鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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物語の中心を取り巻くものたち


 

廻り、削り、心を狂気に傾ける宴が終わろうとしていた。

 

観客が向ける視線には二人の男しか映っていない。例外なく込められた意味はただ一人、幕之内 一歩の勝利を望むこと。

 

相対する男はWBAフェザー級2位、メキシコの死神、アルフレド・ゴンザレス。

前半、全くと言っていいほどに手が出せなかった。世界の技術に翻弄され、完封される時間が続く。それを幕之内は全霊で受け止めて、打たれ続けるなかで僅かな希望を掴むためにデンプシー・ロールを解禁する。

これが功を奏した。徐々に劣勢が均衡へと変わっていく。いつまでも倒れない幕之内に苛立ったゴンザレスは、大振りの一撃でトドメを刺そうとした。その一撃を掻い潜り、反撃の一打を見舞うとガードされる。しかし、ガード越しですら効く理不尽な一撃にゴンザレスはダウン。ついに世界との隔壁を打ち砕いた勢いに勝利の予感で会場が震える。

序盤まで手が届くことのない試合を見せられてきた。必勝のパターン、理不尽の押し付け、抜群の適応力が悉く潰された試合だった。

 

『幕之内とゴンザレスの火の出る打ち合い!

ここが勝負の分かれ目、両者退くことなく相手を殴り続けていく!』

 

両者が握り締める右拳に馳せた想いはなにか。

観客も、選手も、セコンドですら読み取れない。

ただ、確かに握り締めたものがあることを感じ、最後の行方に己の右拳も握り締めていた。

 

直線が2つ、リング中央で交差する。

 

『右と右のカウンターが炸裂っ!これが……』

 

1つはグローブが歪み、球状のものがしわを寄せながら着弾先の意識を刈り取る。

1つは伸びた先で勢いを失い、僅かに天井へ浮かび上がったのちに真下へと下降する。

 

「小僧ォォォッ!!!」

 

崩れる身体は幕之内。

投げ込まれるタオルが散々たる結論を会場中へと報せる。

 

『これが、挑戦者の夢をリングに叩き落とす!

試合終了…。幕之内、世界の壁を前にして崩れ落ちていく。会場の悲痛な叫びが敗北を告げています…』

 

こうして、幕之内 一歩はアルフレド・ゴンザレスに敗北した。

リングから立ち去るゴンザレスは一度だけ振り向くが、言葉を残すことなく階段を降りる。

 

幕之内 一歩、世界前哨戦にて敗北。

 

そして、ここが原点から乖離する分岐点。

物語を動かしてきた男が復帰するまでの間、その背中に追いつこうとする者たちの応援歌である。

 

 

 

 

「先輩ッ!!!!」

 

観客席でその声はひときわ大きな悲鳴だった。

しかし、皆が同じ気持ちであったため、代弁してくれた程度の認識しかなく。振り向くことすらできないほどの衝撃で動けない人が大多数。声の主など気にする余裕は、1秒後にはホールの失意に飲み込まれていた。

 

声の主は立ち上がり、両眼を見開いて現実を凝視する。試合終了のゴング、幕之内の敗北ということを受け入れることができない。世界からの選別に弾かれ伏す姿に、自分の心が大きく揺らぎ呼吸が乱れる。

憧れの男、数多の人間に勇気を与える愚直な姿がいまはなく。無事を祈る簡単なことですら、視界が揺らいでままならない。

 

「そんな……あの倒れ方は普通じゃないっ!」

「直道、落ち着け!ほら深呼吸だ、深呼吸っ!」

 

直道と呼ばれた黒髪長髪の男を呼び止めるのは、隣に座る中年白髪の男性。背中をさすり、まずは自分を取り戻させることに専念させる。

 

「直道!幕之内さ負けた。だが必ず帰ってくる!お前の憧れの背中は負けたくらいで霞むんか!?違うはずだ!」

「……ッ!……は、はい……はいっ……」

 

山田 直道は焦点が定まらないまま、八戸会長の言葉に生返事をする。気休めにしかならない言葉だというのは、繋がった眉毛が小刻みに震えているのを見れば分かること。

試合中、幕之内が打たれるたびに両拳を震わせ、必ず突破口を見つけると信じていた。それが叶った矢先の急落下。幕之内に憧れて、彼の背中を追い続ける直道にとっては精神的ダメージが大きすぎる。

