遠い空、灰黒色の風が地上を駆ける夜。
夜道を灯す夢が1つ、天井へ向けて飛空する。
「おし、気合い充分や。行くで!」
もし冥界に夜空があるのなら、そこに見えるものはゴンザレスのような星だろう。千堂が追い続けている幕之内よりも輝き、より世界に名を馳せる存在。
『その牙が
理詰めだけで己の知るボクシングの全てが封殺された。
左腕を越えられない好敵手にもどかしくなる反面、自分はアレをどう掻い潜るか考えていた。
『試合前のインタビューで質問された虎はこう答えた。「世界タイトルマッチではなく、世界前哨戦」と。
その言葉に我々は期待が膨らむ一方だ!!』
答えは結局出ていない。
ただ、分かることがある。
世界のメキシカンを倒してきたが、彼らとは次元が違う。
桁1つズバ抜けた、本当のメキシカンが目の前にいる。
世界の頂きに君臨する、深淵の理性と星空の熱量を兼ねた死神。
『浪速の虎が歩む道は果たして絶滅か…生存か!?
千堂 武士、世界の頂きにいま
最強の一角を倒すため、過去のどれよりも強くリングを踏みしめる。
「うだうだ言わん、見とれ幕之内。
お前の敗けがワイを強くしたってところをな」
軽くリングを踏む。
己が立っている場所で戦った、両者の想いを確かめる。
2人は幕之内に憧れるボクサーだ。気持ちとしては自分の手で、憧れを打ち崩した男に挑みたいはず。言わずとも、あの試合が気持ちを語っていた。
なら、任されたと静かに背後を見る。
「迷わず向かってこいや」
容態に変わりなく。
燃え盛る観客に向け、勢いよく拳を振り上げて応える。
光が消え、闇が満ちる。
赤く、頬から血が滴る幻視すら錯覚する温度。
『風神を地獄へと誘った死神が、再びこの地に舞い降りた。前回との違いは、腰に巻かれる世界の覇者の印』
畏敬すら思わせるソンブレロを深く被り、ポンチョを纏う姿に観客の雰囲気が緊張に傾く。
『あれこそ王者に鎌を振り下ろした決定的証拠!
風神をも打ち下す破壊力はまさに絶命の審判者!』
歩くたびに揺れる外套の下から、栄光と世界の頂点を意味するベルトが見え隠れする。千堂の好敵手を倒したときには無い輝き。
あの刻よりも強くなったことを意味する。つまり、幕之内に2度敗れた千堂にとって、いま最も難易度の高い挑戦ということ。
『その素顔に触れれば
アルフレド・ゴンザレス、世界の死神が再び降臨!』
ライトに照らされるリング上に立ちながら、ゴンザレスの存在感は酷く落ち着いたものだった。装飾を取り外すときも、ベルトを離しながらも。幕之内を倒した男という、千堂を知る者たちごと活気を断ち切る事実。
外からは汚いながら勇ましい罵声も飛び出すが、意味が通じていても毛ほどの反応も見せないだろう。
両者がリング中央に立ち、視線を交える。
「世界前哨戦、とはよく言ってくれたな」
前日の千堂のセリフ。更には自分のことだけではなく、リカルド・マルチネスとの試合さえ前哨戦と宣ったのだ。ゴンザレスの怒りは寧ろそこが大きく、理性は拳を打つように見下ろす。
砂利つく視線に千堂が応える。
「外も、内もえらく落ち着いとるな。
それも今だけや。直ぐに血液沸騰させたるわ」
ゴンザレスの怒りの元になる前日の挑発。
千堂の視線には、その怒りすらいまは影を潜めていると見抜く。
怒りこそすれど、それ以上に優先するべき項目がある。経験と勝利、日本人から引き出せる世界有数の上質な拳こそ、王者の求める味。
「期待はしていない。だが、奢りもない」
「いらへん。いまからベルトふんだくるんや、せめてワイの拳を喰らわしたるわ!」
ゴンザレスの誘いに乗らず、獣の笑みを向けてコーナーに戻る。
刻を過ごす。
一寸先の夢を掴む、空想の刻を経て。
薄らと瞳を漂わせ、熱狂に震える会場から、刻限の合図のみを拾う。
『勝つのは好敵手へのリベンジに燃える千堂 武士か?
それとも、知性と狂気のアルフレド・ゴンザレスか!?』
沈着の貌を着け、ゆっくりと視線を上げる。
『目の離せない夜が幕を開けたッ!!!』
熱い日照りの宙空、凛と響く金属音が意識を奮わせた。