魔法使い×あさき☆彡   作:かつたけい

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第七章 決戦 広島対大阪

 

     1

 自転車を漕いでいる。

 

「うおおおおお!」

 

 (あき)()(かず)()が、凄まじい雄叫びを張り上げながら。

 真っ赤なママチャリを。

 

 急な上り坂であるため、速度はほとんど出ていない。

 速度こそ出てはいないが、しかし運転は実にダイナミックかつスリリング。

 

 ぎっちらぎっちら、ガッチャンガッチャン、買い物カゴに詰め込まれた荷物が、飛び跳ねて落ちそうになるのを、巧みなハンドルさばきで、前輪をスライドさせてすくいながら、手動式かき氷のハンドルのように、ガリガリガリガリ豪快にペダルを踏み込んで、坂を上っている。

 

 自転車の前カゴだけでなく、背中の巨大リュックも物がぎっちり入っているようで、パンパンに膨らんでいる。

 

 ようやく、この長い急坂の、終着地点が視界に入って来ようかというところで、カズミはラストスパートをかけた。

 

「おおおおおおおっ!」

 

 ペダルを踏み込む足に、脚力を限界まで込める。

 チェーンが切れるか骨が砕けるか、どっちが先かというくらいの力を。

 

 ターボエンジンの点火に、自転車が信じられない加速を見せる。

 鯉の滝登りのように、物理法則完全無視で、ぐんぐん進んでいく。

 

「頑張れー! カズミちあゃん!」

「カズにゃんファイトー!」

「コケたら笑うでえ」

 

 坂の上に立っている、(りよう)(どう)()(さき)(へい)()(なる)()(みち)()(おう)()が、楽しげな顔で賑やかに声援を送っている。

 いや、慶賀応芽のは声援とはちょっと違うか。

 

 他にいるのは、(あきら)()(はる)()と、(おお)(とり)(せい)()

 

 この五人が見守っている中を、カズミの漕ぐ自転車は、がちゃんがちゃんと金属を叩き付けるような、けたたましい音を立てて、走る、というか登る。登っている。

 

 その音や豪快な雄叫びは、正直近所迷惑であろうが、カズミの前に常識無し、がっちゃんがっちゃんペダルを踏み込み踏み込み踏み込み抜いて、そしてついに、ゴオオオオオーール!

 勢い余り、ちょっと宙を舞って、そして、どしゃりっと凄い音とともに、着地した。

 

「凄い、カズミちゃん!」

「五輪出られるよ五輪!」

 

 盛大な拍手で迎える、アサキたち五人。

 無駄な努力を単にからかっているだけ、に見えなくもないが。

 

 何故に無駄かといえば、坂があまりにも急で、どう考えても漕がずに押した方が遥かに効率がよいからだ。

 

 とにかくそんなこんなで、坂道を登り終えたカズミは、

 

 ふいー

 

 疲労を吐息に混ぜながら、心地よさそうに額の汗を拭った。

 理屈など関係ない。坂があるから登る。そんな顔だ。

 

「買い物、お疲れさん」

 

 治奈は近寄りながら、カズミの自転車に、まじまじとした視線を向けた。

 

「よくやるけえね、こがいな坂を。ただのママチャリじゃろ」

 

 なにか細工でもしていないか、とフレームやタイヤをこんこん叩いたり触ったりしてみるが、種も仕掛けもないようだ。

 

「なんてことねえよ。あたしは()()ペダルだからな」

 

 サドルにまたがったまま、得意がって胸を張るカズミ。

 

「ねえ、強虫ペダルってなあに?」

 

 アサキが、疑問符ステッカーをぺたぺた貼り付けた真顔を、ぐぐぐーっとカズミへと寄せた。

 

「うるせえな、なんとなくいってみただけの言葉にいちいち食い付いてくんなよ!」

 

 ズガーーッ、と頬へめり込むカズミの鉄拳。

 鬱陶しさに切れたのだろう。

 

「あいたあっ! わ、わたし殴られるようなこといいましたかあ?」

 

 アサキは、ほっぺた押さえて泣きそうな不服そうな表情である。

 

「もうその顔自体が殴ってくださいって顔なんだよ」

「どんな顔だーーーっ!」

 

 理不尽暴論に納得いかず、アサキは抗議の雄叫び張り上げる。

 

「そんな顔やな」

 

 いつの間にか横に立っていた慶賀応芽が、涙目アサキの小さな鼻をちょこんとつっつくと、わははと笑った。

 

「そうそうその顔……って、関西系嫌味キャラの分際で、さりげなく溶け込んでくんじゃねえよお!」

「なんやあ? 嫌味キャラあ?」

 

 アサキを挟んで、またやり合いを始める二人。

 

「どう考えても嫌味キャラだろが、初対面の時から、無駄な毒舌ばかりぶちまけてんじゃねえかよ」

「気を遣うてだいぶオブラートに包んどるわ」

「凄まじく品質の悪いオブラートだな」

「まあまあ、カズミちゃん。今日は、ウメちゃんのための日なんじゃからっ。こらえてこらえて」

 

 治奈が仲裁に入り、カズミの肩をやさしく叩いた。

 

 一人だけ我慢を強いられたと思ったか、カズミは不満げな顔で、ぐぬぬっと言葉を飲み込んだ。

 

 それを見てスッとしたか、それとも持ち越さない性格なのか、応芽はもうケロリと澄ました顔である。

 

「でもさあ、さりげなく溶け込んでるってのはホントだよねー。いつの間にか、いて当然になってるもんねー」

 

 と、平家成葉が不思議そうな楽しそうなといった顔だ。

 

「ほうじゃのう。紆余曲折はあったにせよ。……アサキちゃんなんか、いまだに他人行儀でよそよそしいとこあるけえね」

 

 治奈は突然、やばっという表情になって、慌てて、手で口を塞いだ。

 もう全部喋ってしまった後なので、そんなタイミングで塞いだところで意味がないのだが。

 

「えーーーーっ。そんなことないよおーーっ。他人行儀じゃなあい!」

 

 指をぷるぷる震わせていたアサキは、突然、駄々こねる幼児みたいに身体を左右に振り振り暴れ始めた。

 

「なんかショックだああ。……かなり頑張っているのにいいいいい」

「あ、あ、あの、ごめんね、アサキちゃん。冗談、冗談じゃけえ。……とっ、溶け込んどるよ。打ち解けとるから、こがいな軽い冗談もいえるわけで……」

「そうですよ。アサキさんが頑張っているのは、見ていてよく分かっていますから」

 

