鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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辿り着いた深淵

第5ラウンドの幕が上がる。

 

聞き慣れた、心地良い鐘の音をどこか他人事のように聞き流す。チャンピオンは相変わらず、バカの一つ覚えと言うように待ち構えている。

ダウンを取った余裕からではない、とは分かっていても。ステップも刻まずに自分と対等、もしくはそれ以上の実力で渡り合っていることが腹立たしく思えてきた。

 

「いいさ。オレ様はガラじゃねぇからな。身体に全部任せて、貴様を殴り飛ばすだけだ」

 

駆ける直前、息を吸い込んだ。

世界のリングでこんな時間があることだけは、目の前にいる強者を抜きにしても悪い気はしない。

 

「よーやく、イメージの使い方が解った」

 

面白おかしく呟く。

そこから、すでに違っていた。

人を凌駕する存在と相対して掴んだ感覚に、自分の経験を染み込ませる。

…呼び起こす。そんなクサい言いかたが合っている。1年間、ティム・フェザントの影と戦い続けてきた記憶。苦悶し、引退の恐怖を実感した夜。最強を自負する己が、試合で負けずともボクサー生命が断たれた幻影。

 

それらを、単なる糧と考えたことがここまで苦戦した理由だ。そうじゃなかった、そこで終わってはいけなかった。

 

少しでも苦戦するなら、イメージと常に戦い続ける。ノーミスで終わらせることは可能だ、誰が相手でも必ず道はある。それが出来ないのは、そのときだけで終わらせてしまったからだ。

 

オレ様の戦いは、ベルトを巻くまで終わらない。

オレ様の戦いは、ベルトを巻いても終わらない。

オレ様の戦いは、勝つまで勝ち続けることだ。

 

「……」

 

まぶたを開ける。

1秒の時間で整理した。ほんの些細なことだったが、この程度でも充分。

 

振り向いた視線の先。

アホ面を並べるバカどもに声を送る。

 

「声が出てねえぞ」

 

聞こえたかは知らない。

 

鷹村さん、がんばってください!

 

こういうとき、一番聞こえるのはお前の声だ。

 

「フッ…当たり前だ!」

 

ぐるりと右腕を回して応えた。

 

 

 

 

コーナーを蹴る鷹村を待っていたのは、予想に反したフェザントの先制攻撃だった。

左はストッピングの翻りよりも疾く、やはり重量級には似つかわしくない風切り音が鳴る。そして、鷹村も合わせるように外から右を被せて最速のクロスカウンターとなる。

 

互いに振った拳を相手に伸ばしながら、頭部を同時に後ろに回す。

 

頬にかすり傷を残し、一撃は決まらないまま砲撃戦は幕を上げる。

 

「────」

「────」

 

背後で騒がしく声を張る観客の声は、この二人の耳にはもう届かない。聞こえるのは仲間とパートナーの想い。

 

tut(ヂッ)──」

 

先に抜き出たのは、鷹村の左。

ストッピングを軽々と打ち壊し、王城に次々と砲撃を繰り出していく。1つ止められれば2つ、それも止められれば3つ。それ以上は拳が追いつかないものの、殺気(フェイント)が加わり(まも)りを掻い潜る。

 

(…!)

 

再三の警告音が王の脳裏に響く。

その正体を理解している。だが、どんなものが来るのかが分からない。先ほど、鷹村を仕留め損ねた左拳に力が入る。

 

最早、王としての立場など崩れた。

ここは死地。出遅れたら最期、己の勝利が手の届かない場所へいってしまう。

 

だというのに、目に映る波紋が消えていくさまに理解が追いつかない。波紋が消えていくと理解しているが、なぜ見えないのかが理解できない。

 

「〜〜〜〜〜ッ!!」

「遅いッ!!!!!」

 

王は知るはずもない。

鷹村が味わってきた、誰にも言えない苦痛の日々を。この日、このときのために準備を進めてきた、数えきれないほどのタイトルマッチを。

ただのイメージ、されどイメージ。鷹村ほどの人間が行うイメージ、シャドウならば実践といっても遜色はなく。いま、持てる限り、分かる限りの全てを照らし合わせていく、鷹村の瞳は。

 

イメージに合わせて打つ。

イメージが先に打ち抜き、現実が重なり合う。

 

数々の修羅場を乗り越えてきた彼の本能(いしき)はついに、潜在する境地へとたどり着く。

 

(マモル、お前はついに…)

 

繰り出したジャブは影。そう放てば理想という、それだけの偽物。

否、それは先ほどまでの話。このとき、鷹村の迫力が見せた幻影は現実となる。

 

