魔法使い×あさき☆彡   作:かつたけい

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第十五章 慶賀応芽

 

     1

 東京都上空。

 リヒト関東支部の上空。

 

 びょおびおょと鼓膜を殴り吹く強風を、身に受けながら、二人は対峙している。

 

 金属が打ち合わされる音が鳴るが、それは響かず一瞬、びょおびょおと、強風が攫って消し去ってしまう。

 

 周囲ただ風あるのみ、という自由な空間の中で、この風よりも遥かに激しい、二人の戦いが行われている。

 空中であり、重力に身を支配されていたら当然、自由な空間になど成り得ない。彼女たちは、重力を逆に支配するどころか、さも完全に無視し、透明な足場にどっしり立っているかと見まごう、戦いを戦っていた。

 

 (みち)()(おう)()

 身を覆うのは、真紅の魔道着。

 本来ならば、(りよう)(どう)()(さき)が着るはずだった物だ。

 両手に握り操るは、ひと振りの剣。

 

 対するは、青い魔道着の令堂和咲。

 構えているのは、二本のナイフ。

 武器も魔道着も、(あき)()(かず)()の一式だ。

 自分のクラフトが、応芽に破壊され、変身出来ないため、彼女のものを借りているのだ。

 

 空気、という足場に、大地の如くしっかりと両足で立ち、戦っている二人。

 かと思えば突然、風に舞い上がって、幾多の残像を作りながら刃を打ち合わせ、新たな足場に立って、また刃を打ち合わせる。

 

 一見すると、互角の戦いだ。

 打ち、防ぎ、防ぎ、打つ。

 ナイフと、剣の攻防は。

 

 ただし、お互いの顔を見れば、そこには明確な違いがあった。

 明確な優劣が、存在していた。

 

 応芽の顔に浮かんでいるのは、喜悦にも似た笑み。

 本心か、演技か、分からないが、自分に余裕ありと思っているのは間違いないことだろう。

 

 対するアサキの顔に浮かぶのは、焦り、それと、とにかく食らいつこうという必死な表情。

 

 さらに刃を交え続けるうち、状況に変化が訪れていた。

 だんだんと、二人の作る表情の通りになってきていたのである。

 この、戦況そのものが。

 

「令堂、どないした? 最初の威勢は? カッコ付けて啖呵を切ってた、あの態度は、どこへいったんやあ?」

 

 ははっ、笑いながら、応芽は、アサキの胸を切り裂こうと、剣を真横に薙いだ。

 

 爪先で空間を蹴って、退き逃れたアサキ。

 視線を軽く落とし、胸の防具に付いた横スジを見ると、ふうと小さく安堵の息を吐いた。

 

 だがそこへ、息つく暇を与えまいと、応芽が飛び込む。

 かろうじて避けるアサキであるが、執拗に応芽の刃が追い掛ける。

 

 これがいつまでも繰り返される。

 アサキは、かわすだけで精一杯になっており、それはつまり応芽の攻撃ターンが延々と続くということだった。

 

 圧倒。

 力も、速度も、技の冴えも、慶賀応芽は、すべてにおいて、アサキを完全に圧倒していた。

 

 先ほどまで互角に見えていたのは、単に力をセーブしていたのだろう。

 楽しむためか、慎重を期すためか、そこまでは分からないが。

 

 応芽が剣を軽々と振る都度、ぶん、ぶうん、と仕掛けでもしてあるのか、重々しい音が鳴る。

 別に、仕掛けなどはない。単純に、振り回す勢い、激しさが、常識外れなのだ。

 

 その都度、アサキの身体が、風圧により右に左に踊らされる。

 ぐっと歯を食いしばるのみで、必死以外の表情など浮かべる余裕はなかった。

 文字通りの防戦一方。

 構えた二本のナイフも、なんとか攻撃を弾いて己の生命を守るという、その程度の役にしか立っていなかった。

 

 このままじゃあ、時間の問題だ。

 な、なんとか、しないと……

 

 焦るアサキは、状況打開すべく、意表を突く攻撃に出た。

 応芽の攻撃が、少し大振りになった隙を見逃さず、かわしざまに、後ろ回し蹴りを放ったのである。

 以前にカズミから特訓を受けた、空手の技だ。

 

 だがそれすら想定内であったか。

 それとも、戦力の絶対差から、想定など必要もないということか。

 応芽の左肘に、アサキの足先は、しっかりと受け止められていた。

 

 にやり、と笑む応芽に、

 く、と微かに呻くアサキ。

 

「効くかボケが!」

 

 お返しに、とばかりに打ち出された、応芽の前蹴り。

 

 アサキの方こそ意表を突かれて、避けることが出来なかった。

 靴の底が、胸の装甲を蹴り砕く、ペキリという音と共に、後方へ吹っ飛ばされていた。

 

 応芽は、空気を引き裂き、掻き分け、一瞬でアサキへと追い付くと、脆くなった胸部へと、今度は両手に持った剣を叩き下ろした。

 

「うあ!」

 

 アサキの鋭い悲鳴は、風が攫い、風に溶けた消えた。

 

 青いラインの入った胸の装甲が、完全に砕かれて、さらには魔道着の本体ともいえる強化繊維が切り裂かれ、層の一番内側にある白い布が覗いていた。

 剣で上から叩かれたことと、苦痛激痛に浮力制御の魔術が解けてしまったことにより、アサキの身体は、重力という見えない手に掴まれ、ぐんと引っ張られ、落下を始めた。

 

 意識を失い掛けて、赤毛の少女は、半分白目をむいた状態になっている。

 地へと、真っ逆さまである。

 

「ダメ押しや!」

 

 応芽は、潜水でもするのか、身体を丸めて、くるんと前転すると、空を蹴り、地へと急加速。

 アサキの落下速度を遥かに超えて、一瞬にして追い付くと、再び前方一回転、意識朦朧無防備な赤毛の少女へと、風をも切り裂くかの如く速度で、振り下ろした踵を叩き付けていた。

 

 ご、という、肉と骨を打つ不快な音がした、その瞬間には、もうそこにアサキはおらず。

 遥か真下の地面が、間欠泉のごとく、どおんと吹き上がって、低い爆音と共にぐらぐらと揺れた。

 

 もうもうと煙った視界が晴れると、地面が大きく、すり鉢状にえぐられていた。

 中心に、横たわったアサキの身体がめり込んでおり、土をかぶった状態のまま、ぐったりとなっている。

 

 空中の応芽が、腕を組みながら見下ろしていると、

 

 ぶん

 ダメージ限界に、アサキの変身が解除された。

 魔道着が溶け消えて、中学の制服姿へと戻っていた。

 

「ウメ……ちゃん」

 

 虚ろな視線を小さく泳がせ、はあはあと息を切らせながら、アサキが口を開いて力ない声を出した。

 震える手を、ゆっくりと、上空へと差し出した。

 

 そんなアサキを遥か眼下に、応芽は意地悪そうな笑みを浮かべている。

 

「魔道着がちゃうにしても、ここまでやと、つまらんもんやなあ。でも……容赦はせえへんで」

 

 応芽へと、アサキの震える手が、指が、向けられる。

 

「う……あ」

 

 呻き声しか出ない。

 でも、心の中では、叫んでいた。

 悲しんでいた。

 

 そんな演技、しなくてもいいんだよ。

 ウメちゃん。

 あなたが、仲間思いで、根はとっても優しいこと、わたし、知っているよ。

 ただ、必死なんだよね。

 妹、雲音ちゃんを助けたくて、必死なんだよね。

 

 孤独に耐えて、戦っている。

 応芽の姿がそう見えて。

 助けてあげたくて。

 せめて、優しい言葉を掛けてあげたい。

 救う言葉を掛けてあげたい。

 

 朦朧とした意識の中で、そう考えるものの、でも、どんなに力を入れようとしても、呻きに似た声しか、その口からは出てこなかった。

 

 ただ、アサキが喋れたとしても、応芽の行動は変わらなかっただろう。

 アサキの思いは、しっかりと通じていたのである。

 

 ……だからこそ、応芽は激怒していたのである。

 

「なんや、その憐れむような目は!」

 

 魔法浮遊をやめて、応芽の身体が落下を始めた。

 真下にいるアサキへと。

 握った剣を、上段で後ろへと、振りかぶりながら、

 

「これでええ、しまいやあああああああ!」

 

 叫び、空気を蹴って、落下速度を倍加させた。

 まっすぐ、アサキへと。ジェットを超えるけたたましい爆音を立て、落ちていく。

 

 すり鉢状の中心で土に埋もれながら、ぐぅ、と呻き声を上げ、必死に身体を動かそうとするアサキであるが、受けたダメージがまるで回復しておらず、手足に寸分の力も入らない。

 

 応芽の身体が、落ちてくる。

 応芽の身体が、ぐんぐんと大きくなる。

 応芽の身体が、アサキの視界を完全に塞いでいた。

 

 ざん

 空気を切り裂く音。

 

 応芽の持つ剣が、振り下ろされたのである。

 地球をも真っ二つにしそうな、全身全霊の激しい一撃が、身動き取れないアサキへと。

 

 爆音、地響き、豪風と共に地が噴き上がった。

 まるで爆弾、凄まじい威力であった。

 ただの剣ひと振りであるというのに。

 

 周囲すべてが、消し飛んでいた。

 すり鉢が深く、大きく、広がっていた。

 

 変身が解けて生身の身体に戻ったアサキに、耐えられるはずもない。

 

 しかし、アサキは無傷だった。

 剣の一撃が肉体を切り裂くことも、爆風に吹き飛ばされることもなく。

 より深くえぐられた地の中心で、驚きに目を見開いている。何故、自分が無事なのか、と。

 

 応芽の剣は、受け止められていたのである。

 不気味な形状の、武器で。

 

 それは、柄のない、巨大な斧であった。

 それを持つのは、銀の黒の、魔道着を着た魔法使いであった。

 魔道着と同様、左右で黒と白銀に分かれている、長い髪の毛。

 百七十を優に超える、大柄な体格。

 

 突然現れた魔法使いが、身動き出来ず絶体絶命のアサキの前に立ち、その不気味な斧で、応芽の剣を受け止めていたのである。

 

()(しま)……(しよう)()

 

 応芽は、魔法使いの名前を呼ぶと、ぎりり歯を軋らせた。

 

     2

 応芽は、目の前に立つ大柄な魔法使いを睨みながら、ぎりっと歯を軋らせた。

 

()(しま)……(しよう)()

 

 軋らせ方、歯が折れるくらいだったが、ふと我に戻ったか、目付きはそのままで、口元だけが笑みの形に釣り上がった。

 

 ふん。

 冷静になろうと、あえて鼻で笑ったのだろうか。

 表情をすべてニュートラルに戻した応芽は、小さくため息を吐いた。

 

 斧へと触れ合っていた刃を引くと、すっかりぼさぼさになった前髪を、かき上げた。

 

「ちゃんと、余興になるんやろな。(りよう)(どう)()(さき)に代わって、お前がやるんは別に構へんけど。ちゃんと、余興になるんやろな!」

 

 だっ、応芽は力強く、地を蹴っていた。

 幾多の、自らの残像を掻き分け、瞬時にして嘉嶋祥子へ迫ると、その頭上へと、微塵の躊躇すらもなく、剣を打ち下ろしていた。

 

 ぎんっ

 研がれた金属のぶつかり合う、鈍くもあり鋭くもある独特な音が上がった。

 

 応芽が放った一撃を、大柄な魔法使いが、その身に相応しい巨大な斧で受け止めたのである。

 

 押し合い競り合い、になるより前に、祥子が力任せに、斧を真横へ振った。

 

