鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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愛おしき宿命の3センチ

 

第7ラウンドまで上り詰め、太陽の熱を叩き落とし、そして神に近づいた者らは飛ぶ手段を失った。

天空での戦いは飛翔から転落へ、地上に到達する3分間が勝敗を着けるタイムリミットとなる。引力に逆らい、或いは引力を利用して、より理屈から逸脱する方が勝利へと近づく根比べ。激突を恐れない者にベルトが微笑むだろう。

 

(最後に勝つのは、強いやつ。じゃあ負けるのは、弱いやつ? それだけだと思ってた、さっきまでは)

 

立ち上がり、構えるだけで腹部からの痛覚が脊髄を揺らすダメージを負いながらも、表情を闘志で覆う。

 

(弱さを露呈したヤツが弱くなる。だから負けて、アイツは弱いと結論が出る。

木村タツヤ、今のアンタに弱さが見当たらない。上手く隠したね、この乱気流でも椿が咲き誇ってさ)

 

自ら赴くことの少なかった態度を、散々叩かれて軋みを上げるボディを引き摺って全速前進へと改めた。

頑丈な身体が試合で泣き叫んでいる。自分を労っての危険信号だが、疾景は解釈をこう捻じ曲げた。間もなく引退する男の晴れ舞台が終わる、終わってしまうから急いで倒せ、ご馳走様が台無しになる、と。

 

(ここに来て俺の弱さが曝された。精神論者の理不尽に膝を折るなんて、自分でも驚いたね。

だからかな。補助輪を外した気分だ、よ!)

 

気分は赤信号にアクセルをベタ踏みする車のよう。後先の考えない、贅沢で傲慢なステップインは木村タツヤに飛び退かせる猶予を与えなかった。

 

(な、なんつぅ踏み込みだっ…………!)

 

竜が如き顎が凡人なボクサーを噛み砕かんと喰らいつく。飢えを満たすための行為ならば、第4ラウンドまでのリズムで飛翔すれば躱せた。それができないのは、本気に尊敬を、勝利に全霊を込めて心意気を入れ替えたからに他ならない。

 

『いきなり大砲ォーーーー‼︎‼︎

挑戦者の身体がロープに弾かれる‼︎ 危うげながらに体勢を整えた先で、あぁ! 王者回り込んでいる!』

 

ぐるり、大袈裟なサイドステップ。ほぼ真後ろに回り込んで視界から外れた男を、空から見ていたとばかりにスイッチで対処した。

 

(惑わされねえよっ!)

(そうこなくっちゃね)

 

余力を注ぎ込み、木村を包囲するように神の威光が迫り来る。スイッチ、飛燕、時にはガード、右の必殺技だけを使わずに、王者の猛追撃を落とし迎え打ち、純粋なパワープレイに必死に抵抗していく。

 

神話の左ジャブ、未だ破られず。

閃光、既に破られはしたが二度目は許さない。

 

(俺の弱みはこの試合で引っ込みつかない! 勝ってしまえばいいんだ、俺はそれで納得する。

精神論を挫く拳を知りたい。コーチの知らないものだ、コーチを倒せる拳だ!!)

 

その代わりになるものが欲しい。

1つ弱点を暴かれようとも、1つの切り札が相手を仕留めればいい。

余裕を浮かべ、余力を注ぎ込み手に入れようとするもの。木村タツヤの10年間の全てを吸い上げて、全てを見せろと力の限り攻め立てる。

 

(だから早く、それを見せてみろ)

 

汗を振り切って決死の形相で玉座に追い縋る男の、その奥で静かに研がれた右拳が恐怖を誘う。

目の前で神話の左を紙一重で躱し、燕を飛ばして二種類の頂上にツメを掛ける姿に、沢村竜平と対峙すること以上のプレッシャーを受けていた。

 

太陽に照らされて花が咲くように、疾景は格上との対峙中に本人の知らないところで本心で笑う。

ソレがあるなら格上になり得る存在だ。まだ自分に春の訪れがあると信じて疑わない眼をしている。自分の勝利を確実なものとするために相手を認め、余力の出力に神経を回していた。

