雨雲が空を覆い、道行く人が空にため息を吐く昼過ぎ。
青森県某所、
「ナオ!日本フェザー級タイトルマッチ、3ヶ月後に決定したべ。もう、後戻りはできんくなった」
おっとりとした風貌、童顔寄りの男性の背筋が伸びる。
山田 直道は八戸会長の言葉に強く肯く。
ナオという呼称は、直道のリングネーム”ハンマーナオ”から取っている。
「相手は今井 京介。2度の防衛は1ラウンドK.O。将来を有望視される挑戦者たちを、スピードと攻撃力で捩じ伏せとる。速さだけなら日本フェザー級に敵さおらん」
スピード勝負での敵無し。
それは天才児、板垣 学のことも含めた言葉だ。
日本王者決定戦、フットワークを武器とし、好敵手でもある板垣を1ラウンドK.O。観客の予想を遥かに上回る決着となった。
東洋にまで視界を広めても、宮田 一郎しか板垣のフットワークについていける選手はいない。
自身が板垣に一撃を打ち込む姿すら想像出来ていなかった。そんなおり、京介は板垣を速攻でもって叩き伏せたのだ。
「今井は幕之内に強い拘りさもっとる。ナオさ幕之内と戦ったべ?3ヶ月後の今井、過去最高のパフォーマンスでお前ば叩き潰しにくるのは間違いない。
けんど……いまのナオさ今井倒す術もっとらん。
なにもかも、あと一押しがない」
その事実が直道との実力差を表していた。
「…それでも、決めたことです。僕ができる先輩への応援は、これくらいしかできません。
現役のうちに、あの人に見てほしい姿がそこにあるんです」
彼の両拳は僅かに震えていた。
改めて告げられる言葉。
決定打はある。しかし、それは通用するほど甘い相手ではない。”タネ”が割れている以上、小細工どころか当てること自体が困難だ。
直道には、今井 京介を王座から落とす実力が足りていない。挑戦すること自体、無謀なことだ。
八戸会長は全てを知ったうえで、老いた身体で大きく胸を張る。
「ナオを気後れさせるだめに事実を言ったんやなか。今井の全てを上回って勝つために現実ば再確認した。
……秘策がある。今井さ倒すのに欠かせない男おる」
「秘策、ですか?」
直道の言葉に頷くと八戸会長は入り口に視線を向ける。
ガラリと音を立ててドアを開け、黒人男性が笑顔で入室してきた。
「こんにちは、初めましテ」
丁寧に一礼をして視線を交わす。
異様な訪問者はナオを驚かせる。
「彼はジェイソン・オズマ。昔、うちのジムにいた。いまはOPBFジュニア・ライト級ランカーさしとる」
「し、知っています…!フックを武器にK.Oを連発していることで話題に上がりますから!」
興奮気味に身を乗り出しながら、オズマの差し出した握手に両手で応える直道。
ジェイソン・オズマ。
かつて新人王トーナメント第1試合で幕之内 一歩と対戦。
4回戦とは思えない迫力ある試合を繰り広げ、惜しくもK.O負けとなった。その後は復帰戦でK.O勝利を収めるが、基地の異動により本国へ帰国。
アメリカでもボクシングを辞めることはせず、重量級世界チャンピオンが在籍するジムへ通い、プロへの道を再び掴み取った。
戦績は10勝3敗。
負けのうち1つは幕之内、残りのうち1つはヴォルグ・ザンギエフとの試合。
ヴォルグの世界挑戦以前、全団体世界ランカーから嫌われ避けられていたヴォルグとの試合をオズマが望んだ。
4ラウンドK.O負けとなったが、ヴォルグの試合間隔に穴を開けること無く世界戦に繋げた影の功労者である。
「ありがとう、ナオミチ。
でも、気負わないデ。いまはただ、ボクシングに向き合って、最高の自分を見つけてほしイ」
「…まさか、秘策というのは!?」
ヴォルグの世界挑戦後のインタビューで知った情報を脳裏に羅列しながら、声を震わせて八戸会長に言葉を求める。
「そだ。いまから1週間、ワシとオズマでナオの武器さ仕上げる。今井ば1ラウンドK.Oするつもりで鍛えていぐ」
「手加減しなイ。勝つための方法、練習あるのみ。
一生後悔しないタメ、いま踏ん張ってくださイ」
最後のベルト挑戦。
「日本一、必ず獲るぞ!」
「よろしくお願いします‼︎」
感謝を込めて一礼し、思いもしなかった助っ人、オズマと共に過酷で駆け抜けるような時間は始まった。
▼
八戸会長は直道たちが退出したのを確認して、机の下に隠していた己の両拳を持ち上げる。
