第1ラウンドの今井京介は一方的に噛み合い方が最高だった。インファイター特有の殴り合いにならず、己の思うままのボクシングに従事した。その理由の半分を幕之内はこう片付ける。
(観察してきたけど、仕組みが分からない。僕の理解の範疇を越えた理論でボクシングをしている)
30試合に迫る経験を食い止められたのは、殺気の着地点がまるで見抜けないからだ。
むず痒い戦いを強いられている。矛盾の問いに足を止められるようなこの感覚は、『状況次第では勝てる』を体現するボクシング。嵐を突破するためだけに積み上げた、限定的な
それが京介の勝算。
第2ラウンド開始早々のダッシュ、リング中央で激突し、右と右のパンチが空振り。肩をぶつけながら怯まずにインファイトへと移行する京介が縋る、膨大な熱量の源である。
『両雄のっけからインファイトだ‼︎
今井ペースを落とさず過ごせるかに注目が集まる‼︎』
この壇上は全てが幕之内に優位だ。
相手の好条件に乗っかる行為は、かつての幕之内が恐れずに飛び込んだ死地を想起させる。その事実だけで京介の熱は維持されて、幕之内のウィービングの起こりを見抜いてしまえた。
ほぼモーション無し、トンと押し込むボディブロー。リズムを狂わせてくる一手は幕之内の承知の上だ、強引にウィービングを敢行する。
「むっ…!」
分速表記される機械の如くジワジワと京介の腕を押し戻す。ならばと、すかさず幕之内を支柱とし、サイドステップの要として活用。弾かれた腕の向こうから、幕之内が追撃の構えに入ったのを見て身を乗り出した。
思い描く理想通りにはいかない、と眉をひそめながら踏み込んだら。京介がボディ打ちを繰り出すと、幕之内の右ストレートが頬を掠める。紙一重の攻防は幕之内の横っ腹に嫌に鈍い痛みを埋め込み、京介の頬に残る衝撃が首を捻りかけていた。
「躱しながらボディ入れてるよ!」
「板垣みてえな見切り方してやがる。危ねえ」
「……僕でも、流石に無理ですよ」
青木らが背筋を凍らせながら驚嘆し、板垣は振り絞るように答える。幾度目かの攻防で見せる京介の表情は、板垣との試合で見せたことのない感情…愉しさ…に満ちている。
そんな余裕、幕之内とのスパーで生まれなかった板垣の返答に気づいた鷹村は何も言わずに試合へと意識を戻した。京介の様子を注意深く見たあとに幕之内の表情を見ると、既に同じ結論を出していることを知る。
(もうズレている…! せめてあと一撃はボディを抉らないと、勝ち目がないぞ!?!)
幕之内とのインファイトで筋肉の疲労は加速する一方だ。若干の焦りはすぐに掻き消して、地を踏み鳴らす目前の暴風を凝視する。肩や膝を擦りながら、削られていくものを踏み台に前へ。
握りしめた主導権をボディへと叩きつける。成功だ、直撃した。幕之内に鉛を仕込んだ手応えがある。全力前進を継続するため、次弾のカウンター争点に移行しかけたところで。
散々に熱望を浴びてきた幕之内は、復帰戦以降に避けてきた戦法を解禁せざるを得なかった。
(長引けば持っていかれる! 攻め方を変えるぞ!)
それは、遥かに増した耐久性から繰り出す、覚悟の特攻。
幕之内は左肘から前腕を落とし、ボディを打ち終えた京介の引いていく拳の内側を道とする。
(間に合、わな────)
即ち、意図した相打ち。
パンチドランカー疑惑が生まれ、プロとして復帰をするにあたり、鴨川と約束したことの1つにダメージの最小化に努めることが刻まれている。禁忌よりも軽く、好敵手との約束と同じ重さのある行為だ。これを取っ掛かりにする未熟さを恥じながら、京介の手強さを再認識する。
ゲバラのK.Oシーンを思い起こす衝撃音が響く。
(この一撃……ッ! 腕力も体感も鍛え上げたが、フェザー級にあるまじき威力は再現できなかった!)
