鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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勝機を掴んだ1ヶ月間

 

火花でも吐き出すのか、という勢いで影が踏み込む。小刻みに揺れ動くのは、真正面から閃く拳撃を1つでも多く回避するためだ。2つ、3つ、4つ目で頭上を擦り、5つ目と6つ目の閃く拳撃が影を捕えた。

 

「……!」

 

一直線の拳撃は読みやすいが、当たれば足を止めるに足る威力。向かってくる相手には、当たれば自動的にカウンターとなる拳撃…左ジャブを放ち手応えがあったと確信した直後。

5つ目と6つ目を掻い潜った影…木村の反撃に右腕を構えた。脚を止めることなく放つ瞬きの一撃、伝家の宝刀を。

 

「ぐ、っ…!?」

 

踏ん張りなど効かないはずの姿勢の反撃に、木村はボディを狙う姿勢から一変、左腕を寄せて顔面にガードを固めた。直後の衝撃はガードの向こうから、容易く脳髄に駆け抜ける雷鳴に耳鳴りを発症する。

 

(動きながらでこれかよ。

あいっかわらず慣れねえなあ、こんちくしょっ!)

 

耳鳴りは意識を激しく揺さぶり、目前に雷鳴が轟くような恐ろしさを脳に刻んでくる。

身体が萎縮する。意識が手を出すことを躊躇する。カウンターパンチャーを相手にするボクサーが真に戦わなければならない相手は、いつでも切り落とされる恐怖心にあるのだ。

 

「うおっ、らぁ──!」

「!!」

 

故にこそ、怖気付く木村タツヤは要らない。

言い聞かせても前に進まない身体に、敗北の二文字を囁いてカウンターへの恐怖心を上書きする。

木村の背中を後押しするのは一羽の燕。俊足の宮田に喰らいつける数少ない手札だ。

 

(飛燕、だったか。切り替わりが読みにくい。)

 

縦横に力強く飛び交う赤い鳥。ラウンドを重ねるたびに世界王者の踏み込みを阻止してきた。

そのアッパーのキレだけは宮田に匹敵する。空へと舞い上がる重力で気道が窄むほどだ。

 

(エレキの試合を観た時はカウンターを狙う自信もあったけど、あれから更にキレが増してるな…)

 

雷神のカウンターがここまでに炸裂した数は、各ラウンド1回にも満たない。飛燕のモーションが見破りにくい点、ミドルレンジでの打ち合いに無駄な執拗さを持ち込まない慎重さ、そして木村のゲームメイクの上達がこのスパーを均衡に持ち込んでいた。

 

(俺が驚いたのは、コレが囮だってとこだ)

 

雷神をも唸らせる燕の軌道を読みながら、来たる水面下の影に意識を向ける。そこには、木村が奮闘を見せるこのスパーが実現した理由があった。

それは柳洞疾景。カウンターの天才で、本来なら木村は背伸びしても手が届かないボクサー……だった。

 

燕が翻り、落雷が狙いを定める。

雷神の一撃、伝家の宝刀は無情にも均衡を打ち崩しにいく。

 

(きたっここ!!)

 

それが木村の狙いでもあった。

カウンターの天才に勝機を見出す、木村の疾景対策。

 

(木村さんの新必殺技──────)

 

下準備無しには成立しない、ドラゴンフィッシュ・ブローに変化をもたらす一撃が、世界の頂点へと飛び出していく。

 

その必殺技は、ドラゴンフィッシュ・ブローの弱点を逆手に取ったものであり、形は何ら変わらないもの。

技術と研鑽のみで改善する技は、名付けて。

ドラゴン・グロー────

 

 

 

 

───

 

──

 

 

 

 

 

 

リングに仰向けの木村の目元には、水で冷やしたタオルが雑に掛けられている。

 

「今回も不発か」

 

真っ白な視界に向かって言い放つ。

あれから10日が過ぎた。焦る気持ちを落ち着けるための独り言は、10日間で初めて漏れた。

 

「そうかな」

 

疑問符で返したのは宮田。そろそろかと思って4日が経ち、準備していた四文字を放った。予想外の返答に驚いた木村は、いまの呟きが独り言だと訂正することを忘れて上半身を起こす。両手を顔に張り付けて、10日分の失敗の数々で反論を試みた。

 

「疾景に寄せてもらってんのにこのザマ」

「彼はプロの中でも異色だ。アマのリングでなら偶に見るけど、あれは俺も真似っこが限界かな。

俺は手加減なんか知りませんし、真似っことはいえ土台だけで勝ってるはずだ」

 

「その証拠に」と繋げて、木村の顔面の腫れを指差した。「芯は外してきてる」その指摘は、日を経つごとに顔の中心からズレていく赤い打撲。宮田の狙いが外れて、木村の拳が近づいている証拠だ。

 

「俺のは当たんねーけど…。まあ」

 

不器用なりの励ましに、深呼吸を挟んで肯定する。木村も手応えは感じ取れていた。

 

