この3ヶ月間、走りに走った。
いつか試合をしたいと願って、願う時間に比例して練習を重ねて、
道の消えた先にいて、望遠鏡を覗かなければ見えない、神話上の人物ではなく。困難な壁さえ乗り越えていけば出会える、地続きの憧れだ。
(こうして近づくとよく分かる。貴方の強大さ、自分の弱さ、そして絶望的な溝が)
世界前哨戦だったから手が届く距離まで詰めた。
幕之内一歩の停滞した時間があったから実現した試合だ。この時点で今井京介にとっては奇跡で、その先は蜃気楼と変わらない感触になるかもしれない。
(だからって、夢の舞台で終わらせない。
俺は幕之内一歩に勝ちたいんだ。世界中の誰よりもアナタの背中を追いかけて、それから)
それから、で思考を途切った。
試合の最中に何を考えている。いまさら過ぎた思いを振り返る自分に信じられず、意識が戻る。
「────ぐ、っそ………!」
第3ラウンド開始20秒。
両肘両膝を付いたボクサーが、一つの節目に失望の限りを込めた悔しさを吐き出す。
今井京介も、あの暴風には耐えられなかった。コーナーの側で項垂れるように震える姿を見て、観客らは分かりきった結論を出していた。
『ああぁああ‼︎ 遂に‼︎ 燻っていた大砲が炸裂‼︎
僅かなガードの緩みに容赦無くフックが横断、暴風に轢かれた今井が他に伏せる‼︎ 先にダウンを取ったのはやはり幕之内だった‼︎‼︎』
会場の大歓声に意識が弾かれかけながら、京介はゆっくりと膝立てて上半身を起こす。
ここだろうと決めつけていた区切りは見当が外れてていた。幕之内の戦いはより冷徹さを突き詰めていて、3ヶ月前なら並走していた場面で深呼吸を入れてきた。
(意図してか、偶然か…。そこを狙われた。
俺の待ち望んだ
そこに、意表を突くフェイント。
デンプシー・ロールのモーションから入り、相手の警戒を煽ったところに左のショートフック。
反動を付けるどころか体重を乗せて打つだけ。角度をみればスマッシュに似ていて、姿勢を見ればジョルト・カウンターとも言える。幕之内の破壊力あってこそ成立する初出しのパンチに、京介が反応できるはずがなかった。
(デンプシー破りの構えを見て、即座に切り替えたんだ。こんなの無茶苦茶だ……!)
8カウントで立ち上がり、京介は試合への復帰を果たす。然し、意識は宙空を揺蕩ったまま。全身の筋肉に伝達を送るも、返答は7割に留まる。心身が疲れた状態で、残り時間2分30秒をどう戦うのか。
「特訓を!! この3ヶ月を忘れるな!!!」
沈みかける意識に、すかさず灯籠をかざす声。
音羽の言葉を聞いて幕之内を見据えた時には、京介の脳内で次の作戦が決定していた。
(手応えがあるうちに倒してしまいたい。正直、嫌な予感がして落ち着かないんだ。
長引くのは悪手、このまま終わらせる!)
試合再開の直後にリング中央を通り過ぎる傑物を前にして、こう思っていた。
(ここで終わったら、倒してきたボクサーが安く見られる…。俺を倒したボクサーが舐められる)
勝手に薙ぎ倒してきたボクサーを引き合いに出すのは申し訳ないが、寄りかかるモノがコーナーポストだけというのは、幕之内を前にすると足りなかったのだ。
意識を保つために必死なのだ。どうせならコーナーポストが罵倒の幾つかを吐いてくれたなら、揺蕩う意識も怒りで戻ってくるだろうに。
(憧れ惚けていたと、彼らに笑われる。
死ぬまであの背中を追いたくない…!)