突如として変質したリズムに不意を突かれた京介だが、幕之内の爆発の瞬間を見逃さなかった。
どれだけ嬉しいことか。憧れの輝きを見逃さない才に喜び震えて、勝利へのピースが1つ埋まったことを認識した。そして、もう1つ理解した。
(この3ヶ月だけは埋められないッ)
京介が猛特訓のためにジムを離れた3ヶ月間、伊達ジムで行われた千堂、ゴンザレスらとのスパー、そして鴨川ジムでリカルドとの2ラウンドが敗因となる。
これは試合前に知ったことだ。東京を離れ、北の地で猛特訓に明け暮れていた京介は、大阪で音羽会長と合流してから幕之内の伊達ジム遠征を知った。
それで心が萎むことは無かったが、より無謀な挑戦になることが確定した。
(上手くいった! 大股で届く! 一気にいけ!)
たった一撃で戦況は幕之内へと傾く。腕を伸ばせば前腕が食い込む位置でインファイトは再開した。
京介が試合の支配権を握っていたのは2ラウンド1分の時点まで。理不尽な相打ちに巻き込まれた彼は、これまでのアドバンテージを消費する時間への移行を余儀なくされる。
遂にと解放された幕之内のウィービングが京介の喉を鳴らした。少し隙を与えたらこれだ。止めようにも、脳の振動が抜けるまでに距離は埋められている。
仕方なしにガードを固めた。不用意にパンチを出せば相打ちを狙われる。京介はより一層、相打ちにも注意深く警戒して流れを取り返さなければならないのだ。
「─────ぐ───────────う─────────っ─────────!」
ガードを固め、身体に引き付ける。それだけで京介の牙城はちょっとやそっとでは崩れない。クセを知り、着弾点まで把握できる相手だ。頭もう1つ分だけ前に寄せたなら、助走距離が足りずに封じ込めることさえ可能だった。
現実は荒波に揺られる小舟の如く。幕之内が拳を打つたびに京介の身体は右へと荒立ち、左へ土砂崩れ。
幕之内の攻撃はデンプシー・ロールではない。その距離だけは潰している。ただ執拗にフックとボディを上下に打ち分けているだけだ。
然し、京介からすると猛獣が蹴破らんとするドアを押さえつけているのと変わらない。幕之内相手に、一度でも流れを手離したらこうなるのは分かっていた。
『ガードの上から叩く‼︎ K.O級のパンチを打ち付ける‼︎ だが今井も簡単には直撃を許さない‼︎』
歯を食いしばって猛攻を耐える京介を見ながら、牙城を攻め落とせない理由がボディ打ちの影響であると幕之内は判断する。幕之内の腹筋に染み込んだ拳が邪魔をしている。
(かなりボディを叩かれた。次に横っ腹を叩かれたら主導権を奪い返される。要注意だ。それに……)
ボディ打ちばかり選んだ試合運び。
これが妙に幕之内の思考に引っ掛かっていた。
(何かを淡々と狙っている。けどなんだ? 今井君は付け焼き刃の武器を手に取るボクサーじゃない)
試合が始まった瞬間から、薄々と感じていたこと。京介の全身から溢れる固い決意が、手足の端々まで覆っている。命懸けの何かを成そうとしている者の雰囲気だ。
今日の試合にあたって、京介は勝率を上げるために奔走したことは間違いない。
(何か確実に、新しい武器を手に入れている!)
外れることはない予感だ。
強敵を相手に、数々の必殺技を身につけて逆転勝利を収めてきた幕之内が言うのだ。京介の勝ち筋がどこかで息を潜めながら広がっている。決して自分に繋げてはならない。容赦無く叩き潰し、完封して次へと繋げるのだ。
京介の筋書きから脱線して勝利を手にするため、何度目かの拳を叩きつけた。
(ぐッ……やはり、考える余裕は…!)
