鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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玉座を砕くのは誰なのか

今日の天候は雨だ。

靴の中に水溜まりを作るような大雨ではなく、かといって手ぶらで外出できる小雨でもない。

日課のロードワークを断念するには十分すぎる、腹の立つ雨だ。的確に個人を狙い澄ましたような、闘志を刺激する空模様に気分も吸い寄せられる。

 

「………ジムに来ても、変わりゃしねぇか」

 

鬱屈とした気分になる雨は、癒えない傷によく染みる。二度の敗北にお似合いの空模様が鬱陶しくてしょうがなかった。以前は試合前に痛んだものが、引退してからは雨足に乗り換えたらしい。手渡したバトンが天蓋を打ち砕くまで、この雨は傷を容赦無く叩く。

乾くことも癒える時間も与えられずに、痒みだけが残る傷を抱えながら日々を過ごす。燃え移る先を待ち焦がれる火が、現役に戻れと囁いて聞こえて厄介だ。

 

「父さん、ミット持つよ」

「雄二……」

 

幻聴は愛息子の声で呆気なく消し飛んだ。

 

ひと休憩、そう言って座ったのがよくなかった。休日の朝っぱらからジムに来る門下生達は今日はどこかソワソワとしている。チラッと向けられた彼らの視線の先が、ベンチに無造作に置いていたボクシング雑誌なのを確認して。勉強をほっぽり出してジムに顔を出す雄二が、俺に気を利かせる理由に合点がいった。

 

『千堂武士、再挑戦。フェザー級無敗神話の最後を締め括るのは────』

『前回、メキシコでの歴史的統一戦を惨敗した千堂に、果たして勝機はどれくらいあるのか』

『リカルドを長年追い続けた現地記者にお話を伺った。結論から書こう、千堂は必ず負ける、と』

『リカルドは間もなく規定に定められた年齢に達してライセンス失効となる。ただしその戦績から、王者であり続ける限り特例として認められる措置が施されると予想され──』

『「まだリカルドは全盛期を更新する」それが取材中、日本の記者が最も驚いたものだった』

 

読み慣れた雑誌の取材内容に、少しだけ頷いてしまったのが昨日の夜のこと。

ここに書かれたものはリカルドを知る者の理想論ではあったものの、当の本人がソレを実行してみせる怪物で。2ラウンドで捩じ伏せた相手の再挑戦を訝しむのは当然のことだった。

憶測のように見える残酷な事実塗れの記事に、反論できる材料は持ち合わせていない。リカルドを知る伊達英二、本人が顔をしかめるしかなかった。

 

「ボクシングに絶対はない。

どんな試合でも、試合前の勝敗は未確定だ。試合結果を試合前に断定で締める記者はバカだ」

 

事実だ、反論じゃない。

だから、なんだという。

 

今やリカルドは無敵の人とは言えなくなった。

さきのゴンザレス戦による2度のダウンを見たか。千堂に敗れた彼は、リカルドのタイトル防衛史上初のことを成し遂げるまでに成長した。あぁ、そうだ、伊達英二は知っている。リカルドにリベンジするボクサーは見違える成長を経て、玉座への道を切り拓く。

千堂にも同じことが言える。イギリスの強敵を事もなく倒した復帰戦がこの自論を裏付けした。

 

…そして、負けた。

彼らは皆、負けていった。

成長した千堂を喰らうために、リカルドは己の全盛期を越えてくる。その予感で殺気立ち、ジムの雰囲気を悪くしている。雄二に気を遣わせる情けない父親だ。

 

「タイトルで釣るだけの三流記事です。読むだけ毒ですよ、ここには敗者の声がありません」

「…………!」

 

ズンと勇み足で寄ってきた男の足音が、この雑誌に対する遺憾を示す。その声にしなれた意識が引き締まる思いに変わり、こんな簡単な見落としに気づけなかった自分が急に恥ずかしくなってきていた。

 

「識っている記事と、知っただけの記事は宇宙と宇宙人くらい意味が違います」

「────────そうだよな。サンキュー」

 

雄二の後ろからグローブを差し出してきたのは、敗北に一家言ある伊達ジム新人コーチ。名を速水龍一、8連敗の過去を持つ元日本ジュニア・フェザー級王者だ。

 