「……今井にはオープンハンドのような反則は通用せん。泥臭く、噛ませ犬としての戦い方は叩き伏せられる」
己の実力不足が、自分のボクサーの足を引っ張っている。
この事実は幕之内 一歩を前にして痛感させられたこと。
オズマ、そしてハンマーナオは幕之内に敗北を喫した。
「ワシに策はない…。オズマ呼べたのも運さ良かった。声を掛けて、偶然来てくれただけだべ…。
1週間…!オズマは休暇を揃えて遥々来てくれた。この時間さ無駄にはできん。ナオの努力、踏みにじりたくなか!」
試合の組めない貧弱さに何度絶望したか分からない。
時間が経ち、トレーニングを積んで実力はついた。だが、周りは直道のタフさを嫌い、八戸拳闘会という年中金欠ジムとの対戦の非合理性で避けられて復帰も見送り続けるしかなかった。
「じゃけんど、こんな老いぼれの弱音さ見せるわけにゃいかん。
幕之内を励ましたい気持ち、曇らせる資格なか…。
最後の試合になるなら、勝たせたいんがトレーナーの心情じゃ。例えナオの居らんところでも、己の情弱さ嘆く暇は無い」
時間を置いて、ひっそりと復帰し試合を大急ぎで組んで、ようやく漕ぎ着けたタイトルマッチ。
「諦めん。これがワシの最後の教えだ」
全てを教え、最後に残るモノを授けるため。
八戸は魂に喝を入れ、事務所をあとにした。
▼
八戸拳闘会のリングで2ラウンド中盤が過ぎようとしていた。ガードの隙間をこじ開ける滑らかな曲線が直道の頬を打ち抜く。
「ぐ、あ…!?」
「もっト、腰下げて。ガードが無理ならダッキングでス」
立て続けに反対から迫る風切り音に反応し、無理やりガードを割り込ませる。しかし、ガードは気づけば破壊され、斬り返しのフックが頬に直撃、リングに倒れ込んでしまう。
(ッ〜〜〜!?
なんていうフックを打つ人なんだ…。ダッキングする直前を狙ってフックを打ち込んできたぞ!?
それに、僕が軽々と吹き飛ばされるなんて…)
豪快に飛んだ直道を見て、驚きに染まったのは当の本人。
「OH⁉︎大丈夫デス……。ごほん、さあ休むかファイトか選びなサイ」
しかしキリッと表情を引き締めて、直道に背中を見せながら続きを促す。
(あと、内面は優しい人みたいだ)
(オズマ、厳しくとは頼んだけんど、お前には似合わんかっだな……。けんど今更言いにぐい。真面目すぎんが、そこがお前の取り柄なんだけんど)
立ち上がり、スパーを再開させる。
ヘッドギア有りとはいえ、直撃すれば失神も夢ではない威力。
(日本人にはない柔軟で強靭なバネ。鮮やかすぎるフック、そこにジャブのフェイントも混ぜてくる。とてもじゃないが、カウンターなんて合わせられない)
この日、オズマに拳が届くことはなく。
3度のダウンを味わい、幾度ものパンチング修正を行いスパー練習は終わる。あとはひたすら反復練習だ。
-翌日-
リングに上がり10分も経たず、オズマの猛攻によって膝をつく。肩で息をしながら思考を回すのは、とある異変のせいだ。
(昨日とは動きが違う。フックを打つ回数が格段に減った。代わりにボディ、ストレートのコンビネーションで捕まってしまう。…まるで別人だ)
立ち上がり、再開を促す。
その直後、低姿勢から突進するオズマは直道と密着しインファイトを強行する。
(なにより…頭を突きつけて来るから荒くて仕方がない。いったいどうしたんだ…?)
(……)
インファイトに臨めば打ち負ける。直道の打つ距離より短く、背後に貫通する拳に辛うじてガードで耐え抜いたときブザーが鳴る。
(ハァ、ハァ……。いけない、昨日のオズマさんとイメージが違いすぎて、このラウンドもなにもできなかった)
(………)
コーナーに戻り、息を整えながらコンディションを確認する。
まだ行動に支障は出ないと解り、ならばとインファイトの対応に考えを巡らせて。
(流石のインファイトだ…。懐に潜り込まれたらガードで手一杯になる。このままじゃ、今井さんにだって打ち勝てない──────)
整ってきた息が一瞬乱れた。
それが気づきからか、驚きからか、それとも感嘆からなのかは直道にも分からない。ただ、無意識に振り向いてオズマと視線を交えたことで確信したことがある。
(いや、待て…さっきの動きは!?)
