もしも。つまりは、IF。
ある出来事に対して、別の行動を選んだ場合、未来はどう変化していただろう? 過去を振り返り、起きなかった平行世界の現在を思い描く行為のこと。
思い描く方法は様々だ。
紙に書く、これは安価でひとりから楽しめる。
キャンバスに描く、絵心があれば筆は止まらない。
誰かと語り合う、同志との時間は足りないくらいだ。
思いつく限りの行動で表現したとして、当人ら以上に再現出来る人物はこの世界には存在しない。
それが、IF。もしもの致命的な欠点だ。
然し、当人らによって実現したソレならば?
最も強烈な衝撃を浴びて、手に握る筆を落としてしまう程のIFを目撃したアナタは、何を思うだろう。
「────成る程。無限をそう繋げるか」
疑問を投げられた1人のボクサーはそう呟く。
数多のボクサーと対峙し、理想の姿を予測し、凡ゆる秘策を予見して、数多の必殺ブローを崩してきた。彼こそはリング上のIFを見てきた人物で、もしもの下を行くばかりのボクサーに失望してきた。
二度目の経験だ。自らの予測を越えて、芯に響くパンチを貰ったのは。十数年の時をリングに生きて、試合中に驚いたことは三度目だ。
無敗神話の玉座に神を称える詩は数あれど、神の心を満たす傑作はソレらだけ。口端から血を流しながら喜ぶのも無理はない。
「よくぞ証明した。新型は成ったぞ、小僧」
リングの下から5年越しの答えを見届けて頷く。
第5ラウンド中盤、多大なダメージを蓄積しながら漸く辿り着いた無敗神話の麓で、この場面を目撃する。それが鴨川が幻視した、はぐれた試合で解き放たれた新型デンプシー・ロールが猛威を起こす場面だ。
教え子が見つけ出した必殺技を破られた悔しさを今でも覚えている。リングの上で再開した暁には、成長し進化した必殺技で雪辱を果たさせたい想いでいっぱいだ。
右拳を握る。ひとまず、一区切りを付けたことへの喜びを握りしめる。もしも試合だったなら、その答えを見届けた。後のことは、次の試合が終わってからだ。
「………………っ」
渾身のカウンターを決めた手応えを覚える。
これがIFで起こり得たならば、無敗神話の頬から帰ってきた反動に向き合う余裕はなかった。
手応えはダウンに匹敵する、目の前の玉座は土台すら震えていない。効いたに違いない、口内が切れて血が滲み出ている、ソレらを痛みではなく喜びに換えることで相手と
リカルド流の
ここまでを読めた。最初なら通じるであろうソレを浴びて、しっかりと消化した。5年前は遥か高みにいた存在に近づいたら、次は精神面の引き出しに気づく。
(これがリカルド・マルチネス。なんて恐ろしい人なんだ)
今日、幕之内の中に存在する、リカルド・マルチネスの無敵の壁を剥ぐことに成功した。
もしもの先へ飛び出した。想像だけに終わる筈の致命的な弱点の一端を埋められた。
その直後だった、ブザーが鳴り響いたのは。
「なんだよ、良いとこだったのに!」
「もう3分!? あっという間だった」
「そ、それより見たか幕之内の!?」
IFから現実へと切り替わる合図。
記者たちは一切に幕之内の快進撃…新型についての考察を始める。だが、口々に出てくるものは確信を突くものではない。鴨川は答える気がないし、幕之内に言い寄ろうものなら大魔王が黙ってはいない。聞き出したい欲を考察に変換しながら語り、次のラウンドを待つ片隅で。
藤井は口元を右手で隠し、興奮を抑えていた。
(一瞬だった。見慣れていたものが変化した。
デンプシー・ロールの進化の片鱗を正しく理解したヤツはこの場に居ない。俺でさえ…!
だが、1つだけ。足元だ。そこしか見えなかったが、確かに見たぞ。あれはL字ステップ……!