(おれを越えたのかッ)

 

一閃、体躯を揺らす。

反応する素振りすらできず、城の壁面が一気に崩壊を始めた。

 

人間の反射速度、限界に到達しているとまで言われるフェザントの守りが後手にまわる。

見えている波紋は囮、身体を削るのは見えないなにか。

見えなければ逆に見える、などと理論を再構築できるほど相手は純粋ではない。フェザントの常識を覆し続けるいまの鷹村には、波紋をどうこう弄り倒したところで使いものにならなくなってしまった。

 

大歓声がホールを揺らす。

鷹村の覚醒に心を踊らす。

一方的に叩き込まれる拳に声が出る。

 

本能に委ねた数あるうちの1つが頬を打ち抜く。それが他とは違ったことは、フェザントの位置が変わったこと。

 

「……!私の王が、退いた……!?」

 

10を超える強打に目を細め、至近距離を嫌った。

 

『つ、ついにフェザントが後退したぁぁあ!!』

 

ここまで来ておいて逃すはずがない。

退いたぶんよりも更に踏み込みジャブを放つ。直近のパンチでは最も弱いそれは、趣旨が全く違っていた。

距離を測った。どこかで理解し肌に寒気が走った。

 

「うおおおぉ!!ついにきたぞ!!」

「あとは倒すだけだ!いけ鷹村!!」

 

だが、その警戒さえも。

 

「逃してはならんっ!」

「ティィィィィムッ!」

 

(わかってるよ!!)

(ようやく、か……)

 

最後の一発として、強い確信を持った拳でさえ。

本能を相手には無意味だった。

 

渾身の右が炸裂する。

守ることが愚かで、なのに避ける暇が与えられない無慈悲にして、ボクサーに対する最高の手向け。

フェザントの左頬に着弾した音を聞いて、次に吹き飛んでいく巨体を見送って。観客たちが興奮を声に変えるより先に思ったことは、果たしてチャンピオンは生きているのか?だった。

 

1秒の間に駆け抜けた思考。あとから押し寄せるものは、王座交代に期待を膨らませる熱狂の渦。

 

『こ、言葉にならない右ストレートがチャンピオンに直撃!

そしてこれがダウンとなったぁぁア!!!』

 

ロープによれかかり項垂れ、視界は上がらないまま座っている。

駆け寄ったレフェリーの確認により、カウントが開始される。

 

『チャンピオン座り込んだまま動きません。観客席の外国人もみな驚きの表情。こんな場面、予想できなかったからでしょう』

 

「嘘だ、そんな!」

「なんなんだ、あいつは…!?」

「あのティムが、追いつけていない」

 

そこに崩れていく威厳があった。

独りでなんでも出来る人間は王となり、皆が尊敬と謙遜をする。見ていて安心できて、絶対の安定感と強さを誇る。異質ながら世界に浸透した王から、それが欠けた。

証拠に、ティムの観客たちは絶句し言葉を失っていた。

 

(くそッ、始めてづくしだ。力で押し負けて、挙句にすぐダウンだ…。それに、あんなストレートも試合中では味わったことない。

アメリカでも中々見ない威力だ、本当ならリングに上がるべきだろう)

 

カレーリアは舌打ちする。

なにがどうなったのか分からないまま王の玉に傷がついたのだ。動揺もするし、ティムの動向により注視する。だから言葉を、こう続けた。

 

(けどね、私は足じゃなく、喉を動かす)

 

余裕はないが、笑っていた。

自分の王が地に伏せながらも、逆に王に対する信頼は増していた。

 

「ティムの顔、見てみろよ…!」

「ま、まじかよ…あのティムが…」

 

観客が気づく。

鷹村に塗り潰されていくホールのなか、静かな異変に目を凝らした。

 

「あんたのその顔を見て止められるほど私は過保護じゃあない。笑う顔も初めて見せるね」

 

のそり、そんな効果音が似合う立ちかたをする。

怠さはない。呆気なく立つ姿は驚くことに、ダメージのカケラもないように見える。

 

「なら次は初めての逆転さ、ステップ刻め!」

 

むしろ、逆だ。

フェザントの釣り上がる口元、ギラリと滾る瞳、見るからに漲っていく闘志。

 

王として決定的なものが崩れていった。その認識が間違っていると、直ぐに鷹村は考えを改める。

 

「まあ、そう簡単に終わらせちゃくんねーか」

 

