2-1、勝者、リカルド・マルチネス。
36分間を巡るアルフレド・ゴンザレスの結末を聞き届けて、幕之内は拍手も忘れて俯いてしまった。
握りしめた拳に大粒の涙がとめどなく落ちる。
(いま泣きたいのはゴンザレスさんのはずなのに…)
敗北した当の本人は微睡むように試合の余韻を味わい、夜空を見上げて笑っている。文句も、励ましの言葉も出てこない。
だから、涙が止まらない。この結果を呑み込めないんだ。リカルドに敗れてリングを去った伊達の姿を思い出してしまう。一緒だった。ゴンザレスさんの表情は、引退するボクサーの雰囲気と一緒なんだ。バトンを手渡した伊達さんのように、板垣君との試合を終えた山田君のように。
彼らの…全てを出し切った時の雰囲気をゴンザレスから感じた幕之内は、この結果を受け容れることしか許されない。勝利しか信じていなかった幕之内には、受け容れる余裕はなかった。
「泣くなっ幕之内」
それでも顔を上げたのは、背中を掴んで背筋を伸ばされたから。
「最後まで目に焼き付けるんやっ。リカルドと12ラウンド戦った、たった1人の漢の勇姿をっ…。
あの後ろを追い越すために…目を逸らすなっ……」
そう言って、流す涙も忘れて見つめている。好敵手の背中を忘れないために。そして、宿敵の1人を倒すために。
両腕を組んで、脇の部分の服を掴み、これでもかと皺を寄せている。服から聞こえる骨の軋む音が、千堂なりの拍手の代わりだった。
『では最後に、今後の方針や意気込みをお願いします』
気がつけばリカルドへのインタビューも終わりを迎えようとしている。ゴンザレスはブラスに肩を持たれながらリングに残っていた。この質問を待っていたとばかりに、眼光を鋭くさせながら。
「……フェザー級に拘る理由は、もうない」
それは、リカルドによる無敗神話の完結を意味する言葉。
天井を見上げる姿からは、次の階級…ジュニア・ライト級へ行くことを示唆しているように見えて。幕之内にとっては、伊達やゴンザレスの届かなかった
新型開発が遅かったことを悔やんで歯を食いしばる。
「だが、彼の意見に耳を傾ける義務が私にはある」
ゴンザレスへの手向け。
無敗神話という呪いを解いた者への報酬を、リカルドは視線で問いただした。
「………………ん」
ゴンザレスは無言で、リングの外を指差した。
そこには、いつの間にか立ち上がってリング脇に出向いた千堂が居て。いつ準備したのかも分からない白紙の紙と筆ペンを持ち出して、床で何かを書き始めた。数秒の後、起き上がった勢いのまま、
「受け取れ‼︎‼︎‼︎」
封に綴じたソレをリカルドに投げ渡した。
手元で受け止めたリカルドは、その手紙の意味を本能的に理解した。
「…………挑戦状」
「次はワイの番や。リベンジマッチを申し込む‼︎」
「私は、どちらでも構わない」
リカルドの呟きを千堂は聞き取れないが、彼の視線を見て振り向く。
「………渡さへんぞ」
「僕も同じ気持ちです」
紙と筆ペンがあれば幕之内も同じことをするであろう視線を、リングから見下ろすリカルドに突き刺している。
2人の眼差しを確認したリカルドは、満足げにまぶたを閉じたあとリングを去っていった。
もうここで語ることはない。
2人に合流した板垣に声をかけられて、会場をあとにする2人を追いながら板垣は疑問をぶつける。
「良いんですか、ゴンザレスさんのところに行かなくて」
「ゴンがワイらに託したんや。ここで話すことはもうないわ。しつこいって嫌われんで」
いまゴンザレスに会いに行けば、感傷に浸ることが出来なくなる。
漢の涙は、独りで流すものだ。今日の残り時間は誰もがゴンザレスから離れて、彼に必要な場を整える。
人生で最後の、敗北の夜を快適に過ごしてもらうために。
「そうです、よね。あんなに努力して、リカルドの全力と渡り合えたんですから、休ませてあげなきゃ。
あそこまで強くても勝てないのは、誰も予想出来ないですもん」
「リカルドの全力を見れた。ワイが無理やった姿や。
…幕之内、あそこまでいけるか?」
千堂の問いに口籠る幕之内。
ゴンザレスのパンチは幕之内より威力は落ちる。だが、10ラウンド以降のゴンザレスのパンチは、全てが幕之内に匹敵するほどの威力だったように感じた。ダウンを奪ったパンチは、上回るだろう。