(分かリますか、ボーイ。ボクはナオミチの対戦相手のことを知っていまス。会長さんに聞きました、ビデオを沢山観せてくれました)
心当たりがある。
オズマの急なスタイルの変更、インファイトには何度も映像で観た人物の姿と重なるものがあるのだ。
(全て、キミのために。ボク、心を鬼にする)
(なんて人なんだ。僕の対戦相手を知って、そのスタイルに限りなく近づけてくれているんだ。
一晩で仕上げてくれたのか…?
…オズマさん、貴方は本当に優しい人なんですね)
オズマは今井 京介を知っている。
正確なことは分からないが、兎も角…彼はファイトスタイルを今井に寄せて、攻略の糸口を掴ませようとしている。
(だから、すべてのフック教えまス。キョースケ倒すタメにボクと会長の武器の使い方を身体に叩き込む。それが短期間で教えられる、ボクのベストだ!)
直道は頬を叩く。
もう2ラウンドも無駄にしたことを後悔し、直ぐに前を見る。
(全部、タイトルマッチだ。どのラウンドも落として良いはずがない。だからリングに立つ以上はタイトルマッチなんだ)
意識をより尖らせる。
オズマ、そして会長の厚意に応えるため。
ここがスパーであることを忘れて、眼前の王者に飛び込んでいった。
▼
オズマの滞在期間1週間はあっという間に過ぎていった。
「オズマ、本当に助かっだ。感謝してもしきれん…!」
「ボクのほうこそ、皆さんと会えて良かっタ。それにファミリーのためなら、いつでも駆けつけマス」
八戸拳闘会の面々が見届けるなか、オズマは1人1人に別れの挨拶を告げていく。
最後にオズマが立ったのは直道の前。
練習のときの厳かな表情はどこへやら。
本来のオズマの顔が直道を直視する。
「相打ち……懐かしかった。
ボクと幕之内、互いを知ったのが相打ちからだっタ」
スパーを重ねるにつれてダウンは減り、6日目にして直道はダウンゼロにまで辿り着いた。
最終日、遂に直道はオズマからダウンを奪ったのだ。
「オズマさんのおかげで勝ち筋が見えてきました。この恩は、ベルトを獲って証明します」
オズマが差し出した手に応えて、頭を下げて感謝を伝える。
顔中湿布塗れ、それでも溢れんばかりの感謝にオズマは頬を緩ませる。八戸拳闘会は本当に暖かい場所だと、心の底から喜んだ。
「もしダメだと思ったら……負けそうになったら、そのときは相手も同じように心が挫けそうになっていマス。だから、そんなときは前へ進んデ!」
直道の肩に手を置いて、オズマは別れの言葉を残す。
「ボク、マクノウチに負けましタ。ナオミチの尊敬するボクサー、あのときは痛くないフリしてた。アレ強がり。真っ直ぐで、思わず手が竦んダ。
ナオミチ、マクノウチと似てる。だから進めマス!」
負けそうなときに必要で、勝ちたいときに背を押したい一心で励ます。当日、応援できないからこそ、3ヶ月後の直道に届けるつもりで過去を贈る。
「次が最後のリング、そんなものは試合終わって決メル。
けど、最後の試合になったとしても後悔しないように、全力を相手に見せテ。
そうすればマクノウチにもキット伝わる」
オズマの真意は言わずとも、直道や八戸会長にしっかりと伝わった。
「ナオミチの拳、会長の拳、ジムのみんなやママさんの拳、それとボクの拳、ベリーベリーストロング。
期待は良いことばかりじゃなイ。けど期待、拳に宿るもの。会長言ってた、期待は想いだと。
ボク、ナオミチが勝つと信じています。
最高の激励を残し、手を振りながら八戸拳闘会をあとにするオズマ。
その背中が見えなくなるまで、直道は手を振って見送った。
駆け抜けるような3ヶ月を猛特訓に費やし、試合は瞬く間に訪れた。
アンケートとります!
期限は試合終了話前!
今回の勝者予想です。
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今井 京介VSハンマーナオ、勝者は?
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今井 京介
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ハンマーナオ
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引き分け