鷹のツメは、見えない枷を知らずのうちに外していた。

イメージのときから引っ掛かっていた、フェザントの底。きっとそこを開けたのだ。底に着くと同時に終わらせたかったという考えが終わる。

 

レフェリーの合図が告げられる。

ならば、やることは1つ。

速攻で倒す。いまの流れを断つには試合を止めるか、1分後のゴングを待つかしかない。

 

待つまでもない。

表情に余裕があれど、本当と嘘を混ぜこぜにしたに過ぎない。効いている事実は、誰よりも己の拳が知っているからだ。

 

深い瞳をする王は、迫る寿命の刻限を前にして。

 

「───I’ve missed you so much(あぁ、会いたかったぞ)

 

自らを不動としてきた男は、その立場を自らの足で解いた。

 

「…!」

 

淀みのない拳が打ち込まれていく。

なんら変わりのない、されど本能に寄り添う最高峰の連射は、リングの上で空砲と化した。

 

「ジャブのキレで予想はしておったが…」

 

あらゆる重心を落とし、深淵に潜るかのごとく鷹村の視界から影を消した。

塗り潰した空気が反転したかのような寒気。目前で、とにかくマズいことが起き始めたことだけを理解し。

 

「鷹村ッ、下を見ろ!」

 

そして。ソレは、鷹村のイメージにはない。いや、そもそも1度たりとて試合で見せたことがない。イメージ、シャドウで対峙した影の全てが霧散していく。

 

真新しい、予想もつかない身のこなし。

異常に低く、異様な速さのフットワーク。

 

左、右を縦横に走らせる。

が、普段見ない直角のステップインが拳を振り切る。

 

「────!」

 

影が並ぶ。

並走し、鷹村の腰を軸にステップが地響きを立てる。

突き放そうと拳を量産するが、あまりにも懐に潜り込みすぎるせいで距離感も掴めないまま空打ちした。

 

無闇矢鱈と拳が空を斬り幾度。

混乱を拭いフットワークに重点を置こうとしたとき、再び鷹を撃ち墜とす弾が標準を合わせた。

 

眉間、リバー、顎と急所を狙うそれを。

 

「グ、っ〜〜」

 

身体を捩り、無理やりガードを挟み込んで拒否した。

だが、視界を横切りざまに放たれた衝撃を見逃していた。

 

右頬に直撃し、口内に鉄の味が広がる。

静かに舌を転がし飲みこむ。足は揺れていない、まだ故障には至らない。

警告音が報せる。打て、当てろ、止まってはいけないと。

いまの鷹村なら、本能でねじ伏せることができる。

 

(クリンチでもないくせに打ちにくい!クソめ、ストッピングといいこれといい手が出せ……む?!)

 

ではなぜ、無駄も迷いもない今で追いつかれるのか。

 

「ドラゴンフィッシュブローの連続か!?」

「違うだニ!アレは、ストッピングだニ!」

「なに言ってんだ猫田さん、打ち止めてないじゃないか。アレのどこが…」

 

鍛え抜かれた全身の衛りを停止する。

機能しないものを使う必要はない。一方的に攻められるのなら、戦い方を組み替え、都合の良い噛み合い場所を探す。

 

それが、誰も見たことがないフェザントの姿。

ストッピングを新しい姿へと変えた最適解。

 

「チャンピオンの低姿勢…もしかして、ずっと」

「鷹村さんの右腕にピッタリくっついてやがる!」

「左腕もだ!鷹村さんのパンチ潜って片腕の死角に入り続けたんだあのヤロウは!」

 

見えなくなった波紋、探していた人物との念願の直面がフェザントの技を新たな局面へと昇華させた。

本能が天敵に値すると告げる直後。

 

「んな小細工が通用す、っ!?」

 

ただがむしゃらに、全力で寒気が走った場所に腕を振り上げた。がすりと音を立てた直後、頬を掠る拳。

掠った拳は、間違いなく失神の一撃。

先ほどの拳とは別格の凍てつく雰囲気を纏う。

フェザントの身体が、新しいスタイルへと即座に馴染んだことを意味する。

 

波紋は見えている場所と見えていない場所がある。相変わらず繰り出す拳の波紋は、前兆すらない。しかし、自信の支柱だけはいまも見えている。

本能を剥き出しにする鷹村からは絶え間なく、誇りと自信の支柱が表れている。むしろ、それこそが鷹村がフェザントを追い詰めた正体でもあった。

ならば、たとえ真正面であろうと実現できる。高速でステップしながら弾丸を打つ現状で、成功させることのみに注力する。

 

(そこでもない、あそこも違う。これでも、どれでもねぇっ…が!)