それらを考えると、ただリカルドを倒すだけでも途方もない物語になる。勝率は1割未満だ。
「………僕があそこまでリカルドを追い詰められたとして。きっと手数で負けていました。
僕のパンチが効く姿が想像出来なかった…」
「………悔しいがワイも同感や。
鳥肌が止まらへん、気が遠くなるで」
口には出さないが、板垣の正直な感想としては、「あそこからまだ強くなるなら、いくら先輩たちとはいえ…」という諦観。そして、「新型デンプシー・ロールなら、或いは…!」という希望だ。
2人の目標は果てしなく遠い場所にある。リングの外でどれだけの練習を積んでも、決して届きはしない。リカルドと同じリングに上がって、初めて同じ地平の隅に立つことができる。
36分以内に凡ゆる試練を乗り越えて、ようやく同じ目線に上り詰めるのだ。
「ゴンザレスよりも強くならなアカン。
幕之内、先はまだまだ長いなぁ…」
「絶対に追いつきます。伊達さんからのバトンを……ゴンザレスさんの想いをぶつけて勝ちます。勝ちましょう」
人間が相手をするボクサーじゃないと板垣は知りつつも、2人の背中を見ながら思うことがある。
幕之内から聞いた、鷹村の発言。『人のまま踏み込むな』とまで言い放った河川敷の“人外の境界線”。あれが鷹村の言う世界…リカルドの背中だとするのなら、既に幕之内に資格はある。
そして千堂も…人とは一線を画するものがある。先にリカルドと同じ地平に立ったボクサーだ、線の上には立っていた。
だから問題は、どちらが届くのか。
果たして2人が届くのか。
近々訪れる未来に不安を抱きつつ、人外2人の背中についていく。いつか自分も同じところに立つと決意を込めて、冥界の夜を見上げた。
───
──
─
「試合から2日しか経ってないのに、空港まで見送りに来てくださってありがとうございます!」
「車で送れないのが残念だ。流石にこのザマじゃあな」
リカルドとの試合が終わり2日が経過した。
メキシコ・シティ空港にブラスの運転で送り届けてもらった3人は、右腕を包帯で固定し、左右の頬を湿布で覆い、服の下の脇腹をコルセットで固定したゴンザレスに見送られていた。
「その怪我で立っとれるとは、流石は死神や!
中身はスカスカやろ、人間のフリしくさりおって」
「皮ぶっ
「絶対安静って言われてるだろう!暴れるな!
センドーも煽るのはやめてくれー!」
重症患者のゴンザレス…今はミキストリが血を吐きながら襲いかかる。危うく警察沙汰になるところを取り押さえつつ、幕之内、千堂、板垣の騒がしかったメキシコでの生活も終わりを迎える。
試合の翌日、病院から帰ってきたゴンザレスがあっさりとプロボクサー引退を告げた。彼の表情に曇りはなく、冥界の主人に似つかわしくない晴れ晴れとしたものだ。誰も異論はなかった。
そこからお疲れ会と称して身内だけのパーティを開いて、これまでのボクサー人生を語り合った。千堂と幕之内のスパーなんていうものも勃発したが、その話はまたの機会としよう。
アルフレド・ゴンザレスは引退した。
その事実を受け入れる1日を過ごして、リカルドに拳を届かせるのに必要な言葉を受け取った。千堂と幕之内にとって、これからのフェザー級で戦うのに欠かせない1日となったのだ。
「俺は、リカルドを判定まで追い込んだ」
「────っ」
そうして、ゴンザレスは別れ際の言葉を切り出した。
「リカルドの本当の過去は伝えた通りだ。もうヤツは罪を背負っちゃいない。ボクシングが好きなヤツが、やっとボクシングを楽しめるようになった。出鼻を挫きはしたが、次の試合までには立ち直ってる。だからこれ、やるよ」
そう言って取り出したのは中敷き。
3人にそれぞれ1セットだ。
「ありがとうございます。大切にします!」
「ボロボロになるくらい履き倒してみせます」
「マクノウチの足に合わないのはすまんな。荷物の底にでも敷いといてくれ!」
安物だからな、と笑うゴンザレスだが、恐れ多くて出来ないと幕之内は笑った。
「なんや、中敷きかい」
「不服そうだなぁ。こいつのお陰で最後、俺たちの右は力を捻り出せたんだ。お守りだぜ?
