鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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今井 京介VSハンマーナオ

 

陽が暮れ、夜は音も無く訪れる。

その日はやけに澄み渡る夜空で、輝く星を見上げたら嫌なことも忘れることは間違いない。しかし今宵は星空の刻ではない。

行き交う人々の興味は地上に燦々と輝く大阪府立体育館。隙間なく埋まる観客席は、試合を早送りするような感覚で見続けていた。とにかく試合が終わるのが早く、後半になるにつれて勢いと歓声が上がる。

 

そんな夜も、じきに終わりを迎えようとしている。

 

『フェザー級に舞い戻ってきた男が一人。

15勝1敗、ジュニアライト級から復帰し1年半で2度目のタイトルマッチへたどり着いた。過酷な連戦の理由は一つ、そこに憧れの先輩がいたから!』

 

幕之内 一歩との戦いを最後に、直道の容姿で戦ってきた。

 

直道は、鴨川ジムの内情が良くないことを察している。

鷹村の様子を見れば一目瞭然だ。直道が練習生、そしてプロ試験に合格するまでの鷹村とは別人もいいところ。青木、木村、幕之内は彼の少なくない暴虐で悪影響を受けていると予想できる。

 

鷹村になにが起きたのか。

直道は予想ができていた。

しかし、言葉は届かない。

なにも持たない直道の言葉を鷹村は聞かない。

 

だからこそ、幕之内 一歩にこの姿で戦うハンマーナオを見てほしい。

厳格にボクシングと向き合う姿だ。

挑戦を諦めない人は貴方だけじゃない、と。

 

『ならば王のもとへ行くのは道理。

吹き荒ぶ王道を押し退けんと、かつての姿を誇りに堂々のリングイン!』

 

2度目のベルト挑戦の舞台を踏みしめる。

 

(考えることが思い浮かばない。

なにも考えなくて良いくらい、悔いのない時間を過ごせたからかな)

 

泣いても笑っても、これが最後のタイトル挑戦だということを理解している。だからこそ心身は自分でも驚くほど落ち着いている。八戸会長、オズマさん、ジムの人たち、そして母に支えられて立つリングは重圧感がない。

普段のコンディションよりも高く、程良い緊張感が戦意を研ぐ。

 

コーナーから前に踏み出して、正面に一礼をする。

次に右へ向いて一礼、そのまま反対に向き直り一礼。

最後にコーナーにいる八戸会長へ姿勢を正し一礼。

 

感謝を込めて。

勝利に向けて。

憧れの人と同じように、いつも通りの自分でいられるように礼儀を伝えた。

 

(見ていてください、会長。僕の…最後のリングです)

 

ハンマーナオの意思表示が終わったとき、赤コーナーから歓声が沸き起こる。

 

『3試合連続1ラウンドK.O、圧倒的差をもって挑戦者を恐怖の底に叩き落とす王者が登壇!』

 

先頭を行く音羽会長はフェザー級王者のべルトを掲げ、威風を切りながら歩く。

後ろに続く今井 京介は淡々と歩く。

京介の表情は柔らかい。それはあくまでも、表情が分かりやすいという意味であり、決して闘争心が欠けているわけではない。

見つめる先はリング、先導する者がいなければ駆け上がるかのように瞳は闘争に手を伸ばしている。

 

『スピード、パワー、ともに日本一級品。

フェザー級驚異の撃墜王は今宵も1R、K.O狙いだ!』

 

リングへの階段を上がるごとに目が開かれていく。

熱視線が交わったのはリングを踏みしめた直後。

 

『前座(セミファイナル)を飾るのは日本フェザー級チャンピオン!

今井 京介、いま堂々のリングイン!!』

 

京介の表情は板垣との再戦のときに似て滾り続けていく。

お淑やかに見える瞳には、リングに上がる者のみが解る言葉が浮かんでいた。

 

 

”奪い獲ってみろ”

 

 

『さあ、勝負の第1ラウンドが始まった!』

 

試合開始の合図とともにガードを固め、両者は合わせ鏡のごとく同時に向き合う。

 

(勝負の山は開幕。3試合連続1ラウンドK.O、幕之内さ意識した記録だが被弾はほぼ無い。

そんな相手がナオにこれまで以上の殺意を向けとる。負けるな、ナオ。そげな八つ当たり圧し返してやれ!)

