『幕之内一歩VS今井京介、勝者は?』
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大阪府某ホテルにて、当日開催の試合における全選手の計量がパスした後の午後、記者会見が開かれた。
明日の主役らは正装を纏い、黙々と座している。
シャッターのフラッシュを浴びても目蓋を開けず、心を静に置いていた。千堂の性格からして、何か仕掛けやしないかとレンズを光らせる記者は多い。然し、こういう場での千堂の落ち着きようは周知のこと。
「千堂選手。試合への意気込みをお聞かせください」
会見の始まりは、ありきたりに。
ある者にとっては鉛のように重く感じる雰囲気を、この質問から取り払いたいと希望を抱いて。注目を浴びる千堂は片目を開けて、その目はリカルドとは反対側で、漲るものを逃さないように注意を払いながら口を開く。
「この日をごっつ楽しみにしとったわ」
口元は変わらない。
檻の石壁のように冷たく見える者、熱を囲う石窯に見える者で二分する。正反対の熱意でありながら、閉ざされた何かの向こうに絶滅危惧種が居ることだけは共通していた。
多くの記者らの眼差しは、間もなく潰える生命をひと目見ようと集まった、動物園に押し寄せる野次馬のソレと変わらない。理由は単純、公開スパーでの調子の良い千堂武士を見て、これでは期待が持てないと断じたからだ。
────なぜ、幕之内ではないのか。
ごく一部の記者からは、問いかけたい思いを押し殺した思念が瞳に乗っている。真正面から受け止めながら、千堂はいがむことなく続ける。
「ワイは同じ男に2度負けた。んで、その男が目指しとる男に1度負けた。今日負けたら、幕之内との試合の価値が半分に見えてまう。
特等席2つ用意するほどワイも暇やない。日本タイトルで足りひんなら、リカルドぶっ倒すまでや。
そんで……
ざわめく記者ら。
物怖じせずにリカルド打破を宣言したことに対して、というのもあるが。直近の千堂からは感じなかった覇気がある。不安視されていた自信の欠如がどこにもない。
一昨日、伊達ジムでの激励会がやっとの思いで千堂の脊髄を立たせたことは知れ渡っておらず。
元に戻った千堂に困惑する声がざわめきの正体だ。
仄かな期待感が戻りつつあるなか、この試合に申したい記者がリカルドへと質問を飛ばした。
「リカルド選手。なぜ千堂選手のリベンジを受けたのでしょう? 幕之内選手からも挑戦状を渡されていますが、復帰開けでは戦うに足りなかったと?」
リカルドに対しても、彼らの視線は変わらない。
千堂に対しては挑戦状を送ったことを責める眼差しを。リカルドへは、受け取ったことを責めている。
真新しい挑戦者と対峙しなかったことを重く見ている。彼らは幕之内の進化したデンプシー・ロールの片鱗を見た。時間が経つにつれて対策されるのは過去の出来事が証明している。もしも初お披露目がWBAの頂点を賭したものだったなら、と先のことを信じて疑わない。
目蓋を開けて、その全てを見つめながら。
「リベンジ。最も印象深いタイトルだ」
「…は?」
「エイジ、ゴンザレス、そして……」
ひと呼吸。喉に出かかった言葉を飲み込むことを誤魔化すために、少しだけ目蓋を落とす。そして、の後に「マクノウチ」と続けたがる心を宥めた。
右頬の痛みは今朝方に消えた。2日も尾を引くダメージだった。うっかり、スパーのことまで持ち出して、全容を口にしてしまいそうな程に試合を熱望している。
「彼らに敬意を表した試合は、いずれも再戦だった。
明日、私は再びセンドーへと感謝を伝えたい。心が躍る試合を届けてくれることを」
一切、この熱意を逃さない。この熱意は伝播し、千堂の実力を十二分に引き出す。
或いは、リカルドも伝播された側かもしれない。
席に着いて、千堂を横に迎えて、ひと言も交わさない数分の間に。幕之内という拳に魅入られた魂が共鳴し、彼の次の対戦相手を主張し合っている。
「彼は何度、立ち上がるのだろうね」
そんな錯覚が脳裏を過ぎり、思わず笑みをこぼしていた。
リカルドの微笑を見た、質問した記者は再び立ち上がった。
リカルドはWBC・WBAフェザー級王座統一戦の記者会見で、初の統一戦を受けた訳を『感謝の証だ』と宣った。後に、ゴンザレスの覚醒を促したことに対する言葉だと判明した発言に怒りを抱いている。
日本ボクシング界の誇りをコケにされた気分だ。ゴンザレスの覚醒までの繋ぎとして統一戦を行ったことに怒っているのではない。千堂を糧とすら思わず、使い捨てるような扱いに怒っていた。
「それが、お前の知らんモンや」
「…?」
記者の喉を掴んだ言葉は、千堂の発した含み。
逡巡するリカルドは答えた。
「ダウン? それとも、敗北か」
「お前が知っとるだけのモンや。そこまで登り詰めたら、体験してても薄れとるやろう」
「…挫折」
努力と常勝だけでは得られないもの。
後悔から始まるものもあるが、リカルド唯一のソレは腰に巻かれて呪いとなっている。
故に、挫折は。怯えを発症するほどの傷みを抱えて立ち上がる推進力を、彼は知らずにいる。
幕之内が合流する前、伊達は言った。
リカルドに初見はない。やつは凡ゆる拳を知っているからだ、と。否定しなかったが、肯定もしていない。挫折だけは彼の範疇の外にある。ゴンザレスに2度のダウンを奪われたことがその証左だ。
「1つだけ、ゴンザレスの置き土産に問いたい。
君は、彼の期待に応えられるのかね?」
だから、そんな質問をする男に勝機を見出せる。
「ゴンだけやない。ワイを応援してくれる皆んなの期待を裏切らん。明日、ワイが期待を裏切るんは2人だけや。そのこと、拳を突き合わせて語り尽くしたる」
伊達の指摘はリカルドのことを”過大評価”している。
リカルドは知っているのではない。ひたすら待ち続けているだけだ。凡ゆる拳を待ち、人間が放てる限界、立ち上がれる天井を知って、天井を突き破る瞬間を、永遠に。
───
──
─
以降の数分は、ありきたりな質問だった。
語ることもない時間の終わりに移ろう。
「では最後に両雄、並んで写真撮影をお願いします」
事前の打ち合わせ通り、リカルドと千堂は記者らの前に並び立つ。構えなどの指示はなかったが、千堂が対面を向くように立てばリカルドも応じる。
この場面を記事に引き込もうと記者らがカメラと筆を総動員する、凪いだ雰囲気の睨み合いも数秒。同時に踵を返し、出口へと向かっていく。
「ありがとうございます!