 

「気になるか…?幕之内のところさ、行くか?」

 

八戸会長は悩んだ末に幕之内の見舞いを促した。

浅い呼吸から徐々に深呼吸へと変える直道。両拳は震えているものの、瞳はすでに憧れを見据えるものを思い出している。

 

「いえ……。いまは掛ける言葉を持ち合わせていません。少しだけ先になりますが、僕なりに、先輩にエールを送ります」

「……よし、よー言った。直道、お前さ鍛え上げてきた拳なら必ず幕之内に届く。ワシが届かせてみせる」

「日本の頂点に行きます。あそこなら幕之内さんに届くものがあるはず。きっと、なにかを動かせる」

 

直道は決意を口にして、目前に迫る頂きに向けて立ち上がった。

八戸会長は不思議そうに声を出す。

 

「鷹村の試合は見なくていいんか?」

「…あの人は負けません。

いまの鷹村さんの背中には追いつけませんよ」

 

メインイベントを置き去りにして、直道はリングを見ると目を細めて言い放つ。八戸会長は真意を聞かずに立ち上がり直道に続く。

鷹村をそう評した直道の両拳の震えは治まり、しかし表情は哀しげなまま会場をあとにした。

 

 

 

 

「幕之内さん……」

 

崩れ落ちる憧れの人を見て、今井 京介は驚愕に顔を歪ませた。試合中、負けが思考の片隅に浮かぶたびに消し飛ばしていた。これまでがそうだった。どんな逆境も跳ね除けた男なのだ、今回も絶対に勝ってくれると信じて疑わなかった。

 

結果、幕之内 一歩は敗北した。

憧れの人が勝ち続けられるとは思っていない。誰だって負けるときがある。同じプロボクサーとして、信念がぶつかり合う結果は予測不可能だと重々承知している。

京介はそのことを体験した一人。勝つこと、負けることを一人のライバルから教わったのだ。当初の試合を思い出して握りしめる拳は、会場の熱にあてられていつもより固くなっていた。

 

「なにをしている、俺は。今すぐにでも身体を動かして、先に進まないといけないだろう。

負けて心が折れようと、必ず彼は立ち上がってくるぞ。″効いた″からリングから降りる人じゃない」

 

苦節、乗り越えたライバルとの死闘。

あのときの緊張と興奮を思い出す。それまでに味わってきたガムシャラな努力が背中を押し続ける。まだ見ない強敵を倒し、目標に辿り着くためのモチベーションは日々膨れ上がっていく。

幕之内の敗北で削られるほど、京介の戦意は薄くない。

 

「貴方が止まったなら、俺はその分だけ進むまで。近く、必ず貴方と同じ舞台に立ちます。どんな場所でもいい…俺は、幕之内 一歩に勝ちたい」

 

日本フェザー級王者は踵を返す。

彼の瞳には次の試合、半年以内に行われる次の対戦相手のことが映っていた。

 

 

 

 

「負けてしまったか……」

 

観客席で一人、一際小さな呟きを漏らした。

会場の落胆の声には彼も漏れず。しかし、負けたことに対しての受け止める早さは会場で一二を争うほど、負けとの親密度が高かった。隣り合う心友に語りかけるように、そして仇敵に白い牙を見せつけるようにして笑う。

 

「さて、俺の声は届くかな…。いいや、届けないといけない。じゃなきゃ、幕之内くんの戦いが無意味になってしまう。

立ち上がってくれよ。幕之内 一歩には、大勢の心を励ます才能があるんだから。俺もそうだった。……また、そうしてみせる」

 

笑みの矛先は敗北。

そして、自分自身。

 

幕之内 一歩を拒んだ世界に身震いした。

幕之内が技術で到底及ばない。ステップイン、パンチ力は日本や並のナショナルチャンピオンを凌ぐ彼ですら、世界の舞台では左手であしらわれた。

今回の試合、逆転劇を生んだのは持ち前のスタミナあってこその奮戦だ。

 

「………できるさ、やらなきゃ誰がやる」

 

幕之内にはガード技術が足りず、相手のクセを逆手に取る応用力が及ばず、そしてインファイトで打ち負けてしまった。

 

