鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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違法者は2人

幕之内との特訓を終えた間柴は、翌日の便で日本を発ち、30時間以上のフライトで様々な雑誌を読み漁り、一切の会話も無しにモザワン・ストック・ヤーズ空港に降り立った。

理由は幾つかある。バイクや車などの興味をそそられる雑誌が備え付けてあったことと、後で読もうと思いながらも練習の疲れから読む時間が取れなかったボクシング雑誌を大量に持ってきていたからだ。そのうちの何冊かには、間柴の眉が上がるものもあった。例えば、世界ライト級に関する一部分。

 

『アメリカ出身のとある元WBC・WBAライト級統一王者は現状について厳しい言葉を述べた。

「我が国の層が厚いライト級で、一年に渡って我が国の王者が居なかった時期を見つけるのは困難だ。

我が国のボクサーは決して弱くないんだよ。“破壊者”アイロン・カーント、“陸のアイオワ”ジョー・アームストロング。私の時代において彼らは当然の如く王者になっていただろう。

然しだ。WBCのイチロー、WBAのゲイル、そしてIBFのロザリオ。カウンター、パワー、そしてダーティの三拍子が君臨したこの三大王者に星条旗が突き刺さることはなかった。

なぜかねぇ。我々の確信を打ち砕く強さがあるんだろうけど。それが誰にも分からない。

思えば、イチロー・ミヤタの戴冠からライト級のアメリカ色は褪せていった。彼に挑戦する有望株は悉く返り討ち。こうなったらリボルブとの統一戦をしてもらいたいよ。如何は抜きにしても、あの2人の何方が強いのか、言い当てることは最も難しい。

私が思うに────」

様々な私見を述べ、世論を展開し、インタビューの最後にイチローについて語りかけた。

「異国での防衛戦を避けている可能性がある。調子が崩れるのを恐れているのは分かるが、それは我々とて同じだ。島国に引き篭もるのはやめて、そろそろ本場の舞台に揉まれて更なる成長を遂げてみてはどうか」』

 

これはロザリオが王座剥奪される前のもの。

一年が経ち、ロザリオは王座剥奪となりはしたものの、IBFライト級は空位のまま。じきに王座決定戦が行われるが、アメリカ人ボクサーは選ばれていない。

ボクシングの本場で大人気の階級で、自国のボクサーが王座に就けない日々を見守るというのは随分とフラストレーションが溜まるらしい。この、他国王者に苦言している陰湿な雑誌はこれだけではない。宮田、リボルブと、真っ向から受けて立つファイトは人気な一方で、少なくないアンチテーゼを生み出している。

 

(思っているよりも敵視されてる。戴冠後の宮田の防衛相手はアメリカ人ばかり。わざわざアメリカに出向いたのは、コッチの世論に応えるためか?)

 

アメリカのボクシングファンの間では、宮田の海外防衛戦が無いことを非難する声が多い。時差を恐れている、という風潮に雑誌が扇動したのが一因だ。

OPBFタイトル挑戦前の、海外での一年以上の武者修行は知らないと言わんばかり。そこを擁護する気は間柴には更々ない。むしろ、丁度良いとさえ、好都合だと捉えていた。

 

(時差というハンデ。生活環境の一変によるストレス負荷。そして銃社会という緊張感。どれも味わっておきたいと思ってた。これは使えると試合を組んでもらったが……)

 

リボルブに再挑戦するにあたり、アウェイの洗礼…環境の変化を体験することは必須事項。いきなりでも馴染める自信はあったが、それでは勝機が減ることも予見できた。

故にアメリカでの試合は間柴に好都合なのだが、まさか一緒の便だとは聞いてもいなかった。

ここで30時間以上も無言となった原因に話は戻る。

 

「すいません。下手すると試合後も続きます」

 

東邦会長は、異国の地に降り立った初めての感想を忘れて、快晴のなかタクシー乗り場でタクシーを待つ時間で、隣に立つ男へと小声で謝罪を述べた。

 

「どの道ですよ。我々は少なからず蟠りがある。来る前から話していた通りになっただけのこと」

 

