鷹の6本のツメ   作:ひとりのリク

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表裏・死神

 

知らない世界が広がる。

止まることを知らず、両翼を広げて世界を広げていく。

自らの手で、欲望のままに駆ける時間を終わらせることは出来なくなった。命が尽きたとしても、障害が無ければ問題はない。心で突き進み、まだ知らぬ明日へと噛みつく。

 

(ブレーキ壊れてまうわ。進むこと以外考えられへん)

(肌がヒリつくぜ。血肉が殴れと命令しやがる……!)

 

止まる刻、真反対から自分と同じ存在が現れる瞬間。

リング上に現れる障害に他ならず。

自分を止められる存在は相手のみ。

ならば、止めてみろ。止まったときの景色すら渇望し、何一つ取り零すことを選ばない男たちがリングを蹴った。

 

「とことん()り合おうや!」

「限界まで付き合ってやるよ!」

 

この興奮を止めることは出来ない。

ブレーキは壊れてしまった。なら、不可能だと。停止は相手に委ねると笑い、死闘の3分間は幕を上げる。

 

「ただし、果てるのはお前だけだ‼︎」

 

中距離からさらに踏み込み、ミキストリが右を大剣の如く振り下ろす。

 

「貰うてばかりは性に合わん!」

「な、ぁ!?」

 

星空の美を欠くように、虎の爪痕が先制を咬ました。

勢いに押されてリングに摩擦熱を擦り付け、反撃を構え終える。揺れる焦点を即座に合わせ、標的を視認する前に下から殴り上げる。

 

交差する左右、軋む肉の音。

千堂のスマッシュとミキストリのロングアッパーが意識を浮遊させる。

脳から身体の信号が遮断され、次の行動までに1秒の隙間が生まれる。両者共に起こる行動ゆえに、差はないように思えた。

 

「シィ───!」

「ハァ───!」

 

幽闇(ゆうやみ)を喰らわんと、牙が拳を放り込む。

生命を呑み込む夜が、魂を刈る拳を穿つ。

 

互いに相手の隙間を突く一撃。

狙い通りにその拳は頬を打ち、浅く殴りつけた。

致命、痛恨に届くことはなく。

しかし両者、その拳に気付くことがある。疑惑を確信にするべく、漸く踏み締めたリングを蹴飛ばし、近距離戦で殴襲を開始する。

 

『も、貰ったら打ち返す……いや!

貰うなら必ず打ち返し、1つでも多くパンチを積み上げる!空振りしようとお構いなしに次を打つ!

その勢いが止まることを知らないのか!?』

 

さきのラウンド、あまりの荒さに身を硬らせる観客も少なくはなかった。幕之内、板垣も迫力の凄まじさに目を見開くほどだ。

彼らの評価は時間が経つごとに変わり始めていた。

 

(お前やっぱ普通じゃねえな!

殴っても殴っても飽きが来ねえ!死ぬんじゃねぇぞ!)

 

右拳を浴びながら、思考を復帰させる。

 

余裕が出来たのではない。

限界を圧し広げ、更なる高みへ登り始めたのだ。

 

(進んどるのに押し返される……!

この感覚、幕之内以外に味わえるとは思いもせんやった!

嬉しいで。嬉しくて止まる気せぇへんわ!)

 

荒削りの一撃に震えながら、感情を灯す。

 

嬉々として拳を貪る。

行儀の悪さすら裂き、礼儀を尽くす。

 

豪快、凄惨さをそのままに。

突き進む拳の軌道が見える。

いや、目で追ってしまうほどに澄んだ色へ変化していると言ったほうが正しい。

 

「凄い……こんなボクシングがあるのか」

 

空振り、打たれる間に反省する。

打ち、相手の拳が逸れるたびに正解を埋めていく。

 

「段々と空振りが増えてますね」

 

打てば当たる場所に最短最速の重心移動を行い、一撃でも多く拳を奮う。両者が急速で組み上げていく攻撃特化の姿勢は、結果として相手の拳が当たらない場所への回避を副産物として産み出す。

相手の血を求める結果、相互の思考が衝突して反対の結果を生む。意図せず、超近距離による大砲の空振りは着々と数を増やしていった。

 

「ヌ、ガァッ!!!!」

 

拳が放たれる数よりも、打ち終わったあとに巻き起こる空振り音が会場に零度の風をもたらす。

当たれば死、打たれれば即座の反撃、外れれば次が待ち構えている。矛盾が見せる狂気の宴、インファイト。全方位に散りばめられたK.Oの文字。

 

(面白え、当たらないのに肉が悲鳴上げてるぜ!?)