あと少し。

なにか工夫を1つ凝らせば、このプロセスは完成する。必殺技を必中に落とすために、行き詰まった課題を解決するだけ。目には見えている。拳はもう届く。距離にして、あと3センチほど。

 

「痣が1つ出来る頃には完成だ」

「お前も試合が近いのに、悪い」

「前ほど切羽詰まっちゃいない。減量が無くなって体力が有り余って仕方ないんだ。

次の相手は木村さんに似てますからね、俺としても有難い限りです」

 

歳下に気を遣われたことを見抜くが、今更だなと口を閉ざす。あと三週経たずにアメリカへと赴く世界王者に、このスパーが原因で不調をきたしたと記事に書かれても寝覚めが悪いため、木村は考える。僅かでも宮田のモチベーションを上げる話題を。

そして気づく。彼の横顔がなにかを聞きたそうにしてることに。

 

「幕之内なら間柴とスパーしてるぞ」

「ッ……! 顔に出てましたか」

「マジックペンで書いてある」

 

顔をぺたっと触る。

前なら付き合ってくれなかった冗談だ。

珍しいものが見れたな、と脳内ネタ帳に記した木村の前で「けど、間柴ね…」と呟く宮田は、顎に手を当てて記憶を探る素振りを見せる。

今井対策にしては身体が違いすぎることに疑問を抱いていた。幕之内はインファイターを相手に経験を重ねたいところだろう。ならば幕之内側の意向ではない…と結論を出した。

 

「間柴のほうか」

「そそっ。ゴリッゴリのインファイターが相手なんだろ。世界レベルってなると一歩が適任なんだろなぁ」

「……世界タイトル前座で復帰戦だ。血の気の多い者同士、試合が拗れなきゃいいが」

「ははっ! 心配は分かるぜ。疑問も付き纏ってるだろうな。でも一歩とスパーしてんだ。それはねえよ」

「断言しますか」

「するする。ゲイル負けたあとの様子を一歩から聞いたらさ、落ち着き払ってたんだと。いつも歯を食いしばってる間柴がだぜ?」

「信じ難い話ですね。…いや、間柴から幕之内を指名したなら、心変わりがあったと思うのが普通か」

 

呆れて笑いを堪えきれない。

誤魔化すために右手で顔を覆うのも仕方のないことだった。間柴にとって、復帰戦の慣らし運転として幕之内は最適のスパーリングパートナーだ。幕之内はお人好しだが生半可なプロではない。喫緊の今井戦とは似つかない間柴とのスパーを受けた理由が、宮田にはなんとなく分かってしまう。

 

「元々、角は取れてたっぽいし。やっぱ地獄会のおかげなんだろなあ」

「大舞台での負けで補強されたんでしょう。だからこそアイツは承諾したんだ」

 

その言い方では、幕之内が角を作るために間柴のスパーリングパートナーになったと聞こえてしまう。そんなことを進んでやるだろうか、疑問に思いつつ木村は宮田の解釈に言及はしない。世界にいる者でしか伝わらないものもあるからだ。ならば木村が言えることは1つだけ。

 

「俺はこう思ったね。

リベンジしてやるから早く上がってこい…てな」

「なんのことかな。

俺に言ってもしょうがないでしょう」

「わかってるくせにー」

 

大外れではないのが困った。頬を掻いても誤魔化せはしないので、「練習再開しましょう。青木さんだけタイトル獲ったら寂しいでしょ」と言って話題を切り替える。

 

「………へっ。当たり前よ。ダチだけ行かせてたまるか。俺ぁ最後まで肩並べるんだ」

 

頃合いだったので木村はグローブをはめ直して立ち上がった。今夜、友と会うまでに少しは自信を付けるため。そして、掴みかけの手応えをモノにするために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いま、ジムに間柴が来てるらしいぜ」

「聞いたよ。やっと間柴も復帰するんだって?」

 

はじまりの木。幕之内と鷹村の決闘が行われた河川敷の土手に座り、待っていた木村に切り出した話題はボクシング界の新芽を思わせる。かつての間柴を知っていると紛れもなく新しい門出だ。他所のジムに出向いてまでスパーを望む姿を覗きたいと思っていた。

しかし、青木と木村は成長を約束して鴨川ジムから外に出た身。心を入れ替えた(と思われる)間柴を見るのは遠目だろうと御法度。2週間そこいらで決意を崩す真似はできない。

ここに集まったのは息抜きだ。深呼吸する間に顔を合わせて、決意が揺らいでいないことを確認するためだ。お互いが、自分自身を鼓舞するために疲労した足でやってきた。

 

「俺らの翌日じゃなくていいのになぁ」

「アメリカでやるたぁ期待されてるねぇ。お前、あっちで試合したい?」

「アメリカンドリームだぜ。ちっと憧れるけど、現実見えてると慎重になんだよ」

「移動と食事、時差に慣れる頃にはおさらばだ。そー考えるとパパイヤと引き分けてたのってだいぶ情けない話に思えてくるな」

「篠田さんには頭上がんねーよ、ほんと」

 

