。

だが。

少なくともこの俺に、そのような平和が訪れることなどはないだろう。

戦いこそが日常の、無辜などでは決して無い、この俺には。

「……でもさ」

ふと、ぼそりとゼタが口を開いた。

「ホント、あんたがこういうことするなんて思ってなかったわ」

そう言って目を細めて、顔を赤らめる。

「……嫌だったか?」

「だから、そんなこと言ってないっての」

ふふ、とゼタが笑う。

「意外だったってだけ。……嬉しいよ、すごく」

「……そうか」

「あー、どうしよ」

ゼタが、花束を抱きしめるように両腕に抱えながら、ため息をつく。

「なーんか、ずっとここにいたい気分だわ……」

「そういうわけにはいかん。この島に敵がいないとなれば、ここでのんびりしているわけにもいかんだろうし……」

「あーはいはい、わかってるわよ。ったく」

俺の言葉を途中で遮り、悪態をついた後、

「……ふふっ」

ゼタが、嬉しげに俺の買ってきたバラの花束を、また眺めた。

八本の、真紅のバラの花束。

微笑んでいる、ゼタの顔。

「ゼタ」

「ん?」

「似合っているぞ」

「やだ、何よ急に。もう」

幸せそうに、ゼタが笑った。

それは平和の証のようで、そしてなんということはないただの日常の象徴のようだと、俺は思った。


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