鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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泥だらけの旅路の果て

 

王島総司、第一ラウンド初のダウン。

甘いマスクに酔いしれた女性ファンの群衆からは悲鳴と怒号が巻き上がる。挑戦者の戦績と試合を知る者好き達からは驚愕の熱気が噴き上がる。この熱狂に1番あてられていたのは、鴨川軍団の誰でもなかった。

 

「っっしゃうおぁ!!!」

 

腰元で握り込んだ拳で絞り出す歓喜。

礼節を弁えた漢の咆哮を吐き出したのは、観客席中程で観戦をしていた今江克孝(かつたか)だ。

 

「想像以上にハマった…! 練習以上の成果を出してくれた! 狙い通りドンピシャだ!!」

 

興奮気味に前のめりに、一連の攻防を脳みそで理解し、言語化したものは言葉が足りない。

今江の興奮は1人だけ方向性が違っていた。ダウンを取って熱狂する観客と違う点は、青木との練習の積み重ねの有無であり、その練習で仕上げた悪癖の克服…“捕食”のカウンターを想定以上の実力を見せた王島相手に当てたことだ。

ただでさえ視界を閉ざした状態からのカウンターは至難の業、そこに威力を乗せても体幹が安定せずに空振りを連発していた。本番ではどうなることか、内心では震え上がっていた数分前が嘘のようだ。

 

「す、すまんサチ子。つい」

「かっちゃんとの特訓の成果なんだよね」

「ああ、そうなんだよ。騙しの一種だ。速すぎるパンチを貰ったら目をつぶるクセを狙ってくる相手に、一定のタイミングで攻め込ませるんだ。

来たところをズドンとカウンターを合わせる、シンプルだろ」

「えっ? でも見えないのに……」

「普通は無理さ。見えずに殴ったら、下手をすれば後頭部に当たって反則、試合を没収されかねない。

対戦相手の挙動を知り尽くして、ポジショニングを完璧に覚えるのが大前提だ」

「ま、まだあるんだ?」

「見えないのに右と左、真正面。どこに打てばいいか分からないだろ。だから青木さんはガードを使って、まぶたを確認できる位置を限定させていたのさ」

 

問題はそれだけではない。

ガードから攻撃に転じると、ガードした腕を突き出すストレートが最もやり易くて威力が乗せられる。だが、直線上に相手の顔面を捉えるには心許ない。見えてない以上、移動し続ける相手に力一杯のストレートを打つのは空振りのリスクが大き過ぎた。

今江との特訓での肝がここだ。ストレートでは範囲が狭すぎる。かといってガードから攻撃に、は身体能力的にもソレ以外の選択肢がない。敢えて弱点を晒し、自然とガードが下がったところを飛び込ませ、下げた腕で一瞬で切り落とす。一連の動作を違和感なく、王島のフットワークを捉えるため、フットワーク以外の方法で対抗する手段は、死んだふり、よそ見を掛け合わせた偽りのチャンスを作ること。

最も威力と速さを乗せる、落ちた腕から放てる理想のパンチの研究から始まり、目を閉じていても打てる体幹とポジショニング、王島の行動予測から飛び込みのタイミング確認、ホスト時代の彼の言動行動に至るまで、尽くせる努力は全て尽くしてきた2ヶ月間だ。

 

「謂わば、逆よそ見。考えて動く相手だけにハマる、青木さんの新しい小技さ。効いたどころの騒ぎじゃないぞ。テンプルを打ち抜かれた王島王者の平衡感覚はぐちゃぐちゃだ!」

「うん…。ふらついてるね」

「それに万が一にも、逆よそ見を見抜いたところで王島選手にはどうしようもない」

「ど、どうして?」

「積み上げた練習は嘘をつかないが、同時に自分に嘘を吐かせられなくなる。青木さんみたいに日頃から小細工を考えているなら兎も角、王島王者は真っ直ぐすぎた」

「離れちゃうか、遠くから狙えばいいんじゃ…」

「彼はソレをしない選手だ。分かっていてもボクサーとして、王者として、相手を尊敬する者として。

彼は正々堂々、真正面から青木さんを倒しにいく」

 

断言だ。青木と同じく王島を研究し尽くした今江は、このことを折り込んで特訓を重ねた。青木の悪知恵が乗り移った気がして苦笑いしたのは内緒だった。

 