 

怯えなど許されない。

リングに上がった瞬間、いかなる地点であれ不屈の戦意を持たなければならない。

過去相対した全ての拳とのやり取りは、いまこの場所でひととき忘れる。

王者への挑戦、そして王者としての心構えは両者にない。

 

あるものは一つ。

幕之内 一歩の拳を知るか、否。

 

京介も、ナオも。

交わした視線が、好敵手との緊張感を上書きしていくのを待たずに身を戦(そよ)がせた。

 

『両者同時に飛び出したッ!』

 

(1ラウンドで僕を倒したいというなら、僕はアナタを1ラウンドで王座から引きずり落とします)

(そう来るだろうと思っていた。お前ほどの打たれ強さを1ラウンドで沈めれば、東洋に行く自信になる)

 

リング中央、直線に踏み込む両者は左拳を構え終える。

オーソドックスから放つジャブ。

誰もが開幕の様子見だと理解したとき。

ナオは発射のために緩めた左拳、そして脱力した肩と脇を反射的に締め込んでいた。

 

瞬間、ナオの身体は停止した。

 

(づっ!?)

 

強引、その一言に尽きる。

日頃の修練からは考えられないほど荒々しく、投げやりのごとき抉れを見せるジャブがナオの左ガードを打つ。

 

「京介のやつ、あとのこと考えてないな」

「ジャブだけで山田くんを止めた…!?」

 

声を漏らしたのは駆けつけた板垣と幕之内。

戸惑いの声は板垣、幕之内だけではない。

会場のあちこちから、京介の喧嘩腰の先制に物珍しいと声を漏らしていた。

 

(…いや、違う)

 

受けた衝撃と相手の眼を照らし合わせて合致させる。

 

京介の眼に怒りや嫉妬心は見えない。

純粋に、ハンマーナオを倒すための初手。観客の困惑をも引き出す、ナオの心情に揺さぶりをかける一撃。

それがなによりの挨拶であり、ナオに対する評価。

油断や奢り、練習の怠りなど一切ないと知る。

 

(臨むところだ…!)

 

開幕、様子見にインファイトを選ぶほどの忙しなさ。

両者踏み込む足に迷いはなく、初めからわかりきったことを意味する。

 

続いて放たれる京介の右ストレートに、左ガードを上げて前進。重心を落とし、ナオも同じように右を構え、右と右のカウンターを合わせる。

 

(魂胆が見え見えだ!)

 

迫るナオの右を見ず既にダッキングを実行。

続けざまに放り出す左アッパーがカウンターとして、ナオの顎を跳ね上げた。

 

(ぐっ!?)

 

『オープニングヒットはやはりチャンピオン!』

 

だが、腰は浮かない。

京介の拳は振り抜くことなく、ナオの顎を打つに留まる。

 

打たれながらも逸れることのない視線が京介の足を動かさない。ナオはその場で右脚の親指を外に回し、僅かに残る力を左拳に乗せてボディを放り込んだ。

 

(っ!それが突破方法か!)

 

京介も、ナオも最初の拳のやり取りを終えて、最初に拳を止めたほうが流れを持っていかれると判断を下す。

ステップを最小限に、強打者の意地が両者を焚きつけた。

 

ナオは右脚の親指を内側に戻して右ストレートを選ぶ。

京介は左アッパーを顎に引き戻し右ストレートを放つ。

 

鈍い音は2つ。

歯を食いしばる人間も2人。

 

『両者の額に右と右が直撃‼︎

だが耐える、まるで効いていないと退がらない!』

 

右を戻す瞬間も視線を外すことはない。

立ち位置と重心から、次に最適な行動を取る準備に入るからだ。ほんの一瞬、両者の決断は全くの同時。

 

次弾、両者は別々のパンチを選び取る。

ナオは左肩を右に傾け、フックの動作を見せる。

京介は左ジャブを選び、ナオの左フックの軌道から外れるように半歩バックステップを刻む。

 

(これは…!?)