全て、いまの自分に足りないものだ。そう思いながら右拳を握りしめる。

だからこそ、リングで復活する必要がある。

復帰ではなく、勝利をもって。

 

俺みたいになる(こわれる)前に皆んな引退した。

それぞれが夢を追って…。目標を見つけて…。

こんなにまでなって残った俺は、きっと君の背中を追いたい馬鹿野郎だ。この滾るものだけは、あの頃から続いている。だからここにいる」

 

己に課題を1つ乗せて、速水 龍一は湿布まみれの身体を翻した。

 

「ボクシングがそれだけの魅力だって、皆んなに教えるまで俺はリングを去らない。幕之内くん、キミだってこのまま下がる男じゃないだろう」

 

速水 龍一。

アマチュア時代無敗、インファイター殺しとして名を馳せた。

幕之内 一歩との試合にて初黒星。その後、ジュニア・フェザー級を戦いの場に変えてタイトルマッチに行くも、奮戦惜しくも敗北。

以降は敗北のみを重ねて0勝7敗と、散々たる結果を残している。

身体は壊れかけている。それでもリングを降りないのは、ボクサーとして辿り着きたい場所があるからだった。

 

 

 

 

また、とある人物のもとに報せが届いたのは数日後。

アメリカ合衆国の有名なボクシングジムにて、元気な男の子の声が響き渡る。

 

「ミゲル、ミゲル!さっき郵便の人に個包を貰った!これはマクノウチの試合のビデオだよね!」

 

ぴょんぴょんと跳ねまわるのはウォーリー。

インドネシア元フェザー級王者にして、かつて幕之内 一歩と激戦を繰り広げたボクサー。

 

「こらこら、それはビデオなんだから丁寧に扱いなさい。世界2位のボクサーとマクノウチの試合だよ」

 

ウォーリーに促すのはミゲル・ゼール。

名伯楽と呼ばれ、数々の世界王者を生み出してきた。

かつて、ブライアン・ホークというジュニア・ミドル級王者を誕生させたものの、鷹村 守によって撃墜させられている。

 

「あ、試合結果は言わないでね。僕の目で見届けるから」

 

事務所に駆けていくウォーリーを見送り、ミゲルはベンチに腰掛ける。

ミゲルは一足先に試合の結末を知人から聞いていた。

幕之内の敗北を知り、悔しさが1番に込み上げてきた。鴨川の教え子を突破したのは自分の選手ではなく、無敗神話に執着する世界ランカー。それも、ウォーリーと似た試合展開から逆転を押し返したという。

自分ならウォーリーを勝たせてやれたはず、と。もう戻らないことをひととき悔やんだ。

 

それはウォーリーがまだ上を目指せることを証明したことになる。

ウォーリーよりも格上がいて、やはりリカルドという男とは壁があることも再確認した。

己の未熟さを忘れぬように噛みしめて立ち上がる。

 

向かう先はウォーリーのもと。

試合時間終わり頃に事務所に入る。

 

「………マクノウチ、やっぱり変わらない。

キミの突進、倒れない気持ち、いま観ても身震いしちゃう。またボクシングを教えてほしいな」

 

試合終了の合図を見届けて、ウォーリーはしんみりと視線を上げる。

 

「ウォーリー、これが世界だ。人生の全てを賭けてきた、そんな次元の話を置き去りにする。凡人の強靭な努力が捩じ伏せられ、幾億とミットを打つ拳がリングに沈む。

経験と努力、そして一握りの天才が集う場所だ」

「うん、なら僕は全部使って戦うよ。チャンピオンも、ベルトを狙うボクサーも、みんな倒すんだ。そうすれば強いってことになる」

 

ウォーリーの真っ直ぐな返事にミゲルは頷く。

自分の最後の太陽を守り、強くしてみせると再び心のなかで誓う。今回の幕之内の試合、これこそミゲルが危惧した最悪の幕引き。ボクサーを壊すのはトレーナーであり、セコンドであり、勝利に執着する者。刻には必要なモノに裏切られる愚かな行為。

 

「ミゲル!ボク、ゴンザレスと戦いたい」

 

幕之内との試合後、ミゲルが鴨川に忠告したことを無駄にしてしまったとしたら、とても残念なことだ。

幕之内がパンチドランカーになる可能性は非常に高い。頭部への殴打が多い選手に、右と右のカウンターが決まったのだ。仮に引退すれば鴨川の心はどうなるか。旧友として気にかけてしまう。