俺たちは、上を向かなくちゃいけない。

勝者以上に強がって、誰よりも次を見据えて走らなきゃ勝てなくなる。リングへと送り出す人間が、過去の古傷に苦しむくらいで背中を丸めるな。ばかたれ。

速水の言葉でやっと地に足が着いた。いまさら迷うなんて情けない。俺は俺に出来ることがある。

 

「すまん皆んな、気を遣わせた。………ついでにもう少し付き合ってくんねぇか。動きたい気分だ」

 

いずれ声をかける時がくる。

リカルド・マルチネスを倒すという大夢の為に、この肉体は全盛期を維持し続けてきた。

幕之内一歩が無敗神話の門前に立ったなら、この身体を粉々にしてでも役に立ってみせるためだ。

どんな泥濘(ぬかる)みだろうと走り抜いて、ゴールラインの向こうを見てやるんだ。

 

「俺やります」「俺が相応しい!」「だめです僕が先にやる!!」

 

雰囲気を一心するための提案に湧き上がる国内ランカーに練習生、そして我が息子。リングに我先と上がる様子に苦笑いが込み上げてきた。

 

「ど〜するんですか、今からジム皆んな相手にしなきゃいけませんけど。ケガさせちゃダメですよ」

「1人だけのつもりで言ったんだが……。あれ、いや、速水、お前もか」

 

全員の相手をどう捌くか、プロの練習よりもある意味キツくて楽しい時間を過ごすためにグローブを受け取ったとき、伊達ジムの出入り口から雨音がやけに侵入し始めた。

最初に気づいたのはリングに上っていた国内ランカーの1人。出入り口の雨音に違和感を感じて視線を向けた直後から、彼の目ん玉はひん剥かれた。その様子に1人、また1人と視線を出入り口に注いで、ジム内が騒然としたところで、原因である男が雨音を退ける音量で挨拶を放った。

 

「ごめんください。伊達はんいらっしゃいますか」

 

燻る燭台スレスレの灯火に近寄る影に、速水は視認後に一泊置いて。

 

「珍しい来客ですね」

 

伊達を見ながら笑ってみせる。歓迎したがっている速水の表情を不思議に思いつつ、畏まりつつも肯定以外を望まない声音の主に目を向けた。

 

「…ん? サイン書こか?」

 

律儀にも出入り口の前で待つ人物は、立派な鼻先よりも長い前髪が仮面のように顔を覆い隠し、とぼけたセリフを吐きつつも伊達英二を貫くような眼差しで見つめていた。

茂みから獲物を狙うように、慎重に。

理性で抑えつけているものをどうこうする術を伊達は知らない。祝辞を述べる時のように背筋を伸ばして、突然の訪問客に胸中の喜びを曝け出した。

 

「聞いたぜ千堂、リカルドと再戦が決まったんだって? やるじゃねえか」

「お久しぶりや、ジム設立おめっとさん。…やっば知っとったんやね、なら話早いわ」

 

訪問客…千堂武士は、雨水を吸って垂れ下がる前髪を掻き分けて、目蓋を閉じ姿を余さずに晒しだした。

毛先が地面に直角を描く姿に伊達が惚けたのは、千堂があまりにも瀟洒(しょうしゃ)が過ぎたせいだ。

 

「伊達はん、今生のお願い聞いてくれ。

リカルド倒すために、アンタの力が必要なんや」

 

その姿…ぼたぼたと雨粒が床に落ちるところに気が回らない申し出が可笑しくて、笑いを噛み殺すのに必死になった数秒で。()()()()に対して人一倍敏感で、()()()()に関しては豹変を遂げて牙を剥く厄介な人物が千堂と伊達の間に割り込んだ。

 

「いきなり失礼じゃないですか、千堂さん」

 

伊達ジムの最初の練習生であり、伊達英二の息子であり、幕之内一歩のファンであり、リカルド・マルチネスは幕之内が倒すと信じて疑わない青年、伊達雄二。幕之内厄介ファンだ。今回の試合に最も不満を寄せている、伊達ジムの条件付き起爆剤だ。

 

