鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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木村タツヤの修行場

 

鴨川ジム事務所でタイトルマッチを告げられたあと、鷹村たちは事務所から放り出されるかたちで退出した。賑わいそのまま練習に赴くかに思われたが、青木と木村は数秒と経たずに押し黙り、無言のまま階段を降りていく。鴨川の怒りをぶつけられて、流れで退出したいつものふざけた日常とは思えない雰囲気に、幕之内は小声で問いかける。

 

「…………思い詰めてる?」

「2人から見ると、どっちの相手も強い。今のままじゃ10回中1回勝てるか怪しいだろうしな」

 

代わりに答えた鷹村は的を射ている。

青木と木村の背中が肯定していた。

 

「そんな…。因縁の相手に勝ったのに、それでも厳しいんですか!? 見違えるほど強くなったのに」

 

2人とも引き分け続きだった国内王者から勝利したのは、どの自分よりも強くなったことを意味する。練習だって見てきた幕之内は、あの勝利がマグレでないことも知っている。

だが、2人は違う。鷹村に同意している。その理由を、ロッカールームの長椅子に座りながら語り始めた。

 

「そりゃあ、エレキに勝つための練習が殆どだったからな。もちろん、俺は疾景対策に飛燕を身に付けたし、スイッチもカタチにはなってる」

「あの勝ちは3度目ってのがデカい。次の試合は俺たちの目標で、最後により近い勝負だ。加えて王島は脚を巧く使うし、柳洞はカウンターパンチャー。俺たちの天敵だ、条件はすこぶる悪い」

 

知った相手だからこその勝利。

幕之内にも経験があるから分かる。だが、それでも遠いのかと。そのワケを求めた。

 

「天敵っていうと…」

「カウンターだ。俺のドラゴンフィッシュ・ブローは、疾景には通じない」

「そんな…」

「やってもないのに…だろ?

分かるんだ。俺の決め手は“長すぎる”」

「長いって……。あっ」

 

幕之内も木村の断言する根拠に気づく。

木村の必殺技、ドラゴンフィッシュ・ブローは弧を描きながら相手の顎を打ち抜くもの。沈み気味の腰はブローの威力を上げる発射台としては上出来だが、溜め時間と考えればカウンターパンチャー相手にはご馳走に見えるだろう。

故に、長すぎると木村は歯痒く告白した。

よりにもよって、今度の対戦相手は沢村竜平が一番弟子。カウンターパンチャーなのだ。

 

「閃光、お前がよく知ってるだろ。

疾景の右拳はな、沢村の速さをそのまま受け継いでやがる。ビデオで何度も観たからさ、断言する。

曲線を描くブローは一直線に完封だ」

 

そう語る木村の視線は足元にある。リングに横たわる自分の姿を眺めているようで、結果まで見えているのに擁護できるほど幕之内は夢を見ていない。

現実を知るために、隣に腰掛けた青木に視線を向ける。木村とは正反対に、天井を見上げるために突き出した喉仏から哀愁が漂っていた。

 

「俺は単純さ。打ち合いに持ち込めない。あのフットワークだ、王島は飄々と逃げ切りやがるよ」

 

王島総司を表すのなら、天才肌のない板垣学だろう。板垣ほど超の付く特技はないものの、足捌きやボクシング頭脳は王者に相応しい。成る程、青木が打てないと感じるのも納得だ。

 

「でも、ここまでのキャリアがあるはずです」

「……負け続けてる。ポイント差が殆どだ。乱打戦に持ち込める方が稀だし、すぐ逃げられるよ。

そういう話じゃ、伊賀の方がやり易いね」

 

足止めるから、と付け足す青木だが、伊賀には近距離戦で一方的に敗北している。勝機が薄いと言っているのと変わらない。不安材料が積み上がる一方だ。

 

「それにあの手数の多さだ。…この目じゃ無理だ」

「で、でも! パパイヤとの試合はパンチ見えてたじゃないですか!! きっと克服してますよ!」

「ありゃ例外だよ。振りが大きくて打つ場所は分かるからよ、こっちも受け止める準備ができた。

普通はもっと細かいパンチ打ってフェイント入れるもんだ。王島みたいなアマチュア寄りのボクサーは本当に苦手なんだ」

 

当てて離れることに重きを置くアマチュアボクシングは、プロボクシングほどにK.Oを重視しない。短いラウンドでK.O狙いの1発を当てるよりも、フットワークを駆使したポイント奪取がセオリーなため、泥試合乱打戦になりがちな青木には分が悪い。ポイントで負け越すことは容易に想像できた。