あまりの油断のなさに、木村も薄ら笑み。

諦めたのではない。認められたことで、現実味を帯びた事態が脳裏に過ぎったのだ。

 

(ベルトは、見えてからが1番遠く感じる。

ベルトに迫った5年間と、ベルトが見えてからの5年間。同じ歳月をかけて此処に戻ってきたんだ)

 

星が見えたから、水面に映った星を掬ったから、だから手が届く。ベルトに手が届きそう、と錯覚したのは多分、そういう理屈だ。確かに今、ベルトは見えている。間柴戦のあの幻に向かって走っている自分が心底恐ろしかった。

このまま行けば、1つの予感…いや、確信にぶち当たる。木村タツヤは、必ず3センチの差で敗北する、と。

 

「い、行けるよ木村! ここに来て疾景の左ジャブ避けれてるよ! なぁ皆んなァ!」

「────はい」

「…一歩、頼むからそんな顔しないでくれよ」

 

その雰囲気を察しているのは鴨川軍団、全員だ。

 

「木村の右が閃光を沈めたのは良い、望外の戦果だった。けど、それで決めきれなかったんだよ」

「………だから!?」

「見られたんだ。あんな長距離弾道、疾景が2度と許すと思うか。木村はな、右も左も、全部出し切っちまってんだよ」

「フィニッシュブローが、ない………」

 

カウンターパンチャーで、神話と竜の拳を携えるボクサーを相手に、必殺技は必殺でなくてはならなかった。飛燕で封じていた神話の左も、ドラゴン・グローで大きく体力を削った一撃を加味しても。

 

『あっ、あーーー! 挑戦者の貰う数が増えていく! 確実に一打一打、当てる数以上に貰っている!!』

 

間もなく訪れる運命の場所へ、引き摺り込まれるように木村の体力は着々と削られていく。

散々抵抗してきた木村の足元に水面が生まれてきた。靴底で汚れきった泥沼のような水面だ。流した汗はインターバルで拭き取られているはずなのに、もうすぐソレは木村の足元を浸す。

 

(殴られて下を向くたびに、木村タツヤの顔を見せつけられる。あぁ、情けない…。青木に味方した泥沼とは大違いだ。10年間の苦節ばっかり見えやがる…!!)

 

七日七晩を彷徨って、川のほとりが見えてきた。間もなく、意識はあそこに落ちて死ぬ。

強がり満タン、過去の産物を吸い込んで。空から落ちながら泥沼に浸る、矛盾した最悪を抱えながら。最後のリングではこの程度の試練、這い上がって突き進むのみ。

そんな決死のダイブを敢行する異常な生命を、王者は納得して迎撃しにいった。

 

(アンタ狂ってるよ。俺を倒すためだけに必殺技を改造して、原型を囮にしてダウンを奪いに来た)

 

試合を決める時に沢村が言ったことを思い出す。

『鴨川の門下ってのは、恐ろしい事態を引き起こすフシがありやがる』

 

(コーチの言葉が身に染みて悔しい。きっと知らなかったら世界の何処かで挫折していた。

その分岐点を好転で終われたことに感謝して、俺はアナタに勝つ)

 

なぜ鴨川の門下に拘るのか。

コーチが負けた幕之内がいるから?

惜しい、答えはその幕之内が世界戦で負けたからだ。幕之内の見せる粘りを鴨川の教えだと言っていたが、木村のコーチは篠田。鴨川を師事している訳ではない。それでも木村を選んだのは、幕之内に触発されて立ち上がるボクサーだから。

そんなボクサーに勝てなくて何が世界戦か。

木村を通して、俺は幕之内の粘りをも捩じ伏せてみせる。

 

(合わせてくるんでしょ、覚悟決めてるよ!!)

(狙え食いしばれ、一直線に打ち抜け───!)