 とっ、と小さく跳ね、応芽は地につま先を着く。

 

 二人の距離が空いた、その瞬間には、祥子の方から詰めていた。

 巨大で、柄がなく刃だけ、という奇妙な形状の斧。刃身には、拳大の穴が二つ空いており、その一つに指を掛けて軸とし、くるり回して応芽の頭部へと振り下ろした。

 

 応芽は、剣を斜めに構えて、巨大斧を剣のひらで滑らせ、いなす。

 同時に、右足で前蹴りを放っていた。

 

 がきっ

 祥子の、胸の装甲が蹴り砕かれていた。

 

 後方へ吹っ飛ばされた祥子だが、とんと地に足を着くと、安堵のため息。さしたるダメージを受けた様子もなく、巨大斧を構え直した。

 蹴り足インパクトの瞬間に、自らも後ろへ跳んで、威力を殺していたのである。

 

 だが、戦力差は絶対。

 そう思っているのか、応芽の顔にはなんの驚きも焦りもない。

 にやにやと笑みを浮かべたまま、地を蹴り、離れた分を一瞬で詰めていた。

 

 祥子は、刃身に空いた穴を軸に、くるり斧を横に回転させ、迎え撃つが、

 

 応芽は、楽々と見切り、軽く跳躍してかわすと、水平になった巨大斧の刃身へと、両足で着地した。

 ぶん。

 応芽の足が、唸る。

 巨大斧に乗ったまま、祥子へと蹴りを見舞ったのである。

 モーションこそ小さいが、空気をも焦がす、凄まじい勢いの蹴りである。

 

 とはいえ、祥子に受けねばならぬ義理もなく、身を後ろにそらせて、間一髪、かわしていた。

 

 宙でトンボを切って着地した応芽は、すぐさま祥子へと身体を突っ込ませ、剣を振るう。

 

 のらりくらり、祥子は持ち前の戦闘センスでかわし続ける。

 だが、ただかわしているというだけ。

 状況の優劣に、揺るぎはなかった。

 

 応芽 ≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫ 祥子。

 やはり、魔道着の差が圧倒的なのであろう。

 

 応芽も、手加減を自覚しているようで、どれだけ剣をかわされようとも、余裕の笑みを浮かべ続けている。

 

「さっきのは感謝しとるで、祥子。つい我を忘れて、令堂を消し炭にしてしまうとこやったからな。でもな、そこまででええわ、お前の役割は。……いま逃げ出すんなら、追わんよ」

「それはどうも」

 

 祥子は淡々飄々とした態度で、巨大な斧をくるくる回転させて、これが返答だといわんばかりに、応芽へと振り下ろした。

 

 特に意表を突いた攻撃でもなく、いとも簡単に受け止められていたが。

 

 ぎり、ぎり

 刃を合わせての、押し合いに入ったが、真紅の魔道着、応芽はさして力を込めているように見えないのに、少しずつ、祥子の大柄な身体を、後退させていく。

 

「さすがは、新ピカの魔道着だねえ」

 

 祥子は、必死に踏ん張りながらも、のんびりとした口調で、唇を歪めた。

 

「なあに負けを認めず強がっとんのや。戦っとるんは、魔道着やないで。令堂専用を、しっかり使いこなしとるんは、この応芽様やで」

「それが?」

「やれんのか、自分に」

「はは。興味もないや」

「まあええわ。いつも上から目線で、ムカついとったけど、その減らず口も、今日で最後やからなあ!」

 

 応芽は、力強く踏み込みながら、斜め下から大振りで、斧を跳ね上げた。

 

 いなそうとする祥子だが、いなし切れず吹き飛ばされて、建物の壁に背中を強打。

 重たい音がして、砕けた壁の中に、祥子の大きな身体がめり込んでいた。

 すぐ抜け出し、地に足を着くと、

 

「いてて……」

 

 痛みに顔をしかめながら、額の汗を拭い、そのまま銀黒の髪の毛を掻き上げた。

 

「なんやあ、へっぴりやなあ。こないだみたく、怪我で瀕死のあたしに切り掛かって、悦に入っとるのが、関の山や、な!」

 

 な、で地を蹴った応芽は、滑り飛びながら、内側から剣を払った。

 

 間一髪、斧で一撃を受け止める祥子。

 

 だが、応芽は構わずそのまま、二撃、三撃、四撃、五撃。

 勢い、苛烈になっていた。

 応芽の、攻撃が。

 

 祥子は、斧使いや立ち位置の妙で、なんとかかわし続ける。

 かわし続けながらタイミングを計り、剣を屈んで頭上へやり過ごしながら、応芽の懐へと、潜り込んだ。

 潜り込んだ瞬間、

 

 ぶん

 

 祥子の手のひらから、青白い光弾が生じ、応芽の顔へと唸りを上げる。

 

 十センチにも満たない超至近距離からの攻撃であったというのに、応芽は、慌てることなく手の甲で払い除けていた。

 と、払ったその瞬間に、応芽の顔が爆発した。

 

 連続して、二発目が放たれていたのだ。

 前弾に隠れるように、少しだけ小さな光弾が。

 

 ぐうと、怒りに呻き、のけぞる応芽であるが、すぐさま姿勢を直した彼女の顔はもう、笑っていた。

 

「倍返しや!」

 

 叫びながら剣を、くるくる回して真上へ放り投げると、祥子を真似して、手のひらから薄青いエネルギー弾を発射した。

 右手から、左手から、連射、連射、雨あられである。

 

 祥子は、巨大な斧のひらを盾にして、上半身を守る。が、すべてを防ぎ切ることは出来ず、時おり腕や足に当たって、ぐっ、と苦痛の呻きを漏らした。

 

 それた光弾は、祥子の背後、建物の壁に当たり、子供が作った砂の城よりもろく、削られ、崩れていく。

 

 まだ終わらない。

 鼻歌でもうたっていそうな、楽しげな顔で、応芽は光弾を発射し続ける。

 

「倍どころか千倍やな」

「どうかな」

 

 絶え間なく襲いくる攻撃を耐え続けながら、祥子は、薄い笑みを浮かべた。

 

 まるで折れていない。という、それが事実なのか見せかけなのかは分からないが、いずれにせよ小癪な態度に、応芽は舌打ちすると、光弾を放つペースを上げた。

 

 じりじりと、祥子の大きな身体が、後退する。

 押され、よろけ、いつの間にか、壁に押し付けられていた。

 

 と、雨あられの流星群が不意にやんだ。

 それは単に、次の攻撃の始まりであった。

 高く放り投げておいた剣を、受けた応芽が、地を蹴って、壁際の祥子へと、飛び込んだのである。

 

 横薙の一閃、を身を低くしてぎりぎりかわす祥子であるが、その顎を、応芽が蹴り上げていた。

 

 ガツ、

 と嫌な音がするが、祥子は堪え、斜め上へと跳んで、蹴りの勢いを殺しつつ逃げた。

 

 勢いを殺した、といっても、意識をなんとか保てるほどには、という程度だろう。

 蹴られた激痛に、クールな顔が歪んでいる。

 意識が飛ばないよう、わざと痛みを感じる蹴られ方をしたのかも知れないが。

 

 応芽も、軽く膝を曲げて跳び、祥子を追う。

 貫き串刺し(はりつけ)に、という渾身の突きを放つが、コンマ数秒の差で避けられていた。

 

 祥子は、壁を蹴って、なんとかその突きから逃がれたのであるが、応芽の攻撃は執拗だった。着地したと同時に、そこを狙って、頭上から剣を振りかぶって、落ちてきたのである。

 落ちざま放たれる、上段の一撃を、祥子は、巨大斧で受け止めて、その勢いを借りて後ろへ跳んだ。

 

 追い、迫る応芽の、剣が突き出される。

 

 祥子は、跳ぶ方向を変えて逃れようと、つま先で地を蹴った。

 と、その瞬間、

 うくっ、という呻き声と共に、顔が苦痛に歪んでいた。

 咄嗟に反対の足で、地を蹴ろうとするが、結局バランスを崩して転んでしまう。

 

「足い痛めたんかあ? ははっ、ざまあないで!」

 

 応芽は、薄い笑みを浮かべながら祥子へ近寄ると、太ももを蹴飛ばした。

 

 堪え、転がった斧を掴んで、起き上がろうとする祥子であるが、同じところを再び蹴られると、そのまま動けなくなってしまった。

 

「元チームメイトや。手足をぶったぎるくらいで、堪忍したるわ。せやから、もうあたしの前に、そのムカつく面あ見せんな。……まずは、腕や!」

 

 祥子の腕へと、振りかぶった剣を、

 

 打ち下ろした。

 受け止められていた。

 

 二本の、ナイフに。

 目の前に立つアサキの、クロスさせた、二本のナイフに。

 

 中学の、制服姿のアサキ。

 先ほどの戦闘で、変身が解除された、生身の状態。

 魔道着による魔力制御を一切受けていない、そんな、生身の状態。

 だというのに、応芽のエンチャントされた剣を、受け止めていた。

 かろうじて、ではあるが。

 

 がくり、剣の重みに膝が崩れた。

 崩れながら、なんとか堪え、はあはあ、辛そうに息を切らせながら、背後に横たわっている祥子へと、ちらり視線を向けた。

 

「さっき、助けて、貰った分は、返、す」

 

 肩で大きく呼吸しながら、それだけいうと、応芽の方へと向き直った。

 

「期待、してるよ、令堂さん。そのた、めに、回復までの時間、稼ぎ、したんだ、から」

 

 祥子の声。

 アサキの背後で、まだ苦しそうに息を切らせながら、上体を起こすと、唇を小さく歪めて、薄い笑みを作った。

 

 応芽はそんな二人を見て、ふんと鼻を鳴らした。

 

「また、選手交代か」

 

     3

「戦いたく、なんか、ない、けど」

 

 ぜいはあ、アサキは息を切らせている。

 中学の制服姿。

 二本のナイフで、なんとか応芽の剣の重みを支えている。

 耐えきれず、膝がぶるぶる震えている。

 

「だったら、おとなしゅう腕の一本でも差し出せや!」

 

 応芽の叫び声。

 

 と同時に、アサキの身体に消失感。

 ぐいぐいと刃同士を押し合っていたはずなのに、すっと抵抗がなくなって、前へよろけた。

 

 ぶうん

 いつ引いたのか、いつ振り上げたのか、応芽の剣が、真上から落ちてきた。

 

 アサキは、両手のナイフで受け流そうとはせず、むしろ応芽へと身体を飛び込ませていた。

 

 応芽の剣は空振るが、舌打ちしながら、握った柄尻を、飛び込んできたアサキの背へと、叩き落とした。

 

 がふ、と呼気を吐きながら、アサキは構わず身体を突っ込ませ、応芽へと体当たり、壁に激突させて、そのまま壁へと押し付けた。

 

「それで、本当に、元の、ウメちゃん、に戻るん、だったらね」

 

 それ以上の価値なんかないよ。

 わたしの、腕なんて。

 

 こんな戦い、ウメちゃんだってしたくないんだろうな。

 辛くて、仕方ないんだろうな。

 残忍なこといって、笑って、そうして自分を騙して。

 ただ、妹、雲音ちゃんのために。

 お姉ちゃんにここまで愛されて、雲音ちゃんは幸せだったんだな。

 どんな子、だったんだろう。

 写真でしか、見たことないけど。

 きっと、素敵な子なんだろうな。

 

 息切れ切れに、応芽の腰へと抱き付きながら、アサキは一瞬のうちにそのようなことを考えていた。

 

 見上げるアサキと、見下ろす応芽の、目が合った。

 目が合った瞬間、応芽が激高した。

 

