この愛しき空の世界   作:じぶよる

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いつか呑まれなくても

薄暗いグランサイファーの廊下。

蒼い髪を長く伸ばした少女が、茶髪を短く整えた少年の身体を、両脇から腕を通して抱えるようにしながら引きずっている。

「よいしょ、よいしょ」

筋肉が無駄なく付いた少年の身体はそれでも、華奢な少女の細腕には少々重いようで、その額にはやや汗が滲んでいる。

一方、されるがままに運ばれている茶髪の少年の方は、

「うう……」

赤ら顔で目をつぶって、気持ち悪そうに呻き声を上げていた。

 

 

数分前。

騎空艇グランサイファーの食堂で開催された宴会の折、茶髪の少年ことグランが、自分のものではないグラスを間違って手に取ったのが始まりだった。

そのグラスは彼の右隣に赤ら顔で座っていた酒飲みのオイゲンのもので、中には当然酒が入っている。

今日のオイゲンは特に強い酒を飲んでおり、グランはそれをジュースが入っている自分のコップと勘違いし、一気に飲み干してしまった。

甘いジュースが喉を通るかと思えば、焼けるような熱が喉を過ぎ去り、胃に流し込まれる。

違和感に気づいたときにはもう遅く、

「けほっ」

と、やや可愛らしい咳き込みと共に、アルコールに免疫のない少年はそのまま机に突っ伏してしまった。

がた、という音が響き、

「あっ、あれ?グラン?」

グランの左隣に座っていた、蒼い髪の少女ことルリアが、すぐさま異変に気づく。

今しがた口に運ぼうとしていた皮付きのポテトを自分の小皿に置き、

「お、おーい。どうしたんですかー?」

ゆさゆさ、と少年のがっしりした身体を揺さぶるが、

「う、うう」

と、呻くばかりでまともな反応を示さない。

「ん?どうした?」

机を挟んで正面に座るラカムと雑談をしていたオイゲンも、グランの異常を認めたかと思うと、

「……あー、なるほどな」

いつの間にか空になって机に転がっている自分のグラスに気づき、すぐに何があったかを察する。

「間違って飲んじまったのか。おい、しっかりしろ団長」

ぽんぽん、とグランの背中を大きな手で叩いてやるも、

「うう」

やはり、少年は苦しそうに呻くだけだった。

「お、おいおい、大丈夫か?」

と、ラカムがジョッキを置いて心配そうに言い、

「なに?間違ってお酒なんか飲んじゃったの?」

ラカムの隣に座っているイオが、ジュースの入ったコップを片手に、

「近くにそんなの置いとくからよ、もう」

咎めるような視線をオイゲンに向ける。

「いや、すまねえすまねえ」

オイゲンが申し訳なさそうな顔をする。

したかと思うと、

「しかし、あれだな」

今度は、面白げな顔を作る。

やはり彼も相当酔っているようで、

「我らが頼れる団長も、まだまだ酒には弱いみてえだな。あんなに強えってのに、結構可愛いとこあるじゃねえか」

うんうんとうめいているグランを見やりながら、豪快に笑う。

「もー、笑い事じゃないですよっ」

頬をふくらませるルリア。

「はは、悪い悪い」

いつの間に注いだのか、並々と酒が注がれているグラスを傾けながら、オイゲン。

「おっさん、他人事かよ」

ラカムが呆れたような顔をオイゲンに向けて、

「こりゃ、部屋に運んでやった方がいいんじゃねえか?」

未だ机に突っ伏したままのグランに視線を移しながら言う。

「そうねえ。このまま放ったらかしにもできないし」

イオが同調し、

「あ、じゃあ、私がお部屋に運んできちゃいますね」

と、ルリアが立ち上がり、机に突っ伏しているグランの両脇から腕を通す。

そのまま抱えるようにして、完全に脱力している少年を椅子から剥がし、そのまま引きずる。

「ちょっと、大丈夫?」

重そうにしているルリアに、心配そうに声をかけるイオ。

「だ、大丈夫ですっ」

ずりずり、とやや重い体を引きずりながらルリアは食堂を出、そのまま冒頭に至る。

 

 

ちなみに。

グランの相棒であるビィはこの間何をしていたかと言うと、

「ははは、ビィ君は可愛いなぁ……ああ、本当に可愛い……」

と、別の机で飲んでいたカタリナに文字通りの意味で捕まっており、

「か、勘弁してくれぇ……」

彼は彼で危機の中にあったので、相棒の危機に気を回せる余裕を持てなかったのであった。

 

 

薄暗い、グランとビィとルリアの部屋。

この三人は同じ部屋で寝泊まりしている。

最初ルリアは別の部屋だったのだが、長い冒険を共にする内、いつの間にか同室で寝るようになっていた。

なんとかここまでたどり着いたルリアは、

「よいしょ、っと」

掛け声と共に、グランの身体をベッドに倒す。

開けっ放しのドアから光が漏れ、宴会の喧騒がうっすらと聞こえている。

「ふう」

と息をついて額の汗を拭うと、

「う……」

ごろり。

と身体を転がして、グランが仰向けになった。

顔は赤い。

(……大丈夫かな?)