もしも、俺の予想が正しいなら。新型はデンプシー破り破りのデメリットを解決して、カウンターパンチャーを悉く凌駕する必殺技になっている)
新型の表層だけは紐解けた。
衝撃的なシーンを脳内再生し続けているせいで、それ以上は興奮が勝って暫くは考察が捗らない。
記事にするにしても世界ランカーたちへの利敵行為となってしまう。ほとほと困り果てた、どこから何処までを記事にするか。横を見れば飯村も押し黙って悩んでいる。帰りながら議論する必要性があると結論し、取材の準備に取り掛かる。
何れにせよ、各々の反応がどうであれ。
もしもという話の実現に漕ぎつけた喜びは得てして長くは続かない。
リング上から発せられた言葉によって。
「ここまでにしよう」
「なっ────ぜ!?」
もしも、からの目覚めは虚無感に襲われる。
リカルドの意思を介したビルによって、公開スパーの終わりを告げられた。
幕之内らの動揺に対して、簡潔に答える。
「次で確実に怪我を負うことになるからだ」
「……! 僕は」
「お互いに、ね」
その一言で、幕之内の喉元にある言葉は喉奥に下がっていった。
ビルはお世辞を口にしていない。リカルドの言葉をそのまま伝えた。IFの試合を続ければ、遠くない未来で破綻に手を掛ける。世界レベルとなったことで、本番への懸念をするまでに至った。リカルドによる中断の申し入れは、そのまま幕之内への評価へとなる。
「………はい。ありがとうございました」
お辞儀をして受け入れる。
お互い、与えたダメージは五分と五分。これ以上は本当に何があるのか分からない。幕之内自身、行けるところまで行くつもりでいた。リカルドはそういう境目を見極めるのが上手い。不完全燃焼の空気を入れ替えるために立ち去ろうと顔を上げると、目の前にはリカルドが立っていた。
「───────」
視線を交差すると、リカルドは右グローブを差し出してきた。
試合の始まり、そして最終ラウンドの始まりに交わされるボクサー同士の挨拶。つまるところ、「機会が巡ればまた会える」という言語を越えたメッセージ。
光栄なことだった。この拳を合わせたら、叶えるまで特訓に励んで頂点を目指す活力が湧いてくるに違いない。だが、千堂武士の存在を忘れてもらっては困る。
「千堂さんが貴方を倒します。僕の出る幕はもう、どこにもありません! 失礼します」
グローブを合わせて感謝を伝え、胸を張って好敵手の勝利を宣言した。
言ったぞ、言ったぞ、言ってやったぞ!
遠くから「国際問題?」「国交断絶かあ」「千堂が勝てば帳消しだから」などと揶揄が聞こえる。
彼らはいつもの調子なので聞こえないフリをしてリングを降り、会長のもとへ。
「リベンジ、果たしてきました」
「2ラウンドを戦いピンピンしとる。
間違いなく偉業じゃ、胸を張ってよい」
大きく、二度も頷く鴨川。
この場を用意するために奔走した。荒削りだった新型デンプシーをものにするための伊達ジム遠征と併せて、鴨川の思惑通りの光景だ。
この先、リカルド・マルチネスとリングで巡り会わずとも済むように。という願いは鴨川だけでなく、千堂の勝利を願う幕之内のものでもある。
「…新型デンプシーのお披露目にはもってこいの舞台じゃった」
「はい! 千堂さんに届く言葉を持っていけます!」
だから、幕之内は願う。
叶うなら、千堂武士との試合を。
もうバトンを握る手は埋まっている。両手が塞がっては走りにくい。だから、幕之内一歩がリカルドと勝敗を賭して戦うことはあってはいけない。
もしもの世界はこれで終わりだ。
IFの話題はきっと、試合の翌日には忘れている。そうなるように願って、新型デンプシー・ロールをリカルド・マルチネスへとぶつけたのだから。
───
──
─
あれから記者らの突撃取材をやり過ごし、リカルド陣営が帰路についてから幕之内はシャワーを浴びた。
まだ拳に残る何かを握りながらシャワー室を出ると、鴨川が椅子に腰掛けている。
「小僧、伊達から連絡が入った」
「えっ? 何かあったんですか?」
「千堂も無事に終わったと。絶好調と言っておった」
自ら赴くなんて、どんな大事かと思ったから胸を撫で下ろす。要件はこの次だった。
「今日は向こうも解散して休むと言っておる。貴様も身体を休めるんだ」
「そ、そうなんですか? これから集まる予定だったんですけど…」
「それなんじゃが、明日の夜に実行すると言ってあった。何をするつもりかは聞かん。じゃが」
無理はするな、と言いかけて。
それは違うと己を叱責した。心配は過ぎれば毒だ。幕之内や伊達らがどうやって千堂を激励するかは予想がつく。だから、余計なことは言わずに背中を押そう。
「悔いを残すなよ」
押される側にとっても、押す側になっても。
ボクサーとして出会う場は数限られている。毎試合が今生の別れになっても不思議ではない。
そのことを胸に刻めと強く込めた言葉に、幕之内は背筋を伸ばして「はい!」と応えた。
最近、1話毎の文字数多すぎて。
これから先も多い予定なので、久しぶりに短めのを投稿しました。
次で特訓編は終わります。もう少しだけお待ちを。
リカルド・マルチネスVS千堂 武士、勝者は?
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リカルド・マルチネス
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千堂 武士
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引き分け