 笑顔でフォローするのは大鳥正香である。

 

「……あれ、ゴエにゃん、なんかいつも以上に笑顔が暗くなあい? なんかあった?」

 

 正香の笑顔に、なにか陰りの色を読み取ったのだろうか。

 幼馴染の親友である、平家成葉が尋ねた。

 

「いえ、別になんにもないですよ」

「ならいいけどさ。……それより、アサにゃんの話だけどさあ、ゴエにゃんのいう通りその頑張りがさあ、思い切り見えるというか、やたら主張をするから、なんていうのかなあ、よそよそしく感じるんだよねえ」

「ええーっ」

 

 せっかく正香がフォローしてくれたというのに、成葉が正直なことをズバズバいってきたものだから、アサキの胸にはブッスリブッスリと矢が突き刺さって、立っているのもやっとというくらい、フラフラよろけてしまった。

 という状態のアサキに、成葉はさらに構わず、平気で言葉を浴びせる。

 

「そうやって溶け込もう溶け込もうと意識してるせいなのか、アサにゃんっていつもオーバーリアクションだしさあ」

「その発言、異議ありギャハーーーーーーー!」

 

 アサキの、奇妙な絶叫が、天王台の住宅街に轟いた。

 オーバーリアクションは生まれつきだあっ、と指をピッと突き出し主張しようとして、うっかり電柱を思い切り突いてしまったのだ。

 

 ぐぐ

 あまりの激痛に、

 

「いだいよおおおおお。指がああああ。ぐうううううう」

 

 指を押さえて屈み込んでしまった。

 なんだかみっともない光景である。

 

 涙目で必死に痛みをこらえているアサキの背中を、慶賀応芽がポンポンと優しく叩いた。優しくといっても、別に慰めるつもりではないようだが。

 

「あんなあ、気を悪くしないで欲しいんやけどな、ちょっと疑問に思ったんで聞いとくな。……自分ち、両親もバカやろ」

 

 ピコーン。

 本日の毒舌カウントプラスワン。

 

「くううう、いったああああ……。実の親はね、たぶん……娘が、こんなだし」

 

 おバカが遺伝というならば、応芽のいう通りなのだろう。

 

 アサキは、まだ痛そうに指を押さえたまま、立ち上がると、涙と鼻水でみっともなくなっている顔で、恥ずかしそうにえへへっと笑った。

 

「ん? なんや、実のって?」

「ああ、アサキちゃんな、義理の両親に育てられとるんよ」

 

 問いに、治奈が代わって答えた。

 

「ああ、そうなんや。最初から?」

「小学五年の時から」

 

 アサキが正直に答える。

 別に隠していることでもないので。

 実の親が、もうこの世にいないことなども。

 その実の親から虐待を受けていたことだけは、あまり他人に話したくないことであるが(といっても以前、義母が酔って治奈に話してしまっているが)。

 

「小五か。すっかり物心がついてからやから、色々と窮屈やろ。……あたしは、こっちきてからの一人暮らしやから、思いのほか気楽でええで」

「え、え、ウメちゃん一人暮らしなんだ。中学生で一人暮らしって出来るの? してもいいの?」

「駄目やなんて、日本国憲法にも都道府県の条例にも、マグナカルタにも、どこにも書いてないで」

「へえ、凄いなあ。ウメちゃん、一人暮らしなんだあ。大人だなあ」

「いや、そんなことないけどな、適当にやってるだけやし。ゴミもよう出されへんくらいやし」

 

 単純に褒められて、まんざらでもなさそうな応芽の表情である。

 

「ウメキチが大人でも子供でも、どうでもいいけどさあ、それより、へっとへとのカズミ様の荷物を、少し持ってやろうって奴は、いねえのかよ!」

 

 自転車カゴにでっかい荷物山積み、背中もバカでかいリュックぎっちり、のカズミが、さすがに痺れを切らして、怒鳴り声を上げた。

 

「あ、ご、ごめんなさいっ。じゃ、わたしはこれっ」

「では、わたくしは残る方を」

 

 前カゴに積まれた大きな二つのレジ袋を、アサキと正香が、それぞれ取り出して、手に提げた。

 

「へとへともヘチマもあらへん、チャリ降りて押せばいいところを、勝手に急坂漕ぎチャレンジしただけやろ」

 

 応芽だけは全然優しさなど見せず、むしろ呆れたといった表情で突っ込んだ。

 

「やかましい、関西弁! 分かっちゃいるけど、この坂に差し掛かると、つい漕ぎたくなっちゃうんだよ」

「ますます自分の責任やろ。まあええけどね。ほなあ、行こか」

 

 応芽は、くるり踵を返して歩き出した。

 と思うと、またすぐにくるり。

 

「そもそもどっちや、(あきら)()の家って」

 

 そこでこれから、応芽の歓迎会が開かれるのだ。

 

 そのための買い出しを、カズミが一人で引き受けて、それでママチャリの前カゴとリュックに荷物がぎっちぎちだったのである。

 

 たっぷり恩を売っとけとか、好感度上げとけとか、仲良くしておいた方がいいよ、などとみんなにいわれて、ついその気になって。

 

 やっぱり顔を合わせれば、このように争ってしまうし、いずれにしても応芽はぜーんぜんカズミのそんな努力を感じている様子もなかったが。

 

 いや……そうでもないか。

 

(あき)()、ほなそのリュックあたしがしょったるわあ。重かったやろ」

 

 応芽が元気に笑いながら、カズミのリュックを背中から、半ば強引にもぎとったのである。

 

 そのせいで自転車がカズミごと豪快に転倒して、また二人は胸倉掴んでやり合うことになるのであるが、それはそれとして。

 

     2

「おー、カズミちゃんたち、久しぶりじゃの。話は、(はる)()から聞いとるけえ」

 

 店の中に入るなり、カウンターの奥にいる(あきら)()(ひで)()が威勢のよい声で出迎えた。

 秀雄は治奈の父親であり、ここ「広島風お好み焼き あっちゃん」の店主である。

 

「ああ、どうもおじさん。えっと、本当にここを借りちゃっていいんですかあ? 一応こいつの一応歓迎会なんすけど一応」

 

 (あき)()(かず)()が、一応一応連呼しながら(みち)()(おう)()の肩を叩いている。

 

 応芽が、鬱陶しそうに、パシリその手を払った。

 

「おう、今日はもともと五時半からなんでの。五時くらいまでに終わるんなら、まったく問題ないけえね」

「じゃあすみません、遠慮なく場所使わせてもらいまあす」

「おう、賑やかな環境で店の仕込みをするのも、気分が変わってええからのう」

 