 

20秒、計40回を記録する渾身の空振り。

全てが違う角度、1センチの距離移動を交え、相手の動きの先読みに注力する。

 

息を吸うことも重苦しい時間。

顔を上げて空気を吸い込むことを我慢し、歯を軋ませて機会に手を伸ばす。

 

「ッ〜〜〜〜〜!」

 

僅かに全ての動作に重なる場所へ、千堂のボディブローが袋小路になりかけていた均衡を破る。

近距離の打ち合いが崩れ、被弾とともに一気に疲労が身体を襲う。打ち破った千堂すら消耗し、それでも次へ繋げるために喰らいつくように右を構えて。

 

「甘えよッ!!」

「ぐがっ!?!」

 

全身から炙り出すように、ゴンザレスの一撃が激情のままに千堂の全身を止める。

ならば、と。空かさず千堂が右を返し、応答するようにゴンザレスが右を放つ。

 

破れた均衡が再び殴り合いに火を着けた。

次は意識を断つ、急所への攻撃に拳が狙いをつける。

 

(こいつ、意識を絶たれながら打ちやがった)

(ゴン、脳みそ揺らしても打ち返してきおる)

 

物言わずとも、相手を殴るたび手に取るように理解が進む。

思考を取り戻し始め、頂きへ駆け上がっていく。

 

『両雄、意地と意地が火花を散らす!』

 

どちらかが果てるまで、止まることは許されない。

果てるか、勝利しかない世界。

リングを蹴る音は地鳴りを轟かせ、驚異的なステップインから繰り出される数々の拳は触れるだけで意識を断割する。

血に塗れながら眼球が敵を捉えて離さない。

この会場に、彼らの死闘を邪魔できる者はいない。

 

怒りに塗れ、打つ。

ここに主導権などない。打つたびに状況は変わり、笑みとともにダメージは蓄積していく。その量に差はなく、体力の底も同じペースで行けば同時に無くなることは一目で分かる。

 

慟哭が理性を突き破るのではなく、理性が慟哭を手にして敵を伐つ。

 

「こりゃ、いつか以来の高揚感やでっ!」

「笑えるなんざ呆れる打たれ強さだな!」

 

不乱に足掻き、一心を握り締める。

 

再三の相打ちが頬を弾き、受け流しをすることも出来ず、両者が大きく後ろへ後退した。

このラウンド始まって以来初めての距離。

 

(世界で1人、幕之内にも劣らん拳と出逢うた。

なら……今度は殴り勝たなワイ自身に示しがつかん)

 

体力はまだある。

だが、腕の筋肉に疲労が溜まり、ぶらりとだらし無く垂らしてしまう。

 

それでも、真の王者が此処にはいる。

だから越える。

越えて、その先の景色に手を伸ばしたい。

 

その一心で腕を上げて、勝利を手にするために前へ進んだ。

 

(いつ、この男のアイデンティティは尽きる。

あとどれだけ打てば殲滅できる?この俺が、嗤う以外のことを考えるとはな……!)

 

理性を囓る()み。

 

凶気が思うことは高揚感。

これほど殴ったことは路上(ストリート)でも数少ない。

自分にとっては一大事であり、世界が広がるさまに味わったことのない興奮が全身に駆け巡る。

ミキストリにとって史上の至福が此処にある。

 

「楽にしてやる、(ティグレ)ッッ!!」

 

己の身体の限界を知り、勝利を収めるために飛び出した。

 

「降りてもらうで、死神(ミキストリ)ッ!」

 

両者の想いが拳に込められ、勝負の一撃が交差する。

 

「──────カ」

 

漏れ出た声はどちらのものか。

聞き取れる人間は本人のみ。右と右の着弾音が凄まじく、観客の興味は相打ちした両者が、次の瞬間に立っていられるのかにしかなく。

 

「………………ハ」

 

顔面への相打ちから硬直、ダメージが満遍なく染み渡る数秒の刻を経て。先に揺れ動いた身体は、反撃のためではなく。

一度は理性を打ち破った、意志の固さが軍配を左右する。

 

赤い拳を擦りながら、ミキストリの顔が下に落ちる。

 

『あぁっ!王者の膝が崩れ落ちる!!