「押しかけて頭を下げるなんて迷惑です。父さん達にだって練習があるんだ、世界ランカーの相手なんて父さんの負担が大き過ぎる!! 伊達ジムのランカー達に悪影響が出ても責任は取れないでしょう!!」

 

目の前のずぶ濡れの不審者は、有事にとって伊達ジムに降りかかる火の粉に見えている。

これから伊達ジムのランカー2人は日本タイトルマッチへ向けた試合に臨み、非常に大事な時期へと入る。そこに余所者の面倒など見れるものか。

父親は頼まれれば余程のことがない限り断らないことも分かっていた。かなり無理をするのは確実だ。ボクシングに関して父親はいい加減だ、無理し過ぎて母親が心配そうにしているのを何度も見てきた。そこにリカルド打倒? 冗談ではない、面白くない、つまり先手拒否を買って出た。

 

「なんやボウズ、ワイ知ってんねや?

サイン書いたるから服寄こしィや!

リカルド倒すボクサーのサイン欲しいやろ」

「リカルドを倒すのは幕之内さんだ!」

「ワイに負けェ言うとんのか!!」

「よそで練習しろっ!!」

 

自分の都合をぶつける子供同士のようなやり取りに、面白がって見ていた伊達がそろそろと仲介に入った。

 

「コラ、息子にガン飛ばしてんじゃねえよ」

「なんやと!? ボウズ名前は?

どんくらいやれる? あとでワイとスパーしよな」

「やってやりましょう。1発でも当てられたら帰ってください」

「アホ、自分を見失うな」

 

怒りに振り回される我が子に優しい拳骨を落としながら、

 

今日の天候は雨だ。

勝機が隠れるほど目の細かい大雨ではなく、かといって歩いて帰れるほど雑な小雨でもない。

自分の夢を断念するには至らない、命運を隔てる日だ。敗者の無念が押し寄せるような、闘志を刺激する空模様に後押しされて───

 

「いっちょ上がれよ、千堂。

大阪流の冗句か本気か確かめてやるから」

「……! ほんま恩にきるで。絶対練習の邪魔はせぇへんから、そこは安心してな」

 

この雨が上がったあとの景色を追い求めるボクサーを、他ならない俺が無碍に扱うことは出来ない。手渡したバトンが最終一直線に踏み込むまで待つつもりでいたが、やめだ。

 

「あー、やっぱシャワーが先。雄二、案内してやってくれ。バスタオルも忘れずに。

俺の練習着も出してくれるか。あっ嫌そうな顔やめろ、ブサイクになってるぞ」

 

雨宿りする野良猫に並ぶ野生生物が暴れるには、手持ちの物が不衛生がすぎた。逸る千堂にシャワー室を指示しつつ、過程で雄二と打ち解けることに期待して指示を出す。

向こうに消えていく2人を見送ったところで速水からグローブを受け取り、小耳でフォローを要請した。

 

聡い速水は快く承諾すると、小走りで2人を追いかける。

 

「うっし、誰かミット持ってくれ。あぁ、練習もそこそこに千堂とのスパーを見とけよ。世界ランカーと元世界ランカーがやり合うまたとない機会だからな」

 

残った彼は準備に取り掛かる。

直ぐにでも勝敗を賭ける戦いに臨めるように、その意気込みを思い出すために拳を握りしめた。

 

そして。

場面は転換し、雄二に追いついた速水へ。

 

「伊達さんが無闇に引き入れたとは思えない」

「どういう意味ですか。こんな時期にあんな人を上げちゃうなんて、僕には情に負けたようにしか見えません」

 

千堂の5歩前を勇みよく歩く雄二は、伊達からの優しい拳骨を受けてもご立腹だ。気難しい心情なのは速水がよく知っている。

ここだけの話、表には出さないだけで、打倒リカルドを果たすのは幕之内だと考えている。千堂とリカルド、あの試合は見た目通りの差があった。敵地を差し引いても長引いて1ラウンド分だろう。

そう見えたからこそ、速水だけは予感している。

 

「伊達さんが拾ってくれたグローブが、速水龍一を変えるきっかけになった。なら………」

「そんなの、、」

 