 

やがて、羽根を撒きながら。

そして、神話を握りながら。

右と右、脚から腱、膝から腰背筋、肩へと掬い上げるエネルギーを右拳へと伝播させて。

お互いがお互いに右のカウンターを合わせにいった。

リングに沈めと、ベルトを寄越せと、靴底を鳴らしながら。グローブが歪み、反動が肩へと戻り、それは全くの同時に突き刺さることを意味する。

 

「相打ち狙い!?」

「違う…。木村がコンマ遅れて着弾した。威力は半減だ…!」

「む、無茶だ木村さん…!」

「木村…」

 

残酷なれば、これがカウンターを生業とするボクサーとの打ち合いの末路。相打ちを狙うしかなくなるまで追い込まれた第7ラウンド、そもそもここに来た時点でこの結末しかあり得ない。

守るか逃げるか、打つか。

コンマ秒で再びの選択肢。相手は腰を構えた。

 

(ヤロウ、スリップを、、加味して………)

(グラついた…! 手応えあり、ここだっ!)

 

それでも、一直線で駆け抜ける。

それしかなかった。退いても避けても、疾景の潜ませた眼差しが追撃を仕掛ける。それに対応する体力があるなら、攻めて倒すに決まっている…!

 

(吐瀉(としゃ)ってけ────!)

(─────ベ───る、)

 

願望だけで動く身体から、意識が剥がれかけている。そこに王者の必殺が紛うことなく命中。

勝利に届いた疾景は、うっすり微笑を溢す。

目の前で停止した拳を、あとは見送るのみ。

 

その差、奇しくも3センチ。

右のストレート同士で生まれたこのは、間柴戦の時よりもベルトから遠退いたことを意味して。

木村タツヤの最後の5年間は空白であった。

勇気という生命維持装置で生きながらえていた、夢を追う骸でしかなかったんだ。

 

 

 

 

 

───

 

──

 

 

 

 

 

 

夕日を眺めながら、河川敷に座る男がいた。

 

表情は分からない。

 

俺を笑っているのか、俺に怒っているのか。

 

でも、分かっていることがある。

 

「俺、この日のためにやり直してきたのに、全部振り絞れそうにないんだ」

 

今、出会うことを望んじゃいなかった。

無様にも王者の必殺が直撃し、記憶はまっさら。

試合の大一番で自分の期待を裏切った。

ベルト奪取の夢が泡沫のように消えていくのは、木村達也/木村タツヤの定めなんだと吐き捨てたい。頭を掻きむしって、5年前の河川敷で立ち上がった意味は無かったんだと、泣き散らしてしまいたい。

 

「…あと3センチって言ったけどさ。違ったんじゃないか? 本当は5センチ、いや階段一段分! 大股二歩とか、大声が届かない場所にあるのかも。

なあ、もしかして夢は夢だったのか。運だなんだ言って、弱い自分のまま生きてく言い訳を作りに…」

「───そもそもさ」

 

無様で終わろうと膝が折れかかった男に、鼻を鳴らしながら言い放つ。

 

「飛ばし過ぎだ」

 

沈みかけた膝がピタリと止まる。

罵倒でも、肯定でも否定でもない。

客観的に見た減量苦のボクサーに対する感想。それが木村のぐちゃぐちゃの意識を取り持った。

 

「えっ…」

「スタミナねえくせに、肩肘張って何もかもやろうとし過ぎててんの。間違っちゃいねェけど、両親の顔見たか? 青ざめながら観てたよ。親不孝者」

「見る余裕ねぇって。そりゃ悪いとは思うけど、でもリカルドのジャブだろ、沢村の閃光だぞ! ふざっけんな、なんでこんなバケモンが日本タイトル居座ってんだよ!!

