鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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初めに補足させていただきます。
幣作は118巻までを前提とした作品ですが、伊賀vs間柴は書いていません。伊賀は間柴に負けた、と70話の後半で書いているだけです。皆さまが読み飛ばした訳ではありません!
書いていない理由は、原作以上に書くことがなかったためです。この試合の顛末は原作をお読みください。


青木勝の秘策

 

王島総司とのタイトルマッチの話が纏まりかけた頃に、篠田は一本の電話を掛けた。電話相手は、青木勝が熱望するボクサー、伊賀忍のジムを仕切っているフリーのトレーナー、バロン栗田だ。

 

電話を掛けた理由は、日本タイトルを獲ったあとを見越し、OPBFライト級タイトルマッチを取り付けるため。

早すぎると一蹴される可能性はあった。だが、篠田も無謀ではない。鴨川と八木に相談した結果、勝算はあると判断した。

 

その勝算とは、バロンの置かれた立場にある。

幕之内がゴンザレスに敗北したあと、伊賀は間柴に完膚なきまでに敗北した。必ず勝つと豪語した直後の大敗だ。バロンは面目丸潰れ、そのまま伊賀を捨て去るように立ち去った彼は、他ジムへの転属叶わず、伊賀のトレーナーを続けている。

崖っぷちの彼は伊賀を世界の舞台で活躍させ、次なるボクサーに乗り換えようとしている。…伊賀への扱いを見たジムやボクサーが、暴力を振るわれてでも世界を獲りたい、とインタビューで発言するのを、水面下で待っているのだ。

 

だからバロンは、世界を見据えた下拵えにしか興味がない。ただの国内王者との試合に、せっかく取り戻させた東洋ベルトを賭けるリスクは排除する方針だ。

…自分のボクサーは、世界ランカーから見向きもされていないことから目を背けて。

 

青木は次の試合、国内王者のパパイヤとの試合が決定した。5年以上もタイトルを防衛しているパパイヤに勝利すれば視界に入るだろう。2度も戴冠した王島に勝てば格としては十分だ。

 

『3ラウンドで決着させろ』

 

蔑むでもなく、怒るでもなく、嗤うのでもない。

神託かの如く提示してきた条件は、青木勝をなんとも思っていないものだった。無感情に発した言葉に、篠田は短い怒りを込めた吐息が溢れる。バロンの視線が下を…青木を見ることは一瞬たりともない。

 

『いま世界じゃ、日本人ボクサーの価値は鰻登りだ』

『世界ライト級王座に日本人が君臨することの難しさ、知らない訳じゃないだろう?

ここからは真に肉体強度の格が問われる。有る者が鍛えた末に王座に居座れる場所だ。小細工でどうこうするには、国内で10年近くタラタラやってる雑魚相手じゃダメなんだって』

『伊賀に勝った間柴が負けた相手はな、今じゃアメリカボクサーを完封する強さを誇ってる。

死神でさえ潰したライト級だぞ、こっちは世界を見据えてんで。泥試合の果てに手にしたベルトなんざこっちの格が落ちるわ。つーわけで、世界戦までの繋ぎになるような試合じゃなきゃ受けねえから』

 

つらつら、たらたら、ぺらぺら。

 

出るわ出るわ、自分の視点が。

 

一片たりとも電話越しのボクサーを見ていない。

 

尊敬なぞ誰1人として向けていないだろう。その証拠は最後に残した言葉にある。

 

『空いてるの半年後だけだから。じゃ』

 

がちゃり。

篠田は、受話器越しに唾を吐かれた気分だ。

人間性が下に振り切れた人間を相手に怒鳴り声を上げなかったのは、篠田の人間性が出来上がっているから…ではない。

 

「……………いたのか、青木」

「すこし、肩の力を抜きましょう」

 