「なんや、その見透かしたような顔は!」

 

 怒鳴りながら、また、剣の柄尻をアサキの背中へと叩き落とした。

 何度も。

 何度も。

 

 呻き、耐えるアサキであるが、いつまでも耐えられるものではない。

 膝が崩れたところへ、膝蹴りを顔に受けた。

 

 とと、と後ろへよろけたところ、締め付けから逃れた応芽の剣が、喉元掻っ切ろうと水平に走る。

 半歩退いて、かろうじてかわし、間髪入れずにきた返す刃を、二本のナイフで受け流して、距離を取った。

 

 はあ、はあ

 赤毛の少女は、二本のナイフを持ったまま肩をだらり落として、息を切らせている。

 

 応芽は不意に、ぷっと吹き出すと、肩をすくめながら、嘉嶋祥子へと小馬鹿にした顔を向けた。

 

「残念やったな。時間を稼いだもなにも、ぜーんぜん回復しとらんやないか」

「忘れたのかい? 彼女が、ザーヴェラーと戦った時のこと。体力じゃなく、魔力が無尽蔵に湧き上がる。だから特Aなんでしょ、彼女は」

「少女向けアニメの魔法やないんやで。動ける肉体あってこそやろ。もうボロッカスやないか」

 

 二人の会話に、当人であるアサキが、

 

「でも、負けてないよ」

 

 言葉を、割り込ませた。

 

「負けてない。わたしの、心は。……それは、心から、ウメちゃんを助けたいと、思っているからだ」

 

 ぜいはあ、息を切らせながら。

 苦しそうに、顔を歪ませながら。

 

「口ばかりやなあ。祥子が乗り移ったんとちゃうか?」

「口ばかりは、ウメちゃんだよ。だって、いってることと、思っていることが、まったく違うもん」

「せやから、見透かしたような態度はやめろ!」

 

 地を蹴った応芽は、苛立ちを刃に乗せ、赤毛の少女へと振り下ろした。

 

 赤毛の少女、アサキは、交差させたナイフで受け止めようとするのだが、威力予想以上で、ガード体勢のまま吹き飛ばされた。

 壁に背中を強打、壁に亀裂が走った。

 

 次の瞬間、その壁が爆発し、消し飛んでいた。

 とどめを刺そうと応芽が身体を突っ込ませ、アサキが呻く間もなく横へ転がりかわし、脆くなった壁に剣が叩き付けられて、風圧と続く打撃とで、粉々に砕け散ったのである。

 

 ごろり転がったアサキは、転がる勢いで立ち上がりながら、左手に装着しているカズミのリストフォンを頭上へとかざし、スイッチを押した。

 なにも反応はなかった。

 

「まだダメか」

 

 まだ、カズミの魔道着が修復されていないのだ。

 

 嘆くアサキの頭上から、剣が振り下ろされる。

 一本引いてかわすが、応芽は素早く踏み込んで、引かれた分を詰めると、右手の剣を真横へ払った。

 

 胴を狙った一撃。

 アサキは、引いかわすでも身を屈めるでもなく、瞬時に跳躍していた。

 剣の上に乗って、それを足場に、応芽の頭を蹴ったのである。

 

 目を覚ませ。

 というメッセージだったのか、自分でも分からない。

 無意識に、身体が動いていた。

 

 頭を蹴られ、のけぞりながらも、瞬時に怒声を発しながら出鱈目に剣を振るう応芽であるが、その切っ先は空気をかき混ぜるだけだった。

 

 アサキは、今度は空気を蹴って、十メートルほどの空中にいたのである。

 

「逃げんならハナから歯向うなあ!」

 

 怒声上げ、強く地を蹴り、応芽が追う。

 

 アサキはさらに空気を蹴って、さらに高く跳んだ。

 制服のスカート姿であることなど、気にしている余裕もない。

 

 そうだ。

 ウメちゃんに勝たないと。

 勝って、とりあえず戦力を奪って、その上で冷静になって貰わないと。でないと、今のウメちゃんじゃ話し合いも出来ない。

 飛ぶのは、かなり魔力を消費する。

 でも……

 わたしの体力は限界だけど、でも、祥子さんがいっていた通り、わたしに無尽蔵の魔力があるのなら、魔力量の勝負にさえ持ち込めば、勝算がある。

 だから。

 だから。

 飛べ、わたしの身体。

 高く、高く。

 

 アサキは空気を蹴って、さらに上へ、空へ、天へと飛ぶ。

 どんどん、地上が小さくなっていく。

 

 ものの数秒で、以前にザーヴェラーと戦った時と同じくらいの超高度に、アサキの身体は浮いていた。

 アサキと、追い付いた応芽の、二人の身体が。

 

 激しい強風に揺られながら。

 遠近、高層ビルに囲まれた、都心の眺めの中。

 眼下、すべてが豆粒や、子供の積み木に見える、眺めの中。

 青い空の下。

 向かい合っていた。

 

「前にさ……」

 

 ぼそり、口を開くアサキであるが、ばりばり鼓膜を震わせる風に掻き消されてしまい、大きな声でいい直した。

 

「前に、カズミちゃんが、手賀沼の公園で、いってたよね。こんな眺めを、守るんだ、って。知っておいて欲しい、って。ここの、この眺めも、同じだ。この眺め、街、人たち、生き物、世界、わたしたちは……わたしたちが、守る」

 

 まともに呼吸の出来ない息苦しさの中で、応芽の情、優しさに、訴え掛ける。

 

「は、どうでもええわ」

 

 鼻で笑われただけだった。

 

「ウメちゃん!」

 

 赤毛をばさばさなびかせながら、声を荒らげる。

 荒らげたところで、応芽に届くのは、ほとんどが風の音だろうが。

 

「あたしはただ、神の力を借りたいだけや。……あわよくば、神の力そのものを、手に入れたいだけや」

「人間は神様にはなれない」

「なんなきゃ雲音を救えへんやろ! とゆうても、神がなんやのかは知らへんけどな。きっと、魔法以上の奇跡を起こせる力やろ」

「そんな力……」

「奇跡で雲音の魂を戻した後は、どうでもええわ。雲音をあんな目に遭わせた、こないな世界なんか、どうなろうと知るか!」

「雲音ちゃんだって、守ろうとした世界だよ! どうでもいいなんていっていたら、雲音ちゃんは喜ばないよ!」

「お前なんかに、なにが分かるんや! 会うたこともないやろ!」

「考えて! ウメちゃんのやろうとしていること、その先に、なにがある? その向こうに、誰がいる? みんな、笑顔なのかな。みんな、幸せなのかな」

「じゃかましい!」

「わたしは……」

「黙れ!」

「だ、誰が、どこに、どんな、思いで、生きるという、人はっ」

 

 理屈が通じないどころが、がなりたてられ言葉を遮られ、それでもなにかいおうとして、アサキの言葉はすっかり支離滅裂になっていた。

 

「黙れゆうとんじゃ、ドアホが!」

 

 応芽の、怒気を乗せた剣を、間一髪、眼前で、アサキは受け止めて防いでいた。

 

 二本のナイフで。

 落ち着いた、真顔で。

 

「ごめん、ウメちゃん。うまく喋れない。言葉で、思いを伝えられない。でも……」

 

 ぐ。ナイフを押す。

 

 そう。

 言葉じゃない。

 心。

 気持ち。

 きっと、伝わる。

 わたしだって、自分が絶対に正しいなんて、そんなことは思ってない。

 でも、ぶれない。

 もしも、間違っていようとも、わたしは……

 

「わたしがウメちゃんを思う気持ちを、信じる!」

 

 叫び。

 ぎらり激しい、厳しい双眸。

 応芽の剣を、気合いで弾き上げていた。

 

 踏みしめる足場がなく、すうっと後ろへ流れる応芽へと、魔力で空気を蹴り、赤毛をなびかせて瞬時に詰め、身体を回転させながら、左右のナイフで切り付けた。

 

 目の前の小癪な言動に舌打ちしながら、応芽は、避けつつ回り込み、

 

「もうくたばれや!」

 

 反撃の刃を振り下ろす。

 

 アサキは見切っていた。

 がちり、二本のナイフで受け止めていた。

 受け止めながら、一本を剣身に沿って滑らせて、手首を返して水平に走らせ、真紅の魔道着の、胴体を切り付けた。

 

 カチ

 応芽の着る真紅の魔道着、胸の装甲に、横一筋の亀裂が入っていた。

 

 また舌打ちをしながら応芽が、前蹴りを放った。

 腕で払いながらアサキは避けるが、読んでいたか、応芽は瞬間的に身体を回転させて、後ろ回し蹴りで赤毛に包まれた即頭部を狙った。

 

 その攻撃も、アサキは肘を上げて受け切るが、

 

 応芽は、アサキを蹴った勢いを利用して、身体を逆回転。今度は蹴りではなく、剣を振るった。

 

 不意を突いた一撃が、風を切り、唸りを上げ、アサキを襲う。

 しかしアサキは、冷静だった。

 引かず、逆に詰めると、右膝を振り上げて、自分の肘と膝とで、応芽の腕、剣を持っている腕を、押し潰したのである。

 

 がっ、

 応芽は呻き、睨み、下がりながら、剣を左手に持ち変えた。

 

 再びアサキが、距離を詰める。

 切り付ける。

 二本のナイフを、自分の手の如く使い。

 応芽が引けば、アサキが押し。

 切り付け続ける。

 

 利き手が痺れて、剣を左手に持っているとはいえ、応芽は、完全に防戦一方へと追い込まれていた。

 

「な、なんでや。なんで最強の魔道着が、生身の、裸同然の令堂なんぞに、押される?、お、おかしいやろ!」

「負けないといったはずだ」

 

 いったから負けないものでもない。

 けれども、いまのウメちゃんには、絶対、負けちゃいけないんだ。

 だから、わたしは……

 

「黙れ! 黙れ! 魔力量のみの三流! とっとと絶望して、(オルト)ヴァイスタになれえ!」

 

 絶叫を放ちながら、応芽は、剣を両手に握り、身体を、腕を、ぶるぶる震わせながら、高く振り上げた。

 

「ウメちゃんっ!」

 

 アサキは、ナイフを高く放り上げると、空気を蹴って、真紅の魔道着へと飛び込んでいた。

 

「目をっ、覚ませえええええええええ!」

 

 怒声。

 応芽の顔が、醜く、ぐしゃぐしゃに、ひしゃげていた。

 頬に、アサキが、右拳を叩き込んだのである。

 

     4

 刃を振り、打ち合わせ、押し合い、弾き合い、唸り、歯を軋らせ、睨み合う。

 

 (りよう)(どう)()(さき)と、(みち)()(おう)()

 

 片方は、魔道着を着ておらず、生身のままであるが、繰り広げられているのは、完全に魔法使い同士の、いや、それを遥かに上回る次元の戦いであった。

 

「ハナから覚めとるわ! つうか、お前らと一緒におった時こそが、薄甘い夢を見とったんや!」

 

 応芽が、拳を頬に叩き込まれたことで激高し、右腕の痛み痺れも忘れて盲滅法に洋剣を振り回していたが、すべての攻撃を冷静に対処されると、癇癪起こした子供みたいに声を裏返して怒鳴った。

 

 目を、覚ましてくれなかった……

 向き合うアサキは、少し悲しく虚しい気持ちになったが、すぐに首を小さく横に振り、応芽の言葉を否定する。

 

「薄くも甘くも、夢でもない。健気に掴み続けていた、現実だ」

 

 制服のスカートが、掴まれ引っ張られているかのように、バタバタザバザバと音を立てて、強風になびいている。

 