虎の牙が死神を越えるのかーーっ!?』

 

興奮気味に立ち上がる観客たち。

 

その視線の先で、遂にミキストリの身体がうつ伏せにリングへ。

 

拳を上げて戻る千堂へ、惜しみない歓声が祝福を告げる。

 

「や、やった……!千堂さんが勝つ!」

「死んでもおかしくなかったのに、打ち勝つなんて!」

 

レフェリーが朧げな意識を確認してカウントを開始する。

 

 

 

 

 

───

 

──

 

 

 

 

 

 

意識が沈む。

底に地はなく、下手をうてば永遠に遊泳し続けられる。昏倒、無意識の海とは人間が有する最も広く、神秘的なまでに深い可能性のことだ。

 

死神(ミキストリ)の意識はその果てなき海に放り出され、明瞭な思考で己を振り返っていた。

 

(打ち負けた…。俺が、打ち負けただと…?)

 

あまりにもくっきりと思い出せる、敗北の瞬間。

あの刻、間違いなく疲労困憊で身体が崩れ落ちた。

千堂の拳は幕之内よりも的確に、荒れ狂うミキストリを捉えていた。

その原因に思い至れず歯ぎしりをしていると。

 

「俺たちがセンドーを研究したように、ヤツもまた俺たちを研究していたんだ。恐らくは、お前含めて動きを覚えるくらいにな」

 

背後から、同じ速度で沈むゴンザレスが結論を出した。

同じ自分であるため、無意識下で対面することは不思議ではなく。その結論に納得いかず声を荒げた。

 

「観ただけで俺を…死神(ミキストリ)を越えられるはずねェだろうが!適当ぬかしてんじゃ───」

「認めろ」

 

荒ぶる言葉に被せてきたのは現実。

逃避を許さず、理性は凶気に負けを突きつけた。

 

「俺たちは誰だ。……俺はお前だ、アルフレド。

お前は俺だ、ゴンザレス。だから、負けは認めろ」

「〜〜〜〜クソがッ!!!」

 

自分の言葉だからこそ、ミキストリは声を張り上げて、現実を知るしか方法はなかった。

 

男が歩く世界は腐敗に満ちていた。

人は当たり前のように死に、心は抗う暇もなく闇に染まる。

産まれた刻も、呼吸した回数も、修羅場を潜った経験すら一瞬で砕け散る。いつ殺されるか分からず、誰が敵になるかに怯え、幾人もの死を知った。

死は隣人。生きることを証明する、命の肯定者。

 

何もないポケットのなか。いつも、拳を握っていた。

負けてたまるかと、この拳で死を負かし続けてきた。

 

少年が死神(ミキストリ)を生み出したのではない。

今際の路を渡りきった男が死神(ミキストリ)となったのだ。

故に、ハッキリとミキストリの存在がある。

 

死神に愛され、死神と成る者。

そして、無敗神話に憧れる男。

 

「………負けだ。もう、手は届かない」

 

だというのに、天ではなく、地を歩く者に負けた。

心と直接繋がるミキストリは、その屈辱に耐えきれなくなっていた。

 

深淵へと加速する意識。

もう浮上することなき入り口の手前で、理性が手を取る。

 

()ろうぜ、ボクシング」

「…どうやって?俺たちはどっちも殴り負けた。

どうやったって、先は見えてんだろうがよ」

 

まだ屈辱を味わえと言う男に、苛立ち気味に問う。

 

「二心一体の俺たちはまだベストを尽くせる。

俺たち2人なら、センドーの野性を越えられる」

「…………!」

 

その意図を理解するのに時間は必要なかった。

理性の提案は、凶気に最も理解し易い言葉なのだから。

 

理性(こいつ)はもう一つの人格にして、地獄を生き抜いたアルフレド・ゴンザレスの生き証人。

そして死神を否定し、死神を誰よりも受け入れる理性。

もう1つの貌が不敵に笑い、立ち上がる。

 

