鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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ゴンザレス戦から数ヶ月後のお話から
途中から出てくる、″(会話)″、は過去回想です。




降りしきる記憶 その1

「もう一度、いまの言葉を心して言ってみろよ。

ロードワークの邪魔をしに来た、その訳を…!」

 

梅雨が近づく5月の朝6時、ランニングウェアに身を包む二人の男性が対面していた。

荒げた声の主は宮田 一郎。会話を振った人物に向けるそれは、殺意や敵意といった類いのものではない。本人ですら意識せずに出していた、純粋無垢な疑問でしかなく。

 

恐ろしくタチの悪い、(くさび)であった。

 

「意味も、言い方も変えない。だから謝りも、撤回もしない。

宮田くん、もう僕を待たないでください」

 

お願いする、という立場としてはあまりにも姿勢は真っ直ぐだ。

しかし。ひどく勘違いしている、とはカケラも思っていない。

 

「呆れたぜ。怒りを通り越して落胆するばかりだ、幕之内。お前に言われなくてもいずれライト級(うえ)に行く」

 

淡々とした口調で宮田は答える。

暗に、それは思い違いだと指摘している。

 

「今はその準備をしている。分かったらさっさと帰れ」

「これからのために必要なこと、なんだ…」

「俺にお前の驕りっぷりを見せることが?」

 

驕りっぷり、確かにそうだ。

何年も宮田をフェザー級に縛りつけているのは他でもない、宮田くんに憧れて世界の地に辿り着いた自分。

嫌でもわかる。ランディー戦以降も宮田くんがフェザー級にいる理由なんて、それしかない。

 

「……」

 

宮田の骨格は、本来ならジュニアライト、もしくはライト級の身体だ。階級を落とせばそれだけ体格差で優位に立てる。しかし、宮田の場合は限度というものを無視していた。

身を、そして精神を削ぎ落とす日々。そんなものが人間を続けられるとは思えないだろう。

 

幕之内はそんな宮田に対して悩んでいた。

 

「驕り……。うん、本当にそうだと思う」

 

宮田 一郎が尊敬するボクサー、父親を引退させた選手。その息子との対戦により、幕之内との試合が流れてしまった。あの日から、どうしようもなく道が(たが)えてしまったのだ。

試合が終わったあと、フェザー級に耐えられる身体ではないと階級を上げるはずが、未だフェザー級にいる。無理な減量を続けて、フェザー級に固執する宮田に自分がなにを言えば、苦行を辞めてくれるのか。

 

「なにが言いたい」

 

ボクサー(プロ)になる前。

はじめて負けた相手、そしてはじめて勝った相手。それが宮田 一郎というライバルで、憧れの存在。同じ鴨川ジムである宮田は、幕之内とのスパーリングに負けてから移籍。

理由は、プロのリングで決着をつけるため。

 

何度も巡り会う機会はあった。ただ、そのたびに運命の悪戯(いたずら)が邪魔をする。かれこれ8年を経た。しかし、フェザー級のリングに2人で昇ることはない。

 

運が悪かった、宮田くんにも理由がある。仕方がない、僕には試合を組むだけの力がない。何もできない、ごめん…。

 

「これまで、色んな人たちとリングの上で戦ってきた。どの人も強くて、僕だけだと勝てる相手じゃなかった」

 

ゴンザレスに負けてから数ヶ月、さまざまな葛藤が幕之内のなかを駆け回る。

また、宮田くんとの距離が空いてしまった、と。

 

「背中で会長が見守っていてくれなきゃ、前に進むことすらできなかった」

 

運命の悪戯、それだけで割り切れるほど浅い関係でない。

幕之内 一歩のいまを築いたキッカケの一つでもあるのだ。

だから悩み、考えた。

 

「だけど後ろだけじゃない。進むための道しるべを見せてくれたのは、もう一人、ずっと…リングの上にいたんだ」

 

答えは、とても簡単なもの。

 

「まだ、宮田くんの背中を追い続けているんだ。なんでだろうって考えて、ずっと分からなくて。だけどある日、ロードワーク中に納得した」

 

なぜ、練習を続けるのか。

なぜ、ボクシングを続けるのか。

 

少しばかり遠い日になってしまい、同じことを繰り返すことを目的としつつあった。

見失いかけていた、大事なもの。自分の目標。

 

「僕は、必ず宮田くんを…。宮田 一郎からK.O勝利する。それが僕の目標で、ボクシングが大好きな理由なんだ。

だから絶対に逃げない、どんな壁も乗り越えてみせる!」

 

思い至ったことは、最初の頃と変わらない夢だ。

この対決だけは、簡単に諦めきれない。

 

「これまでの全部に、もう裏切らない!