「つべこべ、じゃかあしいわあ!」

 

 応芽は、小癪なことばかりをいう赤毛へと詰め寄りながら、剣を突き出した。

 

 アサキの胸が、貫かれていた。

 柄まで、ずぶり、突き刺さっていた。

 

 という残像か幻想に、瞬き、応芽は舌打ちする。

 赤毛が、瞬間的に、背後へ回り込んだのだ。

 

「舐めんな!」

 

 激高。くるり振り向きながら、剣を叩き下ろした。

 

 アサキが、二本のナイフを横から叩き付け、太刀筋をそらしつつ、その勢いを利用して距離を取った。

 

 ここは東京。

 青い空の下。

 高層ビルすらもすべて眼下の、地から遥かな上空で、二人は戦っている。

 

 真紅の魔道着。

 応芽の持つのは、洋剣。

 

 中学校の制服姿。

 アサキは、左右の手にそれぞれ、ナイフを持って。

 

 空中。

 上から、下から、横から後ろから、乱れ吹く、氷のように冷たい強風の中を。

 

 まるで瞬間移動、残像消えぬうち、あちらこちらで武器をぶつけ合う。

 

 時折、動きを止めては、睨みながら、ぜいはあ肩を上下させるが、呼吸の整わないうちに、どちらかが攻撃を仕掛け、また空中での打ち合いが始まる。

 

 停止しては目から、動いては刃から、常に火花を散らしながら、彼女たちは戦い続けていた。

 

 先ほどまでは、アサキが圧倒していた。

 だがまた、応芽が押し返していた。

 形成逆転というほどではなく、あくまで押しているのは、アサキであるが。

 

 戦い始めの頃と比べて、の優越で考えれば、完全に立場逆転であった。

 

 いまや応芽の方こそが、気迫でアサキに食らいついて、なんとか互角の勝負に持っていっている。

 と、このような状況であるのだから。

 

 妹のために、アサキを(オルト)ヴァイスタ化へ導く、という大きな目的がある。

 自分は特殊な魔道着を着ており、相手は並どころかそもそも魔道着を着ていない。という、崩壊一歩手前ではあるが自尊心からの憤慨心がある。

 応芽としては、状況不利になろうとも、絶対に負けられないと気迫燃やすのも当然だろう。

 

「くそっ、実はポンコツなんやないかあ? この魔道着!」

 

 こうも押され続けていれば、真紅の魔道着への疑念も沸くだろう。

 対するアサキがなにかしら魔道着を着ているならいざ知らず、単なる中学の制服姿とあっては。

 

「なら、もうやめようよ。そんな物があるから、戦わないといけないんだ」

 

 向き合いながら、アサキは悲しげな顔を応芽へ向けた。

 

 強力な魔道着と聞いて、ウメちゃんは、取り憑かれてしまった。

 世界を守るための力は必要だけど、過ぎたる力なんか、持ってなんの意味があるのか。

 

「関係ないわ! そしたらいくらでも違う方法で、お前をヴァイスタにしてやるだけや!」

 

 自分の着ている真紅の魔道着へと、恨めしそうな視線を向けていた応芽は、顔を上げると、小癪なことばかりをいっているアサキへ、ピシッと指を差した。

 

 少しの沈黙の後、アサキは、眼光しっかり受け止めながら、口を開く。

 

「わたしは、ならないよ。この世界を、守り続けるから。守るべきこの世界がある限り、絶望はしないから。だから、ならないよ」

「ははっ、随分と饒舌になってきたやないか!」

 

 作った笑みを浮かべて、応芽は体当たり、がちりぶつかると、また剣とナイフの押し合いが始まった。

 押し合い、といっても、一方的に応芽がガツガツと、ガムシャラに当たっているだけであるが。

 

「やめよう。いまのウメちゃんは、わたしには勝てないよ」

「その姿でなにをゆうとんじゃ!」

 

 応芽は、怒鳴りながら、弾き飛ばそうと、ぐうっと剣の柄を押し出した。

 

 アサキは、軽くいなして、ぐるり背後へと回り込んだ。

 同時に、どんと背を強く押して、少し距離を取った。

 

 バカにするでもなく、真摯な、悲しげな表情を、応芽へと向ける。

 

「本当に、こんなことが、雲音ちゃんのためになるのかな?」

「そう思わなきゃあかんやろ! これが、あたしの人生なんや!」

 

 突き出される、応芽の剣先。

 

 アサキは二本のナイフで、剣と絡め取りつつ、横へ流し、攻撃をそらせながら、

 

「ウメちゃんは、ウメちゃんでしょう!」

 

 怒鳴った。

 

「そうや。自分の人生をぶっ壊してでも、楽しげに笑いながら、お前を絶望に追い込もうとしとる、それが慶賀応芽様や! あたしは、こんな程度なんだよ!」

「いい加減にしないと……もう一度、殴る!」

「好きなだけ殴るとええわ! でもなあ、あたしは……お前なんかに、負けるわけにはいかへんのやああああ!」

 

 この戦いが始まって、お互いに何度も声を荒らげたが、これは何度目の絶叫だろうか。

 

 明らかに、先ほどまでのものとは異質だった。

 

 気迫。

 怨念。

 情念。

 執念。

 悲哀。

 必死。

 悲痛。

 焦燥。

 憤怒。

 それらの思いが混ざり合い、爆音じみた叫び声が、口から吹き出されていた。

 

 彼女の妹、慶賀雲音。

 おそらくすべては、そこに起因する感情なのだろう。

 

 魔力を持つ者以外には、ただ叫んでいるだけに見えるだろう。

 アサキには、気脈から発せられる感情の昂ぶり、噴き上がる魔力の光が、はっきりと見えていた。

 応芽の魔法エネルギーが、上空を吹き荒れている強風と融合して、さながら八ツ又の龍といった具合に、ごうんごうんうねっていた。

 

「これは……」

 

 アサキが、その眩しさに目を細めた、その瞬間である。

 

 応芽が、爆発した。

 体内のエネルギーを溜め込み切れず、すべて逆流して一気に吹き出したのだ。

 

 轟音、豪炎と共に、アサキの身体は堪らず吹き飛ばされていた。

 呻き声を上げながら、足元の空気を蹴ってブレーキを掛け、その場に踏みとどまると、はあはあ、息を切らせながら、細めた目を開いた。

 

 真紅の魔道着、応芽が、空中に立ち尽くしている。

 ごんごんと、眩しい光の粒子を噴き出しながら。

 顔を落とし、不思議な、信じられないといった、表情で。

 

「いままで、自分にリミッターを掛けとったっちゅうことか。……負けられへん気持ちが、すべてぶっ飛ばしたちゅうことか……」

 

 しばらく、自分の両手や、真紅の魔道着、ごんごん噴き出す魔力の粒子を眺めていた応芽であるが、やがて、嬉しそうに微笑んだ。

 顔を、上げた。

 

「えろうたいしたもんやなあ、この魔道着は。……さっきは、思い切りコケにしてもうたけど。なんや、ええ気持ちや。……ええ気持ちや! 力が、身体ん中から、いくらでもみなぎってくるでえ!」

 

 どん!

 収まり切らない膨大なエネルギーが、また、噴き上がり、爆音を上げた。

 応芽の背中、両肩。

 真紅の魔道着から、ゆらゆら揺れる、巨大な炎。

 微笑む彼女の表情とあいまって、それは、まるで悪魔の翼であった。

 

「行くでえ!」

 

 嬉しそうに叫びながら、軽やかに宙を蹴った。

 悪魔の翼を得た応芽は、自らの残像を砕きながら、超速でアサキへと突っ込んで、そのまま突き抜けていた。

 

「うあ!」

 

 どう、と跳ね上がるアサキの身体を、今度は戻りつつの追撃が、再び跳ね上げた。

 

 ブレーキを掛けた応芽は、腕を組んで、楽しげな顔。

 激痛に顔を歪めているアサキを見ながら、ゆっくりと、口を開いた。

 

「圧倒的やなあ、この力。こら病み付きになるで。さあて、どうやって令堂和咲に絶望を与えたるかあ。どうやって(オルト)ヴァイスタに仕上げるかあ。……まあ、まずは手足を全部ぶったぎってからやな。それから、ゆうーっくりと考えることにするわ」

 

 満足気な笑みを浮かべながら、応芽は、アサキを見つめている。

 悪魔の翼に、身体をボロボロにされ、苦痛を堪えている、アサキを。

 

 アサキは、痛みを押し殺しながら、嫌らしい視線を真っ向から受け止め、疑問の言葉を発した。

 

「ねえ、ウメちゃん……こうして、強くなって、どんどん壊れていっちゃうなら、それは、本当に、強さ、なのかな」

「うん、まあ本当の強さやないんやろな。つうか、お前の求めとるスポーツマンシップ選手宣誓みたいな強さなんて、どーでもええねん! あたしはただ、雲音を助けたいだけやゆうとるやろ。記憶力がないんか?」

「雲音ちゃんをどんなに大切に思っているか、それなりには、理解出来るつもりだよ」

「ほざけや。お前なんかに、分かるわけないやろ。義理の親どころか……」

 

 新たな力を得た興奮に、ぺらぺら舌を動かしていた応芽であったが、自分のその言葉につっかかって、不意に口を閉ざした。

 

「どころか、なに?」

 

 アサキが聞き逃さず、食い付いた。

 

「なんでもないわ」

「まだ思い出し切れていないんだけど、さっきのことで、わたしの記憶は嘘で包まれていることは分かった。ウメちゃんは、もっとたくさんのことを知っているんだよね。わたしが辛くなるような……でも、いうのを躊躇ってくれた。やっぱり、優しいんだよ。ウメちゃんは」

 

 アサキは、警戒は怠らず、でも、少し表情を緩めた。

 

「アホ抜かせや! 全部を思い出させようとしたんやけど、お前がアホやから、中途半端だっただけやろ」

「でも、いまの無意識の行動は、やっぱり優しいウメちゃんだよ」

「はあ? 決め付けも、たいがいにしとけ。……そうや、お前を追い込む、ええことを思い付いたで。その義理の親を、ぶっ殺したったら、さすがに心が粉々になるやろなあ」

「そんな、心にもないことを、いわないで」

「百パーセント本音でゆうとるわ」

「信じない。でも、冗談でも、いっていいことと悪いことがあるよ。……血は繋がってないけど、わたしだって(しゆう)(いち)くんと(すぐ)()さんのことを、本当の両親以上に大切に思っている。ウメちゃんが雲音ちゃんを思う気持ちに、負けてないよ」

「ああそうなん? ほな、強い方が勝って、お前は守りたい者を守り、あたしは手に入れたい力を手に入れる。分かりやすくてええね。ほな遠慮なく……ぶっ潰させて貰うで! 令堂和咲!」

 

 どおおおん!

 さらに巨大に、魔法力の粒子が作る翼が膨れ上がった。

 体内に、真紅の魔道着に、おさまり切らない、応芽の力、魔法力が。 どるどると、噴き出している。

 巨大な翼というだけでなく、うねうねと無数の、光の蛇が、身体を這い回り、包み込んでいる。

 

「お互い、もう飽きたやろ? しまいにしようや」

 

 噴き出す莫大な魔力エネルギー。

 自分自身から放出した、エネルギーの中心で、応芽は、右手の剣を強く握った。

 

「是非も、ないのか……」

 

 アサキは、悲しい表情を浮かべると、きっと睨む目付きを応芽へ向け、二本のナイフを胸の前で構えた。

 

「ええヴァイスタに、なるとええよ」

 

 にたり。

 応芽が頬を、唇を、釣り上げた、その時であった。

 

 どん!

