鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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僕のボクシング

『開幕10秒、幕之内の超変則ボディブローによってゲバラがダウン!辛うじて立ち上がり試合が再開しましたが、果たして1ラウンドを凌げるのか!?』

 

その身体は、10秒前とは打って変わり、死に体と成り果てつつあった。対角線上で始動する足踏みを聞くだけで、膝が折れそうになる。

 

『幕之内やはり飛び出したーッ!』

 

いまにも嘔吐を繰り返したくなるほどの不調に陥り、あごと足先に強力な引力が発生したかのように身体が縮こまる。

万全な体勢で臨んだ男とは思えない変わりように、観客たちは大興奮の声をもって応える。

 

当然だった。

アントニオ・ゲバラにとってここは敵地(アウェイ)

 

「相手は小柄だ!ジャブで牽制して、バックステップで距離を取るんだァ!」

 

味方は背後から指示をくれるセコンド。

そして、遠い地で自分の帰りを待つ人々の情景のみ。

 

歯を食いしばり、現実に目を向けろと己に激を飛ばすしかない。そうしなければ、必然的に負けが決定するからだ。

 

(ジャ…ブ…?いや、あれに、効くのか!?)

 

突風が吹き荒れる。

一撃。どの部位をもって守りに徹しても、たった一撃で貫いてくる。理不尽な災害級の拳を前に堪らず1歩下がっていた。

 

ボディに打ち込まれた一撃は、心の芯をも削る。

 

(止められる自信が全くない。打ち込まれた痛みが、僕の右拳(ジャブ)を否定するよ…)

 

それでも、″所詮はその程度(嵐の前の静けさ)″でしかない。

 

(左、大砲で迎え撃つしかない…。はなれろォォ!)

 

なぜならば、超至近距離において幕之内から発生するモノを一言で表すのなら、竜巻。

目の前で巻き起こる風は、触れたが最期終わるモノ。通過上に立つことは自殺行為に等しく、やり過ごすほかに手段が見当たらない。

しかし、ここはボクシングの舞台。逃げ場など、誰一人として用意されることのない戦場である。

 

(──────!?)

 

リング上の空気がねじれる。フェイント、リードジャブ、ロングフック。あらゆる牽制は、巻き起こる竜巻の前にはあまりにも無力。絶えずウィービングをしながらゲバラの周囲を移動する幕之内は捉えられない。

甚大な被害から放つ拳は、なにより斬れ味がない。

 

空振りしたジャブの真上を、暴風が駆け抜ける。

 

(避け、────ギ!?)

 

咄嗟に上げた左ガードに、幕之内の左が突き刺さる。

くらり、膝が笑う。

竜巻に抗うことが叶わない。

 

それでも、一途の望みがあると信じて目を開く。

 

(拳は、どこだ……いや、どれだ⁉︎)

 

眠気とも言えない脱落感。一発をガードするだけで心身が削れていく。

幕之内の、全くもって容赦のない動き。右から左から、ときには地面から飛び出すように突風が身体を攫いにくる。油断のなさ、そして停止しない様子にフェイントすら実弾に見え始めていた。

 

(見、ろ……拳を、見つけろ…っ!)

 

次々と巻き起こる竜巻。

 

左利きだから生かされているだけの猶予。右ガードが、ほんの僅かながら試合の終わりを先延ばししている。

 

ゲバラはそれを分かっていた。

そこに甘んじるようでは捉えられるはずがない、と。

 

(視界が霞む…どれが正しいのか、分からない)

 

全身を丸め、レフェリーに止められないように被弾を最小限に足を動かす。ギシリと内側から嫌な音が鳴るが、構っていられるほど時間がない。1ラウンドの間であれば無理を通せる、そう思い込んでひたすら抗う。

 

(愚直、真摯、根性。死に際を歩く戦い方を…捨てたんだね、君は。資料とはもう別人…)

 

2度、3度とガードに叩き込まれる。

歯を食いしばり、折れるものかと顎をひく。

 

「なんだあれ!?ずっとデンプシー・ロールをやってるのか!?」

「いやあれウィービングだろ!?あんなに動けるかよ普通!」

「いけ幕之内ーっ!」

 

世界への挑戦は、いつもこうだった。

周りは敵だらけ。

 

(この期待に、僕は潰されて、しまうんだね…)

 

それでも、世界の(ふもと)にまで迫るだけのセンスがある。どれほどピンチであろうとも、相手は同じ麓を渡り歩く者たちに変わりはない。この手が届くときがくる直感がある。

ゲバラは、何度もここから勝利への糸口を手繰り寄せたのだ。

 

ガードの隙間から見た景色。

赤い拳が右から左へ放たれた。

 

『フック炸裂ゥーーっ!ゲバラの身体が左へ大きく崩れゆく!』

 

(…!いや、いいや。彼の右は…彼の、左は…!?)

 

数度打ち込まれた拳から、恐怖とともに握りしめた確信。根拠はない。しかし、培われてきた勘は、ここにきて最も信頼できる希望へとなった。

 

薄れゆく意識のなか、ゲバラは。

 

(こ…こに、来る…!)

 

勝利を掴むため。

嵐の障壁に向かい手を伸ばした────!

 

『寄りかかるそこは死地(コーナー)

ついに逃げる場所もなくなった!』

 

コーナーに張り付くように整える。

肩幅より広くとる足は、入ってこいと相手を誘う。無理なく、最大限打ち返すように構えた。

 

極端な話、コーナーに沿えば左利き対策のポジショニングなど関係ない。ゲバラのように外への道を塞げば、ど真ん中しか残らないからだ。

ゲバラにとって最も優位な体勢で、何度と決めてきたカウンターを仕掛ける絶好の機会。

 

(なにかを、狙っている…!)