雄二は聡い子だ。速水の言葉の意をすぐに汲み取れた。伊達英二に指導を求めることはさして重要ではなく、誰かが勝利を求めて最高のパートナーを探し当てること。

速水の投げ捨てたグローブだって、僅かな想いがあったからこそ伊達英二は拾い上げた。今度は形こそ違えども、勝ちたい想いに手を伸ばして生まれた邂逅がここにある。

ボクサーが勝ちたいと言うセリフを、他ならない雄二が否定することは、本気でそう言い放つことは伊達英二の息子として失格。

 

「そう、否定は出来ないよね」

 

こくり、首だけで頷く。

父親の夢を否定する息子がどこにいるものか。

千堂には納得しないが、速水の言葉は聞き届けたという意思表示。可愛い反応に頭を撫でながら、後ろの千堂に目を向ける。

 

リカルド・マルチネスを倒すために歩む彼らの足跡は、いやに泥濘(ぬかる)んでいる。乾けば誰かの指標ともなろう、道を変えれば数年後は最強と讃えられた未来に目もくれず、泥んこの世界で生き抜くために牙を研ぐ。

雨が止んだ瞬間、泥濘みに滑らないように。

 

「結末は分からないものさ。

ここにいるボクサーは、切り開ける人たちだ」

 

もう一度、夢の舞台を目指して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クルーザー級編 前半

 

2025年10月1日 始動

 

 

 

 

 

 

 

 

 







お久しぶりです、ひとりのリクです。
はい、前半が始まります。はい、とんとんと書くには書き溜めが間に合いませんでした。その〜、転職上手くいかなくて〜、そろそろ見つけたいな〜なんて…。
と言うわけで1億円ください。
冗談はさておき、前半の大まかな流れは皆様に伝わったかなと思います。
先に書いておきますと、鷹村は後半で試合するので、あと4年くらいお待ちください。
このお話までですね、ベストバウトのアンケートを募集中です。宜しければ投票をお願い致します!

原作では千堂武士がついにリカルドと試合を始めますね。千堂武士を応援するために、クルーザー級編の連載開始をここに告知させていただきます。そこそこ前倒し投稿になったため、連載再開日が10月となっております。離れている理由はそれだけ!
読者の皆さま、千堂を応援するために原作を読んでいきましょう!!

クルーザー級編、テーマは『もう一度』。
登場するボクサー各々が繰り広げる物語にピッタリだと、この言葉しかないと思っていただけるように執筆していきます。精魂尽くして参りますので、どうぞ長い目で見守っていただけたら幸いです!

それでは最後に、タイトルマッチ直前までの内容を含んだ次回予告をどうぞ。




【次回以降の予告】

「お前らに必要なスパーリングパートナーを見つけてきた。ひと月だ、向こうで自分の課題を克服して、ここに戻ってこい」

青木と木村、望んだ最後の課題へとそれぞれが挑んでいく。さらに先を見据えた最強への道には、最強の助っ人が拳を差し出していて。

「アナタなら出来るはずだ。お二人が考えていた案を、俺との特訓で必殺技に昇華させる。
その為に俺の経験則をぶつける。貴方なら大丈夫だと、俺は信じていますから」
「凡そ予想は出来てますが……。ほら、上がってください。どんなカウンターパンチャーだろうが、俺の拳を掻い潜れたら怖いものはないさ」

2人が日本タイトル奪取の分岐点に差し掛かった頃、鴨川ジムでは幕之内にも過酷な課題が押し寄せていた。

「貴様には名指しでスパーの要望が入った。
復帰戦の最終調整として、()()()()()()()に身体を馴染ませておきたいとのことだ」
「ま、間柴さん…!?」

間柴了の復帰戦、波乱巻き起こる対戦相手、怒涛の試合発表に幕之内も感化されていき……。
各々の特訓を経て、様変わりしたボクサーたちが試合へと臨んでいく。勝利を手にすることが出来るのか。最後のタイトル挑戦にボクサー人生を賭して、栄冠に手を伸ばせ。

待ち構える最強は、最凶に違いないのだ。




Next Champion編、ベストバウト(後半)はどれ?

  • リカルド・マルチネスVS千堂 武士
  • ストリクス・ワールVS鷹村 守
  • リボルブ・ゲイルVS間柴 了
  • 蛟 剣哉VS速水 龍一
  • リカルドVSゴンザレス
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