 真紅の魔道着が、爆発したのは。

 

 大きくはないが、低く重たく空気を震わせる爆音。

 魔道着は破れに破れ、胸や肩の装甲もすべて弾け飛んでいた。

 あちこちの破れ目から、光の粒子と煙が混ざって、蒸気のごとく、噴き出している。

 

「ウメちゃん! 大丈夫?」

 

 アサキが心配そうな顔で叫び、近寄ろうとする。

 内部からの魔法力の爆発に、すっかり姿ボロボロになって、煙を噴き出している応芽へと。

 

 意識朦朧とした表情の応芽。

 がくん、と重力に引かれ、身体が落ちそうになるが、かっと目を見開くと、右手の剣を伸ばし、

 

「敵やで!」

 

 近付こうとするアサキの鼻先へと、突き付け、牽制した。

 

「でも、でもっ、魔道着が……」

「まだまだ。これからや」

 

 身体のあちこちを焦がしながら、ぎりり、錆びたブリキ人形のぎこちなさで、右手の剣を構えた。

 はあはあ、息を切らせながら、強気な笑みを浮かべた。

 

 誰が、想像出来ただろう。

 次の瞬間に、彼女の身に起きたことを。

 

 応芽のまぶたが、驚愕に、大きく見開かれていた。

 向き合う、アサキの顔も同様であった。

 

「なんや……」

 

 応芽は、ゆっくりと、首を、下に向けた。

 

 剣が、突き出ていた。

 自分の胸元から、血に濡れた、剣先が。

 

 背後から突き刺され、そのまま貫かれたのだ。

 

 血に染まった剣先が、引かれ、すうっと音もなく、応芽の中へと消えていく。

 

 ごぶ、と、血が溢れて流れた。

 応芽の、口から。

 真紅の魔道着と、同じくらい赤い、血が。

 

 瞳、身体を、ふるふると震わせながら、ゆっくりと、振り向いた。

 

 再び、その目が見開かれていた。

 先ほど以上の驚愕が、その青ざめた顔に浮かんでいた。

 

 振り向くと目の前には、応芽と同じ顔をした、薄黄色の魔道着を着た、魔法使いが、無表情で、剣を片手に、空中に立っていたのである。

 

「なんで……雲音が、どうして……ここに……生きて……」

 

 驚愕の次は、困惑であった。

 

 何故、雲音がいるのか。

 奇跡的に魂が蘇ったのだとして、何故、姉を殺そうとするのか。

 何故……

 

「なんかの、間違いやろ。雲音が、そんなことするはずあらへん。あのな、お姉ちゃんな、頑張ったんやで。雲音と、また……雲音と」

 

 ふっ

 応芽の意識が、落ちた。

 白目をむいて、がくり身体の力が抜けると、浮力を失い、遥か眼下、吸い込まれるかのように、落ちていった。

 

     5

 落ちている。

 風を切り、地へと速度を上げながら。

 (みち)()(おう)()の、全身ボロボロになった肉体が。

 

 焦げて破れたところ、切り裂かれたところ、魔道着のいたるところから、どろどろと瘴気を吹き出しながら。

 意識なく、引力に身を委ねて、落ちている。

 

 冷たく激しい風の中に、(りよう)(どう)()(さき)の叫び声。

 

「いま行く!」

 

 真っ逆さま、天を蹴り、蹴り、蹴り、追い掛ける。

 仲間、大切な友達を。

 学校の制服姿で、必死に、追い掛け、追い付き、追い越した。

 すぐさま、くるり身体を前転させて、天地に対し体勢を正常に直すと、風を切って落下してくる応芽の身体を、両手で受け止めた。

 

 ぶづっ

 

「うぁっ!」

 

 降下しながら受け止めたものの、速度を相殺し切れなかった。

 ぐうん、と下に持っていかれるのを、堪えようとした瞬間、腕が引きちぎられそうになり、思わず悲鳴を上げた。

 

 赤毛をばさばさなびかせながら、激痛に顔を醜く歪て、ぎりぎりと歯軋りをしながらも、応芽の身体は手放さない。

 手放せるはずがない。

 

 眼下に、地上がどんどん大きくなる。

 懸命に落下速度を落とそうとするが、そうするほど腕を、全身を、激痛が突き抜ける。

 

 アサキは、複数の呪文を、同時に唱えることが出来る。だが現在、そのすべての魔力を、空中制御系にのみ集中させている。

 だから、応芽を抱きかかえるのは、自分の体力のみだ。

 落とすまい、と必死に抱きかかえ、抱き締めるが、これまでずっと生身のままで戦わされており、過剰酷使に、もう肉体は限界だった。

 限界だったが、

 

「絶対に、離さないっ!」

 

 疲労に意識が朦朧としながらも、腕に力を込め続け、心の中で呪文を唱え続けた。

 

 どうっ!

 重く激しい衝撃が、身体と意識を、吹き飛ばし掛けた。

 地面に落ちて、背を思い切り打ち付けたのだ。

 

 透明な巨人の手にもぎ取られ、応芽の身体は、アサキから引き剥がされて、宙に浮いた。

 再び地に落ち、小さくバウンドした。

 

 応芽の身体からは、変わらずしゅうしゅうと、黒い光の霧が体内から噴き出している。

 変身が解除されて、私服姿に戻っていた。

 ボロボロになった、真紅の魔道着から。

 

 完全に意識を失っているのか、浅く胸を上下させているのみで、それ以上まるで動く様子がない。

 

 墜落時のクッションになったアサキは、激痛を堪えながら、頭を振って、朦朧とした意識を吹き飛ばすと、素早く上体を起こした。

 はあはあ、息を切らせながら、

 

「ウメちゃん、しっかり!」

 

 両手で地を引っ掻いて、応芽へと這い寄った。

 両膝を地に着いて、前のめり、身体を覆いかぶせ、横たわる応芽へと手を翳した。

 翳した両手が、ぼおっと青白く光る。

 

「い、いま治すからっ」

 

 苦しそうな顔で、必死に治癒のエネルギーを送る。

 呼吸の整わない状態で、如何ほどの効果があるのか。

 

 でも、でも、待ってなどいられない。

 早く、少しでも、治さないと。

 ウメちゃん。

 ウメちゃん!

 

 心の中で、泣きそうな声を出しながら。

 手を翳し続ける。

 

 応芽の身体あちらこちら、特に剣で貫かれた胸から大量に、しゅうしゅうと黒紫の煙が上がっている。

 体内に溜め込めなくなった膨大な魔力が、様々な負の感情と融合し、焼け焦げて吹き出しているのだ。

 

 地面に、小さな影。

 

 気付いたアサキは、治療の手を翳しながら、そっと顔を上げた。

 十メートルほどの高さに、魔道着姿の少女が、ゆらゆらと浮いている。

 応芽とまるで同じ顔をした、魔法使いが、なんの表情を浮かべることもなく。ただ空気の流れに揺れている。

 

 同じ、顔。

 雲音、ちゃん?

 でも、何故、ウメちゃんを刺した。

 

 謎の魔法使いを睨み掛けるアサキであるが、恨みの感情では治癒の効果が半減する。もどかしい気持ちだったが、視線を落とし、応芽の治療に専念する。

 

 だけど、これはどうしたことか。

 邪念を払い、すべての魔力を治療のために集中させているというのに、応芽の胸に大きく開いた傷口が、まったく小さくならない。

 いつまでも、しゅうしゅうと黒紫の煙を吹き上げているだけだ。 

 

「アサキ!」

 

 カズミの声だ。

 変身の解けた中学校の制服姿で、息せき切って走ってくる。

 銀黒大柄、()(しま)(しよう)()も一緒だ。

 

「な、なにが、どうなってんだよ! ウメは……つうか、なんなんだよ、あれは!」

 

 空に浮いている魔法使いを、カズミは指さした。

 この状況に対し、すっかり混乱しているようである。

 

 それも当然だろう。

 カズミの立場からすれば。

 戦いを見上げていたら、遥か上空からアサキたちが墜落。

 急いで駆け付けてみれば、応芽は半死半生。

 死闘を演じていたアサキが、懸命に治療を施している。

 ここまでならば、まだ分からなくもないだろうが、

 応芽の身体からは、得体の知れない煙が噴き出して、

 さらには、空中に浮いている、謎の魔法使い。

 しかもそれは、応芽と同じ顔をしている。

 ともなれば。

 

「アサキ! なあ、なにが起きてんのか、教えてくれよ!」

 

 カズミの怒鳴り声。

 

 アサキは、顔を上げた。

 泣きそうな顔、いや、泣いている。

 涙を、ボロボロとこぼして。

 そんな、弱々しい泣き顔を、アサキはカズミへと向けた。

 

「傷が……ウメちゃんの傷が、塞がらないんだ」

 

 横たわっている応芽。

 その胸に、青く輝くアサキの両手が、翳されている。

 胸の傷口からは、しゅうしゅうと音を立てて、黒紫の煙が噴き出している。

 

 カズミは、応芽を睨む目付きで見下ろしながら、拳をぎゅっと握ると、

 

「あたしの魔力も使え」

 

 中腰になり、開いた手のひらを、アサキの肩に置いた。

 

「こいつにゃ、聞きたいことがある。償ってもらわなきゃならないことがある。まだ、思い切りひっぱたいてもいないし……死んで欲しく、ないんだよ!」

 

 肩へ手を置いたまま、悔しそうに顔を歪めて、踵を地に踏み落とした。

 

「あき……ば……か?」

 

 弱々しく、かすれた声に、カズミ、アサキ、祥子の三人は、視線を落とした。

 応芽の顔を見た。

 

「ウメ……」

「昭刃、の声やな。目が、見えないんや。……ザマア、ないやろ? あかんこと、したからなあ。令堂と戦うやなんて。ははっ、自業自得や」

「喋らないで!」

 

 手を翳しながら、アサキが泣き顔を険しくさせて、声を荒らげた。

 また、やわらかく、弱々しい表情に戻ると、

 

「分かっているよ。仕方のないことだったんだろうな、って」

「令堂……あたしホンマ、あかんことした、から、せやから、雲音が、いてもたってもおられず、叱りに、きて、くれた。魂、滅んで、なんか、おらんかった」

 

 視点の定まっていない目を薄く開けて、見えないけど空中に浮かんでいるはずの、魔法使いを見上げながら、応芽は微笑んだ。

 

「安心して、死ねるわ。行き先は、地獄かも、知れへんけど、まあええわ」

 

 ごぼ

 微笑む応芽の口から、大量の血が溢れた。

 頬を伝って、地を真っ赤に染めた。

 

「ダメだよ、そんなこといっちゃ! 治すから、わたし必ず治すから! だ、だからっ!」

 

 ぼろぼろ、ぼろぼろ、涙をこぼしながら、アサキは、胸に手を翳し続ける。

 

 噴き上がる黒紫の煙が、アサキの手を避け、指の間をすり抜けて、立ち上り続けている。

 しゅうしゅう、しゅうしゅう、煙が上る。アサキの思いを、あざ笑うかのように。

 

 それでもアサキは、信じ続け、念じ続けることしか出来なかった。

 

 と、その時である。

 足音が、新たな人物の登場を告げたのは。

 

「慶賀応芽を泳がせておいたら、こんなことになるとはね。世の中、生きていれば面白いことが起こるものだ」

 

 グレーのスーツを着た、大柄な男性。

 リヒト所長、()(だれ)(とく)(ゆう)であった。

 数人の部下と一緒だ。

 

 その声に、応芽は、ぐったりしたまま首を横に向け、視点定まらぬ目をグレースーツの男へと向け、にんまりとした笑みを浮かべた。

 