ま、2週間で使い潰してみろって。結局、お前ら滞在中で1つも換えなかったもんな。そんなんじゃリカルドには届かねえよ!」
「はん、余裕や。2週間後にジムに送り返したるわ」
「着払いは拒否するぜ?」
千堂とゴンザレスは最後まで冗談を言い合って、最後には肩を組んで笑っていた。
名残り惜しさを噛み殺したゴンザレスは、千堂の背中を叩いて前に送り出す。不意の衝撃に半目の千堂と、笑っている幕之内に右拳を突き出した。
「俺の拳はヤツに届いた。次は……頼んだ」
ゴンザレスは信じている。
千堂も、幕之内も、リカルドを越えるに足る武器を持っていると。だから2人に想いを託した。
「「次は僕/ワイが行く」」
ゴンザレスの言葉を受け止めて、恐縮することはなかった。リカルドがデタラメな強さであろうとも、自分が勝つことを信じているから大きく頷いた。
「お前は早よ復帰せんかい!」
「あっ、いえその…気持ちが昂っちゃって、つい!でも復帰はすぐだし、リカルドに挑戦状を送ります!」
「ワイは一昨日渡したんや!ワイが先や!」
「それは分からないじゃないですか!!」
「うわー!?2人とも締まらないですよ!」
空港の前で騒がしい3人を見て笑うゴンザレスの声が響く。
今日は快晴、明日を見るには清々しい1日だ。
ゴンザレスとブラスに別れを告げた幕之内は、空港の入り口に向かいながら1人の人物のことを思い出していた。
(伊達さん………)
リカルドへの打倒を夢見て敗れたボクサー。
ゴンザレスと同じく、想いを託されたあと、息子の雄二にリカルドへの挑戦を問われたとき。
“今のボクじゃ歯がたたないよ”
こう答えた。
答えるしかなかった。
「今のボクは……あの頃のボクから見て────」
遥かに強くなったが、リカルドの底はまだ目視出来ない。見えるのは背中だけだ。……違う、背中だけは。
「見えるよ。あとは、一歩でも多く進むんだ」
自分に向けられた想いに応えるために、幕之内は力強く明日へと踏み出した。
▼
『Next Champion』で繰り広げた『取り戻す』物語は全て終了した。
ここから『ライトヘビー級』に込めた『王とは』なにかを問う激闘から未来へと繋がっていき。
『クルーザー級』で語られるのは、夢を追い、栄光から堕ちたボクサーたちの『もう1度』。
届くか、退くか、お待ちあれ。
※いつも通り長い独り言です。重要なお知らせは最後にあります。結論から書くと休載します。
それと、最後にアンケートあるので投票宜しくお願いします。
リカルド・マルチネスVSアルフレド・ゴンザレス。
このマッチング、幣作プロット初期から準備していたものです。感想で最初のほうにゴンザレスの登場について触れられたとき、ゴンザレスを待ってくれる人がいるんだ!?と喜んだものです。
色々と迷ったことは多いのです。先ず頭を捻ったのは千堂とゴンザレス、どっちをリカルドとぶつけるか?でした。どっちのパターンで考えても筆が進む進む。なので着目したのはゴンザレスの成長でした。激闘を繰り広げ、打ち解けあった千堂がリカルドに敗れることでゴンザレスの成長に繋がると思い、こうなった次第です。
次に悩んだのはゴンザレスとウォーリーを戦わせるか?です。これめちゃくちゃ迷いました。死神と野生児の試合とか絶対に面白いもん。プロットをクルーザーまで考えて、収集つかなくなりそうなのでボツ。同じ理由でゴンザレスvs宮田もボツりました。今回、ウォーリーが中途半端に絡んできたのはゴンザレスと試合組む予定だった名残りです。
ゴンザレスって、一歩世界のブラックホースだと思ってます。100巻過ぎて登場、幕之内を降してフェザー級の勢力図を掻き乱して読者を困惑させた問題児ですね。読んでいたとき、とうとうリカルドの物語を動かす重要人物来た!とワクワクしたものです。
千堂に負けて何も語らずに退場したのには驚きました。お前そんな大人しく引き退るんかい…!オラ戻って物語進めんか!