(いつも、通りに…!)

 

届かない拳が、1度だけ届くのなら。

意地を張ってでも、恐怖を噛み締める価値がある。

 

予測不能なウィービングにも即座に反応できるように、左ショートフックを選ぶ。潜れば右の振り下ろし、守れば右であごを打ち上げて勝負に出る。過去から学んできた幕之内という選手は、一分(いちぶ)の隙がある。

右の一撃は、必ずまた打ち込まれると。

 

(思い出せ、会長との練習を!信じて踏み込むんだ!)

(みんな、信じて待ってくれている。だから、動けっ!)

 

両者が、信じる者のために拳を握る。

 

互いに、力の限り踏み込んだ直後。

先に拳を放ったのは、ゲバラであった。

 

真正面へ飛び込んだ幕之内と、距離を計り左を真横に一閃。直撃の感触はない、と確認する間もなく右を打ちおろす。もはや目標を見ていない。ウィービングすると確信があるから放てる拳は、現実となった。

 

(そこは、空いていたじゃ、ないか…!)

 

突き刺さったのはガードの上。

渾身の一撃は起き上がる幕之内を怯ませるに至らず、ならばと。ねじった腰を勢いのままに振り返した。

想像していなかった反撃を前に観客が息をのむなか。

 

堅固に守られる頭部を横目に、ゲバラは限界を迎えた。

 

(ありがとう、ございます…!

全て、ガードできました、会長!)

(そん、な…丁寧なガード…、しら、なかった)

 

突風が右拳の下を通り抜ける。

苦し紛れのソレとともにゲバラの顔が後方へ弾き飛ばされ、リングの上にタオルが投げ込まれた。

 

ただ一瞬の出来事に、声を挟むことも表情を変えることもない。

 

ホールに伝わる爆発音が物語る、静寂に潜む興奮。

 

「ゲバラという男の知る限りを身体に染み込ませてきた。土壇場で狙う手段は、賭けのようなパンチを繰り出す。

小僧は己のどこが狙われやすいか、ずっと自分の試合を見つめ直しておった。きっとそのときは、過去の試合を参考にするだろう、とな」

 

レフェリーは慌てて幕之内の腰に飛びつき、試合の勝者を教える。

 

「相手の土俵に一度上がらなければならない理由などない!我が道を押し通してこそボクシングじゃ」

「一歩くんの妥協を許さない練習は、それだけで驚異的な仕上がりを見せてくれました」

 

それで、ようやく竜巻はおさまった。

入れ違いでホールから湧き上がる歓声と祝福の数々。

 

『き、決まりました…1ラウンド27秒、試合終了です!』

 

顔を上げた幕之内が思ったことは、謝罪。

 

(ごめんなさい、会長。

新型デンプシーロールは、まだ使えません)

 

人外の者だけが棲む場所、その境界線を前にして。

幕之内は右足で、木陰となった境界線の片隅を踏んだ。

 

こうやって、いつの日か。

人外の境界線を塗りつぶして、鷹村さんのもとまで行きます。

 

そんなメッセージを込めて。

 

(だって先に、報告したいことがあるからです)

 

もう1つ込めたメッセージがあるのだが、これは後日。

 

いまは、喜びの限りを口に出す。

 

「会長!ぼく、まだまだボクシングできます!」

 

満面の笑みで伝えられる報告。

晴れ晴れとした表情に、鴨川はゆっくりと、我がことのように喜びを噛み締めて首を縦に振り答えた。

 

「……うむ!」

 

幕之内 一歩。

1R27秒K.O勝利!

 

WBC・WBAランキング8位獲得!

 

 

 

 

「やりゃあできるじゃねーか。勝ち気120%、それだけでいいんだよ。

″余計な意識″はリングの上に不要だ」

 

控え室、鷹村は呟いた。

表情も、声の抑揚も、言うまでもない。

勝利を祝うものなのかは、本人のみが知るから。

 

「世界、ちったあ見えたろ。そっから先はビックリするくれぇ早いから気を緩めんじゃねーぞ」

 

ベンチから起き上がり、右拳を握る。

幕之内は言ったとおりのことをやった。

モチベーションは最高頂を迎える。

この熱気を、ようやく解放するときがきた。

 

「さて…次は、俺様の番だ」

 

後楽園ホール、最後の試合がついに始まる。

 






セミファイナルは割愛します。
なお、セミファイナルは世界前哨戦です。機会をみて同作品別枠をつくります。書くのは来年の中頃か、ちょいあとくらい。


本作品の今後の予定について、活動報告にあげました。よければ確認してください。


次回予告
ライトヘビー級タイトルマッチ開幕!

最強の鷹の枷が一つ外れ、さらなる飛躍を遂げる。
最高のコンディションで挑むはライトヘビー級歴代最強、ティム・フェザント。

「ヤツを例えるのなら、現役の猫ちゃん…。猫田 銀八の野生が化学により進化した姿と言えよう」

鴨川の例えに嘘偽りなし。
重量級規格外の男たちによる狂騒、大波乱勃発。
世界最高峰の野生と野生がホールを沸かせる。
異様な戦績、異質な瞳へと挑戦者の拳が放たれるとき、全てが静寂に沈んでゆく。

(強いだけじゃ、この境界線は越せないッ。図々しいヤツのテリトリーは、俺様の手元まで届きやがる)

頂上を渡り歩く人外たちの物語。
テーマ「王とは
12月下旬、試合開始!

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