やんわりと応えるのは宮田父。

不貞腐れた間柴の態度に苦悶する東邦会長に、まあまあと返す。その横で済ました顔で立つ宮田一郎は、小さくため息を吐いた。

宮田一郎、父、サブセコンドら3人。

間柴了、東邦会長、上記同じく3人。

当日のセミファイナルとメインイベントで試合する2人は、大人の事情もあって同じ便で移動し、同じホテルに滞在し、そして同じジムで残り1ヶ月を過ごすこととなる。その全てに間柴は腹を立てていた。

東邦会長は、このことを間柴に当日まで黙っていた。海外経験のない東邦にとって、同行してくれる同郷がいることは非常に有難い話だ。同時に、間柴と宮田の相性の悪さ、試合での反則の件から、同行することに拒絶することは想像に容易い。

 

「別に、言えばいいじゃねぇか」

「本当に悪かった! 全部手配してもらってたから、お前が別のに変えてくれと言い出した時のことを思うと言い出しにくくて…」

「…………………………」

 

あからさまな不満顔を向ける。

東邦は何度と説明して謝った。然し、東邦の懸念は説明さえあればなかったものだ。

間柴の精神性を見誤ったため、こうして30時間に及ぶ学習を義務づけている。そのやり取りを見飽きた宮田は、目を合わせようとしない間柴へと声を掛けた。

 

「なあ、間柴さんよ」

「あ?」

 

宮田父と東邦会長の気が引き締まる。

宮田はぶっきらぼうだ。態度にも出やすい。まかり違って聞き方を誤れば、内容に棘があれば、向こう1ヶ月は最悪のアウェイ練習となる。

 

「幕之内の調子は、どうだった」

「………………は。教えるかよ」

「いいよ。スパーで聞き出すまでさ」

 

だが、どれもこれも、杞憂に終わる。

2人の関係は良くないが、「かなり、誤解していましたね」「はい。本当にお騒がせを…」と反省する程度にはプロボクサーだった。

そうして一旦は怪しげな雰囲気も収まり、一行はタクシーに乗り、30分かけて宿泊場所へと向かった。

試合までの残り3週間はニューオーリンズ西部にあるボクシングジム、G-On(ゴーズオン)で練習を行う手筈だ。

 

「じーおん?」

「ゴーズオン。タイムゴーズオン(Time goes on)…時は待ってくれない、という言葉から後ろ二単語を選んだそうだ。

パートナーの条件…サウスポーかつインファイターに最も近いボクサーで、ニューオーリンズ近辺に居ることに合致したボクサーを紹介してくれた」

 

宮田の疑問符に父親が答える。

木村との練習、自分の練習で朝から夜まで忙しかったため、アメリカでの事は何も知らない。

行きのフライトでも殆どを寝て過ごしていた程だ。木村の手応えについて「勝つよ。だからぐっすり眠れた」と嬉しそうに話したあと、防衛相手の資料に目を通すことしかできていない。

 

滞在先も、ジムのことも、そして滞在する街についても、父親の語りを聞いて知る。

タクシーから降りて徒歩移動に切り替えた。目的地まで100メートル、街路樹の最中にあるとのこと。

 

ジャズが練り歩く街。

それが宮田のニューオーリンズへの所感だ。

歩けど進めど木々が立ち並ぶように路上演奏が開催され、途切れるのは道路と建物の出入り口のみ。そう思うほどに、相互を隔てたジャズで人々は呼吸と会話を繰り返す。

そんな街の一角に建つボクシングジムは、街の景観を損なわないため、通りに接する面には目立った看板を使わず、ジムの中が見えにくいように、然し換気を損なわないよう工夫を凝らしている。

知っていなければ、或いは景観に溶け込んだ看板を注意深く見なければ気づかないボクシングジム。それがG-On(ゴーズオン)、宮田と間柴が最後の調整を行うところだ。

なぜ彼らがひと目で隠れ家的なジムを探し当てられたか。答えは簡単だ。

 

「待っていたよ。俺はオーナーのウディ、コイツはWBAミドル級のチャンピオンベルトだ!」

 

