「お身体の方はああああああ!
いかがですかああああああいぃ!」
「うるせエッッッッ!!!!!」
青木が1ラウンドK.O勝利を納め、ベルトを巻いてインタビューを受けている様子を控え室のテレビで観ていた時、その怒号は鳴り響いた。
不躾な侵入者に飛び蹴りを見舞った木村。そして、邂逅一番に一礼とともに戴冠の雰囲気を壊したのは
「試合前に何しに来やがった…!」
「どうやら肩肘がカチコチのご様子でしたから。緊張を揉みほぐしておこうと思いまして」
「気が散るだけだっつーの! いきなり押し入って来て邪魔すんなら帰れ!!
つか人間変わり過ぎだろ、気が散る!!! 今すぐ帰れ、さあオラ回れ右だ!!!!」
「いや! 自分、木村さんをマジ応援してますっ!
緊張も致し方ないと思ってますからっ! なんせ相手は疾景です、俺ら束になっても勝てませんでしたから」
正座して反省の意を見せつつ、背筋を伸ばして真摯に思いを告げる。誠実な態度を取っているのは、見た目の変わりっぷりからも心を込めていることが伺えた。
金髪を刈り上げて丸坊主。着慣れていなさそうなジャージ上下。耳に開けた穴には塞ぎ物なし。連れのヤンキー軍団も見当たらない。
少しは改心したと見える。
「……そーいや、疾景に勝ちたいって言ってたな。手短に言えよ、青木が戻ってきちまう前にさ」
『疾景のヤロウを倒すのはヤツだろう。
俺のボクサー生命を賭ける。だから退がれ』
確かそんなことを言っていた。
疾景対策は宮田と散々やってきたが、ヤツのことはインタビュー記事の内容をパラっと読んだ程度にしか知らない。人間性を知っておけば役に立つだろうと思い、そして早く敦士を帰らせるために話しを促した。
「難しい話はなにも。荒くれ者だった俺らが、関東屈指の不良を集めて喧嘩祭り開いた時、1人の軟弱そうな野郎に全員負けたんス。フードしてて正体分からず終いでしたが、疾景の8回戦の試合観てピンときました。コイツが俺ら負かした化け物だって」
「こ、根拠はそれだけか」
「左ジャブっす」
「…全員て」
「100人」
「…」
流石に盛りすぎだ、と思う。
100人と言っておいて「乱闘だったんで実際は残った20人くらいでしたが」と後付けしている。
まあ、そりゃあな、と思う。100人相手にするのはコミカルが過ぎるというか、現実味がない。20人というのもハッキリしない、ヤンキーは盛りたがるからな。参考にはならない。
反面に、好青年そのものの顔立ちでやってしまえる、という納得感も共存している。それが柳洞疾景、沢村竜平に師事を仰ぐ男だ。
「疾景にリベンジするためにプロになり、呆気なくアナタに負けた」
「復讐心か?」
「関東の不良組織はその日を堺に一斉に解散しました。俺らが地べたに這うなかで1人、一礼して悠々と帰っていきました。
あれが効いた。男の名折れだったんです。行儀良く喧嘩して去っていく背中に、満足感が見えなかった。こんなもんか、って呆れられた気がして……。
………身勝手ながらも、どうしても木村さんに知ってほしくて」
自業自得、組織解体は云々、一般人からしてみるとそう悪い話でもないが、敦士たちにしてみれば青春だっただろう。漢のプライドを傷つけられて、ボクシングに乗り込んできた気概だけは買うことができる。
「あぁ、しっかり覚えとくよ。お前らの分も拳に乗せて戦ってくる」
「木村さん、あんた漢だぜ…!」
中空を切るように立ち上がり、迫力の一礼を浴びる。深々とした態度を見ると、本当に目の前の凡人が勝つことを願い、信じていることが伝わってきた。
また1つ、踏ん張る理由が出来た。試合の直前にどうなるかと思ったが、望外の活力になる。
「じゃ、観客席で応援してますから!」
「おー、観客に迷惑かけんなよー」
そうして敦士は控え室をあとにした。
ここを訪れる人間は片手で足りる数だけ。幕之内たちには観客席で待っておくように言ってある。アイツらの顔を見たら、しみったれたセリフが出てきそうだからだ。
ここで激励を貰わなくても、この2ヶ月間で必要以上に貰ってきた。それを思い出す時間に費やしたかった。
廊下から敦士の「お疲れさまです‼︎」が聞こえてくる。誰が来たのかは見ずとも分かった。
間もなく控え室の扉を開けて入室してきたのは、日本ライト級のチャンピオンベルトを腰に巻き、夢を叶えた青木勝だ。
何を言おうか迷う。祝福する言葉を考えていなかった。顔を合わせてしまえば出てくると思ったが、馴染みの顔が戴冠した姿を見ると、目元に熱が集まってしまって。
