鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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断罪の花冠

 

マーカス・ロザリオに怒り心頭になる権利が自分にあるのか。

立ち止まって最初に思い浮かんだことだ。

ダウン中の沢村竜平を追撃し、1年間の試合出場停止処分を受けた。あの時の報いが続いているのか。それとも宮田一郎から勝利を奪った踏みつけのツケを払い足りなかったか。

青年期の頃のように、あの過ちが延々と。プロボクサーである限り付き纏うのかもしれない。

それを考えながら間柴は、自陣とは真反対に足を向け、悠々と休みに帰る男の後を追いかける。

 

「…はは、見ろよビン。なにか言ってやろうと思ってるつもりだぜ、あいつ」

「煽るんじゃない、やり過ぎなんだお前たちは。手を出すなよ、煽るな。私が宥めてく──「やめろ怪我するぜ。いいから下がるんだよ!」おいロザリオ!」

 

嗤うロザリオ、焦るセコンド…ビン。

彼らの前に立ち、結論付ける。

間柴了の悪行をどれだけ責めようが、ボクシングに対する冒涜を犯していい理由にはならないのだ。

 

「なあ、言うだけで終われるか? そのつもりだろうけど、ヤバい顔だぜ。誰か殺した?」

「───────────おい」

「英語で喋れよ、ファッキンジャップ」

 

パチン、と。

頬を撫でる程度の裏拳。

何もダメージはない煽りに。

 

「────……………ゴングなんざ」

 

これは、ダメだ。ブレーキを上回る加速装置を搭載してしまっている。欠陥だ、設計ミスだ、言い訳だ。

過去の出来事は変えられない。だから、これから生きる先々で善く在り、良きボクシングをしていく。

常人には当たり前の改心、反省の仕方をやってきたつもりだった。事実、周囲には認められている。

分かっている、ここで声を荒げても目の前のクズが変わらないことを。だが、言語の壁を越えて行われる交流…公式戦で公平さを取り払われて、何も叱責をせずに受け入れろと? それを逆手に取る相手の最も悪辣なものを浴びせられ続けて、ボクシングを穢されることを非難する資格が間柴了には無いと言うのか?

 

そうだ。

それは否定しない。

だが、弾ずるのは俺だ。

同類、同族のお前じゃない。

だからこの手を、前に伸ばして。

 

「行くのはお前じゃない」

「────────………」

 

────伸びたグローブを掴んだ東邦が、間柴を背に割り込んだ。

 

「おい貴様ら」

 

そして、ロザリオの胸に人差し指を突き立てて。

ありったけの声量で、間柴に叱る以上の語気を注いだ。

 

「間柴は俺が許した。たっぷり説教して、迷惑かけた先々に謝りに行って、今も自分を責めるコイツを俺たちは許したんだ! 断罪してます面でボクシングを、俺のボクサーをバカにするんじゃない!

間柴が勝ったあとで抗議する。ここで謝罪は受け入れない。国を跨いで頭下げに来い!!」

「…それは構わないが」

 

間柴の信頼を守るため、東邦の怒りが爆発した。だからロザリオは嗤い、このリングの信頼を無くした男を哀れんだ。

 

「レフェリーがなんて言うかなぁ」

「……なっ」

 

間柴は息を呑んだ。

レフェリーはセコンドに対して、試合の進行を妨げると判断できる場合、試合から排除することができる。稀に起きる事態だ、そもそも東邦は抗議のために声を上げたに過ぎない。だが、ここでは普通のことが通用しない。

ニヤけ面を見せるレフェリーが東邦の肩を叩き、それに見向きもしない東邦は間柴に視線を送る。まるで、サヨナラを告げるように。

 

「間柴、言いたいことは言った。あとは大丈夫だ」

「────────必ず」

 

レフェリーの手が東邦を指差し、そして「間柴陣営のチーフセコンドを」ボクサーから帰る場所を奪う宣告が行われる直前。パァン、リングから近い所からの甲高い音を皮切りに、時間を追うごとにその音は会場全域に伝播していった。

 

「なんだ、これは?」

 

レフェリーの戸惑いに、間柴や東邦も周りを見渡す。最初の音が鳴ったところを見ると、間柴と同じくらいの身長のアメリカ人がいて。腰に輝くチャンピオンベルトを見せつけるため、両腕を高く掲げながら尚も両手を叩き続けている。

 

「日本語は分からない。我々には言葉の壁がある。だから同じリングに立ち、同じルールの基で試合を行い、世界最強の証を求めるんだ」

 

G-Onのオーナー、ウディが居て、甲高い音の正体は拍手だった。ウディの拍手から、やや後方に立って同じく拍手をしているオズマ、G-Onの一同。彼らの意図を汲み取った観客たちが立ち上がり、リング中央へと拍手喝采を捧げていった。

 

「トーホウの熱意は受け取った。正しいに違いない。だから私は異国の友へ拍手を贈る!