そんな重要なゴンザレスを幣作では試行錯誤し、リカルドの物語を動かすキーマンとしました。リカルド階級上げない問題に切り込める最適なキャラクターです。
そんなゴンザレスをですね、愛してやまない絵描きさんがいらっしゃるんですよ。私がゴンザレスの物語を書くとですね、気に入ってくださったワンシーンを描いて投稿されるんです。感動ものです、素晴らしい仕上がりなんですよ!
読者の皆さま、是非見てください。私のTwitterの「いいね」に沢山あります。私のTwitterはどうでもいいのです、ただ絵を見てほしいんです。愛が込められていますよ、私の作品を読んでくださった皆さまには楽しんでいただけること間違いありません!
世界で1番ゴンザレスを描いている方ですね!
絵描き様のお名前は『アルゴン』です。
ご本人から許可を得て紹介しています!
私のTwitterリンクを貼りますので、私のアカウントの「いいね」を見てください!千堂VSリカルドのポスターという素晴らしいものもありますから!ぜひ!
「https://twitter.com/@rikuHameln」
飛ばなかったら私のプロフィールから来てください。お手数ですが来てください。ありがとうございます。
ちなみに私は、世界で1番ゴンザレスの設定を練った二次創作作家です。
千堂のライバルとして、一歩の成長を促し、そしてリカルドの物語も進めてくれた幣作ゴンザレスに感謝を込めて、お疲れさまでした。ハンマーナオのように、活躍を果たして幣作での試合は最後となります。ゴンザレスファンの読者さま、ここから先は貴方が一歩二次創作に手を出す番ですよ!(何度目かの催促)
閑話休題。
ここまで幣作を読んでくださりありがとうございます。
『Next Champion編』はこれにて完結となりました!
……と喜ばしいのですが、非常に申し訳ないお知らせがございます。
暫くの間、『鷹の6本のツメ』を休載させていただきたく思います。
今回はそこそこ書き溜めをしていて、それこそ連載当初から試合描写をコツコツ準備してたくらい熱を入れた試合なのですが、仕上げの文章を書き上げる段階で執筆時間が取れなくなる事態が多発しました。
原因は仕事の残業増えすぎです。2年前と比べて10倍になりました。去年の時点でキツかったのに、ふざけた仕事で残業させられて参ってます。人手が足りないって言いながら毎月仕事増やすのなんなの。
愚痴すみません。転職します。転職のための勉強諸々に時間を割いて、残業無し完全週休2日制の企業に転職します。
私の勤める会社、元々はホワイト企業だったんですよ。トップが変わってここまで仕事が増えるとは思いませんでした…。
愚痴すみません、働きたくないです。二次創作する時間が奪われるのは健康に良くないので頑張ります。
明日、活動報告の方でも休載の旨を載せておきます。
あと、せっかくの活動報告ですので、読者の皆さまからお声を頂戴できればと思ってます。詳細は活動報告を確認してください。
以上、お知らせ終わり!
読者の皆さま、ここまで読んでくださってありがとうございます!
原作113巻までの読破を前提とした、敷居の高そうに見える作品を評価してくださったこと。こんな作品をお気に入り登録してでも続きを待っていただけること。数々の楽しんでくださっている感想に励まされて、こうして101話までを書くことが出来ました!
感謝しても足りないくらいの応援、ありがとうございます!これから暫く『鷹の6本のツメ』は休載して、『クルーザー級』を書ける環境を探してきます。環境が落ち着き次第、投稿を再開していきます。それまで暫くの間、原作『はじめの一歩』を応援しつつ、気長に幣作を待っていただけると幸いです。
それでは読者の皆さま、またお会いしましょう。
Next Champion編、ベストバウト(後半)はどれ?
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リカルド・マルチネスVS千堂 武士
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ストリクス・ワールVS鷹村 守
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リボルブ・ゲイルVS間柴 了
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蛟 剣哉VS速水 龍一
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リカルドVSゴンザレス