10年に迫る付き合いの教え子、この電話を掛ける原動力となる青木の真っ直ぐな眼差しを受け止めたからだ。篠田が胸裡に抱いた感情を青木なら理解するだろうし、共感もしてくれる。

 

「そう、だな。…聞いてくれるか」

「もちろんっスよ」

 

悪感情を振り撒いて曝せば、必ずリングの上で青木の足元を引っ張るだろう。青木勝のリングには、もっと綺麗な泥濘だけがあればいい。相手の情報を収集して、自分の独壇場に誘い込み、一緒に泥遊びを興じながら拳を掲げる。

それだけの為に言葉を尽くすのだ。

 

篠田は伝えた。

バロンの要求、半年後のOPBFライト級タイトルマッチの開催条件、そして日本タイトルマッチの日程について。日本タイトルマッチから2ヶ月という期間しか、伊賀に向けた準備期間がないことを。

悪どい条件だ。よくも言えたものだ。悪態を混ぜないで青木に伝えた篠田は人間性ができている。感情に表情筋が崩されるのは、今ではない。

 

「…………すね」

「うん?」

「それだけでいいんですね?」

「本気、なんだな」

 

応えた白い歯茎を次に見るのは、彼が勝利のベルト巻いた時だ。青木の返答が篠田にそう決意させた。

30戦に迫る試合で、青木が3ラウンド以内にK.Oした数は2回のみ。余程のことが無ければ、タイトル戦で3ラウンドK.Oを狙うのは不可能だ。

 

「王島を相手に、栗田の求める3ラウンド以内のK.O勝利を実現するのは困難を極めるぞ」

「腹は立ちますよ。俺達のことを踏み台にしか思ってない要求だ。あんなやつに王島との真剣勝負に泥を塗る資格なんかない。

けど、こうも思うんだ。それだけでリベンジマッチが手に入るんだ、ってさ」

 

難題は百も承知。

ただでさえ不得意な相手に、気後れのない意欲。不可能を塗り潰すのには十分な理由ではないか。

 

「向こうが言い出したことだ、約束を反故にはさせない。よし、3ラウンドで勝つ準備を整えなきゃな!」

「バロンはこっちを踏み台にするつもりで出した提案だろうが、もともと王島は4ラウンドまでに倒すつもりだったんで。儲けもんっスよ」

「!! それは!?」

「王島を倒すのに、どうしても力を借りたい人がいます。俺の目を克服する必殺技のために」

「なにっ…。聞かせてくれ!」

 

1人のボクサーの名を告げて、篠田は意図を汲み取った。間髪入れずの返事に頭を下げた青木は、来たる日に向けた練習に戻っていく。

とんとん拍子に物事が決まっていき、最後の切符へ向けて、さまざまな人間が動きだす。相棒とのしばしの別れを再会の楽しみにして、こうして青木は篠田とともに因縁あるボクサーのもとを訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから時は過ぎて、日本ライト級タイトルマッチが決定した日…いまへと戻ってきた。

 

「菊元ボクシングジム所属のトレーナー、今江克孝(かつたか)

トレーナー業研修として学ぶ機会をいただけたこと、心より感謝申し上げます」

 

長かった旅路の終わる手前で、再会を祝う右手を差し出す男がいる。偶然だったなら大袈裟に手を振っていたかもしれない。表裏のない手のひらに重ねた右手は躊躇いがちで、しかし気持ちは負けていない。

 

「…感謝するのは俺のほうだよ。試合しただけの相手なのに、無理言って時間貰っちまった。

まさか引き受けてくるとはよ。そう畏まらずにさ、本当の理由を教えてくんねえか」

 

そう問いかけた此処は菊元ボクシングジム。

プロを引退してトレーナー修行に明け暮れている、そう風の噂で耳にした青木は、王島対策として必要なトレーニングの助力を求めた。

今江と視線を交わして、再会直後というのに青木は問わずにはいられない。言葉とは裏腹に燃える闘志を見た、あれは育成者のものではないことを知っている。

その立場次第では、期待するものを得られない。嘘を射抜くぞ、と視線で返した。

 