 明木秀雄は、無骨な顔と声に似合わない可愛らしい笑みを浮かべた。

 

「一応一応って、なんで三べんもいうんや!」

 

 応芽が、かなり遅れたタイミングでカズミの台詞に突っ込んだ。

 

「え、だってそこ一番大切なとこだから」

 

 ピクリ、と応芽の頬が引きつった。

 が、すぐに小さなため息を吐いて、

 

「まあええわ。好かれよ思うとらんし」

「まあええなら最初から黙っとけ。こっちの耳が減る」

 

 そんなしょうもない会話をしながら、カズミは先ほどまで背負っていた大きなリュックを開き、中身をどんどん取り出して、無造作にテーブルへと置いていく。

 

 色々と入っているが、基本的に食べ物、飲み物、お菓子、の類である。

 

 (おお)(とり)(せい)()(りよう)(どう)()(さき)も同様に、自分たちの持っていたレジ袋の中身を取り出して、テーブルへと置いていった。

 

「ずいぶん買うたのう。じゃけえ、みんな、あんまり食べ過ぎん方がええぞ。後で、最高のお好み焼きを焼いたるけえね」

「はい、どうも……」

 

 と、カズミが後ろ頭に手を当てながら、応芽たちへと振り返った瞬間、飛び込んで来た映像に、

 

「もう食ってんのかよ!」

 

 思わず驚き、叫んでいた。

 

 応芽と成葉が、唐揚げの入ったフードパックを開いて、手掴みで食べていたのである。

 

「なかなかイケるねえ、外側がカリッとしてて。ね、ウメにゃん」

「まあ悪くはないな。って、今更やけどウメにゃんてなんや!」

「じゃ、お梅ちゃん」

「絶対いま漢字で梅って思うたやろ! お婆ちゃんみたいやん」

「じゃ、やっぱりウメにゃんだあ」

 

 こんな学芸会のゆるゆるコントみたいな会話しながら。

 

「なんで平家成葉に、そんな変な名前で呼ばれにゃならんのや」

「だあってさあ、下の名前が(おう)()でしょ。オウにゃんって変じゃなあい? 呼ばれたいなら呼ぶけど」

「せやから、そもそもどうして名前に『にゃん』を付けにゃならんねんゆうとんじゃ。ここは秋葉原か日本橋か。つうか、うちらもう中二やで、堪忍してや」

「あのねえ、成葉ちゃんはねえ、みんなをそうやって呼ぶんだよ」

 

 アサにゃんが首を突っ込んだ。

 首を突っ込むだけでなく、手もぐいっと突っ込ませて、唐揚げを一つ摘んだ。

 

 応芽と成葉もさらに一つず取って、結局、フードパックをまるまる一つ空けてしまった。

 

「お前らなあ……せっかくハルハルの親父さんが美味いの焼くぞって気合入れてくれてるのに、ほんっとデリカシーというかマナーというか常識というかもろもろ欠落したやつらだなあ。あーやだやだ」

 

 はあああっ、とため息を吐くカズミ。

 

「そういうの一番欠落してるのカズにゃんじゃないかあ!」

「単にお腹すかせときたいだけのくせに!」

 

 ハムスターのヒマワリみたいに、口にいっぱい詰め込んで、モゴモゴ反撃している成葉とアサキに、

 図星をつかれたか、ぐっ、とカズミが言葉を飲んでいると、

 

「こんにちはあ」

 

 店の奥から、元気な、幼い声が聞こえてきた。

 治奈の妹である(あきら)()(ふみ)()が、ひょっこり顔を覗かせた。

 

「おーー、フミにゃあん。ひっさしぶりいっ。今日もとっても可愛いねえっ、お姉ちゃんと違ってえ」

 

 成葉がささっと近寄って、笑いながら頭を撫でた。

 自分より背の小さい子と接する機会がほとんどない彼女は、この治奈の妹のことが可愛くてたまらないのである。

 

「つ、つまりお姉ちゃんの方は、可愛いではなく美人ゆうことじゃな」

 

 可愛い妹の姉は、頑張ってよい方へ捉えようとしているようだが、しかし頬がぴくぴく引きつってしまっている。

 

「ああっ、紛らわしくてごめんねハルにゃん、言葉が足りなかったからあ、確かにそんな前向きな意味にも受け取れちゃうよねーっ」

 

 あっけらかんと笑う成葉の両肩に、治奈の両手が荒々しく落ちる。

 

「発言の真意通りの後ろ向きな言葉を、いまここではっきり聞かせて貰いましょうかあ」

 

 引きつっている顔を、ぐぐーっと成葉へと寄せた。

 

「実際、貰い手ないけえね。このままじゃと」

 

 明木秀雄が、キャベツをトントン刻む音にわざわざ乗せたのか紛らわそうとしたのか、とにかくぼそっと呟いた。

 

「お父さんっ!」

 

 いずれにせよ、治奈の耳にははっきり届いたようで、ぎろりと睨む視線の矛先が、成葉から父親に変わった。

 

「なん、ほんとのことじゃろが。勉強もせんとマンガばかり読みよる。テレビゲームばっかりしちょる」

「別に、こ、こがいなとこでいう必要ないじゃろ!」

「こがいじゃからいうんじゃ。家事もせん、料理もお好み焼きしか知らん。風呂上がりにパンツ探して素っ裸でウロウロしとる。嫁に行けん」

「分かったよ。しっかり勉強すりゃええんじゃろ。料理もお母さんに教えて貰うけえ」

 

 このような場を上手く利用されやり込められて、むすーーーっと潰れたような顔の治奈である。

 

「なんや、明るい家族やなあ」

 

 でも、微笑み浮かべながらの、応芽のさりげない言葉に、

 

「……それが自慢じゃけえね」

 

 不満どこへやら。

 家族を褒められ、嬉しそうな、恥ずかしそうな、そんな顔で笑った。

 

 恥ずかしそうなといえば、奥のテーブルで史奈とアサキが、もっと恥ずかしい話をしているが。

 

「そしたらお姉ちゃん、地震じゃあってパニック起こしてお風呂から飛び出しちゃってねえ、びしょびしょ素っ裸で外へ出ようとするから、やめてえって止めるの大変だったんだよお」

「うえーーー、ほんとに家ではそんな感じなんだああ。イメージ変わるなあ。それは妹としても恥ずかしかったねえ」

「恥ずかしいどころじゃないよお」

「フミ!」

 

