この愛しき空の世界   作:じぶよる

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死ぬよりこわい

その夜、少年は悪夢を見た。

夢の舞台は街道に面した草原。自分は剣を片手に、魔物の大群を相手取っている。敵はラウンドウルフという、狼の姿をした魔物だ。剣を構える自分のすぐ側では、赤いトカゲのような生き物が飛び回り、傍らには蒼い髪の少女がいる。

少年は二人に気を配りながら、剣を上段に持ち直す。と、一匹のラウンドウルフが鋭い牙を振りかざし飛びかかってきた。すんでの所で躱して剣を振り下ろす。血飛沫が跳ねる。すぐさま、次のラウンドウルフが襲いかかる。同じように躱し、剣を突き刺す。また、次。

これを何度も何度も繰り返した。戦っているのは少年だけではなく、彼の仲間である団員達もいる。ラウンドウルフの数はみるみる減り、ついに最後の一匹になった。大きい。おそらくこいつがリーダーだろう。

襲ってきた。少年は牙を躱そうとする。だが、その牙は自分を素通りした。飛び上がった狼の鋭い体躯は、自分ではなく、すぐ傍らへと向かっていく。

そこには、蒼い髪の少女がいた。

見る。白い喉。鋭い牙。流れる血。血の匂い。赤く染まった魔物の顎。

白い肌を真っ赤に染めた少女が地面に倒れていく。

刹那、目が合った。

自分は少女を見ている。少女も自分を見ている。

少女はどんな顔をしていただろう。少女は何を思っていただろう。

「――」

気づけば、少年は薄闇のベッドの上にいた。

 

 

騎空艇グランサイファー。その団長室。

部屋は薄暗い。そろそろ日が昇ろうかという時間だった。

ベッドの上で、グランという名前の少年は右隣を見る。そこでは、相棒のビィが赤い小さな体を丸めて眠っている。

そして左隣を見れば、

「すぅ……」

蒼い髪をした、ルリアという名前の少女が、穏やかな顔で眠っていた。

「……」

少年は右手で額を抑えた。頭が痛い。目眩がする。服に汗が張り付いて気持ちが悪い。

少年には、今の悪夢に覚えがあった。いや、覚えがあるどころではない。つい昨日、彼はこの夢と全く同じ場面にいたのだ。

「ラウンドウルフが群れをなして人を襲うので退治して欲しい」

という依頼を、少年と少年が率いる騎空団が引き受けたのが、昨日の朝方のことだった。

依頼の場所に赴き、手の空いていた団員と、ビィ、ルリアと共にラウンドウルフの大群と対峙したのがその昼頃。

その後の展開は夢と同じだった。襲い来るラウンドウルフを仲間と共に倒していく。

だが違う点があった。夢では魔物に襲われた少女だったが、現実は、

「――っ!」

すんでの所で自分の剣が間に合ったのだ。だから少女は今ここで眠っているし、少年も今生きている。

危ない所だった。あとほんの僅か、一瞬でも遅れていれば、間に合わなかっただろう。

あの瞬間が、少年の目に焼き付いている。

事が終わってグランサイファーに帰ってきた後も、もし間に合わなかったらというifが、頭から離れなかった。

間に合わなければ、少女は死んでいた。同時に、生命のリンクにより自分も死んでいた。

自分が死ぬのは嫌だ。だが、目の前で少女に死なれるのはもっと、さらに嫌だった。嫌というより恐ろしいと言ったほうが良いかもしれない。

少年にとって、この少女に死なれるのは、この世で最も恐ろしいことだった。

「……」

死という単語を思うと、気分がさらに悪くなった。吐き気がする。喉がからからに乾いている。

水を飲みたいと思い、少年はベッドから出た。目眩を堪えながら少し歩いて、部屋の真ん中の机に向かう。そこには水を蓄えた水差しと、いくつかの小さなコップを置いてある。

水差しからコップに水を汲む。口をつけて一息に飲み干して、空になったコップを机に置いた。

そのまま何をする気にもなれず、少年は立ち尽くして天井を見つめる。まぶたは多少重かったが、夜明け前のこの時刻で寝直すわけにはいかない。

何より、眠ればまた同じ悪夢を見そうだった。

と、

「あれ」

ふっと声がした。ついで、もそ、と布団から這い出る音が聞こえる。

「早いですね……もう起きたんですか?」

寝起きだからか、その声は大分ぼんやりとしていた。

「ルリア」

少年は振り向いて、そう言った。

少女がベッドから出て、こちらに近づいてくる。

「あ、私も一杯もらいますね」

少女が机の水差しを手にとって、コップに注ぐ。口をつける。小さな顎が少し上がる。

喉元が少年の目に写った。

白い喉。牙が食い込んでいた……

「あっ」

少女がコップを落とした。絨毯の上に落ちたので割れはしなかったが、中身はまだ残っている。水が溢れて、絨毯に透明な染みを作った。

コップを落としたのは少女の不注意ではない。少年が、いきなり少女を抱きしめたからだ。

少女の喉元を、自身の細く逞しい腕で、庇うようにして包んでいる。

「え、あ、ど、どうしたんですか」

少女が言う。かなり動揺している様子だった。

「……」

抱きしめた腕が少し震えた。ちゃんと説明しなければならない、と少年はほとんど機能していない頭でそう思い、

「夢を、夢を見たんだ」

なんとか、そう言った。情けないほど泣きそうな声だった。

「君を守れなかった、目の前で、僕の……」

あとは、言うことができなかった。より強く抱きしめた。濡れた絨毯から冷たい水の温度が足に伝わってくる。

「……私が」

と、少女が言った。ずいぶん落ち着いた様子だった。

「死んじゃう夢とか、そういう夢を見たんですか?」

「うん」

「それで、怖くなった……んですか?」

「うん……」

「そうなんだ……」

少女が、少年の背中に腕を回した。優しく包むように、そっと抱き返す。

「大丈夫、大丈夫です。私、ちゃんと生きてるから」

耳元で、静かに言った。

「それに」

と、続ける。

「もし死んじゃっても、私は、グランと一緒だから……」

およそ尋常ではない事を少女は言ったが、

「……そうだね」

それで、少年も落ち着いた。静かに、体を離した。

「ごめんね、取り乱して」

「いえ、いいんです」

少女が少し微笑って、前もこんな事があったな、と思った。悪夢の世界を冒険した時の事。

あの時は自分が少年に抱きつく側だったが、今度は少年の方が抱きついてきた。

少し嬉しいと、少女は思った。

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