自分のボクサー守る漢が邪魔者なわけない!

そうだろう我がベルト!! 我が友たちよ!!!」

 

会場が沸く。

シーザーズ・スーパードームを揺らす。

これがボクシングファンによる満場一致。

 

「…なんて言った」

「分からないが、分かるだろ」

 

気の抜けた呟きに東邦は笑って返した。

自分では、過去の出来事を振り切ることは難しい。それでも過去を自省し、囚われまいと前に進む姿を見ている人間がいる。東邦然り、ウディ然し、何処かで誰かに見られるボクシングという世界で、いまを見て間柴を肯定する者も大勢いる。

 

「…早くコーナーに戻れ。インターバルが終わる」

「チッ。正義ぶりやがって」

 

だから、やり直せる。

こうして、悪意を挫くことができる。

立ち直る者の道を切り拓いてあげられる。

 

自陣に戻りながら、東邦と間柴はウディらにお辞儀を返した。その謝意にウディやオズマはグッドポーズで応える。会場中の声援に包まれながら戻る東邦は謝罪を口にした。

 

「すまん、やり過ぎたよ」

「…いい。代わりに見せつけてやるよ、こんな真似したヤツがどんな末路を辿るかを、な」

 

悪を実行してきた男は、悪を損なった者の惨めさをよく知っている。

ロザリオの拳が本物の強さを秘めていることを間柴は見抜いていた。リボルブと遜色のない輝きを宿している。だが、所有者が真に価値を見出していないことを、さっきのやり取りで確信した。

 

「間柴…」

「反則しねえぞ。利用させてもらうがな」

 

闇に堕ちてから光り輝いていることに気づいたせいだろう。ロザリオの過去を間柴は知らないが、堕ちた者同士、通じ合うものがある。

 

「俺の黒星は、夜空で一番星よりも目立つ凶星。易々と増やせるものじゃないんだ」

 

それを今日、次のラウンドで教える。

罪は罪で裁けない。罪を背負い、不公平の席に一生座り、その席で未来を勝ち取ることだけが、自分たちに許された権利であるのだと、高らかに叫ぶために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

試合に勝利する条件は?

そう問われたボクサーは、判定勝ちとノックアウトを挙げる。大部分を占める試合の勝利条件であり、ボクサーとファンはこれが公正な判断力の元に下されることを疑わない。

 

では、間柴了が置かれた現状では?

ロザリオのダウンに対してスリップを宣告。即ちノックアウトの一方的な没収。

判定勝ち、4ラウンドごとに発表されるオープン・スコアリング・システムは取り入れられていなため現状のポイントの行方を知る由はない。だが間柴は、1ラウンド目のインターバルで判定になればロザリオの勝利に偏ることを確信している。

更に、間柴自身のダウン。これは即刻レフェリーストップとなり、T.K.Oとして処理される。なぜ言い切れるかって? ラウンドを重ねればロザリオが敗戦濃厚なことをレフェリーは見抜いているからだ。

 

お分かりだろう。ごく当たり前の勝利条件は間柴了から取り払われてしまったのだ。

 

普通の状況であれば、10カウントの宣告による勝利で済む。それを立ち上がれなくなるまで殴れば良い? 言うは易し、である。どの試合もK.O勝利にはならない。それを悪意は知っている。

 

用意されるのは退路ばかり。

早く堕ちてしまえと手を伸ばす。

奈落への道だけは一瞬で辿り着く。

 

(長いね、確かに。鋭く振り回して、ちょっと噛み合えば蟻地獄みたく相手を嵌めるんだろう)

 

判決を急かすように、ロザリオは大きく身体をぶらして突撃する。コーナーから飛び出して、リング中央より手前で迎撃…フリッカーを放つ間柴。

結局、この試合でロザリオがフリッカーを完璧に見切ることはなかった。仮に練習を重ねていたとしても難しい、と本人は評するほどに世界レベルに達したフリッカーを、再三身体を切り裂かれながら突破した。

 

(そうやって反撃の機会に繋げるわけか。

誰かに教わった戦法だろ。ミス待ちなんて消極的、クズの中でも下の下。

俺たちは孤独だ。他人を頼りに更生した気になったらなあ、悪の矜持を捨てた腑抜けでしかない!)