 

アマチュア寄りの王島ではあるが、K.O率が高くインファイトを積極的に行う。だからチャンスは多いと考える幕之内だったが、ここにきて青木の悪癖が悩みの種となる。

 

「目を瞑るクセ、治ってなかったのか」

「ちょい前に王島戦を想定して板垣とスパーしたんですけど、ハリネズミで目の前真っ白になっちゃって」

「で、しょぼくれてると」

 

青木は顔に向かって拳が飛んでくるとき、目をつぶってしまうクセがあった。手数が多ければ、海水を浴びた時のように目蓋が落ち、相手に良いように殴られて敗北する。アマチュア仕込みのボクサーが相手だと、青木の悪癖は確実に出てしまう。

 

「思い詰めるどころじゃないな」

「あぁ、行き詰まっちまったよ」

 

青木、木村、ともに行き詰まる吐息が漏れ出る。鷹村は半目で呆れるばかり。最強には下々の悩みの種が弱すぎて、アドバイスの1つ参考にならないことを知っている。だから目配せした先は幕之内。ほら早く慰めろ、無茶振りされて挫ける幕之内ではない。

 

「あ、っ諦めるのは早すぎます! せっかくここまで来たんでしょう!? 皆んなで対策考えましょう!」

「じゃあ俺の目を瞑る癖、どうすりゃいい?」

「ドラゴンフィッシュ・ブロー無しでも?」

「………………でも、でも!」

 

肩から気を落とす2人のしつこさはプロボクサー歴に匹敵する。うつ伏せの顔から覗き見てくる視線にたじろぐ幕之内を横切るのは、興奮した後ろの扉から現れたハツラツの声だ。

 

「青木、木村!! スパーリングパートナーを見つけてきた。今日から行ってもらうぞ!!」

「え」

「本当に見つけてきてくれたんすか!」

「さっすが篠田さん、信じてましたよ」

 

拳を上げて喜ぶ青木村、ハナクソほじってアホくさと吐き捨てる鷹村、満面笑みの篠田。

内心、茶番に付き合わされたことを理解しつつ。「ど、どういうことですか」と尋ねる。答える相手は誰でもよかった。

 

「聞いてなかったのか。タイトル挑戦の課題克服のために準備してたんだ。2人とも、ここに戻ってくるのは結構ギリギリになるぞ」

「2人とも!?!」

「ちょっとしたオドケだって」

「わるい悪い。篠田さん待ちだったんだ」

「本気で心配してたのかお前」

 

横に立っていたはずの鷹村はお得意の足捌きで反対側にいる。どんな局面でも2人のことを理解しているな、なんて感心した自分を殴って、最後に肩を落としているのが自分だけになったことを知る。

 

(僕を暇つぶしに使うのやめてくれないかな)

 

到底無理な願いを考えている間に、青木と木村は荷物を纏めてジムの扉を開けていた。

壮大な見送りの場面にならない肩透かしに苦笑いしつつ、路上に出て手を振って見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボクサー生活9年と半年が過ぎようとしている。2度目のタイトルマッチに挑戦する頃にはプロ10年目。ベルトを巻けずに地べたを這いずって、リングに残った同期は片手で足りる。

2度目の挑戦、負けられない試合には幸運にも5年前…間柴戦を上回る自分で臨める。そんな諦めの悪い男が、迫り来る終幕に物怖じしないのは、拙い努力を積み重ねて掴み取ったボクサーがいるからだ。

 

「努力だけのボクサー同士、随分と差が開いたもんだよなぁ」

 

木の葉舞う街路樹に呟きながら、数刻前の幕之内に今更ながら呆れるのは悪いことだろうか。と木村は思いつつ1人歩く。

幕之内にボヤいたこと、5年前のことを思い出していたのは、これからのことに関わるからだ。

エレキとの試合前、篠田に1つの相談をした。「疾景に勝つには…」と切り出して、スパー相手の要望を入れたとき、篠田の表情は微動だにしなかった。鴨川ジムとしては非常に難しい相手であるため、名前を聞いただけで眉はひそめると思っていた木村は、「まかせろ」と言い切った篠田に驚いたものだ。

 

「今日からってのも驚いたけどよ」

 