 ダンッ、と治奈がカウンターを、拳で殴り付けた。

 

 びくり肩をすくませた史奈は、口をぎゅっと閉ざし、うつむきながらも、おかしそうにアサキと笑みを交わしあった。

 

 そのアサキの方が、ちょっと変な顔になった。変というより、クエスチョンマークのシールがぺたぺた貼られたような顔になっていた。

 テーブルの対面に、正香とカズミが座っているのだが、その正香の様子がどこかおかしいことに、気が付いて。

 

 どこがおかしいんだろう。

 ああ、そうだ。

 いつも穏やかな笑みを浮かべているのに、なんだか真剣な、思い詰めた顔をしちゃっているんだ。

 どうしたんだろう。

 

「ね、正香ちゃん、具合悪いの?」

 

 尋ねると、正香は不意に声を掛けられたことにビクリ肩を震わせ、ハッとした顔を上げた。

 

「いえ、なんでもありません」

 

 ようやく、笑みを浮かべた。

 いつもの笑みとはちょっと違う気もするが。

 

「ならいいけどさあ」

「おー、アサにゃんも気付いたあ? なーんか最近のゴエにゃん、暗いんだよねえ。いつも暗いけどそれ以上にさあ」

「ですから、わたくしは別にどうもしてはおりません。普段通りですよ。ご心配ありがとうございます」

 

 作り直すかのように、また笑みを浮かべると、正香、ふと視線きょろきょろさせて、

 

「ふと思ったのですけど、わたくし、ここへきたのは初めてですね」

「えーーっ、そうだっけえ?」

 

 片あぐらを組みながら驚いているのは、カズミである。

 

「はい。ご両親とは、運動会や授業参観の時などにお見かけして、少しお話もしておりますし、初めてではないのですが」

「そっか。そんじゃあ正香も、治奈の親父さんのお好み焼き、食べたことねえんだ」

「ええ。そもそもこれまで、お好み焼きという食べ物自体を、食したことがありません」

「えーーーーーっ。美味いのに勿体無いなあ。まあ正香らしいといえば正香らしいか。大衆食全般、給食以外で一度も食べたことなさそうだもんなあ」

「大衆食でまことに申し訳ございませんねえ」

 

 カウンターに一人座っている治奈が、頬杖ついてぶすくれている。

 勉強しないとか、地震に裸で外へ出ようとしたりとか、もろもろ暴露されて、もともと虫の居所が悪かったのだろう。

 

「んだよ、美味いって褒めたろが!」

「ほじゃけど、わざわざ大衆とかいわれると……そもそも美味しいのは当たり前じゃ!」

「わざわざ高級とかいっても嫌味でしょうが!」

 

 などと、治奈とカズミが軽くやり合っていると、今度はアサキがきょろきょろ視線を泳がせ始めた。

 

「そういや、わたしもこのお店は初めてだあ。史奈ちゃんと会ったのもお」

「ツーテンポ遅いんだよ、その話! つうか、そのくせフミちゃんとは馴染んでんのかよ! 同じ学年とはよそよそしいくせに、なんなんだお前は。幼児か」

 

 カズミの、ぽっかん殴りながらの、矢継ぎ早な突っ込みに、

 

「うん、小四のフミちゃんの方が大人だよお」

 

 アサキは、頭に手を当てながら、笑った。

 

「高級や大衆やって、不毛なやり取りようするわ」

 

 いつの間にか、成葉と一緒にスナック菓子にまで手を出している応芽が、不意に口を開いて、つまらなそうな表情で横槍を入れた。

 

「でも、大事なポイントじゃろ? さすがに高級ではなくとも、大衆の中での上位にいたい。ほじゃけど、そもそも大衆とも呼ばれとうない」

「こだわろうっちゅう気になるのが分からへんわ。だって広島のって、お好み焼きゆうたかて、勝手にそう呼んどるだけの、あれやろ、意味不明なソバが敷いてあって、上にぺらぺらーんとした薄っ皮が乗っかっとるだけの。キャベツばっかりの」

「そ、そこがええとこじゃけえね。ソバもぺらーんも意味あってそうしとるのよ」

 

 治奈が唇を尖らせる。

 落ち着こうと、必死に笑みを浮かべようとしているが、ぴくりぴくり、頬の肉が引きつってしまっている。

 

「いやあ、食うたことはないねんけどな。どこぞの郷土料理としてならともかく、お好み焼きとはちゃうやろあれは。別物や。層になっとるのに、調和が微塵もないやん」

「食うてからいええええええ!」

 

 立ち上がりながら、ダガーンと激しく拳をカウンターに叩き付けた。

 

「おー珍しいっ! ハルにゃんが怒ったああ!」

 

 成葉が、面白おかしそうに囃し立てる。

 

「別に怒ってなどはおらん! さっき成葉ちゃんがいっていた通り、うちは可愛いより美人、大人じゃけえね」

 

 誰も一言もそんなこといっていないが。

 

「ほじゃけど、食べたことないモンにうちのメニューをボロカスいわれるのは我慢ならん。……ウメちゃん、『関西風』のお好み焼きは焼きよる?」

「『お好み焼き』なら、まあ得意やで。豚玉やな」

 

 応芽は、にやり不敵な笑みを浮かべた。

 

「よおゆうた。ほいじゃあ、うちとウメちゃんと、どっちの作るのが美味しいか、勝負じゃ!」

 

 治奈は、ぐっと握る右拳を応芽へと突き出した。

 

「構へんで。ここの調理場、好きに使うてええんか?」

「勿論よ。具材も、お誂え向きにたっぷり仕込んであるけえね」

「え、え、ちょっと、おい、それ店の……」

 

 治奈の父、秀雄が焦った表情で手を伸ばす。

 

「広島人のプライドがこの勝負にかかっちょるんよ! うちの双肩に! この拳に! カープのメットのような赤い血に!」

 

 治奈は、ぐっと握った右拳を父へと突き出した。

 

「広島の、プライド……。よおし、思い切りやれえ! そばも豚もキャベツも好きなだけ使え! じゃけえ負けたらもう家には入れん!」

「上等!」

「おう、その意気やよし! お好み焼き屋の娘じゃ」

 

 秀雄と治奈は、笑みをかわしながらコツンと拳を合わせた。

 

「絶対に負けんよ」

「おお、目が燃えとるけえね」

 

 秀雄はしばらく娘と目を合わせていたが、やがて、くるり応芽の方を向いた。

 