 

手応えあり。

いま弾いたフリッカーの数々は段々と威力が落ちていった。左腕の二の腕に肘を突き刺し、頭突きから頭部を守るために前腕部でロザリオの頭部を受け止めた。そのお陰で左腕の腫れは明らかだ。痛みが強くてパフォーマンスが落ちてきている。

この機を待っていた。

弱り始めた相手を好き勝手に殴れる、この場面を。

 

(ベルト巻いて挽回も出来ないクズのいっちょあがりだ。平凡に戻れず、クズにも戻れない半端者になって、人生最底辺で泥水啜ってよお! クズの靴の裏を拝みながら寝床で泣くんだ。立ち戻ろうとした半端者に相応しい末路を辿って───)

 

ステップインからボディストレート、これをガードした間柴の左腕は赤く腫れていて。堪らずバックステップで距離を置こうとしたところに、先んじて踏み込んでいった。突き放そうとした間柴はロープに引っ掛かり、退路が消え去った。

 

(Die this way(そーやって死んでけ)!!!)

 

悪童の嗤いが響き渡るリングで、マトモに打ち合ってはならない。2ラウンドまでの焼き直し以上の悪意に襲われる。

ここからはマーカス・ロザリオの独壇場。悪意の再出発点にして、日本人ボクサーが世界から拒絶される序章に名を残すだろう。

ガードを固めて、耐え忍ぶことを余儀なくされる。そんな最悪の始まりの幕をグローブで開け放ち、間柴の昏い顔がロザリオに問いかける。

 

「よお、同類。前ばっか見てて良いのか」

「……?!」

 

ロープで背中を支え、軸足から身体を回す。

そうすればロザリオの身体は虚無に向かって突撃し、間柴と入れ替えでロープを背負うハメとなった。

 

「たまには振り返ってみろよ。

案外と外の景色は悪くないもんだぜ」

「グぁ!?!?!」

 

日本の終幕の序章に名を残すのはマーカス・ロザリオで相応しかった。だが、間柴了を選んだことだけは間違いだ。2人を掛け合わせようとした誰かは見る目が腐っていた。

 

「このっ、ヤロウ!!」

 

それを証明する右の一撃がロザリオを直撃する。

終幕の狼煙にしようとしたボクサーは、そんな事の為に煙を立てるほど行儀が良くない。

ロザリオの悪意が呼び水となり、いずれ間柴は爆発していた。いま爆発している感情は、間柴を正しく導いてきた者達の篝火。時に愛情と呼び、団欒の声を届け、間柴の背中を支え続けて、何れ返さんとする人間の摂理。

 

「オチオチ背中丸めてらんねえからよ」

 

相手を想い、想われ、長い年月を経ることで立ち戻れる悪がある。

心が腐って世界を睨みつけていた頃よりも、背筋を叩かれ続けて伸ばした身長から見る世界は、たった数センチの差なのに、間柴了を変えるには十分すぎた。

だから、決して負けるわけにはいかない。

卑劣なボクシングを肯定する訳にはいかない。

他ならぬ自分がそれを言うのか、と問われれば。迷わず肯定し、胸を張る。

同じ過ちを目の前で犯させる訳にはいかない。

何よりも、マーカス・ロザリオを許すために、ここで打ち果たす他に道はないのだ。

 

「────ァァ、が…!?」

 

お前も立ち上がってみろ。

そう想いを込めてニュートラルコーナーに戻っていく間柴の背後では、うつ伏せになり膝を着く悪童。

 

『マーカス・ロザリオがリングに膝をついてもがき苦しんでいる!!!』

 

右のカウンターで沈んだボクサーにレフェリーが駆け寄る。今度は言い訳のしようがない右の二連撃、一同が固唾を飲んで見守るなか、告げられたのは。

 

『だ、ダウン!! ダウンを取った!!!』

 

ダウンの宣告を聞き、忌々しそうにレフェリーを見上げるロザリオ。誤魔化さないのかと言いたげな眼差しは、カウントが進むごとに消え失せた。4つ数えるまでにロザリオは膝から立ち上がり、5つ目で息を整える。6つ目で時間は12秒を過ぎていた。