「ぎゃーーーー!王子が倒れた!!」「なにしてんのよブサイク!!」「黙って殴られてろよ!!」

 

あちらこちらで、罵詈雑言。

品のない甲高い得体の知れない声。

たまによくある女性ファンのファンファーレ。

 

「チャンピオンのファンの人たち…。怖いね」

 

サチ子の怯えた様子を見て周囲を見渡せば、王島を応援に来たファンであろう女性陣が各所で青木に対して野次を飛ばしている。あれしきのことで彼の集中力が途切れないことは承知していた。

然し、いま深呼吸をして自分を落ち着かせても、相手が気にならないからとボクシングの会場を自分勝手に塗り替える行為は何者であろうと許せるものか。

 

「その調子だ青木勝‼︎‼︎‼︎」

「なに、なに!」「急に叫ばないで!!」「王子に声が届かないでしょう!!!」

 

(ふんっ、マナーが悪いのはお互い様。だろ?)

 

俺に文句を言える立場か? 言いたいんなら自分の態度を改めろ。鼻を鳴らして座り、リングに視線を戻す。

周囲の王島ファンの視線を浴びて居心地が悪かろうに、サチ子は得意げそうに笑いかけてくれた。

青木勝、彼の背中が笑ったように見えたのは、思い上がりではない筈だ。

 

「勝つんだ、青木さん」

 

この試合の山場が訪れる。

10年もリングの上で粘り続けた旅人の勝利を祈る。再会の日、どうか握手が出来ますように、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『青木勝のこれまで全てがひっくり返る展開‼︎

リングから這い上がる王者の体幹がどこかおかしい!! 挑戦者の狙い澄ました一撃が効いている!』

 

様々な要因が重なり、王島が受けた一撃はただのカウンターの威力では片付かないほどに大きくなった。

この試合の流れに逆らうことは出来るのだろうか。

足首を締め付ける魔の手に歯軋りをしながら、戦線復帰までのカウントダウンを熱源に、全てを先回りしたカウンターを浴びて凍った背筋の解凍に集中する。

 

(完全に、自惚れた……。全部、狙われていた…!)

 

氷解が広がるほどに、青木のカウンターの持つ意味に理解が深まっていく。

起き上がる頃には、自分の急所を射抜いた一撃の粋の輪郭を掴んでいた。

 

アレは、自分と同種の努力を積んだ者の拳だ。

青木勝は技の磨きを掛けるため、研磨剤に王島総司を使用した。誰かにも通じる技……よそ見、カエルパンチではダメだと思い、先ほどの誘導に磨きをかけ、王島を打破する拳を作り上げてきた。

パンチの読み合いを深めて青木を倒す下地を作り、持ち味のフットワークでカウンターをズラす。

嫌悪感が込み上げてくる。

足りない、それじゃ中途半端だった…!

よそ見のその先をオレは考えていなかった…!

 

そこまで読んでいた。

青木勝は王島の成長度合いを加味して、自分の弱点を最大限活かした立ち回りを用意していたんだ。

 

(自分の弱点を知って、逆に利用したのか…ッ)

 

意外にも、誰の予想にも反して、青木の読みは王島の全て……カウンター系の新必殺技を拵えていることを予想されるところまで読んでいた。

視覚を犠牲にして相手を仕留める必殺技。

捕食、またの名を“逆よそ見”。

 

(弱点にカウンターを連動させる。並みの技術じゃないだろう、なあ)

 

武芸だけならば伊賀を越えている。絶妙の曲者による特技奪取は、この試合の流れを確実に我が物とした。取り戻すことを考えるより先に警戒すべきことがある。

握った手綱を引き寄せて、獲物を誑し込んだ先に待ち受ける次の罠は? なにを企んでいる?

 

(……泥試合? 伊賀戦を前に?

いや、ちがう! これが狙いだったか…!)

 

視界が揺れる。

一気に引き摺り下ろされていた。起き上がる途中で気づく程度には意識が落ちていた。ダウン経験が2回目、起き上がれたのは初めてだ。慣れない足腰に心が暴走している。

 

(演技…するやつじゃない。間違いなく足にきてる。さっきの手応えが確信に変わった)

 

そう観察する青木の眼差しを受けて、脳みその闘争本能がカチリと鳴るのを王島は確かに聞いていた。

暴れる心臓をよそに、心は落ち着き払っている。自分が知らない世界……相手のテリトリーに引き摺り下ろされたことを理解して、泥濘んだ靴底で勝ち越さなければならないと覚悟を決めた。

 

(乱打戦で仕掛けてくる。いけるか…?