「フフ、ハハハハ……そういやお前、正気だったな」

 

無意識下での大海で見つけた、勝利への道筋。

敗北の路を歩き、身体の限界が許す限りを尽くしに空へ手を伸ばした。

 

浮上する意識の名は、表裏・死神(アズール・ミキストリ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

起き上がる男の眼は、変わらず凶気が宿っている。

9のカウントを終え、試合は即座に再開と成る。

 

「まだ、立つんかいな……図太いな、ゴン」

 

言葉ではそう言いながらも、本人も自覚するくらいに喜びが口元から溢れ出ていた。観客たちを勢いに乗らせるには良いパフォーマンスだが、幕之内らボクサーは背筋が凍る感覚を味わう。

 

それを真正面で受け、堂々と視線を返す王者には敬意を表するほど。

 

「……なにか、違和感が」

「先輩、どうしたんですか?」

 

板垣の問いに、言いようのない不安を抱きつつ。

見守ることしか出来ないため、ただ一刻も早い千堂の勝利を願った。

 

「その粘り強さ、クセになるわ。まだまだど突き合いできて嬉しい限りやで!」

 

凶気よりも現状を楽しむ声。

カウント9の間に残り1分を戦えるほど体力を回復し、ハツラツとコーナーから脚力全快で跳ぶ。

ミキストリも踏み込んで撃墜の構えに入る。だが、勢いが虚しいほどに無く。千堂との温度差を見れば、誰もが直ぐに王座奪取出来ると確信していた。

 

ミキストリの様子を見て足が使えないと判断。勢いそのままに、千堂がトドメに選んだのは超低空スマッシュ。

避けるにはダメージを負いすぎている。カウンターをするには動きが遅すぎる。なにもかも間に合わず、辛うじて立ち上がったことはなにも報われない。誰もが事故の目撃者のごとく衝撃の瞬間に呼吸を忘れるなか、まだ触れられてもいないミキストリの身体が真横に放り出されていた。

 

「な、にィ!?」

 

まるで意識を無くした身体。

力果てたような滞空に、空振りしたスマッシュを他所にミキストリの姿を追う千堂。もう立ち上がる気力が無かったのか、そう思った矢先。

 

「ぶっ!?」

 

急遽起き上がるミキストリの拳が、スマッシュの打ち終わりのボディ目掛けて突き刺さっていた。

即座に立て直した姿勢から、続けざまに左ジャブが3度、千堂の頬を打ち抜く。受けた状態が無防備なことから、千堂の眼はどのパンチを貰ったのか判別できていないことが分かる。

 

「あれは…!」

 

それでも咄嗟の神経で左を掬い上げ、逃れた場所へ打つ。

しかし、またも空振り。ただの空振りならまだしも、空振りの終わりに小さく左右を纏められる。

 

「そんな大振り、いまの脚でも避けられるぜ。

……ま、ほぼ重力任せだがな?」

「こ、いつ……ッ!」

 

中距離で視線を交わし、千堂は確信した。

凶気の手綱を握る理性の姿を。

 

『な、なんということだ!疲労困憊の王者、紙一重で挑戦者の必殺を躱してカウンターを返す!

その動きは先ほどと違い、落ち着きすぎている!』

 

決着間近と思われた空気が壊れていく。

 

2つの選択肢があったとき。

当事者の多くが片方だけを選択する。

それが当たり前かのように、言われずとも勝利か敗北を受け入れる。1試合で起こる勝敗は1つしかない。ならば、1試合中に受け入れる勝敗の数も1つでなければならないのか?