 

「スローカウントか。色々やっちまった手前、レフェリーも後に退けないらしい」

「やるかもとは思ってましたが、あからさますぎて呆れを通り越しますよ」

「レフェリーはミスったぜ」

「木村さん、どういうことですか」

「間柴を見ろ。最後のひと息を整えた。時間も確認してる。ロザリオの調子と自分を照らし合わせたぞ」

「流石だ、こう来るって分かってたんだ!」

「もう間柴のペースを乱すのは無理だな」

 

レフェリーはクイックカウントで早急にロザリオを立たせるべきだった。それが最後の最後に犯したミス。間柴のペースを少しだけ狂わせる可能性のあった一手を手放した直後、間柴はたっぷりと溜め込んだ体力を決着に向けて放出し始めた。

 

(お陰で立てたが、くそっ2分もある。

絶対に逃さないだろうな。俺でもそうする、逃げる余力もない。…カウンターだ。一発逆転を狙──)

 

全速力で迫る死神を迎え討つため、脚に力を込めようとしたロザリオは、前に進む意思を感じない膝下に疑問を抱いた。

 

(なにか、違和感が…)

 

戦いに赴こうと躍起になる悪の脚に、ツタのようなモノが絡み付いている。リングの上でのあり得ない現象に目を剥いて、よくよく目を凝らしてみれば。

「なぜ正々堂々している。」「奪った相手を忘れたのか」「公平なんてあり得ない」「俺は奪われた。」「だから取り返す必要がある。」「そうだろう、なあ」

脚に冷たく冷え切った手が伸びて。地面に打ち捨てられた口が過去を掘り起こし。グローブを着けて戦う愚者と蔑み、マーカス・ロザリオに精算を求めて迫ってきた。

 

(な…! ンだよ、これっ!?!

どうして、これ、は、俺の手ぇ!?)

 

若くして組織の幹部候補となったロザリオは、それを妬ましく思った組織の何者かによって謀られた。

組織を売った裏切り者として捨てられ、惨めで屈辱的な日々を過ごしてきた。思い上がっていた自分を責めて、自分を許せず、前を向けずに今日ここまで来た、来てしまった。

だからロザリオは知らなかった、リングの上では強かったから知る事が出来なかった。練習不足が祟り、ダウンすることで惨めな自分に襲われて、過去の自分が足を引っ張りに来る、未知の現象を。

 

(ど、どうするんだ! 邪魔なのに振り払えねえ! なにすりゃ、退けられんだよコレぁ!!)

 

変わろうとしている者に対する過去の己の嫉妬。未熟故にそんなものも振り払えない。だが、困惑して目の前のボクサーをおざなりにするのは間違っている。

過去の精算をしてこなかった男へと、その全てを終えた男が一撃を浴びせた。

 

「ぐあ!?」

「前向け。礼儀知らず」

 

間柴はこの試合を通して、つくづく思う。

ロザリオは才能の活かし方を間違えた、と。

速攻性のある拳とそれに反則打を被せる技術力。2つのセンスを持っていたのが不味かった。

ロザリオの技術力を認めたレフェリーが反則打を通し、ロザリオに選択肢を与えてしまった。手札が増したロザリオは浮かれて、過去どの試合よりも自由にボクシングを楽しんでいた。複雑化させた過程のせいで、自力だけで間柴を上回る実力差があったというのに、手札をろくに使い熟せなかった。

即ち、間柴に対して勝機を与えたのだ。

 

(ヤロウ以上に手強い重戦車を倒すのに、テメェは練習台としちゃ丁度良かったよ。

だが、これで分かった。俺もまだまだってな)

 

左ボディを叩き込みながら、宮田がロザリオの誘いに乗らなかった理由は、実力不足などではないことを確信する。

他の団体からの王座統一戦を断り、その座を死守し続けているのは、ロザリオ本来のインファイトセンスが濁っているせいだ。世界王者となってから、より練習を怠るようになったロザリオが全盛期から一段落ちていることを宮田は見破っていた。リングの上で殴り合って漸く確信した間柴とは違い、ビデオを観て、戦いたいロザリオとのズレに落胆したのだ。

「確かに」と間柴も同意する。この程度なら、幕之内を想定した練習相手には遠く及ばない。

強姦魔のことを思い出させやがって…!と向っ腹が立ち、その怒りを拳に乗せて上下左右から、膝下まで自分自身に浸かったボクサーへとパンチを浴びせていく。

 

(何してるレフェリー! さっさとスタンディングダウン取ってこいつ剥がしやがれ!)

