その夜、少年は悪夢を見た。
夢の舞台は街道に面した草原。自分は剣を片手に、魔物の大群を相手取っている。敵はラウンドウルフという、狼の姿をした魔物だ。剣を構える自分のすぐ側では、赤いトカゲのような生き物が飛び回り、傍らには蒼い髪の少女がいる。
少年は二人に気を配りながら、剣を上段に持ち直す。と、一匹のラウンドウルフが鋭い牙を振りかざし飛びかかってきた。すんでの所で躱して剣を振り下ろす。血飛沫が跳ねる。すぐさま、次のラウンドウルフが襲いかかる。同じように躱し、剣を突き刺す。また、次。
これを何度も何度も繰り返した。戦っているのは少年だけではなく、彼の仲間である団員達もいる。ラウンドウルフの数はみるみる減り、ついに最後の一匹になった。大きい。おそらくこいつがリーダーだろう。
襲ってきた。少年は牙を躱そうとする。だが、その牙は自分を素通りした。飛び上がった狼の鋭い体躯は、自分ではなく、すぐ傍らへと向かっていく。
そこには、蒼い髪の少女がいた。
見る。白い喉。鋭い牙。流れる血。血の匂い。赤く染まった魔物の顎。
白い肌を真っ赤に染めた少女が地面に倒れていく。
刹那、目が合った。
自分は少女を見ている。少女も自分を見ている。
少女はどんな顔をしていただろう。少女は何を思っていただろう。
「――」
気づけば、少年は薄闇のベッドの上にいた。
◆
騎空艇グランサイファー。その団長室。
部屋は薄暗い。そろそろ日が昇ろうかという時間だった。
ベッドの上で、グランという名前の少年は右隣を見る。そこでは、相棒のビィが赤い小さな体を丸めて眠っている。
そして左隣を見れば、
「すぅ……」
蒼い髪をした、ルリアという名前の少女が、穏やかな顔で眠っていた。
「……」
少年は右手で額を抑えた。頭が痛い。目眩がする。服に汗が張り付いて気持ちが悪い。
少年には、今の悪夢に覚えがあった。いや、覚えがあるどころではない。つい昨日、彼はこの夢と全く同じ場面にいたのだ。
「ラウンドウルフが群れをなして人を襲うので退治して欲しい」
という依頼を、少年と少年が率いる騎空団が引き受けたのが、昨日の朝方のことだった。
依頼の場所に赴き、手の空いていた団員と、ビィ、ルリアと共にラウンドウルフの大群と対峙したのがその昼頃。
その後の展開は夢と同じだった。襲い来るラウンドウルフを仲間と共に倒していく。
だが違う点があった。夢では魔物に襲われた少女だったが、現実は、
「――っ!」
すんでの所で自分の剣が間に合ったのだ。だから少女は今ここで眠っているし、少年も今生きている。
危ない所だった。あとほんの僅か、一瞬でも遅れていれば、間に合わなかっただろう。
あの瞬間が、少年の目に焼き付いている。
事が終わってグランサイファーに帰ってきた後も、もし間に合わなかったらというifが、頭から離れなかった。
間に合わなければ、少女は死んでいた。同時に、生命のリンクにより自分も死んでいた。
自分が死ぬのは嫌だ。だが、目の前で少女に死なれるのはもっと、さらに嫌だった。嫌というより恐ろしいと言ったほうが良いかもしれない。
少年にとって、この少女に死なれるのは、この世で最も恐ろしいことだった。
「……」
死という単語を思うと、気分がさらに悪くなった。吐き気がする。喉がからからに乾いている。
水を飲みたいと思い、少年はベッドから出た。目眩を堪えながら少し歩いて、部屋の真ん中の机に向かう。そこには水を蓄えた水差しと、いくつかの小さなコップを置いてある。
水差しからコップに水を汲む。口をつけて一息に飲み干して、空になったコップを机に置いた。
そのまま何をする気にもなれず、少年は立ち尽くして天井を見つめる。まぶたは多少重かったが、夜明け前のこの時刻で寝直すわけにはいかない。
何より、眠ればまた同じ悪夢を見そうだった。
と、
「あれ」
ふっと声がした。ついで、もそ、と布団から這い出る音が聞こえる。
「早いですね……もう起きたんですか?」
寝起きだからか、その声は大分ぼんやりとしていた。
「ルリア」
少年は振り向いて、そう言った。
少女がベッドから出て、こちらに近づいてくる。
「あ、私も一杯もらいますね」
少女が机の水差しを手にとって、コップに注ぐ。口をつける。小さな顎が少し上がる。
喉元が少年の目に写った。
白い喉。牙が食い込んでいた……
「あっ」
少女がコップを落とした。絨毯の上に落ちたので割れはしなかったが、中身はまだ残っている。水が溢れて、絨毯に透明な染みを作った。
コップを落としたのは少女の不注意ではない。少年が、いきなり少女を抱きしめたからだ。
少女の喉元を、自身の細く逞しい腕で、庇うようにして包んでいる。
「え、あ、ど、どうしたんですか」
少女が言う。かなり動揺している様子だった。
「……」
抱きしめた腕が少し震えた。ちゃんと説明しなければならない、と少年はほとんど機能していない頭でそう思い、
「夢を、夢を見たんだ」
なんとか、そう言った。情けないほど泣きそうな声だった。
「君を守れなかった、目の前で、僕の……」
あとは、言うことができなかった。より強く抱きしめた。濡れた絨毯から冷たい水の温度が足に伝わってくる。
「……私が」
と、少女が言った。ずいぶん落ち着いた様子だった。
「死んじゃう夢とか、そういう夢を見たんですか?」
「うん」
「それで、怖くなった……んですか?」
「うん……」
「そうなんだ……」
少女が、少年の背中に腕を回した。優しく包むように、そっと抱き返す。
「大丈夫、大丈夫です。私、ちゃんと生きてるから」
耳元で、静かに言った。
「それに」
と、続ける。
「もし死んじゃっても、私は、グランと一緒だから……」
およそ尋常ではない事を少女は言ったが、
「……そうだね」
それで、少年も落ち着いた。静かに、体を離した。
「ごめんね、取り乱して」
「いえ、いいんです」
少女が少し微笑って、前もこんな事があったな、と思った。悪夢の世界を冒険した時の事。
あの時は自分が少年に抱きつく側だったが、今度は少年の方が抱きついてきた。
少し嬉しいと、少女は思った。