間柴を優に超える身長の黒人男性が両手を振り、腰にチャンピオンベルトを巻いて、街の景観に逆らっているからである。宮田の眉がひそみながら近づく。

WBAの文字が刻まれたベルト。

まさしくミドル級の王者に相応しい輝きだ。

然しコイツは喋らない。ウディの腹筋が器用にベルトを押し上げて、お人形遊びのようにコチラに反応を促すのみ。巨漢がベルトと共に話しかける様子に気圧される一行。

 

「…………かわいいな」

「!?」

 

その先陣をきって、間柴が反応する。

ウディは健康的な白い歯をカッと見開き、初見で発するのは困難に等しい感想を言葉にした。

 

「お前、分かってるな。あとでベルトを巻くといい。かわいいからな。

ただぁ、ヒョロっこいのが残念だ。まずはウェルカムバーベキューで肉を付けろ! そんなんじゃあ試合で選手をサポート出来ないぞ!!」

「…………………あぁ」

 

それはウディが求めるものであり、心から思っている感情だった。ウディの感情を的確に見抜いたのか、本当にそう思っているのかを間柴が答える事はなかったという。

 

ジムの案内が済み、間柴がサポーターという誤解を解いたところで、本当にバーベキューが始まるとは思いもしていなかった。というか、既に準備が進んでいた為に、断ることが不可能だった。

 

「お前たち、減量あるから程々にな」

「……あぁ」

「分かってるよ、父さん」

 

ジムには屋上があり、そこで日差し避けのテントを張り、ジムメンバー十数名と宮田、間柴陣営によるウェルカムバーベキューが開催された。なし崩しとはいえ、減量を理由に口にしないのも失礼にあたる。それに、宮田と間柴は減量が僅かのため、今日一日程度なら融通が効く。ライト級だからこその栄養摂取でもあった。

豪快な肉塊から削ぎ落としたというのに、中まで味の染みた串肉に感銘している宮田の肩に黒人の手が置かれる。訝しみながら振り向くと、ウディとは違い視線が真横で合うことに今度は首を傾げた。

親しげに話しかけてくる彼は。

 

「ハイ、イチロー‼︎ ハジメマシテ」

「まさか、ジェイソン・尾妻か?」

「ワオ‼︎ 世界王者がボクを知ってるの、トテモ光栄‼︎ やっぱり、マクノウチの友達サスガだね」

 

特徴的な笑顔は雑誌で見たことがある。

何よりも、幕之内一歩と激闘を繰り広げた黒人ボクサーだ。宮田が知らない筈がなかった。ただ、宮田が驚いているのは、ここで出会ったことだ。

 

「ボク、ここに所属してるプロボクサー。

アメリカでもボクシング続けたくて、友達のツテでG-On(ゴーズオン)来タ。マクノウチのライバル2人も来てくれて、とても嬉シイ!」

 

奇妙な偶然もあるものだ、と縁に感謝しつつ握手を交わす。そして宮田は、オズマがスパーリング相手であることを察し、会話の合間を見つけて問いかけた。

 

「右利きじゃなかったっけ」

「ウン。日本では、そうだった。アメリカ戻っても、暫くは。ケド、ヴォルグに負けて、ボクは自分の強み活かすため、ファイトスタイル見つめ直してる。

サウスポー、そんなに苦じゃなかった。フック主軸だから! そして、ウディの教えジョーズね」

 

案の定、オズマが宮田と間柴、2人の相手を主に務めつつ、他の所属プロボクサーがオズマの休憩中の相手になる手筈だ。宮田の防衛相手はフックとボディに秀でたボクサーだ、宮田にとっては申し分ないパートナーとなるだろう。

 

「成り立てだと? 練習になるのか?」

 

然し、間柴は別だ。

後ろで聞き耳を立てていた間柴が割り込んでくる。サウスポー対策の最終調整を行うと聞いていた間柴には、サウスポー成り立てのオズマは世界ランカー未満…二流ボクサーに見えるだろう。

疑念を払拭するのはウディとベルトだった。

 