「コウメちゃんとかゆうたな、関西のお嬢ちゃん。残念じゃけど、戦う前から勝負ありじゃな。治奈は、容姿だけは並より上じゃが、漫画とゲームばかりで勉強はバカじゃけえ。たまに、思いついた下品な駄洒落に、一人で受けとる。ほじゃけど、鉄板を前にしたら、なかなかの腕前よ」

 

 腕を組んで、はっはっはっと高笑いした。

 

「褒めるつもりなら、余計なこというのやめて欲しいんじゃけど。……ウメちゃん、覚悟が出来たら始めよな」

「おう、こっちはいつでもええで」

 

 応芽は不敵な笑みを浮かべながら、指をぽきぽき鳴らした。

 

「負けんよ」

 

 治奈はそういうと、自分も指をぽきぽき鳴ら……そうとしたがいくら頑張っても全然鳴らないので、ごまかすように、そそくさ調理の準備に取り掛かった。

 取り掛かりながら、こっそりともう一回、指を鳴らすのにチャレンジしたら、今度は鳴ったが、こすっ、と微かな音しか立たず、恥ずかしそうに咳払いをした。

 

「ほな遠慮なく使わせてもらうでえ。……勝負開始い」

 

 応芽の、リラックスしているような、余裕綽々な態度。

 

 を横目に治奈は、

 

「焼きでは負けんっ! 鉄板点火じゃあ!」

 

 ごおおおとっ目にメラメラ炎を燃やしながら、叫んだ。

 

 広島大阪お好み焼きバトル。

 こうして、火蓋が切って落とされたのである。

 

     3

「うっひゃあああ、こんなムキになってるハルにゃん珍しいよお」

「ああ、いっつも飄々颯爽としてるくせにな。……去年あたしがスカートめくって男子の前で豪快にパンツさらした時にゃあ、さすがに泣いちゃったけどさ」

 

 料理バトルを見ながら、気分わくわく楽しそうに軽口を叩いている、(なる)()とカズミ。

 

「そそっ、そがいなこと今いう必要ないじゃろ! 戦意が萎えるじゃろが!」

 

 その時のことを思い出したか(はる)()、顔が真っ赤である。

 

「そうだぞ成葉あ! いっていいこと悪いことくらいわきまえろよな! 大事な勝負なんだから。……治奈、絶対にウメッチョなんかに負けんじゃねえぞ。あたしのアサキは、こないだバスケ勝負にちゃんと勝ったぞお」

「おう、必ず勝って二連勝じゃけえね」

 

 治奈は、ぎゅっと握った拳を力強くカズミへと突き出すと、手元の卵を手慣れた手付きで割り始めた。

 

「カズミちゃん、『あたしのアサキ』ってなんですかあ?」

 

 勝手に所有物扱いされていることに、それとなく突っ込みを入れるアサキ。

 数秒後に、余計なことを聞かなければと自分の迂闊さを後悔することになるのだが。

 

「ん? ほらあれと同じだよ、あたしの物はああたしの物お、アサキの物もおアサキの物お」

「それじゃ普通だよお」

「あ、あ、そうだな。えっと、あたしの物はアサキの物、じゃなくて……」

「それだと単なるお人好しで、横暴な暴君であるカズミちゃんらしくないよお」

「おお。ってか、なんだよ暴君って! あたしがいつ横暴なことしたよ!」

 

 ズガーーン! 燃えるバーニングファイヤーな炎の鉄拳がアサキの頬にめり込んだ。

 

「あいたああっ!」

「さらに、ネックハンギングツリーーッ!」

 

 両手でアサキの首をぎりぎりと締め上げる。

 

「ぐぐぐるじいいい。やめてええええ」

「さらにさらに、フリッツフォンエリックとくればそう、アイアンックローーーーーッ!」

 

 ぱっと首締め解除したかと思うと、まだ青冷めたままのアサキの顔を、ガシーッとわし掴んで爆熱シャイニング!

 

「ぎゃーーー! 顔痛い顔痛い! 爪! 爪食い込んでる痕になる爪痛い! やめて痛いやめて痛いやめてえええ!」

「どうだっ、ギブアップかあ?」

「ギブ、ギブアップ! ギブアップするよお! ごめんなさあい! ってなんでわたしが謝らないといけないのお?」

「おーっと、アサキ選手がギブアップ宣言するも、ジョー樋口レフェリーまた今日もブロディに殴られて伸びているう!」

「痛い痛い痛い! ギブアップうううさああせえええてえええええ!」

「勘弁してやっか。感謝しろよ」

 

 ようやく鉄の爪を解除するフリッツフォンエリック。

 

「ありがとおおおお!」

 

 などと、カズアサコンビが、相変わらずのバカなことをしている間に、広島大阪お好み焼き対決は、激烈な火花を散らし続けている。

 激烈といっても、治奈からの一方的な火花であるが。

 

 治奈と応芽の二人は現在、鉄板の端と端とで、焼きに入っているところ。

 もう仕上がりそうだ。

 

「完成じゃ!」

「出来たでえ!」

 

 声が上がったのは同時だった。

 

「おーーーっ!」

 

 成葉が首を振り、双方のお好み焼きを見比べながら、びっくり驚きな声を上げた。

 焼いているところはずーっと見ていたわけで、別に本当に仕上がりに驚いたわけではないのだろうが。

 

 一枚の円盤状に焼き上げられて、上にはたっぷりのソースが塗られ、格子状にマヨネーズが掛かり、うっすら青のりが覆っている。

 これが、応芽の焼いた物。

 

 同様にソースやマヨネーズは掛かっているが、生地は薄く、下に敷かれたソースの絡んだそばがはみ出ているのが、治奈の焼いた広島風だ。

 

 二人とも、それぞれ自分の焼いた物を、手早くヘラを突き立て切り分けていく。

 

 成葉が、鉄板の端と端を行ったりきたり、ぐぐっと料理へ顔を寄せて覗き込んだりしながら、

 

「これは、どちらもなかなか。見た目では甲乙つけがたいですのお、アサ爺さんや」

 

 しゃがれた変な声で、変なこといっている。

 

「そうでしゅなあ、ナル婆しゃん」

 

 振られたアサキも真似をして、かすれた声を喉から絞り出した。

 こめかみにアイアンクローの爪痕くっきりなのが、なんであるが。

 

「バカなことやってんじゃねえよ! 真剣な勝負なんだぞ!」

 

 さっきまで一番バカなことやっていたのを棚に上げながら、カズミが二つの皿をテーブルへと運んだ。

 

