名前を呼んだ炎帝
パーシヴァルが移動中の甲板にふと風に当たりに行ってみると、
「……む」
そこに、一人の少女がいた。
橙色がかった長い茶髪を後ろでまとめて垂らし、ドレスのような変わった赤白の服を纏っている。
背は小さい。少女らしく、華奢な体つきをしている。
「~~♪~~♪」
彼女はこちらには気づいていない様子で、のんきな面持ちで調子外れの鼻歌を歌っている。
「……」
面倒な奴がいる、とパーシヴァルは密かにしかめっ面をして、そのまま背中を向けた。
気づかれないうちに部屋に戻ろう、と思ったのだが、
「あれ、パーさんじゃん」
馴れ馴れしい愛称で、クラリス、という名前のその少女が声をかけてきた。
「……ちっ」
退散するのが失敗して、だが馴れ馴れしいとはいえ呼ばれた以上は無視するわけにもいかず、
「……その呼び方はやめろ」
パーさん、と呼ばれた青年が、しかめっ面をいっそう強くし、振り返ってそう言う。
年は若く、上背がある。
髪は炎のように赤く逆立っていて、その切れ長の眼の奥にある瞳もまた赤い。
またその身には、これまた赤を基調とした派手で豪奢な鎧をまとっている。
ひと目見れば、誰もがただ者ではないと思うだろう。
「いいじゃんいいじゃん、かわいらしくてさー」
そんなパーシヴァルに、小馬鹿にしたような笑みを作りながら、すす、と近づいていくクラリス。
「……はぁ」
パーシヴァルはため息をついた。
この少女とは知らない間柄ではない。
同じ騎空団に所属しているこの少女とは、その団が請け負った依頼を共にしたことが何度かあり、その縁で多少関わったことがある。
その依頼とは主に魔物退治だったのだが、
「どっかーん☆」
だの、
「クラリスちゃん最カワッ☆」
だのと、生命のかかった魔物との戦いの最中だろうと、この少女はやたらと軽い口調で言葉を発するので、
「ええい、もう少し真面目に戦えないのか、貴様は!」
と、何度となく怒鳴ったにも関わらず、
「えー?別にいいじゃ~ん」
その度に唇を尖らせ大いに不満そうな顔をするので、
「……はぁ」
彼は、この人の話を聞かない少女を苦手としていた。
「もー、またため息なんかついちゃって」
甲板の縁に手をかけながら、クラリスが言う。
「こーんな美少女にたまたま出会えたんだから、そこはもっと喜ぶところじゃないのー?」
「……美少女?」
はて、とパーシヴァルはわざとらしくきょろきょろと首を動かし、
「どこにいるんだ?それは」
真顔でそう言って向き直る。
「うわ、ひどっ!」
大げさなリアクションをするクラリスに、
「お前が意味不明なことを言うからだろう」
うんざりした顔でそう言いながら、パーシヴァルも甲板の縁に手をかける。
「全く、これなら部屋にこもっていたほうがマシだった」
「なによー、さっきから失礼だなパーさんはー!」
「失礼なのはお前の態度と呼び方だろう」
冷然とそう言うパーシヴァルを、
「あ!あと、それ!」
びし、と突然クラリスが指差してくる。
「なんだ」
「その、お前ってやつ!」
「……?」
何のことを言われているのかわからないパーシヴァルに、
「パーさん、いつもうちのこと、お前、とか貴様、とか、ちゃんと名前で呼んでくれないじゃん!」
とても不満そうな顔で、クラリス。
「……そうだったか?」
覚えがない。
というよりも、そんなことはあまり意識していなかった。
「そう!」
ぷんぷん、と絵物語ならそういう擬音が出ていそうな顔で怒るクラリス。
「ほんとにさー、パーさん顔はかっこいいのに、そういう所もったいないよなぁー」
「……何を言っているのかわからん」
まったく、とパーシヴァルはクラリスから目を離し、甲板の縁から見える流れる空へと目を向ける。
雲海と、点々と見える小さな島と、そしてそれを包む蒼い空。
「……」
しばらくそれらを眺めていると、
「ねえねえ、パーさんパーさん」
また、馴れ馴れしい愛称でクラリスが呼びかけてくる。
先程までの調子はどこへやら、ころりと機嫌が良さそうな顔をしている。
女とはそういうものなのだろうか、とパーシヴァルは思った。
「なんだ」
「パーさん、なんでここに来たの?」