「オズマは強いぞ! ジュニア・ライトのWBC4位・WBA2位だ。実力は俺のベルトが保証する」

 

お前のかよ、という言葉を飲み込み、東邦に視線を送る。オズマの実力を疑ってのことだ。

 

「使えると思ったら、容赦なく()()()()()()。…って話は、通してるんだったな」

「あぁ。だが明日からにしてくれ」

「早く確かめねえと、替えを探す時間がいる」

「この雰囲気のあとにスパーは無理だって」

「…………………」

 

手元の肉に齧り付きながら、間柴がそれ以上の追求をすることはなかった。

以降、オズマから幕之内に関する質問攻めにされた間柴は機嫌を悪くしながら長々と愚痴を吐き、宮田は澄まし顔で長々と世界挑戦の姿を語り尽くした。

彼らのライバル関係に感激したジムメンバーからは後日、熱烈なウェルカムスパーリングを申し込まれ、世界ランカー相手に連続スパーを行うことになるが、これを気に入った2人による強制スパーリング時間が勃発。

その些細を詳らかにするには淡々とした内容のため省くが、ひと月の成果だけを記す。

 

万事万端、あとは試合に臨むのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルイジアナ州ニューオーリンズ近隣を訪れる者の目につく豪奢なホテルのワンフロアにて、明日夕暮れ、シーザーズ・スーパードームで開幕する世界戦の記者会見が開かれる。

開始予定時刻になり、諸々の挨拶が進むなか、記者のうちの1人が首を傾げて仲間記者に小声で問いかけた。

 

「エディーは?」

「帰ったとさ。今回も調整バッチリだよ」

「ははっまたかぁ仕方ないな」

 

記者会見前の帰宅。調整バッチリ。

相反する2つの言葉に疑問は抱かず、すんなりと受け入れた。異様なことに見えるやり取りは、たった1人のボクサーだけに適用されるものである。

 

エディー・エイケン。

ルイジアナ州出身、WBCライト級1位、そしてロザリオに匹敵するインファイトセンスの持ち主である。身長166cmと小柄ながら、強靭な肉体から繰り出すパンチで相手のボディを轢き潰す試合が大人気だ。

数々の暴力事件を起こし、その中には身長200cmに迫る大男を殴り倒したことが警察からの発表で明らかとなった。気性の荒い人間だが、そこを見込んだ現トレーナーにスカウトされ、あっという間に世界戦に辿り着いた。

試合前日の記者会見に姿を現さないのは、最初の試合のインタビュー時に相手ボクサーに殴りかかったことが原因だ。幸いにも未遂に終わり、試合も行われたが、以降、エディーの暴力性が収まらないと判断した場合はジムで過ごさせるとトレーナーから方針が発表されている。

齢22歳、最凶の挑戦者はプロボクサーでありながら、プロを名乗る暴力装置として恐れられている。それが宮田一郎のアメリカ初の防衛相手───。

 

「ッオメェが試合受けねぇから調子狂ったんだ‼︎

オレを歪ませた張本人がノコノコ現れるとあっちゃあ、なにも言わずに帰るわけないよな‼︎」

 

突如、語気に怒りを流し込んで立ち上がるロザリオにより、会場の雰囲気が胃の奥から絞まる。

退屈な冒頭のやり取りを流し聞きしていた記者は、怪訝な顔を隠しながら壇場に視線を向けた。

左隅には日本の復帰戦に臨む間柴了、中央寄りにはメインを飾る宮田一郎。その隣は空席で、右隅にロザリオ・マーカス。トレーナーを挟みつつ、ロザリオは指を刺して宮田へと食ってかかっていた。理由は会場の誰もが知っている。

〈他の団体からの王座統一戦を断り、今もその座を死守し続けている〉と10話末尾にあるように。

宮田に対するロザリオの怒りの所在は、宮田のWBCライト級戴冠後から始まっていたのだから。

 

「体重超過でタイトル剥奪された世界王者の恥晒しが、対戦相手をほったらかしにしてなんの用だ」

「心当たりが無いのか!」

「どれのことだ。多過ぎて困る」

「人様の挑戦を拒否っといて、どうして悠長でいられるんだ。なぜエディーを選んだ」

 