いや、よく見ろ、向こうは2分間の積み上げたダメージがある。来てくれるなら好都合だ)

(千載一遇のチャンス、乱打戦に持ち込める。…ダメージが爆発する前に勝ち切れ、漢だせ、青木勝)

 

互いの胸中はここで割れる。

ここからは、読み合いが行き違いを起こし、着地点を見誤った方がリングに落ちる。

1人にとっては、取り戻した自信をぶつける時間が。

 

『チャンピオン立ち上がった。

9カウントで覚悟を決めたように見えます。レフェリーが腕を交差させて───』

 

そしてもう1人には、最も待ち遠しい終幕が訪れる。

状況の整理を付けたボクサーが2人、再び相対したならば意識を惜しみなく相手に注ぐのみ。

接近したのは挑戦者。軽快ではない足取りだが、王者は全力全霊でロープ際に後退していたために近づくしかなかった。誘われているのを百も承知で、急所強打によるダメージ回復を1秒でも許さないために。

 

「ロープを背に…!」

「首がおかしな角度で曲がってたからね、あのまま終わってもいいくらいだった」

「背水の陣を強いた。向こうも一発デカいのを狙いにくるだろうな。見たところカウンター狙いだが」

 

幕之内たちは冷静にみえて拳を強く握りしめている。今ので決まらなかったことを悔いていた。

しかし、青木勝にはこれが分かっていた。

 

(打たれ強くないのを分かってて、か)

 

相手の構えから状況は理解した。

情報の羅列は不要、分析は過去に済ませていた。警報音が鳴り響く、歯が震えたのは王島の覚悟を自分も噛み締めているから。ならば、と嚥下して吸収した気力そのままに拳を繰り出すまで。

 

「ブっ!? っ?!」

 

(せっかちな性格に磨きをかけたのが仇になったな)

 

左右の拳を同時に突き出すダブルパンチに面喰らい、ロープを軋ませる音を高らかに響かせる。玉座にヒビが入ったことを聞き届け、待ち構えたことを批難した。

王島総司ともあろうボクサーがカウンターを狙ってどうする。お陰様で奮起がダメージを上回っていく。

 

(…! なに退いてる?! 得意分野を奪われて逃げるな、こっちに退路は元からないだろっ)

 

自分の愚策をあとから気づいた1秒で、強引に拳を割り込ませる姿を見て更に燃えたぎる。王島の気づきは2秒遅く、あとから打った拳がボディを貫いた。

 

(〜〜〜ッ‼︎‼︎ 一番近い距離を‼︎)

 

当然の帰結。王島に速さで勝てないことを念頭に、今江と2ヶ月間を特訓に費やした。速さに先回りするために、最短距離を移動する。王島のパンチが当たる前に、王島に一番近い位置の拳を先に当てに行くのがこの試合のセオリーだ。

腕を腹に落としていた今は、目の前に王島のボディがあり、突き出すだけで向こうのパンチは耳の横を掠っていく。下を打てば自動的に身体を捻り返し、右のフックが顔面を殴り抜く…!

 

「が………ッ……! ま、だ…!」

 

断絶した意識を、内頬を噛んで無理やり繋ぎ止める。甘い評判を裏返す荒技で試合の続行を叫んでいた。

 

(より俺の動向に釘付けになった。

その注意深さ、警戒心でどこまで見抜く。なにを仕掛けてくる?)

 

第1ラウンド残り30秒、10年間のボクサー人生でもここまで長い1ラウンドは経験したことがない。緊張が高まるに連れて時間経過が遅くなり、精神が加速度的に磨耗している。流れる血管が脳へと送る酸素が足りない、供給を上回る立ち回りで血液が沸騰しそうだ。

圧倒的な優位に立つことは珍しい。青木勝は、いつも辛い勝利を納めてきた。楽に勝てた試合はない。王者を圧倒しているこの一瞬が、たまらなく怖い。

 

(倒れない。寸でのところで決定打が外されてる。ロープ際まで追い込んでもコーナーに追い詰められない。

まるで、こいつは……!)