(くそっ止められない。早く倒れ込めよロザリオ、じゃなきゃ割り込めないだろうが!)

 

一撃ごとに後退し、みっともなくガードで耐えて、瞬く間にロープを背負わされた。

それでも止まらない慈悲と救いを拒み、悪魔に救いを求めたが、いつまで経っても悪魔は割り込まない。

 

「だろうな」

「だろうなって、鷹村さん分かるんですか」

「なんでレフェリーはスタンディングダウン取らないんだ!?」

「取れないんだよ、アレは。ほぼ決着してるようなもんだ。止めて時間稼ぎするにしても残り2分、凌げるはずがない。WBAルールだ、3回目のダウンで自動的に負ける。

それを分かったうえで、ここまで反則スルーしてきた奴さんができるもんかね」

「そうか!! だからロープにロザリオ貼り付けてタコ殴り! WBAルールを人質にして黙らせたのか」

「でも止めないと、ロザリオが…」

「見殺しにされるな。それでもレフェリーが止めないとありゃ、残るは」

 

と鷹村が言葉を切った。

テレビの向こうでは、死力を尽くして反撃するロザリオを、カウンターでロープに叩き返す間柴の姿が。

 

「──────こ、の」

 

ついに、悪童の膝が崩れ始めた。

口の端から血を滲ませて、無敗を手放したくないと右腕をロープに引っ掛ける。起死回生の一撃を探して間柴を睨む。せめて近づけ、トドメを差しに来る瞬間、勝利を確信した時が逆転する最後の機会だと嘲笑いながら。

 

(いつかリベンジに来い)

 

そして、決着への一本道へ。

過ちを犯した者へ、道を戻るための方法を教えんと。ロザリオの思惑が待つ射程距離へ。

 

「………………んだよ、ソレ」

 

踏み込むことはしなかった。

その手前。死に体のロザリオの足が届かない位置に左脚を設置し、右拳は後ろに振りかぶる。

 

間柴了が最後に選ぶ拳は、右のアッパー。

チョッピングライトを選べばダッキングから足踏みを許す可能性がある。そこでアッパーを選択するが、仰け反ったロザリオに届かせるにはやや遠く、ロングアッパーで捻り出せる威力は決着には程遠い。なぜ間柴は、そんなアッパーを選ぶのか。

 

「……そん、なの、」

 

必要なのだ。土壇場で出す拳が、出さざるを得ない頼りないパンチになろうとも、世界の頂点を打破するに足る確証が。そのために幕之内にも秘密裏に練習していた、縦と横、それぞれの高火力武器の試し打ちとして、縦の武器を取り出した。

肩の高さから遠心力を生み出し、間反対の相手の顎目掛けて、引き絞った拳を解き放つ。

 

「ふこう、へい…」

 

通常の10倍以上の加速距離から、しなやかで長い間柴の右腕を伴って着弾した右拳は、ロザリオのガードを軽々と突き破って顎を打ち抜いた。カクンとロープの向こうに項垂れた顔に、意識は宿っていない。

 

(一度、どぎつい罰を受けるべきだった。

殴りの才能がなまじあるだけに、テメェは利益の手先に甘やかされてんだ)

 

ごろんとロープでバウンドしてリングに転がり、うつ伏せで着地した瞬間、会場中で喝采が響き渡る。

 

「悪も正義も、何方でも良い。残虐なまでの強さだけを受け入れる。それが世界の頂点だが」

 

レフェリーは迷い、駆け寄ろうとした。その脇を抜けてロザリオに駆け寄るセコンド、ビンの介入を見て、渋々と両手を交差する。

時代の犠牲者へと、ゴングが鳴り響く。

誰かに夢を預けられなかった、雨ざらしの悪童へ。

 

「過程を軽視した強さなんざ、そんなもんだ」

 

泥だらけの栄誉なら積み上げられる。

悪だった者にも、誇りを取り戻すことが許されているのだ。

かつての自分へ、今日を胸に刻めと拳で伝える。

 

 

 

 

 

間柴 了

 

6ラウンド1分15秒

 

K.O勝利

 

 

 

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