「よし、さっそく食ってみようぜ。まずは治奈のからな」

 

 カズミは、割り箸を取って割ると、皿の上のまだ湯気を立てている焼き立ての一切れをつまんだ。

 

 アサキたちも続く。

 

「あたしもおっ」

 

 と、治奈の妹である(ふみ)()も、なにが起きているのか分かっているのかいないのか、楽しそうに箸を取る。

 

 そして、

 

「いっただきまーす」

 

 それぞれ、切り分けた物を小皿に取り、口へと運んだ。

 

 咀嚼数秒。

 最初に口を開いたのは、(せい)()である。

 

「美味しいものですね、お好み焼きって。層になっているから見た目はばらけているようで、でも以外にしっかり融合もしていて、味だって、しっかり調和が取れて馴染んでいますよ。ソースの焦げ加減や絡み具合も絶妙です」

「ほうじゃろ? ほうじゃろ? 誰かさんが、食うたこともないのに、味がバラけとるゆうとったなあ」

 

 お好み焼き初体験の正香に褒められて、治奈は両手の拳を握りしめ嬉しそう。そして、いわゆるドヤ顔を応芽へと向けた。

 

「治奈が焼いたのって初めて食ったけど、いいじゃんこれ! いつか親父さんを抜けるぜ!」

「ま、まあ継ぐ気はないんじゃけどね」

 

 カズミにも褒められて治奈、頭を掻いて照れ笑い。

 

「ほんとだあ。すっごく美味しいよ! これなら、どこかでお店出せるよ!」

 

 アサキもベタ褒め。出すなら店名は「はっちゃん」だろうか。

 

「いやいや、どこかで出すくらいならここ継ぐわ」

 

 身も蓋もない治奈のリアクションである。

 

「さて……」

 

 カズミは、隣の皿へと視線を向けた。

 

「変なもん食わせやがったら、ここで七百年間タダ働きな」

「別に構へんで」

 

 奴隷人事を勝手に決めつつ箸を伸ばすカズミに、応芽は強気な笑みを見せた。

 

 アサキ、成葉、史奈、正香、治奈、も箸を伸ばしつまんで、

 

「いっただきまあす!」

 

 今度は応芽のお好み焼きを口に入れたのであるが、口に入れたその瞬間、みなの顔にびりっとした変化が生じていた。

 一文字で表すならば「!」といったような。

 

 驚きつつも、みな無言で咀嚼を続けている。

 

 一番表情の変化というか動きというかが激しいのが、治奈である。

 力なく顎を動かしながら、信じられない、というように目を見開いている。

 手がぷるぷる震えている。

 ゆっくりと、箸を置いた。

 そのままテーブルに置かれている手が、まだ震えている。

 

 治奈の心情を察しているのだろう。

 カズミたちも、心配そうな顔になって黙ってしまっている。

 

 どないや。

 そういいたげな、応芽のニヤニヤ顔。

 

 なんともいえない、緊迫空気、

 を、ズバッと切り裂いたのは、史奈の一言であった。

 

「どっちも美味しいけど、どっちか決めるなら()()()方言のお姉ちゃんの作った方だなあ」

 

 史奈の無邪気な顔から発せられた無邪気な言葉に、治奈の目が見開かれた。

 

 明木家で一人標準語を喋る史奈ではあるが、自身は使わずとも、家族の話す耳慣れた言葉も彼女にとっては標準語のようなもの。

 つまり、「方言のお姉ちゃん」といえば応芽のことに他ならない。

 

 治奈は、身内から発せられた無垢かつ残酷な言葉に、まるでカズミにブレーンバスターをかけられ床に叩き付けられた後のアサキのようにすっかり涙目になって、

 

「ほうじゃろ。フミもそう思うじゃろ。……負けじゃ。うち、もうこの家の娘じゃないわ」

 

 肩を小さくして、立ち尽くしてしまっていた。

 ぐずっ、と鼻をすすった。

 

「いや、待て治奈。明木の名を捨てるのは早い。……ウメ子ちゃんとかいうたのお、あっ、今度はわしと、いざ尋常にっ、勝負じゃあああああ!」

 

 調理場の奥で秀雄が、腰落とし手を突き出し首を回して、歌舞いている。

 みんなから離れたところに立っているので、引きの構図でポツンと一人ちっちゃくなのが、なんだか間抜けであるが。

 

「おーーっ、父娘(おやこ)(あい)!」

「真打ち登場だああ!」

 

 治奈の心情察してはどこへやら、カズミと成葉が、なんだかんだと盛り上がって、楽しそうに腕を振り上げた。

 

「構わへんよ、おっちゃん。受けたるわ」

 

 応芽は、腕を組みふふんと鼻で笑った。

 

「よし、勝負開始じゃあ! 広島の名誉はわしが守るけえ!」

 

 かくして再び、鉄板の前に戦士が立った。

 

 今度は、慶賀応芽と、明木秀雄。

 

 第二戦の火蓋が、切って落とされたのである。

 

     4

 片や、アウェイの調理場に慣れたか、鼻歌交じりに手際よく焼いていく(おう)()

 

 片や、カープ最高おおお、などとわけの分からないことを叫びながら、ヘラをさばいていく(ひで)()

 

 そして数分後。

 またテーブルに、二つの皿が並んだ。

 

 それぞれの上には、切り分けられた、広島と関西の血と汗と魂とプライドの結晶が乗っている。

 いや関西の方は、鼻歌ふんふん気楽な感じだっであったか。

 

「で、では、親父さんのからな」

 

 何故か上ずっているカズミの声。

 表情も意外と真面目だ。

 さすがに、次の評価が友人一家の命運を左右すると思えば、自然、気持ちも引き締まるのだろう。

 お祭り気分で騒いでいたけど、それはそれとして。

 

「美味しくなあれ、美味しくなあれ」

 

 治奈が、父の皿の上に、かざした左右の手のひらを、ぐるぐる回して、必死に念力を込めようとしている。

 

「やめんか治奈! わしのは究極、これ以上は美味くなりようがないわ」

「そうだよ治奈。わざわざ『勉強やらない菌』や『下品な駄洒落菌』を振り掛けてどうすんだ。親父さんを信じろって。……よし、それじゃあ食うぞお」

 

 カズミたちは、父の皿へと箸を伸ばし、それぞれ小皿に取り分けて、口へと運んだ。

 

「ん」

 

 一番最初に表情の変化が出たのは、アサキだった。

 

「美味しい! さっきのウメちゃんのに全然負けてないよ!」

 