だから宮田くん、後から追いかけるよ!」

 

幕之内の張る声に、宮田は大きく息を吸い込んで空を見上げる。

 

「なんだ、やっぱお前…バカ、だな」

 

目に見えない枷が、ようやく外れた気がした。

二度目の敗北から引きずり続けている心の重りを、自らの決心で霧散させたのだ。

 

「羽は、もう無くなった…」

 

(きびす)を翻した宮田の背はすぐに遠くなり、曲がり角で見えなくなる。

その姿が陰に消える直前、右拳を上げ人差し指を天に向けていた。それが別れの挨拶とともに、彼なりの返答とも言えたのかもしれない。

 

3ヶ月後、宮田 一郎は東洋太平洋(OPBF)フェザー級のベルトを返上。

 

ライト級へと上げた1年後、指名試合によってWBCライト級タイトル挑戦が決定した。

 

 

───

 

──

 

 

 

両国国技館。

WBCライト級タイトルマッチ、その夜は早くも3ラウンドを迎えていた。

 

『止まらない!!リングを駆ける両者の疾走音が止むことを知らない!!!』

 

拳が空を滑る。

一閃するごとにステップ音は3つを超える。両者休む間もなく、射程距離に入った瞬間からフェイントを織り交ぜていく。

上半身が止まった場面を見ないほど軽やかに、機敏にパンチを量産する。その数は互いに3ラウンドで300を超えた。

 

「宮田のスピード、フェザー級の頃より上がってないか!?」

「そりゃ間違いないが、その宮田が突き放せないあのチャンピオンがやばすぎるだろ!」

 

両者300発、全弾不発。

決してタッチボクシングではない。アウトボクシング、ときには勇敢にインファイトを仕掛けながらも。

宮田の拳は王者の座に擦らない。

 

「お、おい…それどころか宮田のやつ。徐々にパンチがかすり始めてないか!?」

 

チャンピオンの左ジャブが頬を横切る。

目を細める宮田。そこから次々と、ジャブが宮田の顔に狙いを定める。

同身長、同体重の条件で戦うなか、ここにきてようやく差が見え始めていた。

 

『あぁ…!挑戦者の頬を掠めるジャブの数々!スピード勝負、先に手にするのは王者なのか!?』

 

最短、最速、一切の無駄が省かれた攻防。

たった一本のみ用意される栄光の道に乗り上げたのはチャンピオン。

 

『宮田の足に着いていくどころか、徐々に差をつけていこうとするチャンピオン!かつてない速度に瞬きも許されません!』

 

「っ………!」

 

雷雲を振り払うかの如く、超光速の左右コンビネーションが宮田のガードに刺さる。移動しながら打っていい威力ではない。足がもつれ、パンチの軌道がブレてもおかしくはない。

それを、宮田一郎という選手を相手に、カウンターをもらうことなくチャンピオンは実行してみせた。

 

『つ、ついに宮田がコーナーに押し込まれてしまったぁぁ!』

 

リング全体を使っていた先刻が嘘のごとく。

観客の目はただ一点を見つめていた。

 

″イチローは過去最速の挑戦者だ。彼を捉えるための研究に費やした日々の成果は、間もなく観衆の目に映るだろう″

 

昨晩の記者会見、チャンピオンはそう言い放った。

 

(イチロー、君のスピードはどの階級を見ても追いつける者はいない。日本の(ホーク)でさえだ)

 

このときを想定して、数々の準備をしてきたからだ。

 

(最速の王者として名を売ってきた僕すら、君のスピードには追いつけない。この試合、元より前半に全てを賭すものなのだ。

イチローのカウンターを受けず、いかにしてコーナーへ追い込むか。当たり前の定石だが、これほど困難とはね)

 

チャンピオンは気を引き締める。宮田を過去最強、最速の挑戦者と断定しているため、昨日の宣言を侮れない。

 

″宮田選手に質問です。このタイトルマッチへの意気込みをお聞かせください″

″4ラウンド″

″……よ、4ラウンドといいますと?″

″チャンピオンのK.O勝利の8割は4ラウンド目だ。そこを越えられないようじゃ話にならない″

″な、なるほど!ありがとうございます!″

 