大きめのベッドの横にしゃがみ、顔を近づけて、

「グラーン」

ぺちぺち、とルリアはその頬を叩いてみる。

「大丈夫ですかー?」

「……ん……」

薄目を開けて手の甲で額を押さえている少年は、やはりどうにも具合が悪そうだった。

「もう。わざとじゃなかったとはいえ、まだ大人じゃないのにお酒なんて飲むからですよ」

そう注意して、そしてふと、

「あ、こういう時って、お水を飲むといいんでしたっけ?」

どこかで聞いた知識を思い出した。

「ちょっと待っててくださいね、今、お水を――」

と、立ち上がって歩き出そうとした刹那。

まさに、刹那。

 

――ぐっ

 

と、腕を引っ張られた。

「え?」

思わず振り返るルリア。

見れば、いつの間にかグランが上体を上げて、自分の右腕を強く掴んでいる。

そして、

「どこいくのさ」

据わった眼で、そう言った。

薄明かりの中でも、その顔が、ひどく赤くなっているのが見えた。

「え、いや、だからお水を」

「お水?」

ぐぐぐ、と掴まれた右腕が引っ張られる。

「そんなの、いいよ」

そのまま、

「え、あ」

どさ。

と、ベッドに横向きにされる。

「え、や、な、なに?」

突然のことで何が何やらわからず、それでも反射的に、逃れようと身体をよじらせる。

が、騎空士として鍛えている少年と、か弱い少女との間では力の差は歴然で、

「ルリア……」

横から、身体を抱きしめられた。

「どうして、どこかに行っちゃうのさ。そんなのいやだよ。そんなことしちゃだめじゃないか」

耳元で、誰に向けた言葉なのかもわからないことを言われる。

「あ、や、やだ、やだ……」

ルリアは声を上げながらじたばたと暴れ、

「は、はなして、はなしてください……」

その拘束から逃れようとする。

が、少年の両腕は、自分の両腕ごとがっしりと抱きすくめていて、思ったような力が入らない。

「だめだよ、さわいじゃ」

もがいていると、そう言われて、今度は唇を手で塞がれる。

大きく、熱く、硬い手が、ルリアの口元を覆う。

酒の匂いが少し鼻を刺して、

「可愛いよ、ルリア」

今までこの少女が聞いたこともないような、特大の色気を孕んだ声音で、そんな事を耳元で囁かれた。

途端、

「…………ぁ」

ぐで、とルリアの全身から、一気に力が抜けた。

すとん、とどこかに落ちたような感覚がした。

屈した、と言い換えても良い。

それは、この無垢なる蒼の少女が初めて知る感覚だった。

すなわち、男に支配されるということ。男に組み伏せられるということ。

その理不尽さと、そしてその裏にある後ろ暗い悦びを、とても唐突かつ不条理な形で、初めて知ったのだ。

「良い子」

大人しくなったのを確認して、グランがルリアの口から左手を離し、今度は頭を撫でる。

「あ……」

抵抗はできなかった。

いや、抵抗できなかったのではなく、自ら抵抗をしようとしなかったのか。

そんな思考も、今のルリアには無い。

ただ息荒く、何も考えられず、されるがままにされていた。

「ふふ」

グランが妖しく笑い、頭に持っていった手を再び腰に回し、両腕でルリアを拘束する。

自分の胸に、正しくはその先端に、ぐりぐりと少年の逞しい両腕が押し付けられる。

「あ、あ……」

言葉にならぬ呻き声が、ルリアの口から漏れる。

「ルリアは可愛いよね……」

また、囁かれる。

酒の匂いが、鼻を差す。

「ああ、本当に可愛い……なんでこんなに可愛いんだろう……」

ぐぐ、とグランの両腕の力が強まる。

「嫌だな……ルリアがどこかに行っちゃうなんて……どこにも行かないでよ……ルリア……僕のルリア……」

僕の、をとても自然に言い、

「ああ、ルリア……」

ぼう、と恍惚した声で、

「全部僕のものにしたい……」

そんな事を言われた。

自分の何もかもが、吹き飛んでしまいそうだった。

 

 

 