今井京介は遠くに見える記憶から、片手で足りるだけの試合を思い出して構えを正す。
そして、逃げ場を無いことを教え込むように打ち込んできたボディブローを両腕で押さえ込み、1秒の延命とともに袋小路の戦いが幕を開けた。
半歩、前に勇み足は京介のもの。隙間が無ければ抵抗が出来ない。抵抗が出来なければ勝つことが出来ないから。この状況でも勝つ気を失わない眼差しを幕之内はよく知っている。だから容赦無くボディブローを2度、3度と叩き込んでいく。
4、5、6と続くが京介は脱出しようとしない。背中をフリースペースにすれば、今度こそ幕之内を見失うからだ。自ら
この時間に、次の手を慎重に組み立てる。
相手が人である間に、
まだまだ、時間の限り続く暴風。
下を打ち続けて、今度は上。
ガードを揺らさんとする横殴りの拳を、僅かに屈んでやり過ごす。そこに起こす為のアッパーカット、死に物狂いでガードすればコーナーポストに押し込まれ、上下を間断なく攻め立てる。
「今井っ。辛いだろうが頑張れ!」
音羽の声援を拾う聴覚もろくに働かなくなってきている。軋むリングを見ながら音羽は歯を食いしばる。
(お前が思い描いた場面がもうすぐ来るぞ、ここで決めなきゃ勝ちの目はもう無いんだ!
だから耐えろ、幕之内を誘い込め!!
それでもダメなら、その時は俺が終わらせる…)
どう見ても勝負は明確だ。
手足が出なくなったボクサーに希望を見出すことは難しい。京介に勝てと叫ぶのは我儘だ。
だが、当人がまだ奥歯を立てて踏ん張っている。
この3ヶ月間、空が鳴こうと走ることを止めた日はない。走り抜けるためだ、腰を落とさないためだ。
(痛い…! 痛すぎて、視界が広がる…!!)
悔いに囚われたくないから無理を承知で今井京介に賭けてきた。
インファイター同士でも、主導権を握るのに幾つもの種類がある。パワーと回転力、ありきたりで一番差が出るところで拮抗したら、次は知識と練習がものを言う。
相手を識り、倒すために身体を鍛える…長期的に伸ばす体力とは違い、対戦相手に合わせた対策は試合が決まってから身につける。そこにはセンス、観察力、そして経験が求められるシビアな時間だ。長くても半年が所要時間だろう。そこを今井京介は、幕之内一歩に対してだけは5年のアドバンテージがあった。
『窮地を脱しようと強引に前に出る!
しかし幕之内がすかさず前進を寸断!
左右どちらに身体を振っても先回りして逃げ道を塞ぎます! 容赦無し、恐ろしき、これが幕之内だ!』
それでも、この有り様。
幕之内一歩に集中して、3ラウンド目で膝をついた。
嵐を越える準備をしてきたのに、打てる手立てがあっという間に1つだけとなった。
(ガードが緩んできた。もうすぐ破れる。きっと、その時に仕掛けてくる。注意深く攻め込むんだ)
グローブ越しに見る憧れの姿は、自然災害のように恐ろしいものを縁取った人間だ。
少しでも自惚れて手を伸ばせば、空いた身体に拳が減り込んでいく。磔刑に甘んじる限り、ただの延命措置に過ぎない。
だから、慎重に起死回生を実行する。最後のシミュレートが完了した。
(だから、前にっ……!?)
さあ勇んで実行に移ろうとした時点で、
『あぁっ今井の腰が落ちかける!
幕之内の猛打を浴びて前に出る力が抜けている!』
勝利に伸びる手は推進力を失い、転落直前の滞空時間へと移行した。
(もう、ひとりじゃ、無理か)
約1分間、コーナーで粘りに粘った。
結果、コーナーに寄りかかることしか出来ず、蹲る結末を避けたいがために腹を隠すように両腕を交差し、頭はガラ空きの無様なボクサーの完成だ。
肩で息を吸う京介を見て、幕之内は右拳を構える。これ以上ボディを打っても効果は薄い。
トドメは、右のストレートで。
(反撃できる体勢じゃない、ここだ!)
