鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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但し書

 

計量当日。

曇り、風は気持ち良し。

絶好の散歩日和り、初対面の相手とも会話が滞ることのない居心地が街を覆う最中、出会した彼らが挨拶を交わすこともしなかった。

ボクサーが4名に増えても同じことだった。全員の計量が終わるまで一言も発さず、着替え終えるまでに誰かが退出することもない。

各々、大なり小なり理由はある。うち3人に該当する理由は、ありきたりなものの詰め合わせだ。

 

「あのあと、吐いたんだ」

「………あ?」

 

あまりにも喋らない4人を前にして、記者の誰かが口火を切らなければ記事が書けないことを懸念していた矢先。重い十数分の沈黙を破り向かい合った2人、王島と青木のうち前者の声がスッと耳に届く。

あのあと、と言われてピンとくる者は青木だけだ。挑戦状を手渡された日のことを口外しなかった王島に、記者たちは横槍を入れたい気持ちを堪えて脳内に「あとで聞き出そう」とタスクを記した。

 

「しこたま、走ったよ、スーツが破れるくらい足上げて、革靴がぐしゃぐしゃになってから吐いた」

「はしゃぐにも肌があるだろ、まあ達筆なのは自慢だけど。ファンレターより嬉しかったのか?」

「いいや。嫌なこと数えててね、それやめた。俺には重い荷だった」

 

果たし状を握りしめた手を見つめる王島の瞳に、ボロを出してもらうことは期待できない。手渡してから半年経つまでに心気を入れ替え、ベルトを巻くに相応しい実力を取り戻していた。要するに青木にとっては予定通りだ。

 

「青木選手、オレは君の妨げになるつもりはない」

 

敗北宣言。そう聞こえる。

八百長か。そう疑われる。

錆びたベルトじゃないことを表現したに過ぎない。巻くことを躊躇うような王者であれば、青木は失望して次の試合に繋げられないかもしれないが、そうではないと言った。

勝てたとすれば、必ず血肉になって東洋に近づく。負けたなら悔いなくリングを立ち去れる。

いずれにせよ後腐れない試合の宣言だ。

 

「王島王者(チャンプ)、俺の10年間をアンタに届けにきた」

 

青木もそれに応える。

伊賀への挑戦権、3ラウンド以内K.O決着。

そんなものに気を囚われない、という宣誓。

 

「「お前を倒すためにリングに上がる」」

 

視線を交えて3秒。

男を知るに足る時間だった。

明日のライバルに挨拶を済ませた両者、同時に踵を返して、記者が割って作った小道を横切る。

王島は退出し、青木は壁際にもたれかかる。

寄ってこようとする記者たちに見向きもしない視線が、記者たちの好奇心を煽った。視線の先に目を向ければ、後ろの2人が握手を交わす最中だ。

 

「先手、いただきます」

「…………」

 

見逃した半数の記者は、揚々歩いて木村の前に立ち、花札を手元に寄せるように右手を取った疾景の眼差しを知らない。

曇りなき信念から放たれる期待をぶつけるさまは、背後に佇む元王者と縁があるとは思えなかった。

木村は拐われた右手にクッと力を込める。沢村を師事していることが信じられない笑顔をする王者に、その顛末を聞きたい興味心を抑えて挨拶を返した。

 

「遠回りしがちだから10年も届かなかったよ。今度は振り抜くために鍛え直してきた。

明日は覚悟しといてくれ」

「そーですか! 難儀な人生でしたねぇー!」

 

にぱっ、と咲いた表情に木村は呆気に囚われる。

かわす雰囲気でもなく、熱気を受け止めた感じもしない。他人事のように聞こえるが、苦労話を笑って聞いた体躯に不真面目さは見当たらない。裏を読めなかった木村が疑問符を浮かべるのを見た疾景は、こう誤解を解いた。

 

「いやぁ、顔つきに納得感がありますから!

同情する余裕がなさそうで、ピリッとしちゃいます。沢村コーチが言う意味がなんとなーく分かりました」

「意味?」

「『勝つヤツの目を知っておけ』とね、珍しく他県まで試合観に連れ出したんですよ。

そろそろ東洋に行くつもりでしたから。世界戦2試合を観るんだろなーって思ってたらね…」

 

挑戦者を指差して。

柔らかい表情から丹精込めた闘志を示す。

 

「俺ん公式試合じゃ最強のボクサーです」

 

木村はほんの少しの期待感が裏切られたことを知った。それは油断、無敗であり若さから来る驕り心。間柴のように自分を格下だと侮ってほしい、淡い願いを粉々に砕くには十分な宣言だ。

 

「コーチの顔に泥塗れないのでさくっと勝ちます!