ロザリオの怒りに常識的な返事をするのであれば、宮田は『日本がIBFに加盟出来ないから』で済む。

日本がIBFに加盟したのは2000年以降。故に統一戦は成り立たない。だが、ロザリオ陣営もそこは承知しており、最初に断られて以降の要望は『ロザリオが王座返還し、タイトルマッチの費用を全額負担する』から挑戦を認めろ、になった。

ここまで融通を利かせるロザリオ陣営に対して、宮田陣営が頷かない理由は?

 

「2人とも強力なインファイター。悩んだけど、決め手はよりプロボクサーは何方か、それだけさ」

 

腕を組んだ宮田は、淡々と答える。

明らかに真意ではない答えで。

手元に銃があれば、引き金に人差し指を置いて脅す気概のロザリオは。向っ腹の立つがままに、宮田の奥で無言を貫く明日の試合相手を見て吐き捨てた。

 

「反則負けしたクズに負けたクセして。

世界王者(チャンプ)の反則打に恐れを為したってわけだ」

「───────────」

 

つまりは逃げだ、と決めつける。

小馬鹿な音程は綴る者にとって書きやすい。返答次第では、宮田のことをこき下ろす記事がボクシング界から世に解き放たれる。乗るか逃げるか、世界王者の口角は上がり。

 

「自信があるのか」

「あ?」

「俺に勝つ自信が」

「ああ!! 調整不足でも有り余る勝機がな!」

 

待っていた言葉を捉えたのは、果たしてどちらか。高らかな快勝宣言に対し、雷光の如き眼差しで。

 

「運が良いよ、アンタ。次の試合はまだ決まっていない。五体満足でリングを降りれたなら、アンタのホームでやろうじゃないか」

「一郎っ」

 

父親を抑えながらの約束は、雷神の異名を担保に交わされた。言い逃れやうのない場で、呆気ない決定とお粗末な内容に、悪童は嘲笑混じりに叫ぶ。

 

「ジャパニーズを踏み台にタイトル挑戦権を手にできる! イカれてんな、オメー。同胞を売ってオレを確かめようってか。自分の負けたボクサーだからか?!

最近の世界進出といい、ジャポンは恐ろしい国だ。世界が白旗に染まる前にオレが一掃してやるよ!」

 

宮田は返す言葉がなかった。

完全に茶番である。

ロザリオは初めから、この会見の着地点をこうすると決めていた。この約束が成立してしまえば記事に『仲間を生贄にして悪童を観察した』『身勝手な約束で日本の死神は調子を狂わされた』『世界王者の権力氾濫! 安い口車に乗せられる器がどこまで通じるのか』などと書かれるに違いない。

その重圧は、敵地において非常に有効だ。

文字が読めずとも雰囲気が伝わる。日本人ならば特に、人々の感情を敏感に感じ取れるだろう?

 

「困ったことに、こっちの死神はタフでね。

アンタを誰かさんに見立てて、今後の為に実力を見定めようと思ったんだ」

「………ぁ?」

 

ロザリオ、そして集まった記者は思考が一時停止する。敵地で、仲間に圧力を掛ける発言をした筈なのに、次のことを見据えるのは誰と言ったのか。

無論、間柴との試合を見据えて、ロザリオは死に物狂いで戦って耐えてもらい、存分に間柴の実力を引き出してくれ。俺に間近で間柴了を観察させろ、と。そう遠回しに言ったのだ。

 

「……おい、どういう意味だ」

「長尺は嫌いだ。ほら、漸く喋ったんだ。記者の皆さん、こっちにも話を振ってあげてくれ」

 

一見すれば病から立ち直った容貌の眼差しが世界王者に注がれる。後で話すよ、とでも語る横顔で無視をする態度は、反則に対する抗議のものに他ならない。

9年遅れの声に舌打ちで手打ちとし、直後に翻訳家からの質問に耳を傾けた。

 