「せやろ。雲音は、死んでなんかおらんかった。魂、砕けてなんか、おらんかった。(オルト)ヴァイスタなんか作らんでも、慶賀家は、銀河最強なんや! 分かったか、変な名前のクソ所長が!」

 

 この言葉を喋るだけで、どれほど体力を消耗したのか。

 応芽は腕を広げ、大の字になって、瀕死の犬のように、はひいはひいと呼吸荒く、胸を膨らませた。

 でも、その顔は、とても満足げであった。

 

 しばらく、その様子を見下ろしていた、リヒト所長であったが、やがて、ゆっくりと口を開いた。

 

「あの……いいかな、ただ疑問に感じたので尋ねる、というだけなのだけど。本当に、あれが自分の妹だと、慶賀雲音だと思っているのかい?」

 

 グレースーツの男は、小さく首を上げて、空にゆらゆら揺れている魔法使いを、見上げた。

 

 アサキたちも、つられて、見上げる。

 応芽と瓜二つの顔の、少女を。

 

 すっかりボサボサの汚れた髪になっている応芽と違い、整髪料でおでこにピッタリ撫で付けている、綺麗な髪の毛。

 その顔には、なんの表情も浮かんではいない。

 

 薄黄色の魔道着に、身を包んでいる。

 応芽と同じ顔だが、着ている魔道着は違う。そして、応芽本人はここにいる。

 と、なれば普通に考えて、話に聞いていた双子の妹、雲音、ということになるのだろうが……

 

 しかし、それを否定しているとも捉えられる、至垂徳柳の言葉。

 

「なにを……ゆうとんのや」

 

 はあはあ、息を切らせながら、

 しゅうしゅう、胸から煙を吹き上げながら、応芽が鼻で笑った。

 

 至垂徳柳の、次の言葉は早かった。

 それを受けた、応芽の表情が変わるのも。

 

「無自覚無責任、不感、欺瞞、きみのそれは演技なのかな? と、聞いている」

「え……」

 

 ぴくり、と、応芽の身体が震えていた。

 身動き取れず、横たわったままで。

 

 数秒前と、完全に表情が一変していた。

 

 菩薩の境地、というほどではないにしても、このまま死んでも構わないというやすらかな表情が一変して、不安、猜疑、畏怖、怒り、慚愧、これでもかとばかり負の感情が混ぜ込まれた顔になっていた。

 

「まさか。まさか、そんな!」

 

 視力を失っている目を、かっと見開くと、この世を未来永劫呪うかのような、凄まじい雄叫びを張り上げた。

 

 息も絶え絶えの、どこにそんな力が残っているのか。

 

 じゅわあああっ

 その叫びに呼応して、胸から立ち上っていた黒紫の煙が、勢いよく、間欠泉の勢いで噴き上がった。

 どろどろと、狂気の粘度を帯びた、ドス黒い煙が。

 

 応芽は、声にならない声を、叫び続けていた。

 

     6

 地に横たわったまま、ぶるぶると、身体を震わせている。

 体内の血液を、すべて失ったかのような、青ざめた、白い顔で。

 慶賀応芽は、輝きを失った、濁り乾いた目を見開いて、身体を震わせている。

 

 信じたくないという思い、ああやっぱりという諦めの気持ち。

 そんな、二つの気持ちが交錯しているように、アサキには、思えていた。

 

 じゅわじゅわと噴き出す瘴気に、肌が焼け焦げそうになるが、それでもアサキは、横たわる応芽の身体に手を翳し、治療を続けていた。

 だって、それしか今の自分に出来ることがないから。

 

 考えるのは後。

 治療が先決だ。

 

 と、胸に唱えた瞬間、その胸が、どきりと跳ね上がっていた。

 

 応芽の、濁った両目から、どろり、血が黒い涙になって、両の耳を伝って地を濡らしたのである。

 

「ウメちゃん!」

 

 不安げに応芽の顔を覗き込んだアサキは、続いて、軽く顔を上げ、この状況をもたらす言葉を吐いた()(だれ)(とく)(ゆう)を、上目遣いに睨み付けた。

 

 アサキのすぐ後ろに立っているカズミも、やはり同じように思ったか、彼を睨んでいる。

 

 その隣にいる銀黒の少女、祥子は、前方を見つめているだけで顔からは感情が読めない。ただ、ざりざりと踵を地に擦りつけている仕草が、すべてを語っていたが。

 

 彼女たちから放たれる負の視線を、むしろ心地よさげに受けながら、()(だれ)(とく)(ゆう)は、一歩前に出る。

 地に横たわり震えている慶賀応芽を、ほぼ垂直に見下ろした。

 

「推測を話そう。とはいえ、状況やこれまでの調査から考えて、ほぼ間違いないこととは思うがね」

 

 もったい付けた前置きをし、少し間を空けると、彼はまた口を開いた。

 

「慶賀応芽、きみは、妹である(みち)()(くも)()のヴァイスタ化を阻止するために魂を砕いた。だが、それは間違いで、魂は砕けてなどいなかった。自分に乗り移って、常に共にあった」

 

 ここで言葉を切る。

 

 応芽は、苦しそうな表情、焦点の定まらぬどころか濁りに濁った目で、自分の足元に立っているリヒト所長を、睨み付ける目付きで、見上げている。

 

 声は出ずとも状況は理解しているようだね。とでもいいたげに、()(だれ)(とく)(ゆう)は唇の端を釣り上げる。

 

「そう、思い込んでいた。何故? それは、無意識の中で、罪悪感から逃れるため。魂を消滅させ、輪廻の対象から永久に外してしまったことの。そして、様々な都合のよい行ないを、すべて妹のせいにするために」

「二重人格だとでもいうのか? そんな様子はなかったぜ」

 

 カズミが横槍を入れる。

 

「それとは違うね。魂の生存を無意識に信じる思いが、心理に多大な影響を与えた、というだけ」

 

 その通りならば、その通りなのだろう。

 そう思えばこそ、妹を蘇らせるために、応芽は苦悩苦闘していたのだから。

 

「偉そうによ。で、ウメの生真面目さというか、お人好しの気持ちで、今度はアサキへの罪悪感が膨らんだ。無意識下で信じている、妹の魂が現れて、悪いお姉ちゃんをお仕置きした、ってことか?」

「そうだね。今度は、令堂さんを滅ぼさねばならない、ということから逃げたんだ。心の弱さが、そうせねばならぬことに耐えられず、自分で幻影を作り出して、自分を殺したんだ」

「ウメちゃんは弱くない!」

 

 アサキは、声を荒らげて、()(だれ)(とく)(ゆう)へときつい目を向けた。

 

 そよ風ほどのことも起こらなかったが。

 グレーのスーツ、()(だれ)(とく)(ゆう)はなんともない顔で、また口を開く。

 

「令堂和咲、きみも色々と知ってしまっただろうし……他の者たちにしても、必要なら記憶も記録も、いくらでも塗り潰せるから、気にせずこのまま、話を続けてしまうけど……」

 

 ちらり、アサキたちを見る。

 不安、恐れ、怒り、などがない混ぜになった、少なくとも好意など微塵もない、そんなアサキとカズミの視線、表情。

 むしろ心地よさげに受け止めながら、

 

「わたしは、完全な『新しい世界(ヌーベルヴアーグ)』、つまり『絶対世界(ヴアールハイト)』へ行くことに対して、なんでもしようとする人間だ。でもそれは、この世の理を解明し、しいてはヴァイスタなど存在しない世界を作ることにも繋がる。悪いことでは、決してないはずだ」

「こうなることが分かっていて、家族のために苦悩していた女の子を笑って見ていた人が、なにをいって……」

 

 アサキの侮蔑の視線、言葉。

 すぐグレースーツに掻き消されてしまう。

 

「だからあ、いまいった通りなんだってば。大義では、わたしのしていることが正しいの。小義を気にしていたら、そりゃあ色々とあるさ。歴史上の、世の中を変えた戦だって、それで死んでいった者たちはたくさんいるんだ。それでもカエサルは偉人だろう? ナポレオンは偉人だろう?」

 

 言葉を遮って、自分の価値観に酔っている()(だれ)(とく)(ゆう)へと、アサキはただ侮蔑の視線を向け続けた。

 

「メンシュヴェルトに、慶賀応芽を送り込んだのは、良質の魔法使いを素体に真のヴァイスタを造り出すため。特Aの令堂和咲と、その他クラスAの魔法使いをね」

(オルト)ヴァイスタに関する情報を集めつつ、あわよくばあたしたち、特にアサキを超ヴァイスタにしてしまえ。ってことか」

 

 カズミは、拳を握りながら、ぎちぎちっと歯を軋らせた。

 

 リヒト所長は、返事をする代わりに、小さく唇を釣り上げた。

 

「でも慶賀応芽は、令堂和咲たちに触れているうち、好きになってしまった。彼女らと一緒にいることが、心地よくなってしまったんだ」

「こんな、甘ちゃんたち、だ、誰が、嫌いに、なれるんや」

 

 震える、応芽の声。

 

 アサキの治癒魔法もむなしく、胸からどろどろと煙を吐き出している。

 視点定まらぬ、そもそも濁りきって、まるで見えていないであろう目。

 リヒト所長への恨みというよりは、アサキたちとの思い出に浸っているのだろうか、とてもやわらかな顔になっていた。

 

「その甘ちゃん以上に甘い、必要時にすら冷酷になれないクズには、狙った魔法使いをヴァイスタにしようなど出来るはずはなかった。最初から、分かっていたことだがね。だからこそ、特使として選んだんだ」

 

 ふっ、とリヒト所長は鼻で笑った。

 

「甘いことが……冷たくなれないことが、どうしてクズなんだ」

 

 アサキの、低く押し殺した声。

 彼女にしては珍しい、凄みのある、少し乱暴な言葉遣いであった。

 それだけ、頭にきていたのである。

 

「だってそうだろう。知っていて就いた任務であり、自分の家族の生命が懸かった問題でもある。だというのに、与えられたことをまっとうできないどころか、しようともしない」

「だからって……だからって、そんないい方をしなくても!」

「アサキ、どっちがクズか問答してたって仕方ねえよ」

 

 カズミが話に割って入った。

 

「一つ、教えて欲しいんだけど……あたしたちの仲間、(おお)(とり)(せい)()がヴァイスタになったのは……(へい)()(なる)()が、はらわた食われて殺されることになったのは……」

 

 カズミは視線を落とし、ぜいはあ息を切らせている瀕死の応芽を見た。

 

「わたしが直に見たわけじゃないけど、本人の報告や、クラフトに記録された活動レポートによると、慶賀応芽は、必死に阻止しようとしていたらしいね。大好きな仲間である、大鳥正香のヴァイスタ化を」

 

 ()(だれ)(とく)(ゆう)の言葉に、手で口を抑えて、がくり膝が崩れそうになるカズミであったが、感情の乱れをどうにか堪えると、

 

「でも、さっきはこいつ……(オルト)ヴァイスタにするために、アサキを魔道着を奪っていたよな」

「でも、無意識にブレーキを掛けたママゴトみたいな戦い方で、生身の令堂和咲に負けただろう?」

「そんなの、アサキが桁外れに強かっただけじゃねえかよ」

「昭刃和美、信じたいのだね。慶賀応芽のことを」

「え、ちが……ああ、そうだよ! 悪いか!」

「信じていいよ。慶賀応芽は、きみたちの、信頼のおける仲間だ。わたしにとっては、抱く願望の大きさに対して、能力どころか信念すらも中途半端な、蔑むべき存在だけどね」

「そんないい方をしないで!」

 