両雄のご健闘を祈ってます!」
が、記者の言葉に千堂が立ち止まった。
「…あー、祈るってアレやろ、手と手を合わせる所作の」
「?はい、まあ比喩ですが」
「ワイには要らへんから、記事に書いといてほしい」
「ええ!? どうして!」
千堂の捻くれた理論が飛び出すのだろうか。何が気に障っただろうか。固唾を飲んで見守るなか。
「祈って両手を合わせてたら、礼拝と変わらん。リングは教会とちゃう、神はおらんよ。
千堂武士は最後まで拳を握って戦うさかい」
「────あ!」
「ワイを応援してくれるんなら、拳を突き上げて応援してくれ。頼むで、皆んな」
微笑みを締めの言葉として、千堂は今度こそ退出した。気負い過ぎが懸念されていた今回の試合を記したメモから、すっと二本線が引かれていく。迷いなく、憂う見解に取り消し線。ページを捲り、拳を握るための文章が書き起こされていく。
「エイジ、君の国は面白い男ばかりだ」
リカルドは、記者らの心を掴んだ最後のパフォーマンスから、恐怖を輝きに変えようとする精神に喜びを溢していた。うっかり眠りが浅くなることのないよう、ソレはすぐに平熱へと戻る。…昂りはそのままに。
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『自分のせいで記者会見に…千堂さんと並び立たせられなかったこと! お詫び申し上げます!!』
『か、顔を上げてよ今井君!』
『いいえ、自分は恥ずかしい…! 私用で間に合わないなどと……! 腹を切って許されるのでしたら!!』
『わーーーー誰か止めてーーー!!』
千堂が記者会見の最中、今井京介と幕之内一歩は某ホテルのロビーにて鉢合わせし、京介は土下座の姿勢から動かなかった。額を擦り、煙が上がり始めた頃に漸く落ち着かせることが出来たと思ったら、今度は腹切りを進言するではないか。
音羽会長と一緒に止め、何度も謝罪の言葉を受けてから解散の流れとなり去り際、挨拶を交わした。
『今井君のこと、本当に尊敬しているんだ。
勝つために必死に練習したよ。明日は実力を余すことなく出し切ってみせるから!』
『…明日までに頭を冷やします。想いをぶつけるのは、その時に』
握手に応じた今井君は、深々とお辞儀をして立ち去っていった。それが昨日の話だ。
決意表明をしなかったのは、心の底から湧き出る言葉をぶつけたいからだ。真剣に、僕に勝ちにくる。
「────よし」
両拳のグローブを頬に叩き合わせて、最後の精神統一を終える。
今は丁度、1つ前の試合が終わったところだ。
記者会見のあとからの時間はあっという間に流れ、気づけばリングに向かうところまできていた。
千堂さんとはあっさりと別れた。明日に備えよう、と会話をして。今日はまだ会っていない。千堂さんに掛ける今日の第一声は、試合を優勢に傾けるようなものであってほしいから。
「敢えて、確認しておくぞ」
「!」
鴨川が入り口の扉を開けて、幕之内へと声を掛ける。リカルドと千堂、頂上決戦に気が乱されるボクサーではないことを重々承知の上で、世界前哨戦になる可能性のある試合に、今一度の言葉を送る。
「今井は格上ではなかろう。然し、試合運び次第では勝敗をひっくり返す実力がある。
デビュー前から熱望していた試合ともなれば尚のこと。貴様の背中が見られていることを忘れるな」
鴨川の言葉に力強く頷く。
慢心はどこにも無い。
さあ、試合だ。
リカルド・マルチネスVS千堂 武士、勝者は?
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リカルド・マルチネス
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千堂 武士
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引き分け