倒すしかないんだから間柴みたくチンタラやってたらあっという間にやられんだろ!」

 

言葉は返ってこない。

自分でも分かってる。

不満を垂れ流したって解決しない。

こいつは反論するために現れたんじゃなくて。

 

「あとな、皆んなから勇気貰っといて前借りなんて言うな。魂で受け止めたもんは減りゃしない。掬い上げる線が切れてって忘れてるだけだ。今も変わらねェよ」

「おまっ……いっちょまえに」

「笑い合いたいだろ、この先も。なんの憂いもなく、ラーメン啜りながら今日のことを語り合いたいならさ。ちょっとだけ後ろ、振り返ってみな」

 

きっと、これを言うためだけの夢幻。

この河川敷は俺たちのランニングコースだ。

ここで何百、何千回と走って汗水流した思い出の場所だから、汚すなって。

河川敷に座る男は立ち上がると、相変わらず背中を向けながら夕陽を指した。

 

「次に夕日見るならさ、前だけ見てほしい」

「─────────────行ってくる」

 

もう、二度と戻ることはない。

この場所は5年前のあの日、木村タツヤが生まれた場所で。

木村達也を縛り付ける呪いであってはならない。

 

「頼んだぜ、タツヤ」

 

男はもう見えないタツヤの背中に、暖かな詩を読むように、全てを託す言葉を遺した。

 

 

 

 

 

 

──

 

───

 

 

 

 

 

疾景は勝利の手応えを、椿が落ちる様に見ていた。相手が倒れ伏した時、そこに転がるのはボクサーではなく、木の根本に落ちる一輪の椿なのだ。いつも見えていたものが、今日は。

 

(なんだ、椿の花は落ちた、だろ……?!?)

 

その椿の根本に立つ男を見て、自分の何度目かの過ちに気づく。彼の足元ではなく、その後ろ。連綿と描かれた紅い線、運命の糸のように見えるソレを。

 

(まて、待て…。

いったい全体、いくつ落としてきたんだ、アンタ)

 

椿の花は、まばらながらに道を描いている。あれは木村の過去だ、年表だった。椿の愛好家が、自宅の落椿を見ただけで無数の枝の何処に咲いていたものかが分かるように、木村はソレを振り返っては思い出を振り返り、勇気を与えてもらっていた。それが疾景が見た、木村タツヤの執念の原因だ。

柳洞疾景の過ちとは、木村タツヤの椿の所在を暴かなかったこと。勝利への執念を、沢村と同等と侮った。

 

(5年間も粘った。

さらに5年間も待たせちまってるやつがいる)

 

全て落とせば勝てる? とんでもない。

この男には花が咲き誇っている。一輪や二輪の落花で潰える願いは背負っていない。落ちてからも想いが生き続ける新種の花だった。

まだ下に見ていたことに気づき、疾景は上を向く。そこには、枝分かれした幾つもの声援によって成長し、勇気で育った無数の椿が開花している。

 

(木村タツヤ、その椿は何処に咲いてる───)

(なにほうけてんだ、よっ)

 

まだ、目の前に木村は立っている。

そのことを忘れかけて、伸ばされた右拳の接近で意識を引き戻した疾景は、ガードで対応した。

死に体だが、まだ芯の残る威力だ。だが倒れはしない、なぜ閃光を打たなかった? 疑問が逡巡し、決着を惜しむなと叱咤する。椿の幻覚で後手に回ったが、疾景は今度こそ、迫りながら左ジャブの構えを見せる木村に、右の一撃を以って迎え打つ。

 

(────!?)

 

燕の脚。細くて黒い、止まり木で羽休めをするための、或いは求愛に用いるか細いソレを。疾景の目は刹那、狩りを敢行する鷹のツメと見違えた。

 

(ストッピング!?!?)