「言ったでしょう、自分の指導力を磨くために篠田トレーナーの要望に応えました。………はぁ。

…いえ。実のところ、俺たちの試合に勝敗が着いていたら、頷かなかったかもしれない」

「? どういう意味なんだ」

「貴方に勝ちたい。いや、勝ちたかった」

 

細めていた目元の力みは消えていた。

掴み合う右手がほんのり熱を上げる。

試合前に交わさなかった握手を思い出す。

 

「プロを引退する時、それだけが悔いだった。

もう試合で会うことはない身ですから、何かしらの形で青木さんの拳を受け止めたかった」

 

萎れた背中を向けられている気がした。

むせかえる悔恨を背負っていた。

交わした感謝を(ほど)いた直後、腰元に戻した拳を握りしめる様子が全てだ。今江はまだリングに戻りたがっている。それを指摘するのは野暮ったい、だから青木は密かに決意した。この短期特訓で、自分が成すべき1つのことを。

 

「勝つよ。俄然やる気が湧いてきた。直ぐにでも王島対策に取り掛かろうぜ」

「…とはいっても、ふた月だ。目的を達成するためにも、相手と自分を知るところから始めましょう」

 

振り返る今江を追ってジムの奥へと進んでいく。

練習するにあたっての基礎はリングにはない。

まず学ぶべきは己自身なのだ。

 

 

 

 

 

───

 

──

 

 

 

 

 

 

菊元ボクシングジム2階、資料室に設置されたブラウン管テレビの前には来賓客用のソファが2つ、L字を描いている。

テレビの真正面に座るのは青木。視線を向けるのはテレビに映し出されたリング上のアイドル、女性ファンからの黄色い声援に応える王島だ。その足元には挑戦者がうつ伏せに倒れ、彼のタイトル挑戦が2ラウンドで終了したことが解説者に告げられている。

 

「チャンピオンを観てどう思いましたか」

「…正直なところ、パンチが届く気がしねぇよ」

「概ね同意見です。青木さんのフットワークでは彼を捉えるのは至難の業でしょう」

 

反感はあるが、反論の余地はない。ここに来た理由が詰め込まれた言葉と試合だ。

挑戦者は青木の同期で、スタイルも似通っていた。顔を合わせることはもうない彼は、懸命に追いかけては突き放されて、回り込まれてコンビネーションを浴び続けたせいで3ラウンドを越えられなかった。

王島のきめ細やかなステップワークは、サークリングを取り入れることでカウンターを外しやすいように改良されている。伊賀戦の反省を活かした結果だろう。ならば、回らない場面での撃墜ならどうだ。

 

「開幕、先制の不意打ちを狙いにいったとして。成功すると思うか」

「…そうですね。王島チャンピオンは即座にコーナーから離脱し、円を描きつつジャブでお互いの調子を確認していく。きっと向こうもバロントレーナーに無茶苦茶な条件でも提示されているでしょうから、攻めに攻めて完封勝利を狙ってくる。

ただでさえ脚を使う王者が、より攻撃的にインアウトを繰り返すボクシングをすれば言わずもがな」

「乱打戦は尚のこと不利だ。俺の目がついていけねえし、王島のキレるパンチじゃ目をつぶっちまう」

 

ここまでが想定内、ここから一気に飛んでK.Oシーンに飛び、青木勝が勝利する。理想は描けているが、過程を実現する術がない。今江克孝のもとを訪れた理由だ。今江に助言を求めたのは、研究のプロセスを学び、自身の理想とする勝ち方へと試合を動かすためでもある。

 

「実力的に差があるマッチングですからね。一年前に言われていたら、俺も頭を悩ませました」

「? どういうことだよ、それ」

「いま俺が言った試合展開を想像して、なにか思い当たる試合がありませんか?」

 

