ホールは幕之内の完全復活に興奮冷めぬといった様子で、ざわつきが絶えない。
宮田が階級を上げたとき、幕之内がリングに戻らないという根も葉もない噂が不安を煽っただけに尚更だろう。
あと1つか2つ試合をすれば、次は世界の頂きに臨む可能性もでてきた。日本中が揺れることは間違いのない事実である。
だが、今宵の主役は幕之内にあらず。
ホールに散らばるライトが観客たちの意識を戻しにきた。
『皆さん、お待たせしました。ただいまよりメインイベント、ライトヘビー級タイトルマッチを開始します!』
前座、全てが一味違った。
頂点へと向けて一心に駆け上がる。全員がその熱をもっている。観客たちがあてられた熱は、中毒性のある厄介なもの。メインイベントともなれば、タガが外れんばかりの熱狂へと変わるに違いなく。
『まずは挑戦者の入場だァア!!!』
なにもかもは、不敵な笑みを浮かべる最強の男のためにこそ。それぞれが贈る応援歌ともいえた。
入場口が開かれた瞬間、煙が全方位に四散する。鷹の羽ばたきによる伝説の幕開けは、3人の贈り物を手にしたことを意味した。
『
入場口から吐き出す煙を巻き込みながらリングに駆け上がる姿は、まさに観るものを惹きつける存在。
最強の戦績と最凶の破壊力を持つ男。
『32戦32勝32K.O!!
WBC・WBAミドル級王座統一戦以降ダウン無し。
男たちの憧れを一身に備える姿は、魔王。
あぁ、ならば。彼について行く者たちは皆、どこかタガが外れている。彼の敗北など想像もしない、夢を見続ける幸福の最中。邪魔が入るなど疑いもしない。
『ここは地上四合目、我々の知る鷹と思うなかれ。最新の両翼が後楽園ホールに熱風を巻き起こす!
日本の鷹が、頂上への一歩を踏みしめたっ!』
鷹のユニフォームが全身を包み込む。
重力に従いゆらりと鷹村の全身を覆った直後、両拳を突き上げて咆哮した。
「いくぜ4階級制覇!!!」
即座に反応する観客たち。
鷹村に合わせて拳を突き上げ、思い思いに声を張り上げる。
「待ってたぞ鷹村!」
「この勢いに続けぇぇえ!」
「負けるなんて思ってねーよ!」
熱狂が常にピークを迎える。
前座の試合の興奮冷めることなく。全てを加速装置に変えて、夜の雰囲気を味方につけた。
『鷹村の声に観客が応える!会場が鷹に染まろうというとき、青空は夜へと様変わりだ』
暗転する空。
即座に赤へと塗り替わるホール。重低音のドラムが心拍数を掴み、ホールの雰囲気を強引にも注目させる。
『日本の
解かれた扉の向こうに、一筋の眼光。
現れる影を視認した観客は一同が生唾を飲み込む。
『無味・無相・無流・無敗…。あらゆる感情を表に出さないがゆえ、彼の底を見たものは誰もいない。
あまたの試合に臨み、2階級制覇達成するもなぜ、実力が未知数と言われているのか。
その理由は戦績にある!』
悠然と響き渡る足音。
次いで色を帯びる全容。
黒を基調とした黒い波模様が刻まれるロングシューズ。蒼いボクサーパンツの両サイドに黄色い縦線。
白い肌と空気を含んだ金髪は見るものを惹く質感がある。そして、見たものは視線が交差した瞬間に目をそらす。黒く、誰も踏み入ったことのないほどに深い、暗い海の底を思わせる瞳に怯むからだ。
『38戦38勝、K.O勝利数はなんとたったの2!』
「ポスターのK.O数は間違いじゃないのか!?」
「嘘みたいな戦績だ!これまでのチャンピオンたちに比べてずいぶんと、なぁ…?」
「そんな非力なチャンプさっさと倒しちまえ!」
宮田 一郎は呟く。
「……あれが、無感の王か」
静かにリングへと向かう男の顔を見て、思わず息をのんだ。宮田にとって、フェザントのカウンターを鷹村がどこまで封じることができるのか想像できないためだった。
『ほとんどの試合がフルラウンド、神経張り詰めるリング上で生き抜く男。しかし侮るなかれ、この戦績だからこそ歴代最強と謳われている!』
「嘘だろ、どうしてそんなやつが!?」
「ライトヘビー級って、K.O連発してなんぼじゃねぇのか!?」
「わけわかんねぇよ!」
解説について観客が反応する。
宮田は、観客たちか理解していないことを責めはしない。もし知ってしまえば、試合開始前のいま、これほどの熱狂ぶりを見ることは叶わない確信があるのだ。
『過去最大の異彩を放つ王者がリングイン!』
役者は揃った。
リングでは、試合開始のゴングが鳴るそのときまで、両選手が口を開けることはなく。
「いつも通り、行ってこい鷹村!」
「最強の鷹を撃ち落として答え合わせといこう!」
ただコーチの言葉に1度頷くのみ。
ついに、終夜の第1ラウンドの幕が上がった。