 アサキが激高し、声を裏返し怒鳴っていた。

 

 いわれた当人は、不謹慎を恐縮するどころか、むしろ心地よさげな笑みを浮かべていたが。

 

「こうした状況になることは、想定の範囲というより、すべてにおいて予想の通りだった。慶賀応芽ごときには、令堂和咲たちを超ヴァイスタにすることなど、最初から不可能だった。でも、そんなことはそもそも不要だった。だって今回の実験計画は、慶賀応芽自身を絶望に追い込んで、ヴァイスタ化させることだったのだからね」

 

 リヒト所長は、言葉を切ると、楽しげな顔で視線を動かして、魔法使いたちの表情を確認した。

 

「酷い……」

 

 アサキは、震える声でいうと、地面を殴り付けた。

 

「く……(くも)()は……」

 

 応芽が、地に横たわりながら、手を上げ、伸ばした。

 空中にゆらゆら揺れている、慶賀雲音の、幻影へと向けて。

 

 目が見えないどころか、既に意識も朦朧としているようである。

 夢と現実が、ごっちゃになっているかも知れない。

 

「存在するはずがないだろう。きみが魂を消滅させたんだから。都合のよいことが起こるのは、むしろ魔法ではないよ」

 

 夢の中にまで踏み入り、微かな希望を打ち砕こうとする、()(だれ)(とく)(ゆう)の残酷な言葉であった。

 

「ああ、うあっ……」

 

 応芽の胸の傷口から噴出する、黒紫の煙、その勢いが激しくなった。

 まるで、高圧掛けられた蒸気である。

 

「雲音……」

 

 視点の定まらない応芽の目から、また、どろりどろり黒い涙が流れて、こぼれ落ちた。

 

「もちろん、令堂和咲が(オルト)ヴァイスタになるのが理想だし、最終的にそうであるべきだ。だけど、まだ我々には、意図的なヴァイスタ化の実績がない。道は一歩一歩コツコツ。まずは慶賀応芽からってわけだな」

「てめえ、自分がなにをいっているのか、分かってんのか」

 

 カズミが、だんと強く地面を踏み付けた。

 

「わたしほど、発言に気を付けている者はいないよ。……さて、この後どうなる、か。慶賀応芽の無意識が信じていた、妹の魂の生存、それが完全に絶望へと変わったわけだが。どのようなヴァイスタが誕生するのかな。……もしも失敗作だったならば、すぐに昇天させる。念のため、魔法使いをもう何人か呼んでおけ」

 

 グレーのスーツ、リヒト所長は、数人の部下へと命令した。

 

「そうは、させない」

 

 アサキが立ち上がっていた。

 リヒト所長、()(だれ)(とく)(ゆう)を、睨み付けていた

 

「ウメちゃんを……人間を、なんだと思っているんだ」

 

     7

「人間の世であるからこその仕組みがあり、すべきことがあるのだよ。果たせるか、果たせぬか、果たそうともせぬか、ただ、それだけのこと」

 

 笑うでも、怒るでもなく、理の当然といった様子で、淀みなく舌を動かすグレースーツの男、()(だれ)(とく)(ゆう)

 

 その饒舌に勝てなかろうとも、なにか一言は浴びせてやろう、と思うアサキであるが、実際に口を開いたのは、彼女の足元で息絶え絶え横たわっている、(みち)()(おう)()であった。

 

「ただ、お、泳がせ、とった、だけ、のくせに、偉そ、うに」

 

 かすれた声で、言葉ぶつ切りに。

 一言発するたび激痛が襲うのか、顔がぐちゃぐちゃである。

 

 ()(だれ)(とく)(ゆう)は、応芽のその言葉に、恥じらうどころか満足げな笑みを浮かべた。

 

「気持ちのいいくらい、思っていた通りに泳いでくれたね。メンシュヴェルトの持つ、異空やヴァイスタのデータを盗もうとしたのは、意外だったけど」

 

 先ほど、戦っている最中に、応芽がアサキに話していたことだ。

 ()(しま)(しよう)()に阻止されたものの、結局、樋口校長はデータを見せてくれた、と。

 

「その件が起きたことで、色々とシナリオを思い付いてね。そこからはまた、びっくりするくらい、こちらの考えている通りにことが進んだよ。慶賀雲音を救うためには、やはり超ヴァイスタを作る以外にないのだ、と思わせるために、リヒト側の持っている情報を教えてあげて、そこからは、一本道の筋書きだ」

 

 グレーのスーツのしわを直して、ひと呼吸すると、また言葉を続ける。

 

「メンシュヴェルトでやらかしたことの、お咎めがないどころか欲しい情報まで貰えて、違和感を覚えたよね? この研究施設に、簡単に侵入出来るなんて、おかしいと思っていたよね? 最新の魔道着を簡単に奪えるなんて、おかしいと思ったよね? 思っていても、妹のためやらないわけにはいかなかったんだよね?」

 

 嬉しそうに喋る、所長。

 

 絶望を操作していることを、あえて主張して、応芽の心をより追い込もうとしているのだろう。

 そう思ったからこその、次の、応芽の言葉なのだろう。

 

「あたし、なんかを、ヴァイスタ、にしても、しゃあ、ないで。多少、ひねくれとるだけの、地味な、のが、一匹、生まれるだけや」

「謙遜。きみも(オルト)ヴァイスタの素質はあるんだよ」

 

 所長、()(だれ)(とく)(ゆう)は、腕を組みながら苦笑を顔に浮かべた。

 

「Cクラス、やろ、あたしは」

「ああ、きみには教えてなかったんだった。劣等感の中で、どう育つか、成績を操作していたからね。きみ、特とまではいわずとも、Aには余裕で入れる魔法力を持っているよ。令堂和咲専用の魔道着を、少しの間とはいえ、使いこなしたのがその証拠。通常は、着た瞬間に魔力を吸い尽くされて、全身を疲労と激痛が襲って動けなくなるよ。特Aに近いAだ」

「ははっ、それは、嬉しいなあ。もう、どうでも、ええけどな」

「ここで戦いになることも、令堂和咲がお得意の甘っちょろい戯れ言を吐いて、きみの罪悪感を揺り動かすことも、予想通りだったよ。特Aの令堂和咲が(オルト)ヴァイスタになっていたなら、それが一番だったが、高望みだからね。まずはきみでいい。もう、未練もないだろう? もしも絶対世界に行けたところで、滅んだ魂は蘇らないんだから。そのためだけに生きてきたきみにとっては、絶望、だよねえ」

 

 にやり、リヒト所長はいやらしく唇を釣り上げた。

 

 あらためて、雲音は決して蘇らないことを、応芽の心に叩き付けているのであろう。

 絶対世界(ヴアールハイト)へと繋がる扉を開く、その足掛かりとなる、一歩を踏み出すために。

 

 だが、

 予期せぬことが起きた、ということか、

 ぴくりと、引きつっていた。

 ()(だれ)(とく)(ゆう)の、頬が。

 

「絶望、なんか……せえへんよ」

 

 笑顔を浮かべて、立ち上がろうとしているのである。

 応芽が。

 胸から、しゅうしゅうと黒色の煙を噴き出しながら、苦痛に顔をぐしゃぐしゃにしながらも、幸せそうに、笑みを浮かべて。

 

「ウメちゃん。無理しないで!」

 

 アサキが悲痛な顔で、肩を押さえ付けた。

 

 応芽の、ミイラよりやつれきったガリガリの身体の、どこに力が残っているのか。応芽は、制すアサキの腕を、むしろ掴んで支えにしながら、全身をぶるぶる震わせながら、立ち上がっていた。

 

「あたし、絶望なんか、せえへんよ」

 

 その目は、すっかり濁っているばかりか、乾いてヒビすら入っている。

 もう、いかなる光も感じてはいないだろう。

 だけと、その目は、真っ直ぐと、リヒト所長、()(だれ)(とく)(ゆう)へと、燦然とした意思を向けていた。

 

「へえ」

 

 受けた所長は、澄ました表情で、また唇を釣り上げて見せる。

 だが、少し引きつった、ぎこちのない笑みであった。

 

「雲音、を助け、る方法、必ず、ある、と信じ、とるから。せやから、あたし、絶望なん、て、しない」

 

 濁りきった目を、正面へと向けて、はあはあ、肩を大きく上下させている。

 

「せやろ。……だって、あたしがヴァイスタに、なったら、雲音を、抱き締め、られへんや、ないか。お帰りな、さいって、いえへんやないか。二人で、過去を笑えない、やないか。未来、を、笑えないや、ないか。……でも、残念、やな、未来も、なに、も、あたしの、この、生命は、もう、おしまいみたいや」

 

 苦笑を浮かべた。

 がくりと崩れて、地に両膝を着いた。

 

「ウメちゃん!」

 

 慌て自分も屈み、介抱しようとするアサキであるが、びくり肩が震え、その目が驚きに見開かれた。

 

 体内でなにが爆発したのか、応芽の胸から、これまでないくらい濁った、粘度のある、黒紫の煙が、噴出したのだ。

 

「があああああ!」

 

 応芽の悲鳴。

 顔が苦悶に満ちて、ぐちゃぐちゃである。

 果たして、どれだけの激痛に襲われているのか。

 

 ずっと、尽きぬ瘴気を吹き出し続けていた胸の傷であるが、どろどろ溶け広がって、ぽっかりと大きな穴が空いていた。

 

 背中の、向こうが見えていた。

 

 アサキが頭を抱えて、金切り声の悲鳴を張り上げた。

 

 胸の傷だけではない。

 指の先端も、肉が溶けて、骨が見えていた。

 その骨すらも、液状化が始まって、ぐちゅぐちゅとゼリー状になっていた。

 

「状況的に『絶望しかない』こと、理解していないはずがない。本来なら、ヴァイスタ化しているはずだが。それを魂で抗おうとすると、このようになるのか。これはこれで、面白い」

 

 グレースーツの男、()(だれ)(とく)(ゆう)が腕を組んで、楽しげに状況を見守っている。

 計算通りにいかなかった苛立ちよりも、新たな事実を知ることが出来た興奮が勝るのか、とても嬉しそうな表情で。

 

「令堂……」

 

 応芽の、身体全体が、じくじくと、着ている物までが溶かされて、ただの、粘液の塊になりつつあった。

 

 そんな状態で、アサキへと顔を向け、アサキを呼んだ。

 ただ顔を向けたというだけで、もうその目は、いかなる光も感じてはいないのだろうが。

 

「楽し、かった。一生、忘れ、へんよ。まあ、その一生も、もう、しまいや、ねんけど、な」

「そんなこと、いわないでよ! お願いだから! ダメだよ。死んじゃ、ダメだよ! 治すから、わたしが治すからっ! だ、だからっ、ウメちゃんっ!」

 

 ぼろぼろ涙をこぼしながら、青白く輝く魔法の手を、応芽のあちらこちらへと翳すアサキであるが、その必死な思いが、いかなる奇跡を起こすことも、なかった。

 

 応芽の肉体は、どろどろと、溶け続けていった。

 

(あき)()、おるんやろ? 堪忍、な。(おお)(とり)と、(へい)()が、死んだ、のは、あたしのせいや。守ろうとは、思ったんよ。だって、大切、な、大好きな、仲間やもん。せやけど、力が、足りへんかった。堪忍な」

「お、お前、なにしょいこんでんだよ。なんで、話してくれなかったんだよ。な、なか、仲間とかさっ、いっといてよ、一人でしょいこんでんじゃねえよ!」

 

 いつ泣き出してもおかしくない顔で、カズミは、怒鳴り声を張り上げた。

 拳を握り、踵を踏み降ろした。

 