思考が無意識に言葉を並べる。
猛威を奮う幕之内の拳と比べて、自分の拳は小さく見える。それでも戦えているのは、教材に載っている理想のボクサーそのものに近しいから。
そして、相手は理想像を殴り飛ばしている傑物。ボクサーとしては星のような存在にある相手に手が届くというのに、この距離では星の輝きで己の存在が掻き消されてしまいそうだ。
(だから組み立ててきた! 追いつけない時は条件反射で‼︎ 思い描き続けた理想と、特訓で染み込ませた努力で並走するために────)
荒れ狂う世界へと身を乗り出す。
脊髄を捻りながら繰り出す拳に、全身全霊でガードを叩きつけた。それが左腕を軋ませ、凄まじい速度で激痛が脳へと伝播する。そんなものは、次に来る痛みの緩衝材だと歯を食いしばり、右腕を掲げた。
直後、幕之内の拳は反撃のいとまを与えまいという意識から繰り出し、京介がガードした右腕を切り返す。
ガラ空きとなり、連続のガードが困難な左顔面へと横薙ぎに打ち放つ。
『貰った‼︎ ついに今井ガードを崩された‼︎
ここから幕之内の猛反撃が幕を開けるのか⁉︎』
首の筋繊維がほつれていく。
京介の視界は白く霞んでいた。
ボディフックのコンビネーションのボディブローをガードしたに過ぎず、立て続けの二撃目はカウンターすら間に合わない。頬に貰っただけで失神ものだ。
(違う、この手応えは……!?!)
それでも、間に合ったものがある。
京介の踏み込みは、幕之内の拳を耐えられる距離まで縮めることができた。馬鹿げた威力の拳も、京介ならば何度でも半減した威力で受け止められる。
どれだけ暴風に巻き込まれても、京介の眼差しだけは凍えるほどの温度で状況を把握していた。
自身への不信感が常に爆発し、温度は一定を下回っている。熱に侵されて状況判断を誤ることがないように、ここの管理だけは一丁前だ。
(こいつ…で、仕込みは完了だ!!!)
殆ど、行き違う場面だった。
幕之内の横っ腹へとボディを叩き込み、勢いそのままに前のめり。息を吐き出した音と右拳の手応えで、幕之内の警戒が横っ腹に釘付けになったことを確信したところでゴングが鳴り響いた。
『第2ラウンドも終了しました!
殆ど磔だった今井、意地の反撃で窮地を脱します!』
肩で息をする京介と、背中を丸めかけの幕之内。
コーナーへ戻る様子に余裕の文字は見当たらない。
「…………………………」
幕之内は京介の背中を観察してからコーナーに戻る。大量の汗を見て、この試合に賭ける情熱を想像した。
どれだけのラウンドを想定しているのだろうか。
おそらくは4ラウンド。もって5ラウンドだ。進めば進むだけ足元はスタミナ切れの沼へと沈み、自らを殺す。
鷹村に似た雰囲気を京介から感じ取っていた幕之内は、鷹村のイメトレとの決定的な違いを確信した。鷹村が自壊を拒絶しているのに対して、京介は自壊を厭わずに前へと進んでいる。自らが望んだ結末、その一点に向かって。
貯水槽に補給する時間がないのにお構いなしに水をボイラーに送るようなものだ。この調子で試合を運べば、スタミナ切れで幕之内の勝利が確定する。
(────よし)
待ちなど愚の骨頂。
ここからは攻防の一々に思案する時間などない。
振り絞って駆け抜けようとする京介に、幕之内は全力で向き合うことを続ける。勝負を分ける機会が間近にあると分かっているなら、素通りなど出来るはずもなかった。
一方、ゴングを聞いて息を吐いたのは観客席の木村と青木だ。
「今井のやつ、このラウンドも食いついてるな」
「最後のは冷やっとしたぜ。もう暫くは続くと見てよさそうだ」
「いえ」
木村の見立てに板垣が異を唱える。
口のはしを歪めながら。
「次、動きますよ」
「まじかよ。どっちだ!?」
「先輩が攻め込みます」