イデッ。すわご乱心… ヴッ! 失礼致します!」

 

疾景の勢いを止めたのは沢村の苛立ち任せの足蹴りだった。会話を続けさせることを嫌ったように見えた行動に、疾景は慣れた対応でそそくさと部屋をあとにする。

 

一見すれば能天気。

だが、少し語れば沢村を師事する一風変わったボクサーだと肌で理解した。狂気だけが沢村の教えではない。プロのリングでは反則を平然と繰り出していたあの男は、コーチに就く資格がどこかにあるのだ。噂に違わぬ師弟なのは明白だった。

最後のタイトル挑戦、ここにきてハードルが上がった。それなのに決戦前日にもなって湧き出てくる我が闘志には呆れるばかりだ、と木村は静かな笑みを浮かべる。

 

「なあ沢村、どうして俺なんだ」

 

なぜ沢村に快活なボクサーが師事を仰いでいるのか。コーチとして彼は何を教えているのか。プロの姿しか知らない身として疑問は沸いて出るが、1つだけ。どうしてもこれは聞いておきたい。

藤井の記事では、既に世界から声がかかっていると記されていた。ジュニア・ライト級で日本人が世界に行ける機会の少なさは、過去5年間で日本人が世界ランカー入り出来なかったと言うだけで理解するはずだ。

 

「………………………」

 

立ち止まる沢村はどこか様子が変だ。違和感だ。なんだろうと思って1秒、答えは出ない。

左の頬の縫われた傷跡を右手人差し指でひと撫でし、振り向いた彼は木村に目線を向けて答えた。

 

「………世界を獲るために、幕之内の舎弟をぶちのめす必要がある。それだけだ」

「お前、すんなり教えるやつだったっけ」

「あァ、疾景に感謝しろ」

「えっなんでだよ…」

 

答えを聞き出せたのに、思わず疑問を口にしたら疾景に矢印が向く。そこで最初の疑問、様子の違和感は沢村の機嫌が良いところなんだと気づく。疾景の軽口に肘鉄を入れて追い出したわりに、疾景の背中を見る眼差しは当初を知る木村から見ても柔らかい。

何度も言葉を返す気はなかった沢村は、すぐに過去の姿と重なる態度で部屋から退出した。

 

「いやってか舎弟じゃねェーーーー!!」

 

遅れて、会話を思い出した木村の怒りの指摘が沢村に届くことはなかった。

 

計量、全員パス。

残すは本番、出し切るのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの日、俺はまだ男の子。強さに憧れていた。

 

『WBA世界フェザー級タイトルマッチ、王座動かず』

 

ただ純粋に、喧嘩をしてみたかった。青年なりに考えて、父親にねだってみた。ボクシングってどんなもの? すると、観てみよう。そう言った数ヶ月後、父親が連れて行ってくれた。

今に思えば、ここが人生の分岐点。『REVENGE』と銘打たれたリングの上で、ほんの2ラウンドしか目撃出来なかった沈着な姿に心が惹かれた。

とくに…いいや、これだけ。左。左ジャブ、差し合いの左ジャブ。ほんの1分程度、挑戦者と語り合っていた頂点の証。あの左ジャブに人生が狂うほど歓喜した。

 

幼子から見る大人の一挙手一投足が偉大で果てしない存在であるように、たまたま上を見ていた青年にとっての無敗神話の御挨拶は、天上の世界への招待状に見えていて。神に憧れて、神を目指そうと思い、人生で初めて習い事をすることにした。

 

───ここじゃない。

 

───あの人も違う。

 

───左ジャブがすごい人、どこ。

 

理想の左ジャブが見つからない。

記憶のなかで流れる左ジャブと照らし合わせて、近場のボクシングジムを巡り歩く。

無敗神話の影も見当たらない。

…結論、再現のしようがなかった。

ボクシングにひたむきに取り組んで、自分の理想を相手に求めるほどボクシングを愛して、何かに追われるほど自分を追い込める強靭さがあって、ようやく神話の切れ端が見える。

同じ道、神話の左を追う者は、その光が手足を捥ぎ取る類いのものだと気づけるだろうか。左ジャブに見惚れただけの人間でなかったら、一生涯追い求めていたと思う。

 

………どうして見つからないのか。

 

……少し考えれば分かったのに。

 

探す視点が悪かった。神に近しいものを探し続けたせいで、自分が近づく過程を失念していた。

努力だけでは埋められない。ひたむきさは、少しだけ自分に馴染まない。素人がジム練習生の左を見定めている自分自身がヒントだと分かると、一気に物事は進んだ。

ボクシングは驕れるスポーツである。

主語は付けない。その方が“らしい”んだ。

なら答えは分かっていた、真面目なジムを探しても埒があかない。観るべきは、枠外に平気ではみ出せるボクサーのいるジムだ。

 