 

次の瞬間、真左から飛んできた拳によって、顔は左側へと撃ち抜かれていた。ナオの左フックのみがヒットし、カウンターとして今井の攻撃を寸断した。

僅かな隙間、ナオはステップインし、視界の外から右ボディを叩き込む。

 

(ヂっ…‼︎出し抜かれたッ)

 

数種類あるフックからナオが選んだのはバックフック。後退し、相手のパンチを交わしながら打つロングフックである。

手を伸ばし、拳を緩ませながら弧を描き、ヒットする直前で拳を握り締めて威力とスピードを上げるロングフック。

八戸会長直伝のフック、その使いどき。それをオズマがフックに繋げる判断力をスパーで鍛えたことにより、ナオは京介を相手に主導権を奪い獲ってみせたのだ。

 

「おっしゃあ!いいぞナオ!」

「今井ガード上げろ!流れを掴ませるな!」

 

両陣営が声を張る。

 

(ガードを、上げ──────!!)

 

コーチの声が届き、脳が理解するよりも先に映像が脳裏を過ぎる。それはハンマーナオの研究過程で注目していた、とあるパンチ。最も警戒するべきだとしていた危険信号が全身に駆け巡り、トレーナーの声を警報音で掻き消した。

 

咄嗟にガードを下げて体勢を起こす。

 

ボディへのガードのみを目的とし、テンプルに対するパンチを考慮しないブロッキング。その場だけを考え、あとに繋がらない雑さ。京介のボクシングには中々見ないものだが、直感は現実となった。

 

(さすがに研究している。真ん中は割れない)

 

動作を見ずのガードは、鳩尾に打ち込まれるはずの右拳を押し留めていた。

 

(マグレですら鳩尾は打たせない。

幕之内さんにすら効く拳だ、油断できん!)

 

鳩尾打ち(ソーラー・プレキサスブロー)。

ナオがかつて幕之内との対戦で使用した、一撃で動きを止めるボディ打ち。決まれば地獄の苦しみとともにリングに沈む、ボクサーが試合中に受けてはならないパンチの代表格だ。

ナオはこの一撃を狙い打ち込むまでが巧い。

パンチ力による衝撃も加わり、当たればK.Oに繋がる。だから警戒される拳で、意地でもガードする必要があった。

 

(だけど、僕の回転力を舐めないでください!)

 

無論、ナオたちはここまでも織り込み済みである。

瞬く間に切り返す左フックがノーガードの右顎を打つ。

負けじと左アッパーを返す京介に対して、折り畳んでいる右で外に払い除け、右アッパーを放つ。右を受けながらも、京介は払われた左拳をオーバーハンド気味に振り回した。

 

(俺の観察力を舐めるなッ!!)

 

切り返しの速さは申し分なく。ゆえにナオの右拳が即座に側頭部に戻ったとき、左拳の襲撃を覚悟した直後にスウェーを実行する。

スウェーした理由は単純。

ナオの肩の動きを見て、下から拳を上げるものだと確認したからだ。ボディにはガードを置いたため、例え右を強引に打ち込まれてもアッパーカットで反撃できる。

 

両者、己を信じて利き足に力を込める。

 

そして、打撃音が会場に響き渡る。

 

『間一髪!ハンマーナオのカウンターを見切っていた!』

 

ハンマーナオの左拳が京介の右ガードに妨げられる。

速く迫るも身体に届くことはない。左の着弾を見届けて、呆気なく弾かれる左がナオの肩まで跳ねる。意識を下に向けるための小細工のつもりだったのだろう、と威力の無さを結論する。

反撃のために右拳の準備を始め、即座に視線を上げる。オーバーハンドを叩き込んだ左が、主導権を取り戻すために戻ってきた。

 

(鳩尾打ちに意識を向けさせ、本命は右ストレート)

 

ナオの壇上に踏み入れる。

左拳を真正面からの一撃を守るために備え、右拳の準備を整える。

 

「スウェーすればボディ打ちという二段構えか。ならこちらは踏み込んで右を被せる!」

 

距離を一息で詰めたことにより、ナオの体勢は右ストレートを放つには不十分すぎる。左拳は論外、腰を入れて打つよりも先に王者の一撃が放たれるのは誰が見ても明らかだ。まだ着地も定まっていない左足を他所に、京介の右ストレートは利き足から力を汲み上げた。