 

それは否。

1度相手をダウンさせたとき、その逆。

拳が当たらず、一方的に打たれたとき。

スタミナが無くなり、拳が打てなくなったとき。

 

ボクサーは試合のなかで、何度も優劣を感じ、勝敗にも劣らない判断を心のなかで着けている。それが心を折り、または心の支えに変えて試合が終わるその刻、少しでも自分の勝利に傾けようと努力するのだ。

ならば、敗北を受け入れ、なおも勝利に邁進する王者には何が起きようとしているのか。

 

「ふ、雰囲気が変わった!?」

「あれはミキストリじゃない。

理詰めで相手をコントロールするゴンザレスさんだ!」

「そんな!?ミキストリから試合中に戻るなんてこと、今まで無かったはずでしょう!」

 

幕之内と板垣が王者の変貌に反応する。

あれはアルフレド・ゴンザレスの理詰め。

元の姿で千堂と対峙している。

 

「僕がフィニッシュブローをもらったとき、ゴンザレスさんの顔は冷静沈着だった。土壇場で、ミキストリは解いてたんだ」

「なら、千堂さんの慣れなら直ぐに追いつけます!」

 

王者の変化に答えを出しながら、リングの上に注目する。

 

千堂も同じく答えを出し、ならばと即座に意識を対理詰めへと切り替える。

 

(ここにきて小賢しい真似しおって…直ぐに追いついたる!)

 

注意すべきは世界の頂きを担う左拳。

目論み通り、左ステップを小刻みに交え、距離を測らせない左ジャブが意識と神経の隙間を縫うように放たれた。

 

千堂はノーガード。

目視不可に等しい左を首だけで躱し、後出しのボディブローで動きを止めるため被弾擦れ擦れのダッシュを行う。

 

「なんだぁ、その鈍いステップは!!」

「なんや、とォ!?」

 

踏み込んだ瞬間、襲来したのはフォームもヘッタクレもない強引な右アッパー。肩から捻じ込み、千堂の身体ごと後方へ弾き飛ばしていた。

 

その姿は間違いなく凶気。

ミキストリが千堂を殴っていた。

 

「バカな!?理詰めに戻ったんやないんか!?」

「あの動き、ミキストリのほうやないか!

あの男はいったい、どないなっとんねん!?」

 

騒いでも変化に終わりは来ない。

解決するのは千堂であり、その手立てが見つからなければ敗れるのみ。

 

千堂が直前まで見たものは左ジャブ。

実際に被弾したのは右アッパー。つまり、理詰めによるフェイントと結論したいが、眼前で猛る眼光はミキストリのそれ。

 

(考える暇あらへん。様式・死神(モード・ミキストリ)が少し変わったっちゅーことやろ、打ち合いで直ぐに慣れれば問題ない!)

 

概要を把握し、整理を終えながら突進する。

残り少ない体力を更に削る覚悟を決め、異変の真っ只中で凶気と対面した。

 

同時に振りかぶる右拳。

最短で突き進む右は、1分前の空振りを思わせる軌道で外れていた。戻す右を遠心力に変え、今度は先に千堂の左フックが炸裂。寸前で右ガードが間に合うも、威力を受け止めきれずによろめいた。

 

回復した体力を使い、右ストレートを抉るように打ち出し、再びガードで大きく後ろに退がっていく。

その踏ん張りが頼りなく、相手の限界が近いことは目に見えて分かった。

 

(どうあろうと体力は簡単に回復せん。

こっちは小手先に付き合う暇はないで!)

(んだよ、その眼。なにかすれ違いがあるな!?)

 

凶気と交差する視線。

今度は千堂から右拳を構え、判断の隙を与えずに必殺級の威力を打つ。反射的に、凶気の瞳が同じく右を返す。そして互いの頬を掠る空振り。当たれば終わりだが、両者に当てるにはあと少し足りない。

一撃を見舞うため、歯を食いしばって左拳を返そうとしたとき。ミキストリの左が大振りになるモーションを見逃さなかった。

 

(大振り…!ここや!!)

 

疲労から、パンチが大振りになることはよくある光景だ。試合後半ともなれば、一発逆転を狙う拙いパンチは目立ち、その数だけ巧く利用されてリングに沈んできた。

ゴンザレスの大振りに、上から容赦なく一撃を合わせて振り抜いた。

 

次の瞬間、曲線は直線に様変わりし、更に内側から千堂の頬を理不尽な一撃が打ち抜いていた。

 

「ぐ、あ!?!」

 

見ていても反応出来ず。

パンチの鋭利な速度も見ていたが、それよりも驚くべき表情をしていたのだ。

 

破顔していた。凶々しく笑っていた。

知性の裏に狂気が宿り、理性の裏が最凶となったことを、崩れ落ちる男だけに向けて発信していたのだ。

 

「どうだ、俺たちの一撃は。効くだろ?」

 

ここに来て、最悪に近い形で成長を遂げた王者。

 

挑戦者との差を語るように、視線は背中越しに千堂を見下ろしていた。

 

『だ、ダウン……!挑戦者、ここにきて痛感のカウンターを貰ってしまった!誰も知らなかった王者の底力がここで爆発するっ!!!