言葉に込められた歯痒さは歓声に溶けてしまう。隣にいた鷹村だけがソレを拾い、僅かながら伺うような立場から板垣の心境に手を伸ばした。
「なんだ、一歩が攻めて不満か」
「……複雑ですよ。どっちにも」
板垣にとって京介は生涯の好敵手だ。
認めたくはないが強い。何度も勝てる相手ではなかった。何度も巡り逢える場所からは遠いところに来てしまった。そのプレッシャーを背負うだけでなく、世界前哨戦を担っている。長引かせる考えがないからこそ、振り切って京介は無茶苦茶な戦法を選んだ。
だが、どん詰まりなのは明白だ。京介の拳が深く突き刺さるたびに、幕之内の拳を貰うようになってきたのだから。与えるダメージに対して、蓄積するダメージが割に合わない。
(お前が先輩と渡り合えるのは分かったよ。けどさ、一撃で戦況をひっくり返すパンチが無いんだ。
本当に、どうするんだよ……)
乾いた喉を鳴らす喉の音が聞こえる。
京介が勝てると思っては居ないが、一方的な負けもないという不安もあった。
あるのか? と面白くない期待が浮かぶ。
ここから世界に届く、一撃が。
一抹の不安を抱きながら、第3ラウンド開始のゴングを聞き届けていた。
▼
幕之内の足元を中心にリングマットが捻れた。
比喩表現だが、幕之内の行動を予測して立ち回っている京介には、第3ラウンド開始のゴングに合わせて飛び出す前兆をそういう見方で捉えていた。思い起こされるのは日本フェザー級タイトルマッチ、千堂と幕之内が戦う第1ラウンド開始直後の奇襲。
初見でなくとも、対処は困難だ。
各ラウンドの開幕だけは最も遠い位置にいる。インファイトならばアンチスタイルで完封も出来るが、ここだけは実力で潰しようがない。だから幕之内のように突撃が脅威となるボクサーが主導権を握るためには、開幕が勝負所となる。
(ちゃんと、準備してますよ!!!)
この欠点に京介が気づかないとでも?!
勝負が傾くキッカケの大半がここにあると強く警戒している。訳もわからずに倒れる最悪の状況を避けるため、京介は全力で前に飛び出した。
躊躇いなく駆け出した様子なら、京介が無策でないことを承知の上で勝負の天秤に乗り込んだ。
(まずはキッカケを掴む!)
両雄の邂逅はリング中央。やや京介が遅れて入り、その差を幕之内は踏み込み先制を狙い澄ました。
遅れて踏み込み、左拳を放つ…直前に、急停止した京介は。身をよじり、身体を後ろへ倒しながら。
(右ストレートが来る、左斜めに頭を非難させて)
身体に染み込んだ経験を引き摺り出し、左拳を裏返しながら円弧を描くと、ガツンという衝撃が宙空に響き渡る。
京介の左頬にはブレーキ痕のような一直線に擦った痕跡。一方の幕之内、右側頭部から頭頂にかけて髪が分け隔てられ、摩擦が髪の毛を散らしていく。
(当たった…が腕に弾かれただけ、直撃じゃない!
効いてないぞ、外した次がくるぞ引き出せ!!!)
拳をねじって貫通力を上乗せしたのに、幕之内の右ストレートは意に返さずに突き進んだ。軌道を逸らすことも出来ていない事実に構う余裕もなく、京介は再び記憶を叩き起こす。
次にやることは、予測を上回る行動だ。力で上回ろうとも辛うじて直撃を避けてカウンターを叩き込める相手には、動体視力を上回る手段でガードを突き破ればいい。
(退がって距離はある! 意地でも死守するつもりだ!
きっと何度もシミュレーションしてる、1つ2つの行動じゃ逃げられる)
だが、京介はその瞬間に割り込める。
退がったのは最低限の距離で、幕之内が攻め込む間にボディ打ちで動きを制限できる。これで開幕のチャンスを潰し、三度の優位性を築ける。これまでは止められていた距離に入り込もうとしていた算段は、然し。
(だから僕も、最初から退がるつもりで飛び出した)
幕之内のバックステップによって崩壊した。
(も、もう距離を置くのか!?