いつ放たれるのか、待ち侘びた瞬間の訪れに観客らは息を潜める。
幕之内の構えに目立った隙はない。左腕は身体に引っ付けて、顎には左拳が待機している。カウンターを狙えるのは右側だけだが、腰を入れるための1秒を費やせば右ストレートの餌食だ。
『あーーっと幕之内が仕留めに行く!
今井もう顔を上げることしか出来ないー!?!』
よって、幕之内が右ストレートを放つのは道理。
いつも夢に見た、今井京介の終わり。何度も夢に見て、この結末から先に行くことは叶わなかった。
(………………………………ゆめ、だから)
京介の夢と現実が、ここに交わる。
まず、じっと物を観察するように、幕之内は右拳の手応えを衝撃から感じ取る。空を捻り、リングを揺らす衝突を起こした右拳からは、人体以上に重く堅苦しい反動があった。
次に、その答えを示す息づかいが右腕の外側から聞こえた。死に体の肺が繰り返す、食道を傷付けんばかりの下手くそな呼吸が、幕之内の視界を横切る。
そして、右拳の手応えには、人の気配が無いことを知る。支柱を守る分厚いプロテクトがひん曲がり、意中の相手は右肩に身体を預けながら。熱く煮えた眼差しを幕之内の鼓膜に焼き付けてみせた。
「首捻り!?」
「出来たのかアイツ!?」
「そんな器用なヤツじゃないですよ!!!」
板垣がどれだけ否定しようとも、事実が覆ることはない。幕之内の右ストレートを顔面に誘った京介は、首捻りで直撃を躱し、自分の左拳を幕之内の右肩に添えて身体を入れ替えたのだ。
(他じゃ、通用しない。アナタ限定の見切りだ)
アンチスタイルにより成立する擬似首捻り。
夢の向こうへ行く切符は、ここで消費された。
振り向いた幕之内は、既に反撃の体勢へと移行した京介を見てガードを固めた。
(そんなことが…! でも、立ってるのもやっとの筈だ。次の攻撃をガードして、斬り返す!)
モーションは右ボディ。
これまで散々打ってきた、横っ腹を殴るためのもの。やや脇を空けて、外から内側へと抉るように打ち込むもの。幕之内自身、あと何発貰うと脚が動かなくなるか分からないほど威力が高い。だから安全策を取る、両の横腹の守りを重点的に固める。
最後の攻防だ。
幕之内が京介の反撃を守りきり、次弾を放とうとする隙間に
板垣はそこまでイメージ出来ていながら、額には嫌に冷たい汗が流れていた。
《お前が先輩と渡り合えるのは分かったよ。けどさ、一撃で戦況をひっくり返すパンチが無いんだ。》
さっき、こう思ったのは。少なからず幕之内とプロのリングで打ち合える好敵手が羨ましかったからで。
《あるのか? と面白くない期待が浮かぶ。
ここから世界に届く、一撃が。》
こう思ったのは気の迷いだ。
まさかラッキーパンチに期待しているとでも?