 

単調となったリズムの、ひだまりの様に優しい右の閃きを、燕の脚が受け止める。そして間髪入れずの右ストレートが直撃、苦労して搾り出した一撃の手応えで心気が回復する。

それを呼吸器官に回してあとひと息、残り時間1分を戦うために意識を繋ぎ止めた。

 

(それじゃあ、ねェ、だろ。

こい、や、寄越せ、神話の左───)

(ここまで相打ちが精々ってのに、挑発してまで挑むの? ………いいさ、どの道、相打ち我慢比べなら)

 

気の迷いではあったが、己を見失った訳ではない。沢村とのスパーでは、リズムを取るために何度も自分自身が実践したことだ。ボクサーとして越えたいものを理解しているがために、相手の誘いを受け入れた。

 

(さぁ、何処からでも来い。先手は貰うけど、ね)

 

王者としての誇りを持って。

木村タツヤの全霊を目撃して。

師を倒し世界へ行くために、神話の左ジャブが放たれた。

 

腫れた肉の下から覗く眼差しが、終ぞ苦しめられ自分の終わりを告げる神の言葉に、燕の羽ばたきで反論を開始する。

 

「────────っ」

 

1発目は勘で、確かな経験則から来る自信あるもので神話の左ジャブを躱した。

2発目は心で、狙い打ちたくなる場所を先んじて予測、これを回避した。

3発目は───木村が読めるのは、ここまで。

だから、ここを外した時点で終了。3分間、落下して地面に激突することすら出来ず、木村タツヤは空中で散り散りとなり、名前を残すことなく消え去るのみ。

だから肝心だ。

ここから先は、経験から間髪入れず、反射神経だけで決着まで駆け抜けろ。

3発目は燕で、次の回避は息が続かない。だから開き直って突っ込んでくることを分かっている疾景は、木村のボディ目掛けて左ジャブを打ち降ろす。

 

(そこねらわれたら、おれは終わる)

 

右にターンし、ボディを躱し様に左ジャブを疾景の左側頭部目掛けて放つ。当然だが、こんなものが当たる訳がない。身体を起こされて空振り、だが一手の猶予を手に入れた。相手の左右が放たれるにしろ、木村の左ジャブには急旋回する飛燕がある。

 

(だろうね。いいよ譲る、先に出して。

燕の旋回に被せて一方的に叩き落とすから)

 

そんなものは疾景だって百も承知。

次の旋回、フックかアッパー、どちらが来ても今度こそ完膚なきまでに両翼を失墜させる自信があった。

──いずれにせよ。思考と工夫を凝らし、神話と謳われる左拳を、10年使い古した左拳で上回ること。

木村が第2ラウンドで定めた上記の勝利条件を達成するため、この場を設けたことを知れば、疾景の自信はどう変わっていただろうか。なんて、余計な思考はリングに流して。

燕の翼は翻り、直上へと加速体勢に映った。

 

(きたっアッパー‼︎ これで打ち堕とす‼︎‼︎)

 

地球の引力に逆らい尚も天へと舞い上がろうとする生命体を拒むように、人には未踏であれと宣うように神は、その頭部を目掛けて渾身の左ジャブで神罰を告げる。

夢幻となって消えていく、飛燕から繰り出した渾身のアッパーへと目掛けて。

 

(フェイント、二連続っ────!?)

 

神罰は何も打ち堕とすことはなく。

燕の真横への旋回が神と驕る者の頬を打ち抜いた。

 

「ここに来て、飛燕の影を利用した…!!」

 

手首の返しを利用した左の二連撃…飛燕は、肩の捻りを利用することで相手の懐で2度目の旋回を実現した。

冒頭からは使えなかった。二連撃より一瞬遅く、全快の疾景相手にはとてもではないが通用しない。試合の終盤、読み合いが煮詰まって思考に時間を割く時間にのみ、この飛燕は片翼を損壊させながら敵機を打ち抜けるのだ。

その1発の被弾で、疾景は更に一手出遅れる。

フックを打つためにダッキングし、左ジャブを外させた木村の脚の位置を見逃していた。必殺技を打つに相応しい、最高の踏み込みが出来ることを。

間髪入れずに、外した神罰の直線上を通り道に見立てた右拳が駆け抜ける。

 

『ドラゴンフィッシュ・ブローが直撃ぃぃ!?! あの王者相手に当たると誰が思ったか!?! 挑戦者の計算された一撃が顔面ど真ん中を打ち抜いた!!!』

 

「はっ…! なんつー度胸だ」

 