スポーツにおいて、必ずしも体重が軽ければ速いという訳ではない。筋肉が程よくついていなければ瞬発力も無く、動きに機敏さが欠けていく。

そして、ボクシングのライト級ともなれば速さにおいて理想の体格に近くなる。

 

減量により速さを増すように見えた宮田のフットワークは、肌触りの悪い泥をシューズに詰めていると言っても差し支えない。フェザー級の舞台では、羽を満足に広げたことなど一度たりともない。

少なくとも、チャンピオンはそう読んでいる。

 

(コーナーに追い詰めてからではダメだ。コーナーに押し込んだ刹那の隙で勝負を決める。一瞬でも時間を与えてしまえば、たちまちカウンターが私の意識を断つからな!)

 

浮いた足、背後の壁、足は封じた。

グローブ越しに握り込まれる右が一直線に走る。

 

『不完全な体勢の宮田に、無情にもチャンピオンが距離を詰めた!』

 

振り抜かれた右拳は必殺。

宮田の顔面を寸分違わず捉えた───

 

『クリーンヒッッ……トぉ……!?』

 

間違いなく、捉えたはずだった。

苦悶に歪んでいるはずの顔は、頬を横切る拳を涼しげに見つめていた。

 

(バカな!?)

 

チャンピオンの拳は、コーナーを打ったにすぎない。会場中が錯覚したのは、宮田の首捻り(スリッピング・アウェイ)によるもの。被弾すら魅せる技術は、眼前の歴戦の王も騙す。

3ラウンドまでノーヒット、それでもなお、底を見せていなかったのだ。

宮田は、刹那の隙(スリッピング・アウェイ)をもってチャンピオンの足に枷をはめた。

 

直後。

伸ばされた右腕の側面を、雷神の右拳が駆け抜ける。

 

(あのとき…!

あのとき(記者会見)の話にならない、と言ったことはつまりッ)

 

世界前哨戦まで、宮田のフットワークは他の追随を許さなかった。追いつくことはハナから叶わず、かといってついて行けば即座に雷撃(カウンター)でダウン。

 

誰も、彼の底に届かなかった。

 

一方、チャンピオンは届いた。

否、垣間見せられたのだ。

遥か上空。霹靂の向こうへと誘われていた。

天上に轟く、雷のなかへ。

 

(K.O宣言だったのか…!?)

 

赤い閃光がチャンピオンの顔面を打ち飛ばす。意識も、精神も、神経も割く伝統の一撃。落雷が一本の木を霧散させる。

これが鍛え上げた、ただのカウンターだというのだから驚くほかない。

 

「タイミングを計り続けておった。競り合うように見えていただけ。ここまできたか、宮田」

「宮田くんの、本気のハンドスピード…!」

 

客席最前列。

崩れ落ちるチャンピオンを目撃しながら、幕之内の視線は宮田へ。力強く開かれる瞳には、たった一人の男にだけ向けられた意思があった。

 

″待っている───″

 

「宮田くん…」

 

視線が交差する。

1秒に満たない宣言は終わった。

 

『あ………圧倒ゥゥウ!宮田一郎がオープニングヒットを決め、それがダウンだぁぁぁあ!!』

 

駆け寄るレフェリーは、仰向けのチャンピオンを見るや即座に両手を交差する。

 

『レフェリーが試合を止めた!?

……な、なんと、試合終了!?』

 

日本人ボクサー現役◆人目となる、世界王者がここに誕生した。

 

『やりました、獲りました!

WBCライト級チャンピオン誕生!!

その名は、宮田 一郎!!!』

 

雷神の名が世界に轟いた瞬間であり、ここから1年間。つまり、鷹村のライトヘビー級挑戦に至る日まで敗北なし。

彼はいま、他の団体からの王座統一戦を断り、今もその座を死守し続けている。

 

一重(ひとえ)に、ベルトが一つあれば夢が叶うという理由で。

 




お久しぶりです。

下地作り回でした。

どうすれば宮田は階級を上げるのだろう?
という疑問から始まり、幕之内と戦える場所という結論に落ち着きました。はてさて、これからどうなるのでしょう。

また、作品の一部には意図的に数を誤魔化している部分もあります。今後書く予定なので、そのうち分かるかと思います。

【次回について】
本日夕方頃を目処に投稿します。
ななななんと1日2話!これは珍しいですよ奥さん!
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