なによりも…。

 

「ゴンザレスはマクノウチ以上にボクシングを知っている。強いからじゃなくて、世界を知っているから!だから、持ってるもの全部欲しいなぁ」

 

ウォーリーの目標が1つ無くなること。

それがミゲルにとって重要なのだ。

 

「それでね、ゴンザレスの次はリカルド。

ボク、彼のジャブにカウンター合わせたい。あのジャブを見切れたら、もうジャブに翻弄されなくなるから。

リカルドも倒したらマクノウチは戦ってくれると思う!」

「あぁ、そうなるといいね」

 

リカルドを材料にしようと考える辺り、本気だということが良くわかる。笑い飛ばすこともしないし、ミゲルもまたリカルドを倒すつもりでいるのだ。師弟揃っての考えなら、目標に突き進むことに迷いはない。

 

「良い心掛けだ。マクノウチに追いつく機会が来た。

あと1試合を挟んでWBCジュニア・フェザー級タイトルマッチに挑戦する。まずは1度、世界の壁を築きなさい」

 

ウォーリー、WBCジュニア・フェザー級4位。

幕之内戦以降、インファイターを主に対戦相手とし、様々な手法を用いてK.Oを築き上げている。研ぎ澄まされる拳、天衣無縫のスタイルに第2のホークと称されるほど。

 

最強へと向けて、今日もミゲルの指導のもとグローブを構えた。

 

 

 

 

「………バカが。ジジイの拳に傷つけやがって」

 

控え室、モニターを眺める鷹村 守は反吐を掻き出すように呟く。

苛立ち、ただそれだけの暴言。

大魔王が癇癪を起こす。表現としていま一つ物足りないのは、鷹村が大人しく座っているからだろう。ここがリングならば相手は血塗れ必須。鷹村のモチベーションはたった今、全てが殺意に塗り替えられた。

 

「小物はこれだから苛つく。ゾンビになりゃ良いってもんじゃねぇ。ゾンビになって客は喜ぶだろうが、コーナーで待つやつのこと考えてんのか」

 

なにもかも上手くいかない。

なにを上手くやりたいのかも、ブチ倒したい相手も目の前にいない。

 

スーパー・ミドル級王者、ストリクス・ワール。

ライトヘビー級王者、ティム・フェザント。

2つ上を見るだけでも癖の強い戦績のボクサーがいる。その先に辿り着くまで、あと何年待てばいいのだろう。悪いのは誰か、くだらないことを考えるのを止めたのはいつか。

言っても仕方がないことを、それでも言い続けるヤツに……。好きなものを背負う資格が果たして……。

 

「プロ失格だ、一歩。そこを代われ。

お前に、コーナーに帰る資格はねェよ」

 

チラつくノイズを蹴散らす。

嫉妬を否定して、重なる影を投影して。

それでも削られる歳月は止まらない。

誰よりも傲慢な態度に、周りを曇らせて。

 

コーナーに戻る意味を自問した。

答えは…どこかに置いてきた。

 

メインイベントを飾るため、空っぽの高揚感に苛立ちを詰め込んで立ち上がった。

 

 

 

 







お久しぶりです!

幕之内の世界前哨戦敗北から遡り、物語を順繰り進めていきます。
この頃は暴君鷹村ですので、ライトヘビー級の鷹村とは性格が似通わない部分があると思います。
原作120巻辺りの鷹村です。これで察せた読者さまのなかで、あの鷹村が苦手ならクルーザー級編まで待機をお勧めします。
原作未読の読者さまに予め注意喚起します。鷹村の性格がクソになりますので、苦手ならクルーザー級編まで待機お願いします。

【変更】
前回、クルーザー級編を2021winter開幕と記載していましたが、これを変更します。
「2021winter→2023spring」
理由として、この章のプロットが1.5倍ほど膨れました。
そして、クルーザー級編のプロットが増えすぎました。このままだと原作が先に完結しそうなので、練り直し中です。

9/25(金)より、Next Champion編本格始動!
第1試合、今井 京介VSハンマーナオ戦を決着まで毎日投稿。

今井 京介VSハンマーナオ、勝者は?

  • 今井 京介
  • ハンマーナオ
  • 引き分け
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