深みを持たせた言葉を基に考える。

思い当たる、と表したのは相手が知っていることを知っているからだ。この一年間に行われた身内の試合にヒントがあった、ということ。実力差があって、到底追いつけない鈍足なフットワークでありながら試合に勝った。該当するものに心当たりがある。

 

「ハンマーナオと板垣の…!」

「そう。そして、伊賀選手と王島選手の試合も。共通点があります。ハンマーナオと伊賀、2人の足は相手に遠く及ばない。

それでも相手を倒せた、何故でしょう」

 

得意の近距離戦でもパンチを躱され、アウトボクシングに徹されると手も足も出なかった。それを、パンチ1発でひっくり返すために、2人は水面下で試合をコントロールしていた。

己の弱点を活かした試合だ。手順は違えど、思惑は合致している。

 

「俺がやろうとしてること、殆ど当て嵌まる」

「今日から毎日2つの試合を観てもらいます。ビデオを観て、練習して、最後にビデオを観る。

青木さんが身体に馴染ませるまで、延々とね」

 

そう言って新しいビデオテープを入れると、流れ始めたのはハンマーナオの引退試合だった。

崖っぷちの状況を書き連ねて、異なる試合から王島対策のヒントを取り出す。突拍子のない相手じゃないところにも配慮を感じる。見知った相手の試合を持ってきたから、顔を覚える必要がないおかげで映像に集中しやすい。

それから1時間、王島と伊賀戦の試合とを交互に黙々と観続けた。会話がなかったわけじゃ無い。気になった点を呟いたらメモを取り、少し戻って再生する。言葉を交わしはしても、静けさを破ることはない1時間をそう表現した。

 

資料室から退室する。1時間で洗い出した最初の課題に取り組むためだ。青木勝が王島総司に勝つための策を、いま掘り下げることはしない。やりたい事はあまりにも単純で、これが出来なければ負けることを考えて自分を追い込む余裕がないからだ。

 

「青木さんがやろうとしていることは、野生のスタイルに近い。鷹村選手やウォーリー選手が咄嗟にやれてしまうこと。或いは、空間把握に長けた板垣選手レベルのセンスがあって成立するんですよ?」

「…出入りの激しい王島に、ピシャッとカウンターを合わせる。…までは思いついたけど、当てるプロセスが組めなかった。

ハンマーナオの名前を聞いて、脳天を雷が駆け抜けたよ。足を使うボクサーでも捕まえられるって」

 

幸いにも王島はインファイトを好む。

手の届く位置で捕まえられないことが最悪だ。

タイトルマッチ最大の懸念点は半分解決した。プロセスだ、がむしゃらな努力で越えられない壁の足掛かりを見つけた。あとは練習と反復、忍耐力で駆け上がる。たったそれだけの、プロである最低条件を満たすだけ。

 

「青木さんの弱点を突いてこなかったら、なんの意味もない2ヶ月を過ごすことになります」

 

リングの前でグローブをはめようとした背中に、無機質な声音で問いかけられる。親切心はカケラもない。しかし批難の色も見えない。異質な特訓に対してもしもを投げかけたのは、自問だ。自分なら別の方法を探す、という最終警告。指導するために納得したい一心の問いに、肩の力を抜いてグローブをはめてみせた。

 

「どんなに研究したって、試合の時はやり方を変えてくるかもしれないし、予想が的中しても身体が付いていく訳でもなかった。

これは生命線を延ばすためにやるんだ。振れれば立ち所に試合が動く、俺独自の防衛ライン。

言うなれば、カエルの逆鱗ってとこか」

 

振り向くと、ミットを手にはめた今江が「カエルに鱗はないでしょう」と呆れる。リングに上がる今江のあとに続き、特訓開始の宣言を叫ぶ。

 

「目をつぶるのは、獲物を呑み込む瞬間だ。

名付けて『捕食』!」

「…パッとしないな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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