 

皮が剥がれていく。

鷹の成長も生命のやり取りのなかで加速する。

急所と視認困難な拳を、片腕を常に封じられながらこなす。

ただ観察し続けることに時間を費やす。精神の疲労もさることながら、体力でさえも底に尽こうかという移動。

 

(追いつけ…!)

 

周囲の音が聞こえたのは、両者の拳が顔面に直撃したときだった。

 

相打ちにより、必殺の一撃から逃れた。

それでもフラつく身体は、フェザントも同じ。

 

そして、時間は切れる。

 

『こ、ここで第5ラウンド終了!ファイトスタイルの突然の変更にホールが息を飲むなか、勝負は次に持ち越されました!』

 

フェザントの深淵を、ついに明かした。

第5ラウンド、瞬きも許されない時間が終わる。

 

 

 

 

王が現れた。

無性に、心が揺れていた。

その旅になんの意味があるのかは分からない。だから、意味があったと分かるまで続ける旅。

 

「長くはもたないね?」

「………」

 

カレーリアの声にいつもの無表情で返す。

言わずとも分かっている。長い旅の終わりが見えたせいだろう、目的地に向けて全力で走り出している。

 

「好奇心に身を委ねるつもりはない。…波紋が見えなくなった。だからおれは、アーテのボクシングを信じる」

「オメー……」

 

鷹村のボクシングに対する学習能力は、現代のスーパーコンピューターの遥か頭上をいく。波紋が見えなければ、即座に対応する必要があり、その頼りは練習だ。

そんな言葉が出てくるとは予想外のカレーリアは、ポカンと口をあけて、次の瞬間には笑いを押し殺していた。

 

「な、世界を旅して目的を見つけた感想は?」

「あんなやつが目的地で納得いかん。…もっと、静かな人間だと予想していたから、アテが外れた」

 

やはり喜怒哀楽が欠けているが、会話は弾む。

フェザントがようやく見せた困惑。これを乗り越えたさきに待つものが彼の疑問の答えと分かるから、笑い声が漏れてしまう。

 

「クク……そーかい。私は予想通りだったさ」

「………」

「そう不思議に思ってちゃあオメーさん勝てないよ?いまのオメーはチャンピオンって風貌じゃなくなっちまった。

だからねティム、物語の王になれ。

探してたモンがそこにあるんだろ?まずは勝て」

 

カレーリアは、鷹村から聞くのではなく、フェザント自身が答えを導き出せることを示唆した。

 

「さ、自分で捻り出してきな!」

 

大きく張る声に押され、男は歩き出した。

 

 

 

 

″王とは、なんだ″

 

チラリと過ぎる問いかけ。

 

知りたいものを知ったとき、たまたま王がソレを持っていたに過ぎず。それ以外に道がなかったわけでもない。

 

「ローダッキングでもなく、ずっと低姿勢を維持してのボクシングは知らん。あれは、さっきだけのものと思いたいが…」

「やれる、だろうな。あいつは、あのスタイルを勝つまでやめない。もしかすると、オレが破れば次のモンを用意するかもしれん」

 

否、元より。

男は王などではなかったのだ。

アレは、そういう意味ではない。

問いかけられた者が、自らと立場を逆転したさきのことを聞いていた。無論、勝敗云々も含めてはいるが、この場合は拡大解釈していい。

 

「分かることは、急造品のくせしてオレに通用するってことだ。いいじゃねぇか、新しいストッピング。やつの全部を越えてベルトぶんどってくる」

 

どっこらせ、と立ち上がる鷹村。

 

「それと、しょーがなく教えなきゃなんねぇ。王ってのがどういうことか。

会長(ジジイ)、あんたの言う通りだ。

余計なもん削ぐよか、両立したほうがカッコいい」

 

自らが押し退け、その過ちを正してきた道。

綺麗に整うことのない凸凹砂利道を踏みしめる。

 

「……そうさな。いまのお主なら、あのチャンピオンに言えることの1つや2つある。

その背中を見せることが返事となろう。

小僧たちも待っておるぞ、無事に帰ってこい」

 

次に帰ってくるとき、決着がついている。

ニッと口元を上げるボクサーの顔がそう告げた。

傲慢から道を外れた男が、外道を辿り迂回したいまがある。チャンピオンのことを知らずとも、求められる答えを手にしている男だ。それを示す資格と自信が、勝敗の行方を決めることになる。

 

かくして、終幕のラウンドは両者を引き合わせた。

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