ここ、とはこの甲板のことを言っているのだろう。
「……移動中で、やることもないからな。部屋に引きこもっているのも退屈と思い、風に当たりに来ただけだ」
ぶっきらぼうな調子でそう言うと、
「そっか。うちと一緒だね」
やや嬉しそうな顔をするクラリス。
「今日はししょーも艇にいないからさー、いつものお勉強もないし、やることなくってさー」
んー、と伸びをして、
「やることある時は休みたいって思うけど、やることなくなると退屈になるよねー」
そんな事を言った。
「そうだな」
別に否定する内容でもなかったので、それは素直に肯定し、
「これでこの小うるさい奴がいなければ、もう少し気が休まるんだろうがな……」
そう小声で付け加えた。
「なんか言った?」
「何も言っていない」
「……ふーんだ」
クラリスが唇を尖らせて、
「うちだって、小うるさいだけじゃないんだけどなー」
少し寂しそうな調子で、そう言った。
「なんだ、自覚はあったのか?」
意外そうな顔で、パーシヴァルがクラリスを見る。
「自覚っていうかさー……」
真面目なことを言うのが恥ずかしいのか、やや気まずそうな顔をするクラリス。
「ほら、人生色々あるじゃん、すっごい理不尽なこととか、嫌なこととか……」
「……ああ」
「でも、そういうことがあっても、いつもノリ良くいれば、なんかのりこえられるかなーって」
そう言ったクラリスの眼を、パーシヴァルは初めて見た。
「ほう」
感心したような相槌を打つ。
この娘は、いつも何も考えずにおちゃらけているだけだと思っていたが、
「だから、そういうのがちょっとあるんだよね。うちが小うるさくしてるのって」
その眼には芯があった。
何かを抱えているような、苦境の中で前を向こうとしているような……
そんな眼だった。
「……なるほど」
パーシヴァルは、思った。
何かが、この娘の中にはある。そのさわがしい外面の内に、何かを持っている。
その何かとは、多分、強さと呼ぶものなのだろう。
そしてそれは、人が持とうと思っても、中々持つことができないものだ。
パーシヴァルは、それを知っている。
「おい」
彼は少女に声をかけた。
どうやら、この娘に対する認識を改める必要がありそうだった。
「んー?」
甲板の縁に肘をついてぼんやりとしているクラリスに、
「クラリス。お前に少し興味が出た。よければ、もう少し話さないか?」
パーシヴァルはそう言った。
「へっ」
全く予想外の言葉だったのだろう、クラリスが飛び上がらんばかりに驚く。
「な、なに?ど、どうしたのきゅうに、パーさん」
しどろもどろになっているクラリスに、
「どうしたも何も、興味が出たというだけだ。それ以外にはない」
あっさりとそう言うパーシヴァル。
「きょ、きょうみが……?そ、そっかー、うち美少女だからなー……し、仕方ないよねー……」
と、
「って、あ!」
何かに気づいたように、クラリスが声を上げる。
「なんだ、やかましいぞ」
「今、名前!」
「名前?」
「今パーさん、うちの名前呼んだでしょ!」
声を上げるクラリス。
(……ああ)
とパーシヴァルは思ったが、
「さて、な」
あえてとぼけるふりをしてみせる。
「呼んだ!絶対呼んだって!初めて聞いたし!」
大声を上げるクラリス。
何をここまで騒いでいるのか、とパーシヴァルは思った。
思ったが、その騒がしさも、今はそれほど悪い気はしなかった。
「ねえパーさん!もっかい呼んでよ!クラリスって、あ、今度はちょっとささやくような、かっこいい感じで……」
声を落としながら余計な注文をつけるクラリスに、
「お前がその呼び方を改めたら考えてやる」
くつくつと笑いながら、パーシヴァルはあっさりそう言った。
「えー!なにそれー!」
「くく……」
と、パーシヴァルは静かに笑った。
このやかましいだけだと思っていた娘の前では、自分はしかめっ面しかしないものだと思っていたのだが、
「人生とは、人とは、わからないものだな」
誰ともなく、パーシヴァルはそう言った。
「ちょっとー!何一人でひたってるのさー!」
そんなクラリスの抗議の声は、
「くくく……」
パーシヴァルの笑い声とともに、風に流れて消えていったのだった。