『リョウ。ロザリオ選手のことを知った上で試合を決めたのですか? 反則打を平然と行う彼と、反則負けをした過去のあるリョウ。2人の相性は最高に最悪だ。

悪童に呼応して、リングを穢すことを我々は恐れている。プロボクサーとしての自覚は持っているか』

 

失礼の限度を超えていた。

記者の質問は何かと理由を付けて、間柴が反則することを決めつけている。OPBF王者となってからの間柴のことは見ていない。悪意のある記者に東邦会長が怒り代弁しようとしたところを遮り、その風貌で笑い返した。

 

「相手の脚を躊躇なく踏んでも、審判が止めなきゃソレはボクシング。パンチと同じ。

反則は悪だが、通せば技術だ」

 

記者は凍りつく。

ロザリオは嬉しそうに笑う。

これで切り取りやすいだろう?と言わんばかりに一拍置いてから、こう付け加えた。

 

「反則なんてその程度だ。俺にはもう、不要だ」

 

今の自分に宣誓を。

明日の自分に警鐘を。

かつての自分に嘲笑を。

 

ロザリオに対して意味はない。

牽制の価値など微塵もない。

隙を与え、己を縛る言葉。

 

「化け物に戻してやるよ。これで公平だ」

 

間柴は立ち上がり、ロザリオの前に立つ。

もう話すことはないと右手を差し出した。

 

(左手か…)

 

それに対してロザリオは左手を出す。

ロザリオはサウスポーだ。うっかり、いつものように利き手を差し出した?

違うと断言する。ロザリオが防衛戦をするとき、オーソドックスの防衛相手との握手では右手を差し出した。これはワザと左手を差し出したのだ。マナーに欠く行為だと知っておきながら。

 

「もう戻れない。プロボクサーだからな」

 

何も、返すことはしなかった。

踵を返し、立ち去る。手と手を交わすのは明日に延期だ。社会の剥がれ者たちが尽くす礼儀は、リングの中で戦うこと。

退屈そうにするロザリオを後ろに、宮田もあとに続く。これでひと波乱あった記者会見は幕を閉じる。翌朝に出回る記事など、ここに書くまでもない。宮田陣営、間柴陣営に対するネガキャンが半分だ。

 

 

 

 

 

───

 

──

 

 

 

 

 

 

お互い、謝罪の言葉は不要だった。

宮田に行った間柴の反則は傷として残り続けるし、それを精算することは出来ない。

ロザリオをダシに間柴の現在(いま)の実力を測る行為は、罪人相手でも乗せて良い口実にはならない。

 

「少しはやられる側の気持ち、分かったか」

 

宮田のアレは思いつきの奇策だった。

東日本新人王準決勝、間柴の反則は咄嗟に出たことだ。

明確な意図はない。流れのまま飛び出した行動が、2人の間で出力方法が違っただけのこと。

 

「明日の不意打ちは、もっと酷いだろうぜ」

「………………余計な」

 

だからその言葉にも深い意味はなかった。

戒めるような仲ではないし、嫌味を言うほど見下してもいない。これは感想だ、原動力にもならない会話。それでも、仲間意識はないが、目的は合致している。

 

「明日はラフファイターばかりで嫌になるが、うち2人は負ける。少しはリングが整うな」

「テメー、驕ってんのか」

「自信と言ってくれ。

同じ輩に負けたら、あの黒星(きょうくん)を活かせない三流になっちまう」

 

明日はお互いに、過去を振り返る時間だ。

将来を見据えた試合以上、憂さを晴らす未満。

 

「……つくづく腹の立つヤロウだ」

 

最悪な気分を忘れずに持ち帰る。

最悪な関係ながら会話が成り立つ、無視の出来ない関係が続く限り。この地で目的を果たさずに散ることは魂から拒絶出来る、そう信じて。

 

 

 

 

 

 





なんというか、その、ふふ。
私の癖なんですけど。ライバルが場外で戦った相手の名前や異名が、日常会話中に混ざっているものが大好きでして。分かる方いませんか、幣作では時々やってます。
これからもやります、現場からは以上です。


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