 ぱあっと花開いたような笑顔を見せるアサキ。

 勝負どうこうではなく、単純に美味しいものへの感動だろう。

 

「いやいや、勝ってるだろお確実に。久々だけど、やっぱり美味いわ。さすがプロ。さすが親父さん」

 

 手放しで褒めるカズミ。

 

「どうじゃい」

 

 俗にいうドヤ顔で、得意がっている秀雄。

 歴にして数十年というベテランのプロなのだから、中学生に勝って当然、という理屈はさておいて。

 

「さ、味勝負のラストは関西女のだな。同じのをまた食べても仕方ない気もすっけど。どうせ親父さんの勝ちだろし」

 

 カズミは、面倒くさそうに、小皿に取り分けた。

 

「食べていえ、って、さっき明木治奈がゆうとったよな」

 

 これからプロの料理人と比較されるというのに、腕を組んで余裕綽綽といった表情の慶賀応芽である。

 

「そうだよカズミちゃん。勝負なんだから、まずは食べてみないと。いただきまあす」

 

 アサキが先陣を切って、つまんだ一切れを口に入れた。

 入れてほとんど咀嚼せぬ間に、その顔が驚きに変化していた。

 

「どういうこと? さっきのよりも、さらに美味しくなってる!」

「え、え、嘘だろ。飽きて逆なら分かるけど」

 

 カズミも、慌てた仕草で一切れ口に放り込み、そして、絶句した。

 

「ど、どれっ、わしにも味を見させてみんか」

 

 ぐいぐいガツガツ、秀雄が肘で割り込み入る。

 心なしどころでなく、完全に声が上ずっている。

 まあ、彼女らの反応に、そうもなるだろう。

 

「じゃあこれ食べていいよ、お父さん」

 

 史奈が、自分が取って食べようとしていた一切れを、父の口へと運んでやった。

 

 口に入れ、咀嚼を始めたその瞬間、明木秀雄の目が、かっと見開かれていた。

 かっと見開かれたその瞬間には、天井に頭をぶつけそうなくらいにまで、高く高く跳んでいた。

 

「弟子にして下さいっ!」

 

 いわゆるジャンピング土下座で、床に頭を擦り付けていた。

 

「広島のプライドどこいったああああ!」

 

 大怒号の治奈を、すっかり力を無くした目で見つめながら、秀雄はゆっくりと立ち上がった。

 

 秀雄のその弱々しい態度、オーラに、治奈の肩もがくりと落ちた。

 

「……ほうじゃ、看板、たたもう。……ほうじゃ、わし、さすらいの旅に出よう。もうヘラなど持たん」

 

 秀雄、すっかりうつろな表情で、入り口へと向かってふらふら、ふらふら。

 

「うちも、一緒じゃけえね」

 

 治奈も、同じくうつろな顔で、父にぴたりと身体を並べた。

 

「どこへ行こうかの。北かのう。広島も大阪もない世界へ」

「そがいな楽園、この世にあるのじゃろか」

「探すんじゃ」

 

 ガラリとガラス戸を開けて、出て行こうとする父娘。

 

 だが、それを呼び止める声が。

 

「ちょい待ちや! 家族養わにゃあかんやろ!」

 

 止めたのは、応芽である。

 

「ほじゃけど、負けちゃったし。……親娘二人で」

 

 振り向いた治奈は、潤みまくった涙目で微笑を浮かべながら、鼻をずずっとすすった。

 

「しかも、わしらのホームグラウンドで」

 

 真似したわけでもないだろうが、秀雄も涙目で鼻をすすった。

 

 二人のそのぶっさいくな顔に、長いため息を吐いた応芽は、ショートの髪を手のひらを当て撫で付けながら、爽やかな笑顔を見せた。

 

「……初めて広島風ちゅうのを食ったんやけどな、なかなかのもんやったで。特に親父さん。好みはそれぞれや思うけど、技量的にはあたしより遥かのレベルや。……ただ、あんたらなあ、負けてなるかっちゅう感情を挟み過ぎなんや。生地もそばも泣くで」

「ほ、ほいじゃあ」

 

 秀雄のぶっさいくな鼻水まみれの顔が、ぶるぶる震えながら、さらにぶっさいくに歪んだ。

 手も、ぷるぷると震えている。

 

 隣の治奈も、おんなじような顔で、やはり身体を震わせている。

 

「別に勝ったとは思ってへんよ。……今度、ちゃんとした広島のお好み焼きってのを食わせてな」

「ありがとーーーー!」

 

 治奈、父を真似たかはたまた遺伝か、歪みまくってぶっさいくになっている、鼻をだらーん垂らしたままの顔で、応芽の胸へと抱きついていた。

 

「ふあああああああ! 鼻かめやああああ!」

 

 肩を掴んで引き離そうとするが、治奈はうっうっ呻きながらもがっしりしがみついており、全然離れない。

 

「しかしさっきの、負けてなるかという感情を挟み過ぎて、アサキのバカなんかに、バスケでボロ負けしたやつの台詞とは思えねえなあ」

 

 ははっ、とからかい笑うカズミである。

 

「じゃかましい! あたしもあれで反省したんや! 大人になったんや!」

「でも、不思議です。どうして二回目の方が、美味しかったのでしょうか?」

 

 大鳥正香が、小さいながら通る声で、そっと疑問を口に出した。

 

「ああ、そ、そうだよね。さっきカズミちゃんもいってたけど、同じのだったら慣れちゃいそうなのに、それがさらに美味しくなってるんだもん。びっくりしたよお」

 

 アサキの、なんだかぽわんと、幸せそうな顔。

 まださっきの味が、忘れられないのである。

 

「ああ、それな。お前らいう通り、続くと評価落ち気味になるやろ? せやから、少し手を加えたんや」

「どんな?」

 

 成葉が尋ねる。

 

「鉄板に残ってたソースの、焦げた部分を、マヨネーズかけてさらに焦がして、具の中に混ぜ込んでみたんや。普段からこれやと、しつこくてあかんけど、すぐさまの二枚目やから、こういう味変もええかな思うてな」

「おーっ、関西人のくせに気遣いが出来てんじゃんか」

 

 褒め、肩を叩くカズミ。

 いや、褒めてるようで褒めてない。

 

「アホか。関西人は気遣いとおおらかさで出来とるんや」

「どこがおおらかなんだか。……しかしウメッチョ、お前、料理はほんとすげーんだな。あたしん家と同じで、貧乏だから料理してるくちだろ? なのに、あたしなんて全然料理が上手にならなくって、いつも兄貴たちにクソミソいわれてるのにさあ」