 

辛い勝利に手を伸ばす、いつもの青木勝を見ている。彼は苦境に立ちながら、勝利する努力を積み上げていた。耐え忍び、一寸の光を待ち続ける。ある人は逃げ腰と評するものを、青木勝だけは全肯定する。今だけは、なにをしても倒せる気がしない。

こうなれば勝負を決める方法は1つだけ。

王島の最後の攻勢を、真正面から打ち破るのみ。

 

(ここで決めたい。いや、決めるんだ)

 

奇跡に腕が生えていて、誰かに差し伸べようとしていたら。自分のもとには訪れないと、次のラウンドを戦える余力を無くした男は叫ぶ。

打たれ強いほうではないのに、何度も急所を殴られても耐えたのは、限界を越えられる理由があったから。それでも所詮は人間の範疇、世界に届くべくもない身体だ。

一刻の猶予を以って意識は落ちる。だから、

 

(ひるんだ、ね)

 

光が漏れ出ている亀裂でさえ手を伸ばして、力強く拳を握って道を切り開け。

 

『鮮やかにカウンター‼︎

王者のアッパーが挑戦者をベルトから引き離す‼︎』

 

深入りしてきたボディを狙うパンチをガードし、腰を回してガードした拳で反撃。やや前のめりに陥った重心に合わせたアッパーは、頭蓋を面白いように弾き返した。

 

「やばいですよッ!」

「距離が空けられた!」

「…………くるぞ」

 

距離にして1メートル。

青木の身体が王島から離れた。

僅か10秒、勝利するための努力で生み出した、ボクシングにおいては隙間としか呼べない空間(勝機)を、王島は自分をぶつけるために活用する。

 

(オレの最高速度をぶつける。

視界を奪うぞ、耐えられるか、オレの好敵手(認めた漢)…!)

 

重心は(なだ)れるように前方へ。カウンターを決めた反動で脚は勢いが増した。どこかおかしくなった筋肉繊維を収縮させて、ひと呼吸でギアを低速から高速へ。

全身を捻るように押し出し、脚からの躍動を相乗させて、ロープ際に鎮座していた重い腰ごと吹き飛んだ。

 

それは、王島が最初に見せた全速力の先制。

緩急をつけたボクシングに磨きを掛けるため、母趾級・踵と重心の体重移動に着目、フットワークに改良を加えた末に手に入れたもの。初速は踵から飛び出し、以降の微調整は母趾級で行う。

今は踵。付け根で直にリングを蹴り、最も効率良く初歩で推進力を捻り出し、連動した足腰から威力を吸い上げて拳へと上乗せする。中間距離で王島が生み出せる、自分の中で最も速く、最も威力の高い一撃を。

 

(こんな、速いパンチは…)

 

青木は、みっともなくカチ上げられた顔をあるべき位置に戻した瞬間、見ていることしか出来なかった。

 

「────────────────」

 

鮮血と汗、どちらが宙を舞ったのか。

グローブと顔の隙間から飛び散る液体を判別するには、あまりにも重く痛ましい激突。挑戦者の安否にばかり意識が向かって、舞い散るものが第1ラウンドではあり得ない量のものだと気づく者は少なかった。

仮に無事だとしよう。ならば意識は?

レフェリーはまだ割って入らない。挑戦者はまだ立っている。顔からグローブが離れるが、倒れる気配はない。王者は手応えを感じつつ、振り抜かなかった拳を訝しんだ。

 

(耐えられた…!? 踏ん張りやがった…!)

 

意識はある。それも、反撃する気概を感じる。だが焦るな、と自分を諌めた。ここで追撃すれば先ほどのカウンターを貰うからだ。視界が封じられた以上、フェイントを掛けてカウンターを空振りさせてやる。

土壇場で冷静に立ち回った王島には、さしもの鷹村も唸っていた。ここで逆よそ見を見せて、あと一撃を放り込めば確実に倒せていたからだ。この場で止まられた以上、青木に勝ち目は……。

 

(────────見ちまったな)

 

グローブの下から覗く瞳を、王島は確かに見た。グローブが離れるのに連動して、王島の存在をしっかりと捉えている青木のソレは、相手を見失って過去に縋り付くだけの種に在らず。

 

(目を閉じて弱点誘発を回避したのか!?)