「堪忍な」

 

 もう痛みも感じないのか、どろどろと皮膚が半分溶けた顔で、応芽は、優しく微笑んだ。

 

「祥子。こいつらのこと、任すわ」

 

 少し首を傾げて、嘉嶋祥子へと、ぐちゃぐちゃになった顔を向けた。

 

 いつも薄笑いを浮かべている祥子であるが、いま彼女は真顔、表情を押し殺して、微かに身体を震わせている。

 

「リヒトの任務と相対しないところでならば。わたくしのところでは、ウメの親友として接することを、約束するよ」

 

 リヒト所長もおり、それが精一杯の友情の表現だったのだろう。

 

「それで……ええわ」

 

 小さく頷くと、また、アサキの方へと向き直る。

 

「とこ、ろで、令堂、自転車に、乗れない、って、ホンマか?」

 

 不意打ちの質問に、ぼろぼろ涙をこぼしながらも、面食らった顔で、アサキは、黙って頷いた。

 応芽の目が見えていないことを思い出して、

 

「ほ、本当。恥ずかしいけどね」

 

 慌てて、声を付け足した。

 

「そん、くらい、乗れるよう、なっとけや」

「練習する。……乗れるようになる」

 

 笑った。

 大粒の、混じりけのない涙を輝きこぼしながら、アサキは、優しく笑った。

 

(りよう)、いや……アサキ」

「……なあに。ウメちゃん。……わたしのこと、名前で呼んでくれたね」

「恥ずかしいけどな」

「嬉しいよ。それで、なあに?」

「ああ、覚えとったらで、ええから、なんかの、ついで、でも、ええから。雲音、妹、を……。あたしは、笑って、待って、いるから……」

「うん」

 

 頷いた。

 ぼろぼろ涙をこぼしながら、優しい笑みを浮かべながら、アサキは、こくこくと、小さく首を振った。

 

「……あたしは、希望、を捨てて、いない。絶望なんか、せえへん。……ああ、そうや、これ、は、お前、のや、アサキ」

 

 ぜいはあ息を切らせながら、応芽は、弱々しい動作で、左腕に着けている真っ赤なリストフォンを取り外し、アサキへと差し出した。

 

 両手をそっと差し出して、アサキは、それを包み込み、受け取った。

 

「ほんの、数ヶ月、付き合い、やったけど、楽し、かった、なあ。……あたしは、天王台、第三中学校、魔法使い(マギマイスター)(みち)()(おう)()や。心は……心、は、いつも、みんなと……」

 

 どろどろと、

 醜く焼けただれ、溶けながらも、

 美しく、笑う、

 彼女の姿、

 

 は、もう、そこにはなかった。

 存在の痕跡を残すものは、なにも。

 

 アサキは、両腕で空気を抱いていた。

 消失感に、ふわり前のめりになると、あらためて、起きた現実を認識した。

 

 認識したからといって、冷静に受け止められるわけではなかった。

 受け止められるはずがなかった。

 

「う……くっ」

 

 微かな呻き声を発し、身体をぶるぶるっと震わせると、

 

「うああああああああああああ!」

 

 天を見上げ、口が張り裂けんばかりの絶叫を放っていた。

 これまでに見せたことのない、心の底、魂が震える、叫びを。

 

     8

 絶叫を絶叫でかき砕く、喉の奥がいまにも裏返って飛び出しそうな、叫び声、激情、慟哭。

 

「いやだああああああああああ! ウメちゃん、ウメちゃんっ! ウメちゃん! うああああああああああああ!」

 

 嘆き、怒り。

 悲しみ、やり場のない辛さの、衝動に震える魂。

 その震えだけで、地が砕かれて裂けそうなほどの。

 

 激しい感情の爆発と裏腹に、その手に力はなく、すがるように地を叩き続けている。

 

 泣いているのは、アサキだけではない。

 

「ふざけんなよ、くそお……畜生……畜生!」

 

 カズミである。

 立ったまま、感情を押し殺そうと、でも堪え切れず、涙をぼろぼろとこぼしていた。

 こぼすまいと思ったのか、上を向くものの、流れ出る量があまりに多く、まるで意味をなしていなかった。

 

 その後ろには、()(しま)(しよう)()が、黙って下を向いている。

 思うところの違いから、この一年は相対していたとはいえ、応芽とは幼馴染の親友であり、リヒトでの戦友である。

 もしもこの場に誰もいなかったら、泣き崩れていたかも知れない。

 表情こそ冷静であるが、しきりに靴の底で地を引っ掻いている。泣き崩れないまでも、激しく動揺していることに間違いはないだろう。

 

 悲しみに暮れる三人の様子を、腕を組んで、面白そうに見つめているのは、リヒト所長、()(だれ)(とく)(ゆう)である。

 

 横には、黒スーツを着た側近の部下が二人、護衛の意味もあるのだろう、肩をぴたり寄せて立っている。

 後ろには、白衣の技術者、そしておそらくリヒト所属の、魔法使いたちが数人ずつ。

 

 白衣の技術者たちが、それぞれに、提げていた黒いバッグから、小型の機械を取り出した。

 泣きじゃくるアサキのすぐ目の前、応芽の身体が溶けて消滅した地面へと、コードを引っ張って伸ばした、センサー棒の先端を当てた。

 

 ()(だれ)(とく)(ゆう)が呼んだ、技術者たちである。

 応芽とアサキが争った結果、なにかが起こることは間違いなく、なんであれ生じた事象のデータを、測定するために。

 

 なお、魔法使いは、先ほど()(だれ)(とく)(ゆう)がいっていた通り、戦闘要員だ。

 応芽の魔法力や怨念絶望が足りず、通常のヴァイスタにしかならなかった時に、すぐさま倒し、昇天させるために、呼ばれた者たちだ。

 

 着々と計測作業が進む中、まだ地を叩き泣き続けているアサキであったが、感情涸れたわけではないものの、瞬発力が尽きて、号泣から嗚咽へと変わっていた。

 

「ウメ……ちゃん」

 

 死者への、何度目の呼び掛けだろうか。

 

 じゃっ

 砂を潰す音に、アサキはびっくりし、目を見開いた。

 

 すぐ手元の土、硬い地面に、短剣が、斜めに突き刺さっていた。

 

 顔を上げると、()(だれ)(とく)(ゆう)と目が合った。

 

 至垂の、薄く歪んた口元が動いて、小さいけれど、はっきりした言葉を呟く。

 

「受け入れるか、拒絶するか、物理的にか、精神か。自己表現に正解はないよね」

 

 小さいけれど、はっきりした、

 小さいけれど、侮蔑に満ちた、

 嘲り、虚栄心、欺瞞に満ちた、

 

 思わせぶりな話し方。

 とどのつまり、絶望の仕方についてということだろう。

 

 親友を失った、アサキへの。

 

 この短剣で自害するもよし、世を呪うもよし。

 ここで狂い、ヴァイスタ化するもよし。さらに負を、内に貯め込むもよし。

 

 挑発しているのだ。

 心を揺り動かそうとしているのだ。

 

 ここでなにがどうなろうとも、()(だれ)(とく)(ゆう)にとって損は微塵もない。

 なにかきっかけさえ与えれば、どうであれ、今か、いつか、面白いことにはなるだろう。

 そんな、愉悦のための種まきを、しているのだ。

 

 なにが、楽しいんだ?

 

 アサキは、リヒト所長へと侮蔑の視線を向けていた。

 

 何故そんな、自分を正しいと思っていられる?

 そもそも、この状況下で笑っていられる、その神経をこそ、疑う。

 

 侮蔑の視線を向けたまま、手元の短剣の柄を掴むと、乱暴に引き抜いていた。

 

 次の瞬間、壁に、短剣が突き刺さった。

 壁際に立っている、リヒト所長の、顔をかすめて、

 硬いタイルを、ものともせず砕いて、深々と、突き立っていた。

 

 ゆっくりと、アサキは立ち上がると、あらためて迷いのない強い眼光を、リヒト所長、()(だれ)(とく)(ゆう)へと向けて、静かに口を開いた。

 

「わたしたちは、絶望はしない」

 

 真っ赤に泣き腫らした目で、睨み付けた。

 薄笑いを浮かべている、リヒト所長を。

 

「本当に、そういい切れるのかな?」

 

 思い見透かす冗談ぽい表情で、深々と壁に刺さっている短剣を、二本指でつまんだだけの軽い持ち方で楽々と引き抜くと、いやらしい流し目をアサキへと向けた。

 

 アサキは、どっしり地に立ったまま、また、口を開く。

 

「素敵な思い出を、たっぷりもらった。みんなが必死に頑張ってきた。そんな思い出の生まれた、世界を守るためなら、絶望なんて……するはずがない!」

 

 少し言葉がまとまらなかったけど、でもこれが、迷うことのないアサキの本心だった。

 

 リヒト所長には、どうでもいいことのようだが。

 

「きみはまた、ここへくるよ。自分を知るために。真の絶望をするために」

 

 ふん、と鼻で笑うと、そういったのである。

 

「もう知っています。思い出しましたから。わたしが幼い頃、この施設で実験台にされていたこと」

 

 応芽に教えられ、そこから雪崩式に記憶が戻ったのだ。

 

「そうか」

 

 それも予期の範囲ということか、特に驚くこともなく、唇を僅か釣り上げた。

 

「もっと、思い出したら、または、もっと、思い出したくなったら、また、ここへきなさい」

「なにをされていたとか、そんなことまで思い出せなくていいです。……それよりも、ウメ……(みち)()さんの、葬儀は行われるんですよね」

「そうだね。謀反のような事を、起こした者ではあるけれ……」

「あなたがそう仕向けたんでしょう!」

「知って乗ったは彼女の方だ。でも当然、葬儀は行うよ。殉職したリヒトの魔法使いとしてね」

「分かりました」

 

 アサキは小さく頷いた。

 

 気持ちのいいものではない。

 だけど、仕方がない。

 

 メンシュヴェルトやリヒト、ギルドメンバーが不慮の死を遂げた場合、肉体の損傷度合いによっては、死亡届を出して通常の葬儀を執り行えることもある。

 だが、あまりに奇怪な死であったり、異空での死であった場合には、行方不明で片付けられることになる。

 今回は、肉体の消滅であるため、後者に位置づけられる。

 

 つまり、社会に隠れてということにはなるが、彼女の葬儀を行えるのは、リヒトだけなのである。

 

 この所長は大嫌いだけど、でもここで働く者がみな悪者というわけではないだろう。

 応芽と仲のよかった者だっているだろう。

 だから、葬儀はしっかりとやっておくべきだと思ったのだ。

 

「日取りが決まったら、教えて下さい」

「約束しよう」

 

 だからといって、感謝する気もない。

 吐き捨てるように、冷ややかな表情で、小さく頭を下げた。

 

 応芽のためにも強くあらねば、と思うからこその、アサキのその淡々とした態度であったが、でもそれもさして続かなかった。

 

「令堂さん! 昭刃さん!」

 

 ()(ぐろ)()(さと)先生が、息せき切って、走ってきた。

 

「これは、どういうこと……み、慶賀さんは……」

「先生っ! ウメちゃんが、ウメちゃんが……」

「ちょ、令堂さん?」

 

 アサキは、須黒先生へと抱きつき、強く抱きしめると、また泣き始めたのである。

 

 もう涙の枯れるまで泣いたと思っていたのに。

 身体のどこに貯まっていたのか。

 まるで、世界中の雨雲を集めたかのよう。

 アサキの、涙。

 心の中に降る雨は。

 キラキラと輝く、親友を思う宝石の輝きは。

 いつまでも、やむことを知らなかった。

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