「…………」

呼吸が荒い。

でも、どうすることもできなかった。

そのまま、ルリアはしばらく待っていた。

待っていたが、

「…………?」

もう意味を成す言葉は聞こえなかった。

代わりに、

「……すぅ」

穏やかな寝息が聞こえてきた。

気がつけば、締め付けるような腕の拘束がすっかり緩んでいる。

ちょっと身体をずらして、なんなく離れることができた。

「…………」

ぺたん、とベッドに座り込むルリア。

身体が熱い。

心臓が飛び跳ねるように暴れている。

目の前には、そんな自分の事など露知らずに、赤ら顔で穏やかに眠っているグランがいる。

全く回らない頭で、

「よ、酔ってたから……?」

なんとか、それだけを考えることができた。

「お酒が入ってたから、だから、あんな事……」

と、“あんな事”の中身を、脳が勝手に反芻しようとして、

「~~!!」

急激に恥ずかしくなり、ぶんぶんぶん、と首を横に振って無理矢理その思考を追い出そうとする。

追い出そうとするが、

「…………うぅ」

耳には酩酊し全てを曝け出した少年の囁きがこびりつき、身体にはきつく抱きしめられた感触と熱が生々しく残っている。

簡単に消えてくれるものではなく、もしかしたら一生消えないのではないか、と少女は思った。

そして、一生消えないのではないかという思考を、何故か受け入れている自分がいた。

むしろ、それに悦びを感じている自分すらいた。

「…………」

結局、少女はそれ以上の思考を放棄した。

そのまましばらく惚けながら、薄闇の中で少年の寝顔を眺めていると、

「ルリアー」

開けっ放しのドアから、声がした。

振り向けば、入り口にイオが立っている。

漏れた光から伸びた彼女の影が、ドアの形を切り抜いて部屋に広がっている。

「あ、イオちゃん……」

ぼんやりと、彼女の名前を呼ぶ。

「どうしたの?なかなか戻ってこないから、ちょっと様子見に来たんだけど」

「あ、そうなんだ……ごめんね」

「い、いや、謝らなくてもいいんだけどさ……団長は?」

「あ、今眠ったところで……」

「大丈夫そう?」

「うん」

「あ、良かった。いやね、オイゲンがちょっと心配してたのよ。ルリアが戻ってこないから、そこの酔っぱらい団長に何かあったんじゃないか、って」

「あ……大丈夫です。何にも、変なことはなかったから……」

「ん、わかった。あ、ルリアどうする?」

「?」

「宴会。まだもう少しやる感じだけど」

「あ、えっと……私も、ちょっと疲れちゃったので、このまま休みます」

「あれ、そうなの?」

「うん……ごめんね」

「んー、ま、いいわ」

あっけらかんとした声が響いて、

「ドア閉めとく?」

「あ、ありがとう。お願いします」

「ん。んじゃ、おやすみー」

イオがひらひらと手を振り、ぱたん、と静かにドアが閉められる。

部屋が真っ暗になり、

「……すぅ」

少年の静かな寝息だけが聞こえるようになった。

暗闇の中で、しばらく少女は佇み、

「ねえ、グラン」

ふと、思った。

「明日になったら、グランはこのこと、覚えてるかな……?」

人がひどく酔った場合、その時の記憶はきれいに忘れてしまうか、しっかり覚えているかの二つに分かれる、と言う。

「……」

もし、忘れていたら。

彼は、恐らく二日酔いに痛む頭を抑えながら、

「昨日のこと、あんまり覚えてないんだけど……僕、何か変なことしなかった?」

と、不安げに言うのだろう。

そして、

「ううん、何にも。変なことなんてありませんでしたよ」

と、素知らぬ顔で自分は言うのだろう。

あるいは、もし、覚えていたら。

「……ごめん。本当にごめん。とんでもないことした……」

と、本当に申し訳なさそうな顔をして、彼はこういう事を何度も言うのだろう。

「べ、別に大丈夫ですって。そんなに酷いことされたわけじゃないし、全然、あれくらいなら……」

と、自分はちょっと頬を赤らめながら、そういう事を言うのだろう。

「どっちかな……?」

毛布を引っ張って少年に被せ、自分もその隣に横になりながら、

「どっちでもいいな」

と、少女は結論づけた。

「でも」

少年の鼻の頭を、つん、と指先で小さくつついて、

「いつか、お酒が入ってない時でも」

指をおろして、そのまま目をつぶる。

「ああいうこと、してほしいな……」

ずいぶん疲れたらしく、まどろみはすぐにやってきた。

 

 

 

 

宴会が終わり、カタリナにすっかりやられたビィが、ふらつきながら部屋に戻ってきた。

寝息が二つ、重なって聞こえる。

「?」

疲れ切った頭で、

「なんかこいつらやけにくっついてんなぁ……」

ぼんやりとそう呟いて、すぐにビィもベッドに丸くなる。

二つの寝息が三つになるまで、そう時間はかからなかった。

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