 

目を閉じて、顎を引いて、顔の中心から着地点を上にズラすことで、王島のグローブで強引に目蓋を上げた。弱点の強制回避、咄嗟の思い付きに王島の眼差しは釘付けだ。

 

(だけど顔面直撃だ、腰も落ちそうだ!

もうオレは脚が死んだ、見られてるぞカウンターが来る避けて打ち返せ!!

こい、次のパンチは

どっち、だ)

 

今し方の自戒を済ませて。

乱打戦に持ち込まれる初撃。

即座に勝利への道を定めた矢先。

試合を放棄したと言わんばかりに。

固唾を飲んで試合を見守る観客席を。

ただ茫然と、眺めている自分に気づく。

 

「───────────────ぁ──」

「──────────────」

 

その技にハマると、当人は愕然とするものだ。

冷静に考えてハマる訳がない。試合中に対戦相手が真横を向いた? 即刻サンドバッグにしてボクシングを侮辱したことを後悔させる。ボクサーなら当たり前に沸き立つ怒りを、試合中に観戦している者には信じられない行動を制御し、そして振り向かせてしまうのだ。

相手が王島総司というボクサーでさえ、だ。

 

(よ、そみ────)

(…見ててくれ、皆んな)

 

それが青木勝。

10年もの人生をリングに生きたボクサー。

地面を這いずり続けて、己の汗と涙でリングを泥塗れにするカエルのような漢を探し求めた王者は。

 

(カエルッ下で返り討ちに!!!)

 

その、足元を浸す泥沼の真っ只中に。

己の限界を弦にして両脚を引き絞り、天空へと発射体勢を整えた1匹の生命を見つけた。

交差した視線が、音もなく弦を切る。

 

(いッ───────)

 

泥濘からリングへと駆け上がる。

王島は最後の過ちに気づく。屈んで溜めた脚の力で拳を上空に打ち上げるカエルパンチ、これを迎え打つために今江がかつて編み出したカエル潰しを練習してきた。準備は万全だ、万全だった。

下に打つために踏ん張る両脚は、いましがた乱打戦を打ち破るために使い果たしていた。相手にもたれ掛かるように打ち倒そうとしていた思惑が、ここにきて裏目に出た。

軸足が下へ向くために、ひと呼吸の溜めがいる。

 

(跳べ…! 届け、打ち上げろ────)

 

空を見上げる。

カエルが仰ぐなど、水に飛び込むか、地上に戻るか、カエルに睨まれるときくらいなものだ。

ここに新しく追加しよう。蛇に怯えず、自らを勝者にするためにだってカエルは跳ぶんだってことを。

 

「オオッ、オォォ…‼︎‼︎」

 

しぶときカエルがリングを蹴る。

上空1メートル、王者の顎へと向けて。

一直線に跳ねるさまは、チャンピオンベルトに落ちるかの如く。跳んで手の届かなかった5年前のタイトルマッチを反省し、今度は落ちていけと発想を逆転させる、実に青木らしい執念の結晶だ。

 

「ぢッ………ぁ………」

 

突き出された右拳が着地し、受け止めようと伸ばした王島の手を呆気なく振り払い、ベルトの向こう側に飛び抜けていった。

王島がソレに近づくことは2度と叶わない。脚を踏み締める場所と視覚情報で得た情報に、およそ3メートルの誤差があったから。

 

(くそっ、引退しなくて、よかった)

 

彼のボクシングは、3分間で完成する自画像のよう。

泥沼に浸る意識のなか、本日2度目のよそ見をしてくれている挑戦者の背中を眺めながら思ったことだ。

 

(勇気を貰えることが分かったから)

 

もう目蓋を閉じても大丈夫だろう。

王島総司は熱意を取り戻した。敗北と向き合うことができる。人見知りとは、これから付き合っていこう。

そうして王島総司は、全てを出し切った身体をリングに投げ出した。文句なしに負けを認めた。

 

(手ェ、届いたぜ…!!)

 

レフェリーの合図を聞き届けて、再び右拳を突き上げる。続く者に、激を飛ばすために。

そして、応援してくれた全ての人に感謝を。

5年前の宿願、ひと足先に泥まみれの王者を冠しよう。

 

 

 

 

 

 

 

青木勝

1ラウンド2分57秒

K.O勝利

日本ライト級タイトル獲得

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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