左の差し合いでまんまと上を行き、これで左右の実力差が無いことを知った。その自覚が自信となり、あと少しを頑張れる。

見てみろ、王者は挑戦者の必殺技で吹き飛んで距離が空いた。この距離は今日、誰もが熱狂した新必殺技の射程距離に他ならない。

 

「相打ち!?!」

「疾景が打ち負けた!」

「最後のチャンス……!」

 

一同が見守る。

ここが勝負所と見定めた。

 

それは王者も同じで、危うく落ちかけた意識を、会場の引き締まった雰囲気を掴んで舞い戻ってきた。

ドラゴンフィッシュ・ブローをまともに受けて、仰け反った身体を無理やり起こしたとして。

果たして正確に頭を打ち抜けるだろうか。

打ち抜くとすれば、どのパンチ? ものによって頭の位置が変わる。空振りすると確実に……。

だが、確信がある。

 

(このきょり、なら……あのパンチ。スイッチした、あの必殺技だ…!)

 

疾景は、地面を擦る足先の感触だけで距離を測っていた。ならば次は、パンチ。当然、閃光だ。

そして位置。アレはドラゴンフィッシュ・ブローとは頭の位置が違う。腰を引き気味に右腕を打ち上げる重さと化した頭部とは違い、L字の右腕ごとスイッチして身体を前に突き出すジョルト寄りのパンチ。当然、頭が前に出ている。

自分の位置的に、閃光を合わせても腕が伸び切らない。威力は半減もいい所だ。だから、自分の位置を変える。また横に飛び、直線上から外れるか?

 

(おれなら、加味してふみこむ。

一度目の失敗を、活かして…!)

 

それをされたら、確実に速さ勝負で負ける。

狙うなら最短距離で、最大の一撃のみ。

身体を起こす手間を省くバックステップを、木村のスイッチ音に合わせて繰り出す。

逡巡、決断、そしてリングに鳴り響く靴底の鳴き声が、神経に命令を下した。

 

『王者バックステップ!?!?!

挑戦者の新必殺技を読んでの一手だーーー!』

 

両脚を半歩下げることで重心が手中に戻ってきた。上半身、下半身の軸を繋げ直し、準備は整った。

だが、その計算は勝算ではなく、願望という名の甘えであった。木村タツヤの右脚は、遥か遠く。

 

(踏み込んだのは、左脚────!?)

 

読み合いは神一重。

木村が最後に選んだのはスイッチではなく、ステップインだ。

 

(俺は、コレにすがって、勝ちたかった。間柴に届かなかったコイツは……あの日の俺(木村達也)だ。

どうしても最後は、どんなに弱い自分だったとしても、コイツをぶつけると決めてたんだ)

 

疾景の想い描く木村タツヤは強い。

……強過ぎたが故に見誤った。

半歩下がったそこは、木村が先読みして必殺技の最高打点を狙える位置となる。

 

(今の自分を信じてたら、5年前の二の舞、だったよ……。これは、俺が弱いから、とどいたパンチだ)

(間に───────あ、ぁ………)

 

竜の眼光を掻い潜り、眼前を通る横っ腹目掛けて、ドラゴンフィッシュ・ブローが中空に軌跡を残す。

天空から堕ちてきた2つの生命体は、竜の巨体を下敷きにした燕だけが木っ端微塵を回避した。横薙ぎに着陸した竜は地面を抉り、その意識が途切れた頃に勢いを無くした。

その距離、10年間を駆け抜けた河川敷よりも短く、しかして、今まで打ったどの拳よりも長い道のり。

 

「待た、せたな。木村…達也」

 

駆け寄る見物客に石を投げるように、沢村がタオルを投げ入れた。

同時に、木村タツヤが右拳を力無く掲げた。

 

『レフェリーがいま! 両手を交差しましたっ!』

 

高らかに、掠れた声で。

歓喜を、さけぼう。

 

「俺達の……勝ちだ」

 

10年間の全てに、報いる時が来たぞ、と。

 

 

 

 

 

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