2人の会話はどこまでもは行かない。現実の味を噛み締めて眺める月明かり、そよ風に頬を撫でられながら笑う調子に憩う。上半身を支えるように投げ出した両腕が筋肉痛を訴えて腹をかいている時間も、ひと月と少しだけ残っていたことを忘れつつ。

 

「減量は…」

「動きすぎて減りすぎかも」

「もう30手前、脂っこいもんを胃に入れ過ぎるのも堪えてきちまったよな」

「信じたくねぇよな。間柴とやった後と比べると、少しずつ色んなところにガタガタきてるよ」

 

言葉の端々に滲む10年間を楽しみながら、他愛のない雑談で集大成に向かう準備を整えていった。

下を向いていないか、背筋は曲がってやしないか、ベルトは見えているのかを、互いが互いを振り返る。

 

「同じ日に戴冠ってのも悪かない。むしろ俺たちにピッタリと思わねえか、なあ」

「いつも一緒にやってきたけどよ。ここまでとは思わなかったよ、なあ」

「…………」

「………んじゃ」

 

お互いは修行の道中であるものの、実り具合について語り合うことはなかった。

顔を見て確信したのだ。

コイツは必ず成長する、と。

だから、息抜きが終われば背を向けて一言。

 

「またな」

 

夜空に取り次いでもらった熱が冷めぬうちに、輝かす明日へと歩いていく。過去を汲み上げて心を潤したので、帰り道の空はいつもより眩しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見たいものを思い描き、理想のプロセスを語って、反響する音で研磨する日々に、それは突然訪れた。

 

「────────っ」

「宮田を、、、ぶっとばせた……」

 

言葉通り、理想通り。

突き出した右拳に確かな手応え。身体中が震えて止まらない。止まった足が浮き足立つ。目標を達成した脳が記憶を喰み、引き出しに仕舞うための整理を始めた。言葉がぽつぽつと出てくるのは、ボクサーとして進化を遂げている証拠だ。

 

「仕組みを知らなかったら、ガードは不可能でした。次の相手は経験がまだ浅い、仕込みを怠らなければ的中は限りなく必中…!」

 

宮田の宣言によって、1ヶ月の特訓が身を結んだことを知る身体はガッツポーズをしていた。大袈裟にも見える喜びを感じて、脳は新しい引き出しに印を付ける。いざというとき、直ぐに見つけられるように。

 

「前回もこうだったよな…」

「ヒゲがない今回のほうが似合ってますよ」

「どのみち、試合1ヶ月もないのに顔面腫らしたボクサーがどこにいるってんだ」

「表面が赤いだけだ、3日で治りますって。

ほら、これから総仕上げでしょう。善は忙げ、手応えのあるうちに身体に馴染ませないと」

「……あぁ!」

 

それからは、語るまでもない。

世界最高峰のカウンターパンチャーを相手に、2度目は届かなかった。世界ランカーに手が届く、その淡い高揚感を打ち砕き、疾景を見据えるために時間は過ぎていった。

届きはしなかったが、新必殺技…ドラゴン・グローは2度もリングを駆けた。宮田一郎を相手にした疾景対策は、伝家の宝刀を封じたのだ。

 

「試合、観に来れないのが残念だ。必ずベルト獲るからよ。鴨川の血は諦めを知らねーってな!!」

 

別れ際、ガーゼの下からでも分かるくらいの笑みを見せて、年甲斐もなく手を振って木村は去っていった。

仕方なく、本当に、仮にも元ジムメイトで歳上であるため、今回だけだと自分に言い聞かせて小さく手を振りかえした。敬意を払った行動である。

 

木村の姿が見えなくなったところでジムに戻る。静かになったリングを見て、タイトルマッチに思いを馳せるのは悪いことだろうか。誰かに断りを入れて、1ヶ月後のことを考えた。

あの応用力は土壇場で底力を発揮するだろう。チャンピオンベルトが目前に迫り、指先に触れる数センチのところで、きっと。

 

「いい歳なのに、変わんないな」

 

そう笑う宮田は、赤くなった頬を掻こうとする左手を下ろした。そこには、ガード越しから貼り付けられたグローブの跡がある。

ボクサーの噛み跡だ。最後の一撃は、拳の重みだけではない。ボクサーが負けたあと、控え室で奥歯を噛み情けなさを堪える……木村達也の5年振りの想いが重なっていた。次こそは必ず、と。

これは、タイトルマッチの先払い。世界一が認めた拳だ。この痛みを、ちょっと痒いという理由で上書きするのは勿体ない。

 

「なあ、幕之内」

 

勇気をもらった。確かに背中を後押しされた。

ベルトを諦めない人間から言われたんだ。

もう一度、お前たちは会えるって。

 

 

 

 

 

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