要望を通したこと、俺のスパー相手を取り付ける苦労、他にも数えきれないサポートが上手く嵌っているのは、篠田の人知らない努力があってのこと。

9年を越えてタイトルを取れないボクサー達を相手に、モチベーションが高くなる一方の恩師にはなんと感謝を伝えようか。宙を飛ぶトンボのように紅い熱意が彷徨うのを心地良く思っていると、あと20メートルで思い出の場所も終わる。

こんなボヤきをしていてるのも、この街路樹が終わるまで。変わった者たちの異常事態を終わらせるまいと、ここから走ろうと前傾姿勢を取る直前に背中から声が掛かる。

 

「またここで会うとはね…」

「おっ?」

 

振り向いた先に立っていたのは、記憶にあるジャージよりも明るい柄を着こなし、より血色の良い肌を手にした世界王者。その呆れ顔に手を挙げて応えると、気さくな挨拶を交わした。

 

ここは川原ボクシングジムの道中。

今回は偶然の再開となったボクサー、宮田一郎こそ待望のスパーリングパートナーである。

 

「聞きましたよ、青木さんと同日のタイトル挑戦って。タイトルを獲れと言わんばかりの組み合わせだ、こっちにも熱量が伝わってきます。

エレキを調整相手にするのも頷ける。…ふ」

「んだよ、なに笑ってやがんだ」

「自信に満ちてる。驕りじゃない。自分の弱いところも、そして強みも熟知してるって顔だ」

「ちょぉっと国内外から人気でPFP入り確実とか言われてファッションモデルに抜擢されたりしてるからって上から目線かぁこのヤロー」

「…そこまで知ってるとは光栄です」

「お前のことに煩いファンがいるもんでね」

 

背後に親指を差し向けるポーズを取る。今にも駆けつけてきそうな我がジムの宮田ファンが浮かび上がる。宮田が世界王者となってからの熱狂ぶりにウンザリしていることを、この場で精一杯伝えるためだ。

目の前の色男は一笑し、首を横に振る。

 

「誤解ですよ。覚えてますか、間柴との試合が決まって、俺にスパーを申し入れてきたときのこと」

「思い出しながら歩いてたとこだよ」

「木村さん、全く余裕がなかったでしょ」

「そつなく纏まっていて、悪いところが見当たらない。かといって、良いところも見当たらない。これといった武器もない。

切羽詰まってるとこに遠慮なく言いやがって。…お前、教え方が下手って言われてんだろ」

「………」

 

本人には無縁の憂さ晴らしに意地悪く過去を引用する。いきなり褒めてきたくせに揶揄おうとした罰だ、と指差しで伝えた。すると動揺を隠すように表情を後頭部で隠し、無言で歩き出す宮田。

相変わらず照れ隠しの上手い世界王者の横に並ぶ。加減を間違えたか、次の言葉に注視するか話題を投げるか、迷う間に宮田は笑いを返していた。

 

「何年経ってもやり方は変えられなかった。ライバルに後押しされなきゃ階段1つ上がれなかった人間から見ると、あの頃の俺よりも強いですよ」

「…へっ。遠回しすぎ!」

「はぁ。篠田さんは?」

「青木のほうに着いてったよ。こっち来るつもりだったのを俺が無理言ったんだ」

 

“まだ”両陣営の溝は埋まっていない。

この関係だって取り付けるのは容易じゃない筈だ。

篠田さんとはいえ、今はまだ会うべきじゃない。電話越しのやり取りと、顔を合わせるのは別な気がしていた。礼儀は自分が尽くす、だから顔を合わせるのは。

 

(然るべきタイミングがあんだよ)

 

誰に言い聞かせたのか。

思い描いた場面は、世界の舞台。

外側から篠田八木、鴨川、そして幕之内。相対するところに宮田、宮田父と立っている。

もしも、次の試合で。幕之内が今井を倒し、万が一にも千堂がリカルドを倒せば、迷いなく幕之内は階段を上がる。365日以内の2人の晴れ舞台を目撃できるかもしれない。顔を合わせるのは、そこがいいんだ。

 

「ぼーっとして。寝不足ですか」

「っ…考え事。教えねーぞ」

 

宮田のひと言ふた言を聞き逃し、生返事をしたせいでため息が聞こえる。考え事は見透かされたか。現実味を帯びてきたビッグタイトルの幻想から引き摺り下ろす方法を、宮田は躊躇いなく実行する。

 

「気を引き締め直してください。

沢村のやつ、見た目に反して選手は大事に育てるらしい。疾景の実力はOPBF王者に匹敵する。

下手すりゃ世界ランク下位も狙えると踏んでるよ」

「ーーーへっ。ンなヤツ倒そうってのにお前が無理だの言わないんだ。自信持っちゃうね」

 

