湧き上がる歓声は体育館を揺らす。
僅差でありながら、圧倒的な破壊力で日本の頂点へと登り詰めた挑戦者に、惜しみのない称賛が降り注いでいた。
『崩れ落ちたぁぁぁっ!チャンピオンの拳が空振りし、そのままうつ伏せにリングへ!
10カウント要らず!レフェリーが手を交差させて試合終了の合図です!王座奪取、ハンマーナオが新チャンピオンとなりました!』
ナオはリングの上で余韻に浸っており、あと数十秒はこのままだろう。
「ナオが幕之内さ伝えたいメッセージ全部詰め込んだ。よー頑張った、本当にありがとう、ナオ…」
八戸会長は涙を流しながら、勝利を果たした自分のボクサーを見ていた。それも数秒のこと、涙を拭うと階段を駆け上がる。
ロープを
「会長…僕、チャンピオンになれました…!」
「あぁ、しっかりと見てだ!ナオのフックは日本一だ!よく険しい道を走り抜けてくれた…!」
またも涙ぐむ八戸会長。
その喜びはナオにも計り知れない。
長年、金欠ジムで選手育成にも苦しみ、何人も挫折して去っていった人たちがいた。そしてようやく、日本一を取ることができたのだ。これほど誇らしく思ってくれるから、この一勝がナオも何倍も嬉しく感じる。
そして、沸き続ける歓声を前にして困惑もしていた。
「すげぇ試合だったぞ!」
「幕之内に近づけたじゃねえか!」
「そのまま追いかけていけーっ!」
こんなとき、どんな顔をしていいのか考えてすらいなかった。
身体中に駆け回る歓喜がより行動を制限する。まだこの雰囲気に浸っていたいと、そんな誘惑と戦いながら自問し。
(こんなとき、先輩なら……)
答えを幕之内に求めていた。
想像したのは、丁寧に礼を返す姿。
幕之内らしくて、憧れの姿を見てとしてピッタリな行儀。
気付けば身体が動いていた。
ロープぎわに寄り礼をする。
同じように時計回りに、客席にできるだけ近づいて四面方向へ礼を返した。最後の礼を終えると、会場から一斉に拍手が祝福となってナオに降り注ぐ。
祝福を受け取っていると八戸会長がベルトを持ってきた。
かつてない笑顔とともにナオの腰に巻かれ、より一層大きな拍手が贈られる。
(最後の試合でベルトを巻ける。
それも、先輩がいた場所のベルトだ…!)
ベルトの心地に酔っていたとき、ふと視線が一点を見つめる。
そこには、立ち上がって拍手を送り続ける幕之内の姿。
八戸会長に負けずとも劣らない笑みで祝福されて、この試合が無駄ではなかったと実感できた。
これが最後の試合。
(先輩…!やりました、僕にもベルトが取れました…!)
目標達成に大きく近づけたことを胸に抱き、姿勢を正す。
大きく息を吸い込み、ボクサー生命最後の一礼を世界一尊敬するボクサーへ。
(ありがとうござい───)
送ろうとする途中。
幕之内の隣で立ち上がり、呆然と立ち尽くす男を見た。
「京介………」
それは板垣 学。
今井 京介の好敵手といえるボクサーだ。
(…………………また、僕は)
ナオはそのまま姿勢を起こし、リングへと戻る。
「…ナオ?」
ナオは八戸会長に視線を送る。八戸の目は、ナオの瞳に灯る熱を感じとり息をのんだ。
リング中央では勝利者インタビュアーが待っており、挨拶からおめでとうと、ありきたりの流れで始まる。
そして話題は直ぐにきた。
「この試合を最後に引退ということで、とても残念に思います。引退後、王座には誰が名乗りを上げると思いますか?」
「そのことで僕は多くの人に謝り、そして訂正しなければいけません」
「え、ということは…?」
事前の話と違うことに困惑するインタビュアー。
間髪入れず、ナオの視線は移る。
「僕がフェザー級で戦えるのはあと1度です。全力で頑張りますので、皆さんどうぞよろしくお願いします」
視線が交差した相手は、板垣 学。
そう言い残すと再び会場が揺れる。
インタビューは終わり、ナオたちは確かな足取りでリングを立ち去っていった。
ナオの宣言に驚いた幕之内は板垣を見る。
「ハ、ハンマーナオは本気…だった。板垣くん…」
「僕を見ていました。
リングに上がれと、言っていました」
京介に敗れてからといもの、ここ数試合で気が乗らず判定勝利しかしていない。モチベーションに大きく左右される板垣のコンディションはいま。
「僕は、あのチャンピオンを倒します。
先輩に追いついて、京介を越えた男を知りたい…!」
タイトルマッチ当日に最高のものとなるよう、精神構造が練り直されていた。泥試合をする気など毛頭ないと、滾る声音が幕之内にそう思わせるほどに。
ハンマーナオVS板垣 学
2021 spring‼︎
『大波乱の日本フェザー級タイトルマッチはこれにて終了です!』
司会が慌ただしい会場にアナウンスを入れる。
『それでは、ただいまよりメインイベント』
今宵、観客たちが席に座るのは日本タイトルマッチだけが理由ではない。
さらに大きく、熱狂が約束された舞台。
『WBCフェザー級タイトルマッチを開始します!』
世界最高峰の1つを目撃するためだ。
【次回予告】
日本フェザー級タイトルの熱を引き継ぐ最後の試合。
大阪の夜は凶悪な死神と共に続く。
「世界前哨戦、とはよく言ってくれたな」
アルフレド・ゴンザレス
「外も、内もえらく落ち着いとるな。
それも今だけや。直ぐに血液沸騰させたるわ」
千堂 武士
「期待はしていない。だが、奢りもない」
「いらへん。いまからベルトふんだくるんや、せめてワイの拳を喰らわしたるわ!」
冥府が満ちる夜で絶滅を賭けた戦いが始まる。
2020.12.24(木)、WBCフェザー級タイトルマッチ開幕‼︎