あり得ない。京介はそんな男ではない。最初からそんなものに縋るボクサーじゃない。
だからこそ疑問だった。なぜ今、世界最前線に通じる幕之内に挑戦状を叩きつけたのか。
京介が手に入れられる一撃が存在するのかに思考が傾き、同時に京介の取り入れるボディ連発のボクシングに感じた違和感を手繰り寄せる。ボディ打ちが幕之内に通じたとして、長期戦でなければ効かないパンチだ。最初から短期決戦なのは明らかなのに、どうして矛盾した拳を鍛え上げたのか。
「ち、違う! ガードするのはそこじゃありません!」
「えっ、急になんだよ板垣」
「あるんです! 状況をひっくり返す一撃が!」
「ば、ばかな……」
京介に感じるものと、板垣が感じ取れたこと、そして矛盾した拳。点と点を俯瞰して見た板垣が叫ぶ。
だが、リングの上の攻防は止まらない。
(───────────いけ)
コーナーと入れ違いになって、聡明な幕之内がガードを選んだことで、京介の意識は鋭く尖った。
なにせ、嵐の真っ只中で勝機を見つけたのだから。
青い鼓動が爆発しそうだ。
限界に辿り着いた今、瞬きをするか、見開くか。
選べ、と言われて今井京介は見開いた。
ボディを積み重ねたのも、横っ腹に終始打ち込んだのも、隙あらば顔面の急所を狙ったのも。
ここに辿り着き、次の世界へ飛び立つため。
「おれが、積み上げたボクシングで……」
もう言葉にならない。
もう言葉にできない。
考えるのが煩わしい。
言語化機能は落ちた。
あとは身体に力を回す。
「幕之内 一歩に──」
そうして磨き続けた5年弱の情景を突き破り、
音に聞けば2度、観る者には1度の衝突を伴って。
「─────────勝つ‼︎」
京介の右拳が幕之内の横っ腹に辿り着き、ガードに阻まれて潰える直前。脇を引き締めて軌道を内側に畳み込み、縦に立てた右拳が着弾したのは。
「────────────────か────────────は─────────────っ────!?」
幕之内の腹のど真ん中。
所謂、鳩尾。ボクサーにとっては命取りになる場所。京介の一撃で体内中の酸素は蒸発し、呼吸機能が瞬時停止する。その拳の名は、
然し、これだけで幕之内は倒れない。京介が練りに練った起死回生の拳とはいえ、万全からは程遠く、幕之内の耐久性は常軌を逸している。だから、飛び立つのだ。
この拳を習ったボクサーに、その先を約束したから。
「小僧っガードを緩めるなぁーーー‼︎‼︎」
鴨川が叫ぶ。
幕之内の意識は立ち尽くすことに専念して、防衛本能がボディを守り、それ以上の動作を許さない。
蹲りかけの幕之内は、京介の足元に視線が落ちていた。これなら思いっきり打つことも難しい、なんて考えは。予め準備をしてきたボクサー相手には意味を為さない。
鳩尾から離れた右拳が引くことなく、拳を真上へと切り返す。反動を力で押し潰し、手前に引き寄せるように右拳を打ち上げて顎を綺麗に打ち抜き、無理やり上体を起こした。
『倒れかけの身体をアッパーで叩き起こした!
呼吸もままならないところに追撃ィィ!!!』
打ち込んだ衝撃で絶えそうになる意識を、幕之内を打ち崩せる予感と興奮で食い止める。
天井を見上げる視線が間もなく落ちてくる。視線が合えば、これが夢に終わる物語だというのは分かっていた。だから京介は右拳を引き、右肘に遠心力を乗せる。
そうすれば身体に染みついた動作が記憶から引き上げて、左拳が起動する。円弧を描き、落ちてくる顔との距離を測りながら、打ち損じないよう慎重に、尖った意識を一点へと集中させた。
幕之内の顔が流れ落ちるまま、左拳を肩の高さから真横へと薙ぎ払う。アッパーフックのコンビネーションは、京介にとって最高の仕上がりとなって応えてくれた。
『だ、ダウンンンッ!
今井、執念の一撃が幕之内を吹き飛ばす!!』
倒木のようにリングに叩きつけられた幕之内が、1つ小さく跳ねてリングに転がる。
予想だにしなかった反撃に、会場は再び歓声に包まれていた。
▼
刻一刻と迫るタイムリミットを前にして、走らないという選択はどこにも無かった。
ビル街を抜けて暫く経った国道4号線は片側一車線となり、点在する民家よりも電柱の数が多いことに驚く。
楽しむ気など更々無かったが、見慣れない景色を次々と追い越していくと気分が高揚して、予定以上に距離を走っていたことに気づいたのは何度目か。そうこう繰り返しているうちに、今井京介は目的のジムの前に辿り着いていた。
「本日からお世話になります、今井京介です!」
時は試合2ヶ月前。
幕之内が伊達ジムに訪れた頃のこと。
目的地は青森県八戸市、八戸ボクシングジム。
出迎えた八戸会長がお化けを見たような顔をする。
「ほ、本当に走って来たべか!?」
「はい。鴨川ジムに果し状を出して、その足で。
どれだけ擦っても、抉られてもいい。執念を鍛えるために650キロの道のりを踏破しました」
音羽ジムから連絡を受けた時は信じられなかった。
然し、京介の背中にある野宿用のバッグやボロボロのシューズを見れば、本当に成し遂げたのだと信じざるを得ない。
「話聞けば聞くほど危ういべ。陽の浅いうちに走って、陽が昇れば木陰でトレーニング。そんで陽が沈む前から走り出して、月が昇る頃に野宿。それを東京から八戸まで40日そこいらでってのは、気が狂ってるとしか言いようなか」
「帰りはもちろん新幹線ですよ」
「………まあ、流石にか」
そこでひと安心、と息を吐いた八戸の後ろから、山田直道が顔を出して京介と立ち並んだ。
「先輩に、勝つつもりなんですね」
「勿論です。その為に直道さんを訪ねました!