日本王者を評する言葉に配慮はなかった。自分と同等の評価を疾景に付けた宮田は意外にも、続けざまにこう言った。

 

「いまの木村さんの必殺技を叩き込めば、そんな疾景だろうとK.Oは狙えると俺は見てますよ」

 

心が弾んだ。世界王者のお墨付き、というやつだ。素直に受け取るべきだと分かってはいる。しかし。

 

「………それ、なんだよ」

 

ここで納得したら負けてしまう。宮田の評価に異議を唱えるのではなく、自分の自信に待ったをかける意味で呟いた。またも世界王者は頷く。「やっぱりね」と言ったのは前言の撤回を指さない。自分が頼られたことを理解した、という納得の声だ。

 

「…このまま(ドラゴンフィッシュ・ブロー)じゃ疾景には通用しない」

 

答え合わせとばかりに一冊の雑誌をカバンから取り出した。

 

「これ、疾景が王者になったときの」

 

藤井記者が取材した(そう記事の締めに記してあり、色々と聞きたい衝動を抑えた)雑誌の表紙には、木村に当てつけるように最強の太鼓判が押してある。

 

『圧巻の全日本新人王獲得‼︎その左に神を見た⁉︎』

『神話の左、竜の右』

 

いまどき無敗の王者だけでは前面に押し出されない。ライトヘビー級、ライト級、フェザー級、で活躍する日本人ボクサーが大注目を浴びて、無敗の二文字だけで語るものではなくなっている。だが、国内を彷徨う身としてはこの記事は効いた。

あの間柴でさえ幕之内に敗北していたというのに、この王者は戴冠から今日に至るまで、ダウンの1つないのだ。その理由がここに記されているからだ。

 

「一歩から聞いてるよ。疾景の試合、観に行ってたんだろ」

「えぇ。拳を交える可能性があったのでね」

「で。生で観た感想は?」

「俺なら勝てる。ただ、何もかもが発展途上。伸び代の長さに唖然としました。…5年後は、どうかな」

 

思い耽る横顔に鳥肌が揺れる。カウンターで世界を獲ったボクサーが目をつける相手は、あと2ヶ月も経てばリングで対峙している。

認めていると暗に言っていた。才能だけなら、沢村と同じで自分は負けている、と。

5年前よりも道幅が狭くなった。

立ちはだかるボクサーは世界級。

あと3センチどころの話じゃない。

 

「それでも、勝ってみせるさ」

「5年前みたく思い詰めていか心配していましたが、杞憂のようですね」

「とーぜん。こっちは半年もないんだ。無敗がなんだ、伸び代がどうした!

世界一遅咲きのボクサーには丁度いい壁だっての」

 

その決意表明は路傍で石ころが転がる音と変わらない。言葉にするたびに拳に力が入るのは、負けたあとの虚無感を恐れているせいだ。人生を賭したあと、名勝負だったと励まされ、作り笑顔で応える自分の腰が軽くて情けなくなる。

勝つしかない。木村達也の背中を見続ける人生は、次の試合で終わりにする。

固い決意を宣言し終えると、川原ボクシングジムに到着する。鍵を開ける宮田の様子に首を傾げつつ案内されると、そこには練習生の一人、トレーナーの影も見当たらない。

 

「なんだよ、今日は休みだったのか」

「父さん達は次の試合の打ち合わせで昼間はジムを空けててね。気を遣う相手はいないですよ」

「…さんきゅ」

 

両陣営が顔を合わせるのは然るべきタイミングで。そう思っていたのは、トレーナー達のことだった。宮田は俺自身と同じ考えでいて、そこには木村タツヤも含まれていたらしい。

 

「ほら、上がってください。どんなカウンターパンチャーだろうが、俺の拳を掻い潜れたら怖いものはないさ」

「そこまでいうなら、先に世界のベルトを取りに行かせておうかね。世界の宮田殿?」

 

ここまで来ても路傍の石ころだ。

ベルトを巻くまでは変えられない。

日本一を倒すために世界一の拳を知り、識り尽くして、人生の幕を晴れ舞台で終わらせてみせる。

ベルト奪取に向けた最後の追い込みが始まる。

 

 

 

 

 







お久しぶりです。少しばかり予定を延期することをお知らせ致します。
青木のタイトルマッチ開始は11月1日となります。想定以上に書くことが増えてしまい、すぐにタイトルマッチをお届けできない不手際をお詫び申し上げます。


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