「いつから仲良しになったんだ?」
「…負かしてから、ちょいちょい手紙送ってきやがる。あんな絡み方されてみろ、寒気するぜ」
結局、向こうもベルトをひけらかす事を躊躇って、当たり障りのない話題に逸れてしまった。
「キレーに勝ったもんな。文句なしだった、惚れてもしゃーないって」
「なんでアイツの方につくんだよ……」
呆れながら、激闘を終えた青木のいまの姿に首を傾げた。
「なんだよ」
「いや、なんでまだ着たんだと思って」
上は私服を着ているが、ズボンはボクシングウェアのままだ。
「お前の試合が終わってから着替えるよ」
「なんだよ。観客席で応援してくんねえの」
「いや行くけどさ。ベルトを巻いて、もっかいリングに上がんなきゃならないだろ」
要は、勝てよ、と。
勝つんだろ、って言って俺の勝利を信じてた。
「ベルト巻いて一緒に撮ろうぜ。じゃなきゃ二大メインイベントにした意味ねーもんなー?」
「ーーーーっわーーってるよ!」
忘れるわけがない。
ベルトが欲しくて粘り続けた10年間だ。忘れようとも、身体に染みついた悔しさと、振り向いた時に見える皆んなの足跡が、前に進めと騒いで思い出すんだ。
先ずは、走り切った友に祝福の言葉を。
「………………青木」
「うん?」
「戴冠、おめでとう」
そして、これからラストスパートを駆ける男へ、激励を。
「30分後、俺にも言わせろよ」
「声援で声枯らさねーようにな」
バンテージを巻いた汗まみれの拳と、グローブを纏う傷痕だらけの拳を打ち合わせる。
お互いが見送り合い、全ての準備が整った。
「時間が来た。行こう」
「篠田さん、木村を頼んます!」
「おう、任せとけ!!」
篠田さんから声が掛かる。
外で待っていてくれたことに感謝しながら、集中力が万全になったことを頷いて伝えた。
控え室を出ると、「俺たちは先に行ってるぞ」と篠田さんが言うが、何のことか分からない。
聞き返そうとしたところで、背後から名前を呼ばれたことで気を遣われたことを理解する。
「タツヤ」
「2人とも……」
両親だ。
木村園芸という花屋を営み、仲睦まじい生活をしている。今日、家を出る時にも激励の言葉を貰ったが。
父親の手元を見る。鉢植えの椿だ。椿の花に魅了される人は多く、鉢植えで育てようとするファンがよく両親に問い合わせているのを見かける。それにこの花は疾景も好きだと公言していた。
「柳洞くんは、椿の花が好きだと聞いた」
「なんだよ、いきなり」
「インタビューの記事を読んだんだ。花弁が纏まって落ちる姿が好きなんだと書いてあったよ」
「よりにもよって
でも、それがなんかあったか?」
万葉集にも見受けられる古き花、椿には不吉とされる単語がある。
落椿。
椿の特徴の1つとして、花弁が纏まって落ちる。その様を表し、人の首が落ちるように見えることから、祝いの席やお見舞いには敬遠されている。
これを好きだと言う疾景は、沢村を師事し指導されるに足る器だと納得したものだ。
「椿はね、花が成るまでに時間が要るんだ。幹は1000年以上育つ種もある」
知ってるよ、勉強したからな。
椿の木は長寿だ。その姿が好きになった人もいた。そして疾景のインタビューの続きを思い出す。落椿と答えたことに対して記者は、椿の花は好きなのか、と問い直し、それに「好きなのはそこですから」で締めたのだ。
「落花する姿だけが椿じゃない。
花屋として、私は柳洞くんに知ってほしい。椿は開花するまでの過程も美しいんだ、と。
成長を止めない姿に惚れる人間も多くいる!!
達也、お前のような花だと私は胸を張って言う」
許さない、とか否定じゃなく、もっと知ってほしいときた。
父親も変わったんだ。チャンピオンに物申すくらいに、ボクシングに後押しされた。
「お前は立派な子だ。柳洞くんに負けるな、落椿なんかじゃない! 花屋の息子、木村達也だ!!」
2人から差し出された手に、そっと両手を重ねる。静かに震えていた、力強い言葉は言い慣れない人たちだ。俺のために勇気を振り絞ってくれたんだ。
「俺、2人の子供でよかったよ」
だから俺も、言い慣れない感謝を伝える。
不良息子の精一杯の親孝行に、グローブを力強く握って返事をしてくれた。
踵を返し、右腕を挙げて。
「行ってきます」
家から出掛けるように、勝利を宣言するように、見送ってくれる最愛の両親に挨拶を送る。
筋肉の緊張もほぐれた、心が図太い幹に支えられている気持ちだ。獲ってみせるぜ、日本タイトル!