いやそうか、俺がバックフックで重心が下がるのを狙っていた! くそっ読み違えた……!!!)
仕方なしに作った2人分の距離があれば、幕之内は止められない。ドンと右脚が鳴ると円弧90度を移動し、一足飛びで京介の視界の半分を移動する。近づこうと体勢を整える1秒の間に、幕之内の左拳が京介の腹部へと打ち上がった。
「っぐッッ‼︎」
大気を裂く音にガードを下ろし、同時にカウンターを準備する。右腕を使い果たし、左腕で意識を揺らす…手筈は、振り抜かれた左拳が粉砕した。二の腕に押し付ける一撃で、京介の身体ごと吹き飛ばしたのだ。
(どんな横殴りだ!? 手元が狂った? いや違う!)
激痛は走った。だが五臓六腑は無傷、腕も問題なし、とくれば幕之内が求めていたものは場面。
京介の吹き飛んだ身体を支えた支柱。左右逃げ場無し、リングの死地たるコーナーだ。
(角に押し込まれた…逃げ場なし。だが)
京介の脳裏には、デンプシー・ロールか否かの二択が浮かぶ。そして、否ならば、ガードに徹してカウンターを準備する。心血を注ぐ後者に対して、前者は問題視していない。
デンプシー・ロールはウィービングの延長。
幕之内のソレは特に振りが激しく場所を必要とするが、千堂戦のようにコーナーで繰り出すことは造作もない。然し、左右にはロープがあり、デンプシー・ロールの振り幅が必然的に決定される。
京介は、コーナーにおけるデンプシー・ロールを恐れてはいない。リカルドがやってのけたように、完璧なデンプシー破りを敢行する確信があった。
(ストレートが打てる! デンプシーを選べば必ず沈める。どっちだ、どう来る幕之内一歩!?!)
ひと呼吸の余韻に京介が浸り、記憶を呼び起こして身体に貼り付けている間に幕之内の手札が切られた。
両腕を前に構え、拳は顎に添える。深く腰を落とす段階で、京介の身体はカウンターの準備へと移行した。
(デンプシー…! 来い、モーターの回転数が軌道に乗った瞬間に無傷で打ち破ってみせる!!)
デンプシーを相手にガードしていては、デンプシー破りは出す暇も無くなる。故に半歩前へ乗り出して、最も構え慣れたオーソドックスに切り替える。
ここから巻き起こる暴風を打ち払うべく、左拳を溜めて広い視野を確保した次の瞬間。
「───────ぁ」
小さな呟きは絶望より漏れた。
対角線のコーナーに広がる波紋を見てしまった。デンプシー・ロールの打つ衝撃とは違うと、肌感覚が捉える視覚の比喩が伝える。あれは、幕之内が一撃を溜める時に起こるリングの呼吸だと。
(フェイント、だ)
無論、考慮していた。然し、未だに構えはデンプシーなのだ。円弧を描く身体が起き上がり、回転を始めたばかりだ。ここからキャンセルすれば身体が動く、必ずカウンターを当てられる。なのに、京介の意識は警報が鳴り響いて止まらない。
(全く同じなのに、こんなことが…)
これは、リカルド相手には使う隙すら無かったが、復帰戦までに編み出してはいたもの。
前傾姿勢に身体の捻りで勢いを乗せて、デンプシー・ロールと全く同じ立ち上がりから打ち出すパンチ。
カウンターパンチャーのタイミングをズラすために開発し、未だに発展途上中の拳。
言うなればワンアクション・ロール。
ひと振り目のフルスイングが、京介の右頬を捉えてマウスピースごと顔面を吹き飛ばす。
「─────────────────────────────────────────────────────────────────────」
リングの外に転がるマウスピースには、斑点模様に鮮血が付着していた。
リングの上では、意識を手放しかけの京介が果てるまいと項垂れていた。