是非ともソーラープレキサス・ブローをご教授お願い申し上げます!」
「理由は、なんですか。なぜあの技を?
僕の拳で先輩を倒せなかったのに、僕から学ぶ必要が見当たりません」
京介に勝った立場としての発言ではなく、客観的な事実。まるで敗者の傷の舐め合いだと言いたげだ。
ならば京介はこう答える。
「俺、幕之内さんに勝ちたくて、ずっとイメトレしてました。どうしても2ラウンドで負けますし、一撃で逆転する手立てもありません。
幕之内さんを倒す方法を探してると、自然と頭に思い浮かぶんです。俺を打ち倒した、あの拳が」
ハンマーナオと戦い、負けて。
対幕之内で負け続けていたイメトレに変化が起き始めた。鳩尾打ちが決まれば、活路が見出せる。
ただ身に付けた鳩尾打ちではなく、ハンマーナオと磨き上げた拳でなら。
「貴方以上に刺激を貰えるパートナーはいない。返礼としてその先を、お見せします」
単発で終わらずに、コンビネーションに繋げる。
あの一撃に多彩を加えることが出来るのは、京介の回転力があればこそ。その協力にハンマーナオが最適なのだ。
「……分かりました」
「! ありがとうございます!!」
「ただ、今日はもう夕暮れ前です。近くの温泉で身体を休めながら、方針を話し合いましょう」
そうして話は決まり、2人は温泉へと向かった。
身体を洗い、湯船に浸かって、言葉を交わすこと数分。京介が幕之内との試合の感想を求めると。
「僕にとっては世界タイトルマッチだった。
手が届かなかった訳じゃないけど、何枚も分厚い壁があるのを感じて、それが嬉しかった」
「嬉しい、ですか。悔しい、ではなくて」
「うん。先輩なら、いつの間にか世界に行くんだなって思うと、誇らしくて」
同意しかないだろう、と思っていた京介は首を傾げた。
「聞いてもピンときません。相対して、ダウン取って、追い越すまでは、きっと」
こればかりは経験者に同意できない。
羨ましい妬みが溢れてくる。2ヶ月後の自分にだって思うくらい、拳が疼いて仕方なかった。
だからこそ、ハンマーナオに出来なかった事を達成したいと強く思う。
「見てみたいですよ。僕の教えた拳で、先輩が膝を折るところを」
「見せますよ。勝つためには、何度もリングに叩きつけないといけませんからね」
京介の言葉に直道はついに頬が綻んだ。
京介からベルトを奪取し、板垣の成長の芽を育て、プロから退いた。今も幕之内の活躍を追い、復帰戦を見届けた矢先の話だ。
世界の頂点に向かう先輩に横槍を入れるようで気が進まなかった。同時に、こんなことで邪魔になる筈もないと思っていた。だが、或いは。自分がベルトを巻けたような奇跡が起きるなら、間近で見てみたいと思うのは不思議なことではない。
こうして京介は2ヶ月に及ぶ猛特訓を経て、鳩尾打ち、事前準備のプロセス、打ち込んだ後のコンビネーションを複数パターン準備した。
努力は実を結び、試合は決着へと加速する。