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『今宵、最後にリングを上がるボクサーもまた10年間ベルトを追い続け、一度は王座に手が届かず。
以降、ベルトとは程遠い、然し次があれば或いは、と囁かれて5年が経った晩にチャンスを手に入れた』
そのボクサーの入場とともに観客たちが初めに注目したのは、表情/背中/両脚だった。
おどろおどろと練習不足を悔やみ、減量苦に呪い馳せることもあった。
萎縮しきってしまい実力が出し切れず、呆気なく倒れる日も見てきた。
調子が良さそうに見えてどこか浮き足立っていた、そして大苦戦を強いられて引き分けとなった試合を知っている。
『復帰戦では洗練されたK.O劇を。因縁の王者には新たな武器を
観客たちは期待に満ちて表情を綻ばせる。
過去、調子が悪く、或いは負けた試合のどれにも当てはまらない。偶然の勝ちを拾って喜んでいた、危うげな雰囲気は見当たらない。前回、エレキ・バッテリーに勝利した入場の、悔いのない逞しい表情/背中/両脚があった。
過去最強の相手を前にして、よくぞ仕上げてくれたと心の中で拍手喝采を浴びせる。
いや、現実に。無意識のうちに木村を古くより知る観客たちは拍手を送っていた。それに釣られて伝播した拍手は、木村がリングインして一礼するまで続く。
「期待されてるな」
「…暖かいですね」
師弟の短い会話を傍で聞いていた鴨川は、両者共に最高の状態にあることを確認した。
何も言うことがない寂しさを、1つの醍醐味だと飲み込んだ直後。アナウンサーが対角線上に現れた人影にスポットを要求した。
『デビュー3年目にして王者戴冠、防衛戦を積んでいくたびに世界が戦慄する。ボクシングに携わる者が、異国の世界王者が、口々に出した名はリカルド・マルチネス』
その男を印象で答えろ。
問いかけがこうであれば、3色と言うだろう。
細身筋肉質の細部を浮き彫った白色。
そして、モノクロに映える両眼球の真紅。
右手の人差し指を顎に添えたらば、艶やかさだけで人々を魅入らせる容姿だ。
『4回戦ボクサーとしてデビューしたことを疑問視する声は、まさしく無敗神話を想起させる左ジャブにあり。たった一本、その一直線に国内外のボクサーをリングに沈め、間もなく世界に飛び立とうとしている。
その発射台に木村タツヤを選んだ理由を、元日本王者のトレーナーは「必要だから」と言ってのけた』
裡に灼熱を宿した眼に射抜かれて、うっかり後ろに控える男を見逃してはならない。
沢村竜平。かつて幕之内と対峙し、デンプシー・ロールを無傷で破ったカウンターの天才。その悪癖、反則技を受け継ぐことはなかったが、反則級の技を承けているのが柳洞疾景というボクサーだ。
全門の神、後方の竜と聞けば勝ち目は無いに等しい。
『神話の左、竜の右。
リングの上で佇む姿は夜空に浮かぶ一番星の如く、いずれ世界に名を連ねる期待に満ちていた。
リングインの所作から見惚れる。
実力差を見せつけられる。だが、木村は微動だにしない。手が届くと、そう思えたからだ。
「お前ェらーーーーーーーー‼︎‼︎‼︎」
「!?」
その矢先。バカの怒声が聞こえる。
「木村っさんの入場だ気合い入れてけ‼︎‼︎‼︎」
「!?」
木村が怪訝に怒声の方を向けば、デカデカと「木村タツヤ」と刺繍された応援旗を掲げる集団がある。
残念ながら顔見知り、敦士とその仲間たちだ。
木村は見ないフリをするが、真横の審判には睨まれ、目の前で疾景はケラケラ笑っている。
(敦士のやつふっざけやがって…。
負けたら八つ当たりしてやる、全員に)
試合開始後も騒がれては気が散るな、と杞憂しているともう1つの怒号。青木がキレた。直後、応援旗が仕舞われた、静かになった。
「賑やかっスね〜、そっちの応援は。
もしかして昔はワルかったヤツです?」
「……………………………………まあ」
ワルっちゃワルだった。
嘘は言ってない。寛解が合ってるかは知らん。
冷や冷やの試合開始前を経て、途切れそうな集中を戻すために目蓋を閉じる。木村が試合に臨むために思い返したことは、昨日の疾景からのセリフだ。
「俺ん公式試合じゃ最強のボクサーです」と言い、木村タツヤを相手に油断しないことを明言した。だが、木村はあの時こう思った。
(公式試合じゃ、ね……。そりゃつまり、沢村より弱い、だから勝てるっつーK.O宣言だ)
舐めていると
(嬉しいね、お前に勝てばベルト二本分の勝利になる)
ケチなことは言わない。
沢村越えは本当なら直面する事態だった。
間柴からベルトを奪った沢村は、試合直後の交通事故で引退した。あの日、沢村の事故がなければ、木村タツヤの最後のタイトル挑戦はきっと……。
「ま、どのみち」
「うん?」
「勝つのは俺だ」
「────へぇ」
睨み合い、一瞬。
勝利宣言に対して、ほくそ笑み。
絶対の強者が見せた回答を受けて、両者は踵を返す。ネームバリューだとか、前評判に惑わされるボクサーはここにはいない。今日持ってきた経験を、全身全霊でぶつけることだけを考えて、コーナーで最後の余暇を過ごした。
ついに、いよいよ、もうすぐ、さあ。
木村タツヤの最後のタイトルマッチが幕を開けた。