 

「ナオ…ッ」

 

右拳が一直線に疾る。

淀みなく、ブレもせず、魅せるように右ストレートが豪快な風切り音を鳴らした。

 

「─────なっ?!」

 

瞬間、左側頭部に飛来する赤い物体。

名前の確認も出来ず、止める隙間も無い。自分で漏れ出る言葉すら聞き取れず、顔面に身体が引っ張られながら真横に吹き飛んでいく。

脳が揺れて思考が纏まらない。そのなかで唯一、自分のことで解ることは悔しさに混ざるダメージ。ハンマーナオは自分よりもうえを行く、という現実だった。

 

「今井イイイ!?!」

「きょ、京介ッ!?」

 

コーナーサイドでは音羽会長が、観客席では板垣が驚愕のあまり声音を制御しきれない。

 

京介の身体には力がなく、やがて地面と並行になり、正面から落ちて小さく弾んだ。

 

『た…た、倒れたあああ!なんと最初のダウンは王者、右のカウンターフックが炸裂!挑戦者、王者を1ラウンドで沈めにきた!!

開始40秒でいきなりの決着なのか!?』

 

観客は予想を覆されたことで興奮し、歓喜と興奮の熱を会場に響き渡らせる。

 

「よーやった、よー狙い澄ました…!

フックのポジショニングだけなら、お前は日本一だ。それはワシとオズマが保証する!」

 

八戸会長は静かに、喜びを内心に抑えながらも拳を握り締めた。

予想を遥かに上回る展開、そしてタイトルマッチ初のダウンにハンマーナオの自信をより強固なものにできた。これ以上に最先の良いラウンドはかつて無かった。泥臭く、ときには反則に手を出してダウンを奪うことで生き延びてきた噛ませ犬役から、しっかりと抜け出したと実感していることは間違いない。

 

過去のイメージを塗り替えるにはリングの上で戦うしかないのだから。

 

 

▼

 

 

試合の思わぬ展開に一番驚いていたのは板垣だった。

 

「1ラウンド、それも1分足らずで京介をダウンさせた!?遅れを取るようなパンチは無かったはずだろ…それなのに、どうして!?」

 

全ての行動を見たうえで、京介が苦戦するような動作は無いように見えた。ハンマーナオのパンチの当たりどころが悪かったのか、というほうにしか考えが落ち着かない。

混乱気味な板垣に幕之内が知る限りを伝える。

 

「山田くん……ハンマーナオがフック系のパンチを使うのは珍しいんだ。打たせて打つ、打たれて前進する。僕と似ているスタイルだけど、横の動きは得意じゃなかった」

「じゃあ、今井はハンマーナオのフックに無警戒だったってことですか?」

 

ギリ、と歯を食いしばる。

パンチ力がなく、急所をひたすら打ってようやく今井からダウンを奪った板垣。こうも目の前で呆気なく、華麗とも言える動作でダウンを奪われる好敵手を見せられては歯痒さで心が埋まっていく。

 

「…もう立ち上がる。フックが来ると分かれば、京介なら対処できるはずです」

「そう簡単な話じゃないと思う。傍目からは分かりにくいけど、ハンマーナオの取り入れているフックは絶妙に防御の隙間を狙っている。

それに、鳩尾打ちに加えてフックに意識を取られたら、このラウンドで巻き返すのは難しいよ。ハンマーナオが勝負を決めることもありえる」

 

幕之内の評価は贔屓目などではない。

しっかりと現状を見て、タイトルに臨む姿勢がそう言わせたのだ。

 

「………京介っ」

 

歯痒いながらも否定材料が見つからず、好敵手の立ち上がる姿を見守る。

一瞬だけ見えた横顔には焦りや疲れはない。

京介の意志を垣間見たとき、試合再開の合図が言い渡された。

 

 

 








原作には無いマッチングを模索し、勝敗予測も忘れるくらいの勢いで試合を進めていけたら良いなと思います。

今井 京介VSハンマーナオ、勝者は?

  • 今井 京介
  • ハンマーナオ
  • 引き分け
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