場内唖然、沈黙が悲鳴にすら聞こえます!!』

 

レフェリーのカウントを他所に、幕之内はゴンザレスの変化の内容を理解した。

 

「理性と凶気が瞬時に入れ替わったんだ……。

あんなフェイント、そう簡単に見抜けないよ!?」

「……しかもラグが無いみたいです。千堂さん同様、直感を混ぜて予測を無意味にしている!」

 

板垣もそれに重ねて、脅威的な変化に汗を流した。

 

「新しく、厄介極まる男が誕生してしもうた。

おそらく、あれがゴンザレスの最終到達地点や」

 

柳岡も同様に、コーナーから遠くなる決着に顔を歪める。

予想だにしなかったゴンザレスの覚醒。

 

超近距離戦(インファイト)の最中ですら即座に様式変更する、万事に対応可能なスタイル。

それが表裏・死神(アズール・ミキストリ)

 

「あ、あぁ……なんで、そんな凄いんや……」

 

理性と凶気の融合を知り、千堂は呟く。

 

「けどな……。ワイも、退けへんねん。

戦いたい男と、リングで再会するまで……」

 

酸素を求めて呼吸をしながら、合間で笑いが込み上げる。

思い出すだけで熱くなる試合をした。

そして2度、敗北も喫した男をチラリと見る。

 

「ワイは、幕之内に勝つことを絶対に諦められへん!

あの男を倒したお前には、尚のこと負けるもんか!!」

 

震える膝を立たせ、眼力で言うことを聞かない身体を摘み起こす。

対面の男に向けて拳を伸ばしたところで、第4ラウンドの終了が会場に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「センドー……すごい、男だ……」

 

自陣に戻るや椅子にドカリと座る。

どんな辛いときにも見せなかった相手のこともお構いなしの姿に、ブラスは疲労が限界に達していることを知る。

 

「凄いのはお前だ、アルフ。試合中に良くぞミキストリと共闘してくれた。このままならセンドーを倒せる。あと少しの辛抱だ」

「ブラス、俺も長くはない。次で、最後だ」

 

短い言葉のなかに、共闘の意味を含める。

ブラスはそれを全て汲み取り、やはりと納得する。それでも、選手を励ますことに変わりはない。

 

「なら倒してこい。お前の誇る全てで、目の前にいる障害物を打ち砕くんだ!」

 

短い1分が終わり、ゆらりと立ち上がる。

 

「2度、同じ人間に負けた男だ。そりゃ、強いよなぁ。

同じく2度、負けた身として……ここは譲れん」

 

あらん限りを尽くすため、王者はゆっくりと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴンのやつ……殴っても尽きん。

あれが、ホンマのチャンピオンや……」

 

自陣の椅子で上を向き、忙しなく呼吸と呟きを繰り返す。

喋るなと言っても聞かないので、柳岡は千堂の意思を留めるために言葉を届ける。

 

「せや、まだゴンザレスのほうがベルト持っとる。けどな千堂、お前は今からヤツのベルトふんだくって、幕之内との再戦の場所作るんやろ!?」

 

柳岡の言葉に、喉の奥から笑いを漏らす。

幕之内、それがどれだけ千堂のなかで渇望する望みなのか。その反応だけで理解に難くはない。

 

「せや……。幕之、内と……あぁ、けど今は、ゴンに集中したいわ……」

 

そして、千堂の戦意は正しく前を見ている。

勝つこと。勝利を成した先に、再戦の場所がある。

 

「ホンマの王者倒して、頂き(てっぺん)、見に行ってくるわ」

「あぁ、待っとるからな!」

 

英気を補填し、しっかりとリングを踏み締めて決着へ歩み始めた。

 

 

 

 







本日12時。
アルフレド・ゴンザレスVS千堂 武士、堂々決着!
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