「ちょい待ち、誰が貧乏やゆうた? なんや、その勝手な決め付けは」

「えっ、違うの? だって一人暮らしだろ? 料理の手際が妙に慣れてる感じだったし、見た目も、顔も胸もなんか貧しいからさあ」

「か、顔も、胸も……貧しいだあ?」

 

 応芽の指先が、ぷるぷる震えている。

 怒りやその他、色々な負の感情がまぜこぜになった、そんな顔で。

 

「もおお、やだなあウメキチくんはあ。この小梅太夫はさあ。このあたくしが、そんな酷いことを、歓迎会の主賓にいうわけないじゃないのよお」

 

 天使のように、可愛らしく笑ってみせるカズミ。

 まったく似合ってないが。

 

「ゆうたやろ! いまはっきりゆうてたやろ! ……ええわ、もう」

 

 料理以外のところであれこれ叩かれて落とされて、応芽がぶすくれていると、そのすぐ背後から、成葉のすかーんと抜ける邪気のない声が。

 

「そういやこれってえ、ウメにゃんの歓迎会だったんだよねえ」

「せやから、ウメにゃんいうなゆうとるやろ! ウメって略すな!」

 

 ぶすくれついでに不満をぶちまける応芽の叫び声、を完全無視で、今度はアサキが、

 

「そうだよねえ。歓迎会だというのに、おウメちゃんが料理バトルとかやっているから、わたしてっきり、示し合わせの余興なのかと思ったら、本気の勝負だったんだもんなあ。びっくりしたけど、面白かったあ」

「せやから、ウメやめい! 頭に余計なの付けるな! おウメとかいうと、お婆ちゃんみたいやろ!」

「可愛いと思うけどなあ、おウメちゃんって。……って、あれええっ?」

 

 突然、素っ頓狂な声を出すと、アサキは、なんだか難しそうな表情になって、小首傾げて腕を組んだ。

 

「アサキさん、どうかしましたか?」

 

 正香が尋ねる。

 

「そういやあ、わたし歓迎会なんてやってもらったかなあ、って思って」

「ああ……」

「記憶を遡ると、ヘマしてケーキおごらされたりとか、プロレス技をかけられたりとか、そんなのしかないぞお」

「け、計画通りじゃ。もう一人増えよったら合同でって思っておったから」

 

 治奈が笑いながら、ぱたぱた手首を返した。

 

「そ、そ、そうだよ、わ、わ、忘れる、わけが、ないじゃあん」

 

 成葉が、アサキの背中を叩いた。

 ごまかすように、ばしばしちょっと乱暴に。

 

「よおし、そんじゃついでにアサキの歓迎会だーーっ!」

 

 カズミがぶんと腕を振り上げた。

 

「おーーっ!」

 

 治奈たちの態度に、なんか変だなあといった表情を作りつつも、アサキも一緒になって腕を振り上げた。

 

 と、ふとアサキは気付いた。

 そんなみんなの顔を見ながら、応芽が、なんとも暖かく柔らかい微笑を浮かべているのを。

 

 笑みの理由は分からないけど、その表情の可愛らしさに、アサキまでもが幸せな気持ちになりそうだった。

 

 視線に気が付いたか、彼女はびくり肩を震わせると、咳払いして、自分の焼いたお好み焼きの切れ端を、手掴みで口に放り込んだ。

 

     5

「今日は本当に楽しかった。

 

 何があったのかというと、転校生でありヴァイスタと戦う仲間であるウメちゃん、慶賀応芽さんの歓迎会を開いたのだ。

 

 治奈ちゃんのお店を使わせて頂いたのだけど、まさか広島大阪お好み焼きガチンコバトルになるなんて思ってもいなかった。

 もともと治奈ちゃんのお父さんがご馳走してくれるといっていたのだけど、ひょんなことから治奈ちゃんとウメちゃんが戦うことになってしまって。

 

 どっちのお好み焼きも、本当に美味しかったな。

 

 歓迎会も楽しかった。

 みんなで騒ぎまくって。

 特にカズミちゃんの暴走っぷりったら、笑いが止まらなかった。

 

 ただ、何気ない会話の中で、他人行儀だって治奈ちゃんにいわれたことは、ちょっとショックだったな。

 いった方は、全然気にしてなくて、もうすっかり忘れているんだろうけど。

 

 成葉ちゃんまで一緒になって、「頑張ってるのが分かるから余計によそよそしいんだ」とかいうしさ。じゃあ、どうすればいいんだって話だ。溶け込む天性の才能がある人以外は、みんなダメ出し対象じゃないか。

 

 まあ誰が悪いというものではないし、簡単にどうこう出来るものでもない。こればかりは、時間が解決してくれるのを待つしかないよね。

 一応残して起きたくて、こうして日記に書いてしまったけど、忘れるようにしよう。

 

 そうそう、「私の歓迎会ってやったっけ?」、とか私がいったら、みんなわたわた慌てだしちゃってさ。「もともと合同でやる予定だった」とか、嘘ばかり。会も途中まで進んだところで、何気なく本人が尋ねて初めて知らされるなんて有り得ないでしょう。

 みんな適当なんだからな。

 

 とか、こんな話題をここに書けるということに、実は私、成長を感じている。

 

 こうした悩みや些細な愚痴を書ける友達が、ついに出来たのだということに、幸せを感じている。

 

 隅っこで一人、おとなしくしているだけだったからな。

 熊本でも仙台でも水戸でも。

 

 仲間。

 

 ヴァイスタと戦うのは怖いけど、でも、ヴァイスタと戦うために知り合えた、仲間。

 

 治奈ちゃん、

 和美ちゃん、

 正香ちゃん、

 成葉ちゃん、

 応芽ちゃん、

 

 みんなとても個性的でとても素敵な、私の仲間、最高の友達だ。

 

 みんなの迷惑にならないよう、明日からも頑張るぞ。

 それが世界を救い、世界の笑顔を守ることにもなるんだ。

 

 ああ、そういえば。

 

 正香ちゃん、なんかいつもと様子がおかしかったな。

 心、ここにあらずみたいな感じで。

 

 困っていることでもあるのかな。

 

 なんでもない、って本人はいっているけど、

 もちろんなんでもないなら、それが一番なんだけど。

 

 それとなく、様子を見るようにしよう。

 仲間が困っているのなら、助けになってあげたいから。

 

 さて、寝よう。

 

 明日も、みんなが笑顔でありますように。」

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