「2度目の入院らしいですね。ご無事でなによりです」

「…」

「俺、高校2年の柳洞 疾景です。卒業したら就職を予定してて、残りはボクシングをするので弟子にしてください」

 

そんなボクサーを尋ねた場所は某病院。

なんでも、タイトルマッチ後にバイクを運転して事故を起こしたとか。疲弊していたコーチさんから話を聞き出して今に至る。

 

「…うせろ」

「あーっ言うと思った! もうジムに入会してますんで。折れるまで付きまといますから」

 

衰弱しているだろうに、真っ直ぐな拒絶を返してくる。首を動かすのも一苦労な状態で、睡眠も必要なはずなのに数十分もだ。

 

みつめる、見つめる、見続ける。

 

沢村竜平がベッドに伏す姿は金輪際見られないだろう。見たくなってしまったら、自力でやってしまおうか。ふふっ、笑みが漏れた。彼は興奮して、僕は看護師に怒られて、その後は何度も通い詰めた。

 

ひと月も経てば彼は根負けした。

首を横に振らなくなった。どうやら首を縦に動かすことを彼は知らないらしい。仕方なく『了承を得る』を諦めて、拒絶しなくなれば問題はなかろうと落とし所を変えた。そして今、入院生活で退屈している彼に、自分のことを語り明かして、萎れた身体に少しでも活力を出してもらっているところだ。

 

「俺は椿の花が好きなんです」

「……すぐ散り散りになる花なんざ、国内ランクでボクサー生命終わるヤツらと変わらねぇ」

「椿の花は蕾のまま落ちるんです。散るって言葉から最も遠い花なんですよ」

「…………」

「格好良いと思いませんか」

「………知らん」

「花の骸のなかで一番穏やかな死が」

「───────」

「リングに横たわるボクサーと重なる」

 

瀕死から起き上がりつつある姿を見ていると、鮮明に椿が枕元に浮かび上がる。生涯追い続ける姿になると思った、聞くところによれば無敗神話に敗れたボクサーが似たような目にあっているらしい。拳1つで? 疑わしいと思った、だから本当なんだと分かった。

散らない花があると知らない人間がいるように、自分の理解や常識を越えた人間はいる。幼い頃に知ったから、自問自答は一瞬で終わり。

 

「お前は花のように笑う…」

「っわー、らしくない! ヴッ。ごめんなさい!」

 

茶化せば拳が飛んでくるようになった。ボロボロのくせにこれが当たるわ痛い。これも参考にする。

まだ、語ったことは沢山ある。一方的に言う以外に彼のことを知る機会は少なかったけれど。

彼が退院して、コーチになってから、幾度となくスパーをした。そこで沢村竜平というボクサーを嫌と言うほど知らしめられて、こっちの実力がつけば平然と反則行為も挟んできて、普通の指導を受けたことは少なかったと記憶している。

沢村竜平の指導は、臓器を掻き出すような雑なものだ。実践上等!と宣った自分も悪いが、「寡兵だと侮ったのが落ち度だ」と言われて、国内王者でこの強さなのかと、己の弱さをただただ思い知った。

そんな指導を見た人は、コーチを深い思慮の欠けた、心ない人間だと思いがちだが。彼は左ジャブを気にかけ続けてくれている。神話に近づくための練習を、いつも見守っていた。

だから彼のもとでベルトを巻いたんだ。

 

「今日もご指導、宜しくお願いします。コーチ」

 

沢村竜平を見ながら今日も天上に想いを馳せる。外は陽が沈んで薄緑。竜の鱗に反射した光がこの目を今日も惑わせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歓声が一際大きい。

リングの上からボクサーが退場した証拠だ。

 

「体調は?」

「バッチリ」

「俺もだよ」

 

控え室には2人だけ。

短い会話は寝転がりながら。

 

「身体は?」

「ほぐした」

「よしよし」

 

さっきまでミット打ちをしていたから知っているのに、わざわざ聞くあたりが暇を持て余していた。

 

「そっちは」

「いつでも」

「言ったな」

 

余計なセリフは要らない。励まし? 信用しろよと一蹴されるのが目に見えていた。同じ気持ちだ。

 

「待ってろ」

「もちろん」

「んじゃあ」

 

言葉は大事だが、ここで最も欲しいものは1つだけ。グローブを突き合わせて、目を見て頷く。

 

「行ってくる」

「行ってこい」

 

見送り、見送られ、今日が人生の集大成であり最高の日になることを確信して、漢の花道に突き進んだ。

 

 

 

 

 

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